第16話 子供好きなシスターがあらわれた
シスター……テオノーラの言葉に、僕は首を傾げた。
「僕は成長してるよ? 前に会ったのが2年くらい前だから大分背も大きくなったよね?」
「そのようですね、残念ながら。けれど私は幸いなことにエルフですから、そういった小さな成長は誤差として受け入れられます。悠久の時を生きる私は寛容なのです」
そう言ってテオノーラは僕をじっと見て、
「15歳くらいまでですかね。私のギリ許容範囲は」
「いや狭いわ。悠久の時を生きる癖にストライクゾーン狭すぎるでしょうこのババァ」
訳の分からない言葉に訳の分からないツッコミをするアストリッド。何の話?
「あら? あらあら、いたのですかアストリッド様。珍しい」
「ずっといたわよ、常に先頭だったわ。何なら目が合ったでしょう」
「人違いかと思ったのでつい。このような場末の教会にくるとは、相変わらずフットワークが軽いのですね」
「その場末でシスターをやっている貴方に言われたくないわ」
アストリッドは呆れを隠そうともせずに嘆息する。
「貴方も変わらず子供が好きなようね。色々と元気そうで何よりだわ」
「訂正して下さい。私は子供好きではなくて「男の子」が好きなのです。女は対象外ですよ」
「それは本当に訂正していいの? 少しは隠した方がいいんじゃないかしら」
「隠す必要はありません。一線は越えていないので」
「貴方自由に生きすぎじゃない?」
テオノーラは長い耳を少しだけ上下させた。それにどういう意味があるのか分からないけど、アストリッドの頬が少し引くついている。
翠人。僕のような人間族とは違う異種族。
奴隷の中にも鱗人や獣人はたまにいるけれど、エルフは一人も見かけない。もしかしたら骸士の中にはいるかもしれないけれど、少なくとも僕は見たことなかった。
そんな僕にとって珍しい種族であるテオノーラは、僕とアストリッドを交互に見て不思議そうに小首を傾げた。
「そんなことよりあり得ない組み合わせで混乱しますね。事案ですか?」
「貴方と一緒にしないでくれる? 心の底から不快だわ」
「同行の士が増えるのは喜ばしいですが、アサヒくんを狙うのは少し困りますね。この子には悪い遊びは教えないで欲しいものです。それでも一つ助言をするのであれば、連れ回す真似は目立つのでこっそりすることをお勧めしますよ」
「だから話聞きなさいよ。というより私ってそんなに男を買ってそうに見えるのかしら」
ちょっと傷ついた表情のアストリッド。そういえばレアにもそんなこと言われてたし、気にしてたのかな。
彼女は「はぁ」とため息を吐き、
「私はこの子のパトロンよ。それ以上でも以下でもないわ」
「……パトロン。そうですか、さもありなんですね」
小さく、テオノーラはそう呟いた。
そして僕の手をチラリと見て、
「事情は分かりました。世間話をしにきた訳ではないでしょうし、訪れた理由はアサヒくんの治療で宜しいですね。お代はアストリッド様が?」
「ええ、余計なことはせずに治してちょうだい。貴方の相手はもう疲れたわ」
「お互い様ですよ。私も今は私的な時間ですし、本当なら男の子以外とは口も聞きたくないのですから」
「どうやって仕事してるのよ……もう何でもいいわ」
そう投げやりにアストリッドは僕の背を押した。手も離れる。
その途端テオノーラは慈愛の笑みを崩し、「ヒュバッ!」と音が鳴りそうな勢いで素早く動いた。そして両腕を目いっぱい広げて僕に抱き着いてくる。どこのモンスターの捕食行為かな?
「ああ、これですこれ。男の子特有の成熟しきっていない柔らかさと固さのバランス。まさに悪魔的誘惑。私はいつもこの誘惑に負けてしまうのです」
「テオノーラさんやわらかい」
「いいですね、とてもいいですその反応。照れる、怒る、嫌がる、どれも男の子らしくて素敵ですけれど、アサヒくんのように素直に受け入れられるのも嬉しいもの。しかも下心がないのが素晴らしい、やはりアサヒくんは特別です」
「顔やばいわね」
ドン引きの声を漏らすアストリッド。気になるけれど僕からは見えない。
「ちょっと、私は余計なことはせずに治せと言ったはずよ。治療費を値切ってもいいのかしら」
「タダにしますのでもう少しこのまま」
「そこまで!? 筋金入りね……」
「冗談です。ちゃんと治療はしていますよ」
その言葉のとおり、僕の体に温かなものが流れ込んでくる。しばらくのあいだそれは体内をゆるやかに漂い、やがて目的地を見定めたのか静かに僕の掌へと集まっていった。
……これ、似てるかも。
スキルを放つ瞬間の感覚と、とてもよく似ている。
「どうでしょう。少しは痛みも和らいだのでは?」
「うん、気持ちいい」
「聞きました? 私は男の子を気持ちよくさせています。これに勝る喜びがあるでしょうか。いいえ、ありません」
「勝手に自己完結するなら聞かないでもらえる?」
「それにしても」と、アストリッドが感心したように言った。
「貴方、患者に毎回こんな治療をしているの? 私にはとても真似できないわね」
「はい? 男の子限定に決まっているでしょう。それ以外はポーションで十分です」
「そうね、そうに決まっていたわ。ごめんなさい当たり前のこと言って」
「あまり虫唾が走るようなことは言わないでください。集中したいので」
「どっちに集中してるのかしらね……」
呆れて投げやりになっているアストリッド。そうこうしている間も治療は進む。
じんわりと温かい感覚はまだ続いている。けれど少しずつそれも落ち着いていって、いつの間にか消えてしまった。
「……このくらいでしょうか」
そう言ってテオノーラは僕から名残惜しそうに離れると、手の平に巻かれている布を丁寧に剥がしてくれる。少し血のりで固まったそれは少しの痛みを伴ったけれど、剥いてみれば傷一つ無くなっていた。
「うん、大丈夫! ありがとうテオノーラさん!」
「アサヒくんの為ならこの程度お安い御用ですよ。それと今日は余計なのがいるのでお金を頂きますが、一人で来ればタダにしますので、またいつでも来てください」
「本当? タダならまたお願いしようかな」
「……なるべくそいつがいない日を狙いなさい」
……それだとタダにならないから意味ないよね?
