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海の神様が描かれたガラス瓶に、もらった白い花と花畑で咲いた赤い花を挿した。

それを持ってジェイジェイのもとへ向かう。

木製のスツールにガラス瓶に生けた花を置いて、それだけで帰るつもりだった。


彼はぶちぶちと文句を言いつつも、きっと断らない。

木々の緑と、空と海の青を望むあの特等席で、白と赤の花も愛でてくれる。


ジェイジェイとのあいだには見えない深い溝がある。それは恐らく彼の生来のもので、他者を拒絶しているのではない。ジェイジェイは溝の向こう側から、彼なりに手を伸ばそうとしてくれている。

この百年でわかった。彼はただ単に距離の取り方が苦手なだけなのだ。


海風に木々がさわさわとさざめいている。木漏れ日が屋上に注いでいた。

ジェイジェイはバスタブのなかで死んでいた。

首筋が食いちぎられていた。流れ出した血でバスタブの水が赤く染まっている。

バスタブのふちに頭をもたれさせ、真っ白な顔で目を閉じていた。

眠るような顔だった。痛みや苦しみの跡もなく、寝息が聞こえてきそうな死顔だった。

ようやく死ぬことができたのだ。


「おやすみ、ジェイジェイ」


バスタブのそばに置かれた木製のスツールに、ガラス瓶を置いた。潮風に花たちがふわふわと揺れる。長い眠りについた青年の癖毛も風が撫でていく。

テオはその場を後にした。


犯人は不死者を狙っている。

次は自分かアーサーしかいない。

屋根から屋根へ駆け抜けて、最短距離でアーサーの屋敷へ向かった。


屋敷は山の上にある。石積みの階段を昇ったさきにかつて寺院だった建物がある。自警団の拠点であり、アーサーの住居だ。

扉を叩くが反応はない。いつもなら自衛団の誰かが詰めているはずだ。鍵はかかっていない。入口から直線で続く廊下を慎重に歩いていく。


「アーサー?」


突き当りの部屋に人影があった。

テオの言葉に振り返ったのは、暗い金髪の壮年の男だった。

アーサーの側近であるガウェインだった。


「父はここにはおりません」


「ガウェイン。アーサーに危険が迫っているかも知れない。彼はどこに?」


「出かけて行きました。行き先は私にもわかりません」


すると、室内に人の気配が増えた。

隣の部屋から、廊下から、階段から、息を潜めていた者たちが現れてテオを取り囲んだ。


「ガウェイン?」


遠巻きに包囲されながらガウェインへ視線を向ける。

教え子である男は苦い顔をした。


「申し訳ありません、先生」


ガウェインは腰に提げた直刀を(さや)から引き抜いた。


「これは私の独断です。ジェイジェイさんのことを知ったら、あなたは父に会いに来るだろうと思い準備をさせていただきました」


それは言葉よりも明確な彼の覚悟。

そして、開戦の合図だった。


テオの背後から若い男が襲い掛かってきた。

振り下ろされた木の棒を軽くかわす。床を打った棒を、踏みつけてへし折る。武器を破壊されて動揺がうかんだ一瞬、掌底(しょうてい)で相手の顎を叩く。

男が崩れ落ちるより早く、テオの両脇から別の男たちが襲いかかる。ひとりはナイフを持ち、ひとりは拳を握っている。

テオは流れるような動作で足を引き、挟み撃ちを側転で逃れた。男たちのあいだを水が流れて行くようにしなやかに抜け出す。


床に落ちていた折れた棒をナイフの男めがけて投げつける。相手のこめかみに直撃した。のけぞった男の手からナイフを取り上げ、拳を握るもう一人の男へと突き付ける。

男はステップを踏んでナイフをかわし、距離を詰めてくる。自身の肉体を武器としているぶん、刃物を向けただけでは止まらない。戦意に燃えた男の目は噛みつかんばかりにテオへ向けられている。

