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第19話 不穏な気配


 1000G。ホブゴブリンから出てきたポーションを売ったお金。


 今回の攻略でそれだけのお金を得た僕は、ちょっと奮発して遊興階層にある酒場に一人で来ていた。お昼時だからか少し混雑している。


 ……あまり良くない気がするなぁ、美味しいけど。


 パンを千切ってシチューにつける。合間にお肉を食べての繰り返し。めっちゃ幸せ。


 少し前まではこういった豪勢な使い方は控えていたけれど、アストリッドに二日連続でお腹いっぱい食べさせてもらってからは普段の量では満足できない体にされてしまった。責任を取ってほしい。


 というのは冗談だけれど、お腹いっぱい食べた後は調子が良いから悪い使い道ではないと自己弁護してみる。うん、それでいこう。


「……おい、あいつ」「あれがハウンドをやったガキ」「それもあるが例の……」「あれなら楽勝だな」「いや油断は禁物……」


 ……僕のこと話してる?


 会話は断片的にしか聞こえないけれど、目は口ほどに物を言う。多分これは自惚れではない。少なくない人……それもあまり好意的ではない視線だから尚更わかった。


 ……まぁどうでもいいか。


 そういえばホブゴブリンの死体を漁るのは良かったのかな。あれも漁る場所が腰布なのは変わらないし……いやもう後の祭りだけど。


 ……うん、大丈夫。アストリッド様に禁止されたのはゴブリン漁りだから。ホブゴブリンはゴブリンじゃない。


 あれ? それだったら角ゴブリンもありじゃない? すごい、僕天才かも。


「——おお! 小僧ではないか、ここで会うとは珍しいのう」

「……おじさん?」


 自称元貴族のおじさん。こんな所に来れるほど稼いでいたの?


 おじさんは空いていた僕の隣の椅子に腰掛けると、そのお酒臭い息を僕に吹きかけてきた。


「うむうむ、小僧もついに飯場の堅パンから抜け出したか。めでたいのぅ、何か奢ってやろうか、んん?」

「本当? じゃあお肉ちょうだい」

「おい給仕、ビールおかわり。あとこの小僧に豆」

「豆しかくれないのにお酒は止めないんだね」


 おじさんは追加のビールを一口呷ると、「カァ!」と赤ら顔で杯を置いた。

 

