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第5話 そんな馬鹿な


 早朝を報せる鐘の音で、僕は目が覚めた。

 陽の光も届かない地下の穴倉。そこで僕も含めた少年少女の奴隷は粗末な藁を敷いて雑魚寝をしている。チラホラと起き出す子供達の音が聞こえてきた。


 ……昨日は、夢だったのかな。


 月明かり。綺麗なお姉さん。アストリッド。吐いたおじさん。

 記憶が断片的でよく思い出せないけれど、僕はいつの間に寝床に戻ってきたのだろう。それが昨日の出来事を少しあやふやにさせていた。


「……」


 隣にはいつものようにレアが眠っている。僕は彼女を起こす為に体を揺すろうとして——止まった。


 ……そっか。もうパーティーが違うんだ。


 パーティーが変われば生活リズムも変わる。ダンジョン奴隷は一日一回のダンジョンアタックさえこなせば後は自由な気ままな存在。いつ起きようと彼女の自由だ。


 ……それでなくても、レアは朝に強くないから。

 

 勝手に起こすと怒られるかもしれない。

 僕は彼女の少し寂しそうな寝顔を眺め、頭を撫でてから穴倉をゆっくりと出た。


 今日の朝は、気分とは裏腹に体が少し軽かった。 

 

 


 奴隷は一日一食だから食べるのはダンジョンに潜った後にしよう。あと昨日は配給ビールの後で酔い潰れた人が多いから朝が狙い目。

 

 そういった打算もあって、僕は早朝すぐにダンジョンに潜っていた。場所は当然——『ゴブリン迷宮』。


「……」


 僕は息を殺して茂みに隠れながらも匍匐前進。そして背後の警戒が疎かなゴブリンの後ろを通り、目当ての木箱の隙間に支給品の片手剣を差し込んだ。

 ゆっくりと音が出ないようにこじり、こじり。

 そうしてできた大きな隙間に手を入れて、中に入っていた品物を取り出した。

 『幻影のハーブ』。

 何かのポーションの材料だって聞いたことあるけどどうでもいい。大事なのは売れるかどうかで、そしてこれは二束三文。残念ながら外れもいいとこだけど、まぁ足しになるから取っておこう。


 ……これすんごい効率悪いよね。僕にはそれしかできないんだけど。


 ゴブリン一匹倒せない僕が取った手段は『ローグ』もどきのスニーキング。ソロとなってしまった僕にはもうそれしか打つ手がなかった。

 本当は木箱じゃなくて宝箱を漁るべきだけど、そういったものの前にはどんな小さな箱でも必ずゴブリンが守っている。ローグもどきの僕にかいくぐれるような警戒ではなかった。仕方ない。


 ……お? 見たことない穴がある。


 小動物、いや、ゴブリン一匹が通れるくらいの小さな横穴。気になる。

 気になってしまった衝動は如何ともしがたく、僕はその小さな横穴に体を潜らせた。

 

 ……いやいや、だって僕が見たことないものだもの。一度は確認しないと。ほら、リーパー行為された時に咄嗟の逃げ道になるし。


 ちょっと確認するだけ。先っちょだけ。先っちょだけ見てすぐに引き返——あ、多分これゴブリンの巣穴に繋がってるや。戻ろ。

 ゴブリンが通れるだけの小さな横穴に複雑でもない一本道。それだけでもうこの行先を察した僕は引き返そうとバックして——壁にぶつかった。


「え、嘘」


 ……あー、そういうタイプね。そうだよね、自分達の巣穴に繋がる隠し通路の入り口を開きっ放しにするわけないよね、ちゃんと閉まるように仕掛けをしないと……ちくしょう。

 仕方ないので進んだ先には、案の定思った通りの光景が広がっていた。


 ゴブリン迷宮一層——『ゴブリンのねぐら』。


 読んで字のごとし見てその通り。名前を聞けば全てがわかる。駄目だこりゃ。もうおしまーい!

  

 ……ひどいよ。ハズレ日だ。


 流石にため息を隠せない。いやバレるから隠してるけど、内心ではもうため息どころか涙を流していた。僕が何をしたって言うの? 迂闊なことをした自覚はある。


 ……というかいいなぁ。ゴブリンのベッド。


 彼らが寝ている敷物は布だった。ちょっと薄いけど藁より羨ましい。なんで僕たちゴブリンより粗末なベッドで寝てるんだろう。


 ……朝は失敗だったかな。ひっきりなしにやってくる。


 寝ているゴブリンと交代するゴブリン。見ているだけでもかなり流動的で、僕が穴から出ていくタイミングが掴めない。これが日中だったら少しは収まるのに、つくづく行動が裏目にでてしまっている。


 ……斧が2匹に短剣1匹。それと棍棒が1匹か。


 ゴブリンは意外と多彩な武器を操る。それは探索者達が死んで落とした武器だったりと本当に多彩だ。珍しいものだと鎌なんてゴブリンも見たことがある。

 不幸中の幸いと言うべきか……今起きているゴブリンは全てが近接武器で、弓やクロスボウなどの遠距離系はいなかった。


 それが僕のなけなしの勇気を、ほんの少しだけ後押しする。


 ……仕方ない。動こう。


 まぁ死ぬのはいつものことだから、気楽にやろう。

 僕は適当に丁度良い重さの小石を拾うと、それを全力で通路とは真逆の方向にぶん投げる。想像以上に力が出て、壁にぶつかった小石が派手に砕け散った。

 

「ギャッ!?」「ギャギャッ!?」


 ゴブリンは大きな物音に敏感に反応する習性がある。そして彼らはそれを確かめずにはいられない。

 僕はその隙に——全力ダァッシュ!


