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「このまま死んじゃう、のかな」


掠れた小さな声で少女が呟いた。

横たわったリリの顔が青白くなっていく。花びらのように鮮やかな色をしていた唇は紫色になっている。不安を煽る色だった。

少女の止血を終えたテオは、彼女の小さな手を握る。冷たい手を温めるように握りしめた。


「死なない! 今、医者が来るからもう少し頑張れ!」


キッチンではファンが手当を受けている。騒ぎを聞きつけてやってきた住人たちが薬や包帯を持ち寄り、医者を呼びに行ってくれていた。


「痛いよぅ」


「リリ……」


消え入りそうな幼い命。

テオの脳裏にある考えが過る。

不老不死者である自分の肉を食わせてみる、という、無茶苦茶なものだった。考えが過ってすぐに嫌悪を感じた。


不老不死の肉を食べた者がどうなるのか。そもそも、わからない。

何もないかもしれない。

同じように死なず老いずの身体になるかもしれない。

口にした途端、死んでしまうかもしれない。

あまりにも不安要素が多すぎる。

訳の分からない賭けに少女の命を託せない。


ふと、寝室の入口に落ちているナイフが目についた。

リリが苦しそうに呻く。いまにも死の淵を滑り落ちそうな姿を見ていると、気が付くとナイフに向かって腕を伸ばしていた。

自分の身体のどこを切り落とそうか考える。

死に打ち勝てそうな部位を真剣に考える。


「おかあちゃんとおとうちゃんに会えるかなぁ」


吐息のようにリリが言った。瞳はぼぅっとどこか宙を見ている。


「やっと会えるんだ。いっぱい、いっぱいぎゅってしてもらうんだ……」


刃物に伸ばしかけた手が、止まる。


肉を与えれば、彼女は助かるかもしれない。

生き続ける。そのままの身体で、この先いつまでも。

そして時の流れに取り残される。友達とともに育っていくことも出来ず、自分よりあとに生まれた者たちに追い越されていく。愛する人と共に老いて死ぬという、ささやかな願いも叶わない。子も、孫もひ孫も先に天寿を全うして旅立っていく。


時が流れゆくさまを自分だけ変わらぬ姿のまま受け止めて生き続けなくてはいけない。

愛しい人たちとの死別を永遠に繰り返す。

どんなに悲しくても苦しくても、涙が枯れてしまっても、いつまでも見送る側だ。


それでリリは幸せになれるだろうか。

いまのように輝くような笑顔でいられるだろうか。


「ッ……!」


テオは大きく息を吸い込んだ。

それまで呼吸を忘れて息を詰めていたことに気付いた。

少女の冷たい手を、両手で包み込む。


「リリ! 生きろ! がんばって、生きて行くんだよ!」


叫んだテオの手に、節ばった温かい手のひらが重ねられた。隣を見るとファンがいた。


「先生。この子はあたしの孫だ。あたしに似て、そう簡単にくたばらないよ」


ファンは活気のある声でそう言った。力のある眼差しをテオに向け、ニッと笑った。


「ここはあたしらに任せて。先生はシャオハのもとへ行ってやって」


腹に包帯を巻いたファンは室内の住人たちに指示を飛ばした。

担架代わりに引き戸を外させ、運び出す動線を作り上げる。さらに外で気絶しているガレスの手当も頼んでいる。ファンの声はよく通り、住民たちもすみやかに動いていく。


「アーサーには現役時代に世話になったけど、それとこれとは話が別だ。あの馬鹿野郎をブチのめしてやっておくれよ! いや、あたしも一撃くれてやる。引っ捕まえて連れて来て!」


ファンの言葉にテオは背筋を伸ばした。

教え子の頼もしい姿を目の当たりにして、沈み込んでいた気持ちが晴れていく。


「本当に、ファンにはかなわないなぁ」


ふふ、と笑うと肩が軽くなった。


「リリ、行ってくるよ。元気になって下の花畑で会おう」


テオが言うと、リリはわずかに目を開いた。瞳に光が戻ってくる。


「約束、だよ。シャオハも、いっしょに、来てね」


「うん。約束だ」


穏やかな笑顔をリリとファンへ向ける。


窓から飛び出したテオの顔には静かな怒りが浮かんでいた。

ベランダを飛び移り、壁面を登り、屋上に出る。そこから辺りを見回した。

風に乗って聞こえてくる物音に耳を澄ます。

乱立する建物群へ目を凝らす。


ガラスが割れる音がした。花園を取り囲む建物の一角に動くものが見えた。ふたつの人影がルーフバルコニーがある中層建築に飛び移るのが見えた。

テオは駆け出した。滑空する鳥のように風を切り建物から建物へと飛び移る。


〇〇〇


ルーフバルコニーには古びたソファとパラソルが置かれていた。

アーサーはパラソルを引っ掴むと、振り向きざまシャオハへ向かって開いた。勢いよく開いたカラフルな傘がシャオハの視界を塞いだ。

立て続けに、アーサーが床に敷かれた絨毯を思い切り引き寄せた。足元を崩されたシャオハは体勢を崩して後ろ向きに倒れ込む。


そこを狙ってアーサーは銃を向けてきた。

引き金が引かれるより先に、シャオハは近場にあったイスを蹴りつける。飛んできたイスを避けたことで、アーサーの構えていた銃口が下がった。

その隙にシャオハは素早く起き上がる。


三人掛けのソファを持ち上げて、アーサーめがけて投げつけた。

ソファがアーサーに直撃。木製の肘起き部分が胸にめり込み黒い血を吐き出した。ソファに吹き飛ばされ、勢いよく床を転がっていく。あたりの植木鉢や木箱を巻き込み破壊しながらも、アーサーは体勢を立て直して自力で立ち上がった。