「酒は百薬の長じゃ。こればかりは止められんのぅ」

「配給ビールの日だけでいいじゃん。流石に勿体ないよ」

「配給ビールの日じゃないからこそだ。お主も大人になればわかる」

「人にあげた豆を自分でつまむ大人にはなりたくないなぁ」


 ポリポリと凄まじい速度で豆をつまむおじさん。お酒の肴とかそういうのじゃない鬼気迫るものを感じる。


 ……このおじさんもめげないよなぁ。


 新入りの奴隷は大抵一月もいれば丸くなるのに、このおじさんは入ってきた頃と何も変わらずにずっとお酒臭い。本当にお酒は体と心にいいのかもしれない。見習わないけど。


「そうだおじさん、マナ板見せてよ。せっかくだし」

「おお、いいぞ。ビール一杯で見せてやろう」

「じゃあいいや」

「少しは悩まんかい。仕方ない、子供には優しくしてやろう。ノブレスオブリージュじゃ」


 よく分からないことを言ってマナ板を取り出すおじさんから、僕はそれを受け取った。


「あ、『剣神』の記録が更新されてる! 見ないと……!」

「これ、少しは都市情勢も気にせんか。教養を身に着けい」

「興味ないよ」

「そうだとしても真っ先に見るのが他人の記録とは。少しは自身の評価も……いや、それはお節介が過ぎるのう」


 おじさんの声を聞き流してマナ板に集中する。久しぶりに見る剣神の動きは何度見ても鮮烈だった。止まらない連撃に計算され尽くした動き。見惚れる。


 ……すごいなぁ。形だけなぞるのも難しいよ。


 少しは探索者として成長した今だからこそ分かる。これは無理だ。真似したとしてもそもそもの身体能力が違い過ぎて、きっとスキルは発動しない。


 ただの憧れだけじゃなくて何か得るものはないかと思ったけれど、どうやら純粋に楽しむだけで終わりそう。駄目元が過ぎるから別に気にしないけどね。


 ……あれ、でもこれならもしかして。


 攻撃スキルを放った直後は大なり小なり硬直する。それは強制的な残心。時間経過以外で解除することは普通はできない。だから対人戦ほどスキルの発動に誰もが慎重になる。


 けれど剣神の動きにはそれが見当たらなかった。他の誰の記録を見ても大技であればあるほど硬直は秒単位になるのに、剣神だけはすぐに動けている。


 ……これ、きっとスキルだ。


 何をしている? 息遣い……目、指、いやマナの流れ? 違う、攻撃スキルを放つ最中に仕込んでいる。どうやって? 


 よく見ろ。必ず何か前提があるはず。見落とすな。


 ……気付けば、勝手に体内のマナが暴れていた。


「——な、なんじゃ貴様ら、わ、わわわ儂は赤い猛将じゃぞ!?」


 外がうるさい。それでも集中を切らさずに見続けていると——フッと映像が視界から消える。

 それはマナ板を取り上げられたことが原因だと気付くのに、少なからず時間を要した。


「おいおいジジイ奴隷には過ぎた代物だろ」

「ちぃと借りるわ。気が向いたら返してやるよ」


 酔っ払い三人組。おじさんは「今すぐ返せ」と顔を真っ赤にして怒鳴っているけど、僕からマナ板を取り上げた男は我が物顔でそれを弄り続けていた。


 ——はぁ?


「返せ。僕が先に見てただろ」


 その声は、思った以上にこの場に響いた。

 子供に舐められたと思ったのか、男が反射的に拳を振り被る。


「ガキが生意気言ってんじゃねぇ!」


 ……酔っ払いの拳。


 あまりに遅すぎるそれを躱し、腕を掴んで引っ張った。一応体重を乗せていたのか、それだけで男は前のめりに倒れる。

 僕はローグじゃないけれど、酔っ払いの手元から小さな板をくすねるくらいは訳なかった。


「はい、返してもらったよ。見たかったらちゃんと順番守ってね」

「まず先に儂から許可を取るのが先じゃろ?」

「——こ、このクソガキッ!」


 倒れた男は剣を抜こうとして——止まった。

 より正確に言うならば、彼の仲間に肩を掴まれて止められる。


「よせ、ダンジョン外で殺しはやべぇ」

「黙れ! このクソガキだけはぶっ殺す!」

「だから止めとけ、見ろこいつの顔」


 固まる彼ら。薄笑いを浮かべながら僕を見ている。


「例の奴だ」「まさか今朝回ってきた……」「それならダンジョンで殺した方が……」「そっちの方が得」「何度でも……」


 ……意味がよく分からない。内緒話みたいだから聞いちゃ悪いかな?


「おいガキ。楽に死ねると思うなよ」


 そう捨て台詞を吐いて、彼らは酒場から出ていった。おじさんがホッと胸を撫で下ろす音が聞こえる。


 ……そんなにルーンソードが欲しいのかな。


 僕を殺しても得るものはそれくらいしか思いつかない。本当はもう一つあるけど知らないはずだし……変わってるなぁ。


「……小僧、気を付けろ。貴様狙われとるぞ」

「知ってるよ? そう言ってたよね」

「そういう意味ではない。いや、部外者の儂がこれ以上出しゃばるべきではないかの」


 神妙な顔付きだったおじさんは一転、ニカッと歯を見せて笑った。


「大儀であるぞ小僧! 奴らに貸したら一生返ってこんだろうからな、やるではないか! 儂が貴族に返り咲いた暁には私兵として雇ってやろう!」

「遠慮します」

「ガハハハハ! 遠慮する必要はない!」


 僕はおじさんを無視してまたマナ板に集中した。せっかく良いところだったのにまた最初からだけど、その分長く見られて得したとでも思っておこう。



 それから僕は「ん? お主臭いのぅ」とおじさんに浴場に連れて行かれるまで、ずっと剣神の映像を見続けた。


 一応言っておくと、僕は寝る前は必ず無料の水浴び場で体を洗っている。お湯が気持ち良かったから次は自腹を切ってもいこうかな。




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