「ギャギャギャ!?」

「——のうぇ!?」


 ……嘘でしょ。すんごい上手くいったのに。

 

 運が悪すぎたのか、丁度入れ替わりでやってきたゴブリンとバッタ リ出くわした。それも3匹。狭い通路を横一列で塞いでいる。おかしくない? 


「グギャァア!」

「——わ、待って!」


 なんて言ってもゴブリンが止まるわけもなく、目の前のゴブリンが3匹同時に僕に突撃してきた。

 一匹目は手斧。力任せの縦振りは横を向くだけで躱せるけど、更に2匹目が最悪なタイミングと場所に短剣を突き出していた。おかげで僕はバックステップで避けるしかない。


「ギャッ!」

「だから待って!」


 分かっているのについ口に出た。だって3匹目は弓だったから。

 僕がバックステップで避けた瞬間を狙う——なんて器用なことゴブリンにはできないけど、今日の僕は本当に運が悪いらしくそうなった。しかも前のゴブリンの体で弓を放つ瞬間が遮られ、最小限だとか言ってられない僕は大袈裟に横っ飛びで躱した。


「ギャ!」「ギャ!」「ギャ!」

「よ、ほ、は!」


 躱す、躱す、躱しまくる。まるで年一でやってくる大道芸のサーカスみたいに。

 きっと端から見たら喜劇に見えるくらいの見せ物だ。けれど当の僕は本当に必死だった。


 ……だけどこのままなら!


 隙をついて逃げられる——。


 そう思ったのがいけなかったのか、それとも遂にというべきか。


「グッギャアアアアアアッッッ!」


 焦れたゴブリンが——大声を上げた。


「グギャ!」「グギャ!」「グギャァ!」


 まるで奴隷を監視する衛兵達のような連携力を発揮して、彼らは連鎖的に鳴き声を上げる。

 ドタドタと響く足音。敷物から起き上がる寝起きのゴブリン。何かしらの対処をする暇もなく、気が付けば僕は——囲まれていた。


「……」


 乾いた笑いも出ないくらいの絶望的な状況。それこそ一年に一回あるかないかの運の悪さ。きっと今日は何かの罰が当たったのだろう。何にも身に覚えがないけれど。

 ここまでゴブリンに囲まれれば、いくら敵の攻撃を避けるのが得意と言っても無理がある。そしてそれが僕の限界だった。


 ——昨日までは。


 脳裏に昨夜の光景が焼き付いて離れない。

 僕を包んだあの温もり。背中に回された華奢な腕。

 耳元で囁かれた……子守唄のような声。


 ——『私がするのは最初の種火を熾すこと』


 奴隷に渡される錆びた剣。すぐに死んで物を無くすお前達にはこれで十分だと言わんばかりの粗末な品。木の棒よりかは重い分だけちょっとマシ。

 

 僕はそれを——構えた。


 夢だったのかなと今朝は思った。でも体の軽さがいつもと本当に違うんだ。

 小石を投げた時に思ったんだ。僕の投擲はあんなに力強くないんだよ。


 ——『何者にもなれるのが無職なの』


 ……やってみようと、思ったんだ。


 覚えてるんだ。あの暖かい声を。

 初めて言われたんだ。あんな優しくて、涙が出そうなほどに嬉しい言葉。

 

 ……この火を燃え上がらせられるかは、僕次第。


 その言葉が本当なら。

 その言葉が、彼女の本心だと言うのなら。


 ——僕はきっと、君の期待に応えるよ。



「————『スラスト』」



 期待はしていなかった——。


 心の何処かでいつでも諦められるように準備をしていた。見様見真似で動いただけで、結局何にも起こらずに空振りする。なんなら「やっぱりね」のやの字まで口を開いていた。


 けれど放った剣は僕の意思通りに自在に動き、そして僕の腕力を遥かに越えた力強さで進んでいった。やがて剣先がゴブリンの頭に届くと——パァンという炸裂音を響かせてその頭を吹っ飛ばす。


「——……嘘でしょ」


 びっくりした。

 僕もびっくりしたけど、ゴブリンもびっくりしていた。みんなびっくりだった。


 僕は信じられない結果を見て——叫んだ。



「嘘でしょぉぉぉおおおお!?」



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