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第10話 一歩目


 アストリッドに遊興階層の酒場でお腹いっぱいまで食べさせてもらった日の夜。

 特定の場所を除いて陽の光が届かない螺旋階層は常に薄闇を抱えている。夜の鐘が鳴る頃はまだ眠るには早く動くには遅い、それぞれが思い思いにゆったりと過ごす頃合い。

 

 僕はその鐘の音を聞きながら、迷宮へのポータルを潜っていた。


 ダンジョン奴隷は一日一回潜ればいい。それ以上は任意。日に二回潜る人は稀だ。

 僕はこれまでも遊びや稼ぎが足りない時に追加で潜ったりしていたけど、今日のこれはそういうのではない。本当の意味での攻略を始める。


 ……せっかく強くなれるのに、明日まで待ちきれる訳ないよね。


 つまり、そういうこと。

 僕はダンジョンが、楽しい。


 ポータルを潜った先のエリアは一層という条件を除いて毎回ランダムに振り分けられる。同じ所からスタートというのは稀。みんなで揃ってよーいドンというのも絶対ない。潜った直後に即リーパーを防ぐ為かな?


 けれど潜った直後に丁度探索していた探索者と鉢合うことはあって、そういう時は泣く泣く逃げる羽目になるのだけれど。大抵は僕が何も持たない奴隷だと分かると見逃してくれるけど、たまに人を殺すのが楽しいって変な人もいるからね。


 今回は——当たりだ。


「『ゴブリン広場』、だね」


 まず声に反応する人がいないか確かめる。良し、クリア。


 ゴブリン広場は朝に行くとゴブリン達が勢揃いしていて「ギャギャ」とうるさいけれど、夜になれば人っ子ならぬゴブリン一匹すらいない当たり場だ。僕はそれでも念を入れて索敵を行い——岩陰で寝ているゴブリンを見つけた。


 ……サボりゴブリンかな? 殺しとこ。


 錆びた剣でゴブリンの頭をかち割る。そのままいつもの流れでゴブリンの腰布を漁ろうとして……止めた。 


「ぅぅ……死体漁りを止めろだなんて酷いよアストリッド様」


 僕が酒場でご飯を食べている時、アストリッドは暇だったのかマナ板をずっと見ていた。最初は普通の距離で話していたけれど、ある時を境に急に距離を置きだしてこう言ったんだ。


『……あの、ちゃんと手を洗ってる?』


 というわけで、死体というより「ゴブリンの死体漁り」を僕は止めさせられた。仕方ないね。僕が握った袖を見てめっちゃ落ち込んでたからね。でも耳は剥ぎ取っとこ。これは死体漁りじゃなくてアイテム採取なり。


 そうして不意打ち等の危険が無いことを丁寧に確認した僕は、頭の中の地図を引っ張り出して目的地を目指した。


 ゴブリン迷宮。その2層へと。




『光る青苔』、『燐光石』、『ルビーの欠片(傷だらけ)』、『古びた銅貨』、『小さな魔石』。


 ゴブリン迷宮二層のあちこちを探索し、僕は木製の宝箱や石造りの宝箱から諸々のアイテムを手に入れていく。さすがは二層、一層よりかはちょっと内容が良い。この分ならいつもの3倍以上は稼げているだろう。少し浮かれる。


 ……けど二層はあんまり潜ったことないから、よく見ないと。


 気分を引き締めて探索を進める。といっても全然分からないというほどではない。覚えのある道や部屋も幾つかあった。

 ただ頭の中の地図が歯抜けているから、そういう所は慎重に——そして確実に潰していかないと。


 地図を埋める為に知らない通路を進む。好奇心からではなく攻略の為に。

 僕はまだ、3層への階段を見付けていない。


 ——影の揺らぎ。


 通路の突き当り。その曲がった先。

 そこから焚火をした時のような揺れる炎の影が見えた。そして2匹のゴブリンの影も。


 僕は足音を立てないよう慎重に進み——そして一気に飛び出した。


「——スラスト!」

「ギャア!?」


 片手平突き。相手は死ぬ。

 というのは冗談だけど、不意打ちが成功して一匹の緑ゴブリンを瞬殺する。僕はそこから目を瞬時に走らせた。


 ——祭壇。敵は角ゴブリン一匹。


 ……不意打ちしたのが赤だったらよかったのに。


 贅沢言っても仕方がないと、僕は赤ゴブリンを見据えて正面に剣を構えた。


 角ゴブリン。角無しよりもかなり強い。


 前にレアが角ゴブリンを一撃で倒していたから僕も、と思ったけれどとんでもない。対峙しただけで僕より格上だと分かる。筋肉の隆起を見れば一発だ。


 加えて赤は知性が高くて狡猾さも増すらしい。角無しみたいに無駄に叫んだりしていない所を見るにそれは正しいのだろう。

 彼は緑を瞬殺した僕を測るようにじっと見ると、「グキャ!」と馬鹿にしたように笑った。そして余裕のアピールなのか短剣を長い舌で舐める。


 ……なにこれ。腹立つ。


 腹立つから僕もやろ。僕は一度見た角ゴブリンの挙動を一挙手一投足に至るまで完璧に真似た。刃が逆だったせいで少し舌が切れた。


「グギャギャアア!」


 赤ゴブリンは僕の動きに苛立ったのか、叫び声を上げて突進し——短剣を突き出した。

 その動きは速く力強い。純粋な能力という意味ではやはり僕は劣っている。あくまでも力や機動力(・・・・・)に関しては。


 だからこそ僕はそっくりそのまま、まるで鏡合わせのように彼の動きをトレースした。


 ……さて。


 僕より身長が低くて獲物が短剣であるゴブリンの突きと、そのゴブリンの動きをトレースして同じく剣を突き出した僕。どちらが先に相手の心臓を貫くかな。


 答えは……言うまでもない。


「グ、ギャ……?」


 角ゴブリンは何が起きたのか分からないと言うように首を振ると、そのまま地面に倒れて事切れた。

 

