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第4話 契約と種火


 彼女——昼間の綺麗なお姉さんは剣を納めると、改めて僕に笑顔を向ける。


「初めまして、私はアストリッド。アストリッド・シルベリウス・ルナ・ウィンターベルよ。長いだろうからアストリッド様でいいわ。昼間は助けてくれてどうもありがとう」


 胸に手を当てて優雅にお辞儀をする彼女。


「夜分遅くにごめんなさい、けれど古い文献を漁っていたらこんな時間になってしまって。明日にしようかとも思ったけど居ても立っても居られなかったのよ。許してね」


 茶目っ気を見せて笑う彼女に、僕は何も言えなかった。

 ただ、肩を震わせていた。


「……ねぇ聞いてる?」

「……」

「聞こえてないのかしら。もしかして目が良い代わりに耳が遠いとか? もしもし、もしもーし! 感度良好ですかー?」

「……見せて」

「あら聞こえてるじゃない。探索者は耳も重要だからどうしようかと思ったけど安心したわ。それで何を見せろと、」

「——さっきの! スキル! スラスト!」


 彼女が何者で何しに来たのかなんてどうでもいい。

 ただ網膜に焼き付いて離れない、彼女の鮮烈な生の『スラスト』。

 それがもう一度見たくて、僕はただ震えていた。


「お願い! お願いお願いお願いします! なんでもするから! 僕にできることならなんでもするからもう一度見せて!」

「……どうしてかしら。私の挨拶とか丸っと無視して一方的に主張されてるのに気分が良いわ。これだけで来た甲斐があったかも」

「そんなことより早く!」

「わかった、わかったから離れなさい。貴方嘔吐物とアルコールの臭いがするわ。その歳でもうお酒を飲んでるの?」

「それそこのおじさんの臭いだよ」


 僕はゲロまみれになって倒れているおじさんを指差した。

 彼女は見なかったことにした。


「スラストが見たいのね? いいわ、見てなさい。しっかり見るのよ」


 そう言って、彼女は半身を逸らして剣を構える。

 

 スラスト——片手平突き。


 改めて見た彼女のスキルは、やっぱり僕の心を震わせた。


「どう? 真似できそうかしら」

「……さっきと、違う」

「……ふふ、面白いわ。ならこれはどう?」


 その瞬間——彼女は動こうとした。


「——っ」


 僕は頭を抱えてその場に伏せると、恐る恐る彼女を見る。

 そこには剣を振り抜いた姿勢で固まり、目玉が飛び出そうなほど驚き、そして喜びに染まった彼女がいた。


「……今、私が動く前に動い、」

「こ、殺すの? ごめんなさいっ」

「——ああいやいや違うわ私こそごめん本当にごめんなさい、大丈夫これ刃は潰れてるもの! ごめんなさいそういう問題じゃないわよね……飴食べる?」

「いる!」


 僕は飛びついた。甘味なんて年に一度しか食べられない。


 ……飴、めちゃくちゃ美味しい。


「……予想以上に劣悪な環境のようね。知ってはいたけれど気分が悪いわ」

「なにが、ですか?」

「なんでもないのよ。私には都合が良いから仕方ないで済ませるわ」


 そう訳が分からないことを言うと、彼女は少し大きな岩の上にハンカチを置いてから優雅に座った。長いスカートの中で脚を組む。


「改めて、私はアストリッドよ。貴方はアサヒくん、よね。見たわ、貴方の記、」

「もう一回! もう一回見せて!」

「いや空気読みなさいよ、温厚な私でもそろそろ怒るわよ。貴族怒らせたら貴方あれよ、さっきのが冗談じゃなくなるわ。それが嫌なら黙って聞きなさい」


 彼女は少し険しい顔で僕を見る。


「貴方の記録、見させてもらったわ。顔しか分からなかったから見つけるのに大分時間を取ったけど、その甲斐が報われた気分で嬉しかった。貴方、とても目が良いのね。そうでしょ?」

「……」

「いや質問には答えていいのよ。ごめんなさい、怖がらないで。もっと飴食べる?」

「いる!」


 飴玉を5個ももらった。

 とても嬉しい。


「話を戻すわ。貴方はダンジョンに潜って8年目、今年で13歳。貴方の記録を詳しく見たけれど、死亡回数はダンジョン奴隷として平均的……いえ、少し多いくらいかしら。自覚ある?」

「ある、ます」

「素直ね。それと普通に喋ってくれていいわ。但しアストリッド様と呼ぶこと」


 彼女——アストリッドは楽しそうに笑った。

 けれど、すぐに獲物を見つけたように目を細める。


「貴方の死亡回数は平均的——だけど、その内訳は異常だった」

「……」

「貴方は他の探索者やモンスターに殺された回数がここ一年でゼロ。全体で見れば二桁で収まる範囲かしら。それも本当に幼い頃や多勢に無勢の時だけで、純粋な意味で殺されたのは私が見た限り無かったわ。流石に8年もの死亡記録を全て見れたわけじゃないから曖昧だけど、どうかしら?」

「えっと、多分そう、かなぁ?」


 正直覚えてない。死んだ内訳ってそんな大事?