「もう治療は終わりね? お金は家に請求しておいて。アサヒ、来なさい」
もうここには用がないとばかりに立ち去るアストリッド。僕は彼女を追いかけようとして、テオノーラに手を握られて止まった。
「なに? テオノーラさん」
「アサヒくん、これを持っていきなさい。私から貴方への餞別です」
そう言って、テオノーラは金色に輝く瓶を僕に手渡した。
……なにこれ? ポーション?
というか、
「餞別?」
「ええ。貴方がここを去るのもそう遠くないと思いまして。渡せる内に渡したくなりました」
「ここを去る? 2年前の話?」
「ふふ。そうだと良かったのですが、違いますよ」
手渡した瓶ごと僕の手を包み込み、テオノーラは微笑んだ。
「大切な時に使いなさい。売ってはいけませんよ。悲しくて泣いてしまいますので」
◇
一度も振り返らずにアストリッドは先を行っていた。その背中に駆け足で追いつくと、僕の手元に視線を落とした彼女が怪訝な顔で眉を寄せる。
「それ、アレからもらったものかしら」
「テオノーラさん? そうだよ」
「……黒寄りのグレーね。とはいえアレに立てつける人などいないのだから、結局は白になるのでしょうけど」
「アストリッド様はこれが何か分かるの?」
僕がそう聞くと、アストリッドは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「とてもとてもよく効くポーションよ。隠しなさい、価値の分かる人が見たら死人が出るわ。ダンジョンの外でね」
「ダンジョンの外……」
死んで蘇るのはダンジョンの中でだけ。それ以外で死んでも生き返らないし怪我も治らない。
だからなのかは分からないけれど、僕が知る限りダンジョンの外で暴力沙汰が起こることは年に数回しかない。殺人に至っては記憶を掘り返さないと思い出せないくらいだ。皆ダンジョンに潜ったら躊躇なく人を殺すのにね。
……それが起こるほどの価値が、このポーションに。
「分かった、大切に隠しておくね」
「待ちなさい、今どこに隠したのかしら。ズボンの中にポケットでもあるの?」
「パンツの中だよ?」
「価値が半減したわ」
額に手を当てて天を仰ぐアストリッド。ゴブリンの習性を真似たけど駄目だったかな。
「……もういいわ。とりあえず行きましょう」
「どこに? ご飯?」
「それは後。もう少し我慢しなさい」
僕が抱える剣を見て、アストリッドは目を細めた。
「その剣の総称は『ルーンソード』。さっきそう言ったのは覚えてるかしら」
「うん。そこで止まったのも覚えてるよ」
「よろしい。それなら続きを話してあげる」
教会から離れて大通りを歩く。アストリッドは奴隷達の視線を一身に受けながらも堂々としていた。僕は小姓のように小走りで付いていく。
「ルーンソードはガラスの剣。切れ味は相当なものだけど鉄や銅より耐久性に難があるの。でも魔石で作られてる分軽いし扱いやすいのと、見た目がかっこいいから駆け出しがよく使っているわ。大抵はすぐに壊して泣いているけれどね」
「駆け出し用の武器なんだ」
「貴方にぴったりでしょう。その剣の真価は別にある、というのが理由だけど」
そう言って、アストリッドは意味ありげに笑う。
「ルーンソードの真価——それはこの剣自体が魔法の触媒になり得ることよ。『ウィザード』の杖に『ヘクサー』の呪物。勿論本物と比べたら能力は落ちてしまうけれど、そういったものの肩代わりができるのが最大の特徴かしら」
「それがどう僕にぴったりなの? 魔法なんて使えないよ」
「……ふふ、そうね。だからこそ実践するのが面白いのよ」
——『ポータルの間』。
それも僕みたいな奴隷が使うような簡素な所ではない。清潔で整理された大広間へと僕はアストリッドに連れられた。高そうな装備をしている人が僕を見て顔に皺を寄せている。確かに僕の場違い感はすごいけど気にならなかった。
……アストリッド様が楽しそうだから、どうでもいいかな。
ゴブリン迷宮へのポータルを開いて、アストリッドは僕に手招きする。
「行きましょう。その剣の使い方を教えてあげる」
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