第10話:『式神ハク、真の覚醒』
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準決勝の後、俺は再び保健室のベッドに沈んでいた。 今回は偽装だけではない。一条の「鉄木」にマナを吸われ、強引に重力演算を繰り返した脳は、焼け付くような熱を持っていた。
「……ハルト、もう限界なんだよ。君の脳が、法則の書き換えに耐えきれなくなっている」
ルカが窓際に立ち、月明かりを背に冷たく告げた。 彼の指先には、俺の生命バイタルを示すホログラムが浮いている。心拍数は不安定、脳波には「法則」を扱ったことによる深刻なノイズが走っていた。
「……決勝、棄権するかい? 準Cランクにはなれたんだ。これ以上は、本当に死ぬよ」
「……棄権なんかしない。決勝の相手は、エリート選抜の筆頭……『金帝』の血族だろ」
決勝の相手は、アーサー・ゴールドウェル。イギリス出身の天才で、あらゆる物質を「金剛石」以上の硬度に固定する能力を持つ。今の俺の「一点突破のパンチ」では、拳が砕けるのが関の山だ。
「強情だね。……でも、そんな君のために、一つだけ解決策がある。……いや、解決策はもう君のそばにいるね」
ルカの視線が、俺の枕元で丸まっていたハクに向けられた。
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「キュイ……」
ハクは申し訳なさそうに鳴き、俺の頬を舐めた。 その瞬間、俺の脳内に直接、冷たい水が流れ込むような感覚が走る。
「……っ、これは?」
「ハクは『理を喰らう獣』だ。君が一人で背負っている『演算の負荷』を、こいつが代わりに喰らって処理することができる。……ただし、それには君とハクの魂を完全に同調させる必要がある」
ルカの説明によれば、今のハクはまだ「俺の漏れた法則を食べている」だけの状態。 これを「俺と一緒に法則を書き換える」パートナーへ進化させる。
「やり方は簡単だ。君の心臓の重力ベクトルを、ハクに預けるイメージを持つんだ。……ハルト、君の命をこの小さな狐に預ける覚悟はあるかい?」
俺は迷わず、ハクの小さな前足に自分の指を重ねた。 孤独だった。 この世界で、禁忌の力を一人で抱え、誰にも言えず、結衣にすら嘘をつき続けてきた。 でも、こいつだけは最初から俺と一緒に、重力に押し潰されながら歩いてきたんだ。
「ハク。……俺の全部、お前に貸す。だから、一緒に戦ってくれ」
「――クゥォォォォォォン!!」
ハクの咆哮と共に、保健室が眩い銀色の光に包まれた。
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「……何、この光……?」
飲み物を買って戻ってきた結衣が、扉の前で立ち尽くした。 光の中から現れたのは、これまでの子狐の姿ではない。 背中から銀の翼を思わせる霊気の衣を纏い、尾は三本。その額には、重力の歪みを象徴するような「螺旋の紋章」が刻まれていた。
ハク・第二形態:『重力演算機・銀閃』。
「脳の熱が……引いていく」
俺はベッドから立ち上がった。 不思議だった。全身を縛り付けていた倦怠感が消え、それどころか、世界が今まで以上に「鮮明」に見える。 ハクが俺の肩に飛び乗り、耳元で囁くように霊気を送る。重力の計算式が、俺の思考とハクの霊力の間で自動的に補完されていく。
「……すごい。これなら、隠蔽しながらでも出力の100%が出せる」
「おめでとう、ハルト。これで君は、ようやく『法则使い』としてのスタートラインに立ったわけだ」
ルカは満足げに頷き、結衣の方を向いた。 結衣は呆然としながらも、俺の顔色を見て、少しだけ安心したように息を吐いた。
「ハルト……なんだか、すごく強そうになったね。……でも、無理だけは絶対、約束だよ?」
「ああ。……次は、勝つだけじゃない。圧倒してくる」
俺は拳を握った。 アーサー・ゴールドウェル。 世界が認める「金」の防御を、俺とハクの「理外の重力」で粉砕してやる。
成り上がりの物語は、ついに第一章のクライマックス、決勝戦へと突入する。