テオは右足で相手の股間を蹴りつけた。

男の身体が跳ねて、一瞬で戦意が弾けて消えた。男は股間を押さえてうずくまる。


視界の端で白い軌跡が見えた。

ガウェインが振り下ろして来た直剣をナイフで受け止める。


「衰えませんね、先生は。今ではもう私のほうが歳をとってしまった」


悲しそうに笑いながらガウェインは刃を払う。涼やかな音をあげてナイフが折れた。

連続して繰り出される斬撃。

攻撃をねじ込む隙がない。熟練の剣さばきだった。


斬撃をかわしながら後退する。長机にぶつかった。横薙ぎの攻撃を、机に寝そべるようにして回避。逃げ遅れた髪が刈り取られる。刃の冷たさが肌のすぐ上を駆け抜けていく。

机の上を転がって、イスに着席。

反射的に机を蹴ってイスごと後ろに倒れる。ギロチンのように直剣が垂直に振り下ろされた。

床に転がりイスを持ち上げる。

イスで受け止めた刃越しにガウェインは絞り出すような声で言った。


「厚かましいお願いと承知の上です。父のために、食われてやってはくれませんか?」


「フランシスたちを殺した犯人はアーサーなのか?」


問いかけに、ガウェインは答えない。

テオは相手の腹を蹴りつけて、その場から転がって抜け出した。

直剣を握りしめたガウェインは静かに言った。


「私たちではあの人を救えない。弱まっていく炎に燃料をやることができない」


強く踏み込んで向かってくる。

剣の軌道に迷いはない。テオを穿たんと切っ先が突き出される。


「彼はボスであろうとした。父であろうとした。そしてなにより自分であろうとした!」


冷たい刃が迫る。ガウェインの血が通った思いが響き渡る。

テオはその場から動かなかった。

直剣がテオの胸を貫いた。切っ先が背中に抜けて、壁まで血が飛び散った。

その身体で刃を受け止めたテオに、ガウェインの表情は歪んでいく。


「私もガレスも歳を取りました。我々が明らかに年下の男を父と呼ぶさまは違和感があるでしょう。正しい時の流れはがそういうものを浮き上がらせる。あの人は気にしていない風にふるまっていますが、胸の内にある炎のようなものは確実に弱まっていっている」


シワを刻んだ目元から涙がこぼれていく。

ガウェインとガレスの双子はアーサーの養子になる以前は、海に沈んだ家屋から薬や酒を集めて売ることでその日を生き延びる孤児だった。アーサーが作り上げた自警団には、孤児や身寄りのない者が少なくない。彼らに目的を持たせ、訓練をさせて、街の治安を守らせているのだ。


テオに突き刺さった刃を血が伝う。刀の鍔から滴り落ち、ふたりの足元に赤く広がる。


「密かに苦しんでいる、そんな父を見るのが辛くて」


そばにいる者だけがわかる繊細な空気。

ガウェインが浮かべる苦々しい表情から、彼らがもどかしい気持ちを抱えていることがわかる。拾ってくれた恩がある。そしてなによりも父親への慕情があるのだろう。


「かといって、その為に先生に剣を向けるのも間違っている。でも、いったいどうすれば」


生来の真面目さゆえにガウェインは苦しんでいる。

アーサーが養子を迎えたことは、以前にも何度かあった。

しかしアーサーが不老不死である以上、子供たちは先に老いて死んでいく。

そのたびに彼は子供たちを見送ってきた。そして独りになった。

歪んでしまった時間が彼らを苦しめている。


テオは剣の柄を握るガウェインの手に自分の手を重ねた。彼の手は冷たく、震えていた。


「わかっているだろう。こんなことをしてもアーサーは喜ばないって」


ガウェインの顎を伝って大粒の涙が落ちていく。


「アーサーの炎は彼だけのもの。消えるのか、また燃え盛るのか、もがき苦しむのは彼の役目だ。その業がある。辛いだろうけど、きみたちが出来るのは見守ることだけだよ」


唇を噛んで嗚咽を堪えながら、ガウェインは剣から手を離した。ふらふらと後退るとそのまま膝から座り込んだ。肩を揺らして泣いている。


「でも、それが親を思う子供の気持ちなんだろうね」


テオは胸に刺さった直剣を引き抜いた。足元に血の雨が降る。血と脂で汚れた刃を投げ捨てる。激痛に眉根を寄せながらも、乱れる呼吸のなかから言葉を押し出す。


「もう一度聞くよ。一連の事件の犯人はアーサーなのか?」


ガウェインは弱々しく首を振った。


「ちがいます。父ではありません」


安堵の息をついたテオだが、ガウェインの言葉は続いていた。


「ただ、彼らの死から得るものはあったと思います。恐らく私が思ったように……」


口元の血を拭いながら言葉の先を待つ。


「同じ不老不死の肉を食えばもしかしたら、なにか変わるのではないか、と」


「……アーサーはどこに?」


二度目の同じ問いかけにに、ガウェインはやはり首を横に振った。しかし、見上げてくる彼の表情はまるで縋りつくような、切羽詰まったようなものだった。空気が張り詰めていく。


「わかりません。ですが、私の予感が杞憂でなければ……。父はもしかしたら」


続く言葉と、嫌な予感が合致する。

アーサーという男はやると決めたことはやり遂げる。困難でも無謀でも時間がかかっても諦めない。その為には卑怯な手段も躊躇わない。目的を完遂することが重要で、その過程でどれだけ手を汚そうが構わない。

そういう人間であることは、海の神様を狩ったことで明らかだ。


テオは入口へ向かうのももどかしく、部屋のバルコニーへと飛び出した。

手すりを踏み越え、山の高所にある建物から一息に飛び降りた。

連なる家屋の上を駆け抜けていく。


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