 結果は同じなのだから、意味があるとは思えない。


「ふふ、ごめんなさい。そうよね、毎日潜っているんだもの。覚えているわけないわ」


 アストリッドは可笑しそうに笑い、


「正直——震えたわ」


 軽く舌で、唇を湿らせる。


「まだ誰も貴方に気付いていない。見つけたのは私が最初。この事実に震えたの。そしてさっきので確信に変わったわ。この興奮はきっと、ダンジョンで宝の山を見つけた時にも劣らない。いいえ、絶対にそれ以上だと」

「……」

「もう一度聞くわ。貴方、とっても目が良いのね」

「そうだよ」

「いや軽いわ、反応が軽い。喋り方間違ったかしら」


 ……そう言われても。僕にとって他の人より見えるなんて呼吸するのと同じくらい当然だから、それ以上言いようがない。


 アストリッドは何度か首を傾げ、気を取り直すように咳払いした。


「とにかく、私は貴方を気に入ったの。貴方のパトロンになって上げるわ」

「パトロンてなに?」

「そこから!? 本当に調子の狂う子ね貴方」


 アストリッドは疲れたように首を振った。なんかごめん。


「パトロンというのは、ようは支援者よ。簡単に言えば装備や金銭を貴方に上げるから、貴方はそれを使ってダンジョンで成果を上げて下さいね、と私は言ってるのよ。と言っても奴隷を支援すると多額の税が掛かって私が動きにくくなるから、今はまだ本当に最低限の支援しかできないのだけれど……」

「ご飯だけでいいよ?」

「……貴方にとって支援とはそういう意味なのね。いいけれど、安上がりだけれど。泣きそうになるからあまりそういう事は言わないでちょうだい」


 アストリッドはなぜかこめかみを抑えた。


「いいわ、それでいきましょう。私は貴方にご飯を上げる。貴方はそのご飯を食べてダンジョンで成果を上げる。いいわね?」

「ううん、断るよ、ごめんなさい」

「聞き間違いかしら。そういえばもう日付を跨いだわね。眠いわ」


 僕は心から申し訳なく思って苦笑する。


「アストリッド、様の提案はすごく魅力的だけど、僕にはそれを受ける資格がないよ。色々僕を褒めてくれたのは何となく分かって嬉しかったけど、そうじゃないんだ。だって僕は、」

「——無職だから?」


 ……僕の言葉を先回りしたアストリッドの目は、吸い込まれそうなほどに真剣だった。


「貴方、自己評価が低いのね。産まれた時から奴隷で、しかも『無職』とくればそれは仕方がないのかもしれないけれど……パトロンとして早速注文を付けさせてもらうわ。自分からチャンスを棒に振るのはもう止めなさい」

「……あれ? 無職だって断ったよね?」

「断るのを断るわ。私はパトロンになって上げると言ったのよ。私をパトロンにする? と聞いた覚えは無いわ」

「つまり決定事項なんだ?」

「そうよ。分かってるじゃない」


 彼女は僕を手招きした。

 

「おいで。契約を交わしましょう」

「……良いことないよ?」

「良いことか悪いことかは私が決めるわ。無職だとかはどうでもいいの。それより死亡理由の9割以上が落盤や罠——つまり事故である方が問題よ。そっちを直すのが先だわ」


「いいから早く。本当に眠いわ」、と催促する彼女に釣られて、僕はふらふらと近寄った。

 本当はもっと抵抗するべきだったのかもしれない。これだけ期待されるのは嬉しいけれど、その期待に応えられなくて落胆させてしまうのは目に見えていたから。


 そもそもいきなりやってきてパトロンだ何だと言われても、僕からしたら頭にハテナしか浮かばない。そりゃこんな掃き溜めに綺麗な服着て奴隷を騙す人はいないだろうけど、これでも僕は疑り深い方だと思ってる。そうでなくても普通に信じる方がおかしい。


 なのに……なんでだろう。


……なぜか素直に、受け入れてしまった。


「良い子ね」


 彼女は僕を優しく抱擁すると、背中に手を回した。

 

 ……あったかい。


「古い文献を漁っていたと言ったでしょう。それは『無職』を調べる為よ」


 彼女が回した手から温かい何かが僕に伝わる。それはとても心地良くて、抗いがたくて……うとうと、してきて……。


「『無職』とは何者にもなれないではないの。何者にもなれるのが『無職』なの。大切なのは一つの切っ掛け。私がするのは最初の種火を熾すこと。その火を燃え上がらせられるかどうかは貴方次第」


 全身に広がる温かさと、彼女の子守唄のような暖かい声。

 僕はそれにどうしようもなく抗えなくて……一瞬だけ、瞼を落とした。



「頑張りなさい——ノービス」


  


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