 ……漁りたい。角ゴブリンは良いアイテム持ってたりするからなぁ。


 でも約束だからなぁ、もしかしたら今も観てるかもしれないし。今は観てなくても記録には残るからいつかはバレる。リスク回避しないと。


 ……それに、ゴブリンの持ち物よりもっと良いものあるしね。


 ——大きな樫の宝箱。


 謎の頭骨とかで飾られた何かを祀る祭壇の下に、供物のように捧げられた宝箱。その存在感と大きさに、僕は小躍りしそうなくらいに浮足立った。


 樫の宝箱は当たり外れが大きい。けれど大きなものになってくると高確率で何かの装備が入っている。そしてダンジョンから産出される装備は『コモン』等級を除いて必ず特別な効果が付与されている。つまり、高く売れる。

 

 もっともその効果にも当たり外れがあって、下手したら無付加より安くなる場合もあるけれど……まぁ大丈夫でしょ!


 そういう時はそういう時、と僕は早速その宝箱を開けようとして——左を見た。


 矢。


 幸いだったのは、僕が左利きで左手に剣を握っていたこと。

 

「——あぶなっ!?」


 顔面直撃の矢を剣で弾く。下手人はゴブリンアーチャーと……ゴブリンシャーマンだった。小賢しいことに奥に控えていたらしい。


 ……そうか、祭壇。


 祭壇と言えば神職。ゴブリンの神職と言えばシャーマン。『ゴブリン迷宮』2層から出てくる魔法職。

 一層にはそういったエリアが無かったから見落としていた。これからはそういう周辺情報からも推測していかないといけない。これまで通り死んで覚えるというのはもう無しだ。


「アストリッド様にガッカリされたくないからね」

「ギャ!」


 ゴブリンの動きから射撃地点を予測する。指を離すギリギリの瞬間まで注視し続け——矢が放たれた時にはもう動いていた。


 心臓。僕は避ける間も惜しんでまっすぐ進む。

 

「グギャアッ!?」


 矢を剣で弾く。これくらいは出来て当然。最短距離。

 僕は二の矢を番える隙も与えず、ゴブリンアーチャーの首をはね飛ばした。続け様に最後の敵——と振り向くと、そいつは杖を両手にぶつぶつと何かを唱えていた。


「グギゴガッ!」

「——わ!?」


 ——泥沼……いや毒沼!?


 ゴブリンシャーマンが何かを唱え終わると、地面にいきなり緑色をした毒沼が現れた。それは僕とゴブリンシャーマンを隔てるように広がっている。


 魔法——凄い。


 ……というか久しぶりに見るけど本当何でもありだよね。先にこっちを狙うべきだったかな。


「ゴギャン!」


 間髪入れずにシャーマンの杖から黒色の何かが飛び出してくる。マナの塊。魔法職の人が使う基本的なスキルと同じだろう。

 

それは投石より速いが矢よりは遅い。それなら避けるのも簡単だと思うけれど実はそうでは無かった。どっちかと言うと難しい。


 ……魔法は予備動作が無いからなぁ。意味わかんない。


剣を振るにはまず重心の位置からして変わってくる。そこでもう僕には大体分かるし、筋肉の動き方も見れば間違いない。よほどの鋭い一撃でなければ確実に避けられると思ってる。 


 でも魔法って杖から飛び出すだけでしょ。どう予測しろと? そんなの本当に「見てから避ける」しかないじゃん。


 はっきり言って、僕の天敵。


 ……飛び越え、は無理そう。というか空中で狙い撃ちされたら終わりだ。


 ならばどうする。逃げる?


 ……それはないかな!


 僕は死体になって転がるゴブリンアーチャー——その弓を拾った。


「相手が遠距離なら、こっちも遠距離でしょ!」


 一度だけ頭の中で投影する。弓を放つログの姿を。


 ……死体漁りで荷物持ち。そんな僕はいつも皆の後ろにいた。

 

 だから僕はすぐにその姿を頭に思い浮かべることが出来る。昨日まで毎日その姿を見ていたんだ。弓を持ったことがない僕でも関係ないくらい、その動きは明確に覚えている。ずっと見ていたから。 


 ——超前傾姿勢。全体重を弓に乗せる。


 小さなマナ板の記録映像とは訳が違う。僕の肉眼。

 その肉眼で見たログの動き。腰の沈み込み、背筋の張り、肩から指先までの筋肉の収縮——体のどの線も、力の流れも、ひと欠片も見逃さず再現した。


 そして——放つ。


「——『スピアショット』」

「ギャ!?」


 スキルは出なかった。けれど放たれた矢は確かにシャーマンの頭を射抜いていた。綺麗に決まったと言ってもいい。


 でも、と僕は身体に残る違和感に首を傾げる。


 ……今、少し違った?


 この距離ならログは百発百中。地面の蟻ん子も射殺せる。

 そのログの動きを完璧に真似たというのなら、今の結果もそうなっていなくてはおかしい。けれど僕が狙ったのはゴブリンシャーマンの左目。狙いからかなり外れている。


 結果的には倒せたとはいえ釈然としない。それは初めてスキルを——『スラスト』を放った時と同じ熱が、体の中で暴れていたせいかもしれない。熱の逃げ場を失って急速に冷え込む感覚すら覚える。


 ……まぁ、いいか!


 今度ログに全裸で弓射ってもらおうかな。そしたら完璧に真似できる気がする。服越しだと見えない所はどうしても想像になっちゃうからなぁ。


 今度会ったら頼もうと、僕は違和感を放置して宝箱を開けにいった。




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