高揚した表情で血に汚れた口元は笑みで吊り上がっていた。


「やりやがっ……」


その視界に映ったのはシャオハではなかった。

隣接する高い建物から、アーサーめがけて飛び降りてくるテオの姿だった。

アーサーが目を見開く。

テオは落下しながら空中で振りかぶる。その手には根元からへし折った十字型のアンテナを握っていた。

淀みのない真っ直ぐな怒りと、確かな殺意。テオの瞳にはそれがあった。


手元から放たれたアンテナが、一条の矢のようにアーサーの身体を貫いた。

アンテナの支柱は背後の壁に突き刺さり、アーサーを縫い留める。両腕がだらりと垂れ、頭部が前に倒れた。力を失った足元に血が広がっていく。


「テオ!」


着地したテオのもとにシャオハが駆け寄る。


「リリとばあちゃんは?」


「医者の手当を受けている。リリは重症だっだけど……また花畑で会おうと約束をした」


「そうか。良かった」


肩の力を抜いたシャオハだったが、テオの表情が硬いことに気付き顔を覗き込んだ。


「どうかした?」


気遣う声に、振り払ったはずの迷いがこぼれだす。


「俺の肉をやれば本当に不老不死になるんだろうか。それでリリを救ったほうが良かったんだろうか」


胸の中に苦いものが広がっていく。

視線を落とすテオの正面に立ち、シャオハは静かな声で言った。


「それはわからない。けど、おれは止めて欲しいと思っている。どんな結果でもきっときみは苦しむと思うから」


テオの身体を支えるように肩に手を添える。


「リリは頑張ってくれる。ちゃんと彼女を信じるんだ。約束をしたんだろ?」


真っ直ぐに目を見てシャオハは頷いた。


「きみの選択は間違っていない。大丈夫だよ、テオ」


「……ありがとうシャオハ」


不安が溶けだしていくように、テオの身体から余計な力が抜けていく。

シャオハは優しい笑みでテオを見ていた。


乾いた音が響いた。

銃口から撃ち出された弾丸がシャオハのこめかみを貫いた。

撃たれた反動でシャオハの身体は腰の高さの手すりを乗り越え、中層階から落ちていく。


「シャオハ!」


咄嗟に伸ばしたテオの手は届かない。上着を掠めて空ぶった。

シャオハは地上の花園にある湖へと落ちた。水柱があがり、荒々しい波紋が水面を掻きたてる。

その姿は暗い水中へと沈んでいってしまった。


「そんな」


テオは震える声で呟いた。手すりから身を乗り出して眼下を見下ろす。夜空を映した黒い水面が怪しく揺れている。

背後に気配を感じた。

反射的に振り返る。身体に刺さったものを自力で引き抜いたアーサーが、アンテナで殴りかかってきた。真横に振り抜かれたアンテナは、ガードしたテオの腕に直撃。バラバラに砕けてあたりに散らばった。


「くそ、落ちたか」


アンテナの残骸を投げ捨て、アーサーははるか眼下の湖を見下ろした。

スーツは血だらけで破れている。口のなかの血を吐き捨てながら、鼻筋にシワをよせてテオを睨んだ。


「てめぇ、黙ってやがったな。あの男の正体をよ」


「……正体?」


腕の出血を押さえながら距離を取るテオは、アーサーが何を言っているのかわからなかった。

その様子を見て、アーサーは目を丸くした。


「マジか。なにも知らずに一緒にいたのかよ」


そう言って呆れたように肩を竦める。


「あっちを食いたかったが、沈んじまったんじゃ仕方がねぇ。お前でいいや」


「アーサー、お前は、」


頭の芯が熱くなる。怒りも悲しみもすべてが勢いよくぶつかり合う。それはまるで潮騒のような音をあげて、テオの身体を駆け巡っていく。


「もう一回、あのガキを(さら)ったっていいんだぜ。それともファンの……いや、ファンはダメだな。ババァになっても相変わらず胆力がちげぇ、やっぱガキのほうだ」


「もうやめろ。いい加減止まれ」


テオとアーサーは直線上で睨みあう。

乱れた髪をかき上げながらアーサーは乾いた笑いをもらした。


「それが出来ねぇからこうなってんだ。立ち止まれないんだよ、昔っからそういう性分でな」


鈍い光をおびた目を細める。ギャングらしい狡猾な笑みだ。


「大人しく食われてくれねぇか。もう十分生きたろ」


「それを言うならそっちもだろ」


テオは拳を握り絞めた。


「殺してでも止めてやる」


強い口調で言った。揺らぎかけたものを立て直すように腹に力を込める。

アーサーはスラックスのポケットに手を入れて屋上の端まで歩いていく。


「いいねぇ。やってみろや」


鼻で笑うと飛び降りた。歩いて次の一歩を踏み出すような気軽さで。


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