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3/10

山の中腹にはかつて小さな集落があった。

いまは緑に呑み込まれている。

ツタに覆われた民家、木の根に巻き込まれてひしゃげた家屋、屋根を突き破って生えた木が大きく枝葉を広げ、人々の営みの面影に木漏れ日を投げかけていた。


無機質な灰色の建物が大木の根に抱え込まれている。

建物と同化している根を足場にして、テオは屋上へと向かった。


屋上の真ん中にぽつんと白いバスタブが置かれている。

そこには黒髪の若い男が寝そべっていた。クセ毛がふわふわと風に揺れる。


「良い天気だね。ジェイジェイ」


「ぼくはお魚。魔法が解けるから話しかけてくんな、ぴちぴち」


ジェイジェイは水を張ったバスタブに服を着たまま入っていた。

やって来たテオのほうを振り返ろうともしない。ぱしゃぱしゃと水音を立てている。


「フランシスが死んだよ」


そう声をかけると、彼はいきおいよく振り返った。水があたりに飛び散る。

愕然とした青白い顔がテオに向けられた。バスタブのふちに乗せた不健康に細い腕が拳を握った。


「殺されたみたいだ」


「どうやって?」


(くま)の浮いた目元を細めた。ジェイジェイの顔は泣き笑いのように歪んでいく。


「ぼくらは死ねないんじゃないのかよ! なんだよいまさら! ふざけんなよ、うらやましいぞ!」


吠えながらバスタブのふちを殴りつける。

テオはその様子を見守りながら続けた。


「詳しいことはわからないんだ。でも確かに死んでいた。身体の一部を食いちぎられたようなあとがあった」


「は? 食われて死んだってこと?」


ジェイジェイはバスタブを殴りつけた拳をさすっている。


「よくわからない」


「わからない? 百年も生きて来て、いまさらわからないことがある?」


木製のスツールが転がっていた。テオはバスタブの横にスツールを置いて腰かける。ジェイジェイではなく、木々の奥に見える海の方を向いて座った。

となりからため息交じりのか細い声が聞こえる。


「ぼくは死に方がわからない」


水面を掻くような音がする。激情が水に溶けだしたような静けさが戻ってきた。


「何度も試して、何度も失敗した。このまま目を覚ましませんようにっていうささやかな願いも、目が覚めてはい残念で終わる。もはやデイリーだよ。この百年、ぼくの一日はそこから始まる。慣れたもんさ。終わってる。さすがに不健全を極め過ぎてる。くそすぎる」


ジェイジェイは盛大なため息をついた。肩を落として落ち込んでいるのかと思いきや、じとっとした視線が向けられた。


「それで、きみは何をしに来たわけ?」


「犯人はこの街のどこかにいるはずだ。気を付けて」


「そんなことを伝えるためにわざわざ?」


「そうだよ」


沈黙が訪れる。

しばらくの後、ジェイジェイはこれ見よがしに息をついて空を仰いだ。


「ぼくはねェ、きみのそうところが嫌いなんだよぉ。最初のころはただ苦手だったけど、百年経ったいまじゃもう嫌い過ぎる。大嫌いだ」


痩せた男はバスタブのふちをぺちぺちと叩く。

テオは緑と青の景色を眺めながら、ジェイジェイの言葉に耳を傾ける。


「自由なようでまったくもって不自由な、見せ場のない物語を延々と引き延ばしただけのクソみたいなこの生き方で、どうしていまだに真っ直ぐでいられるんだよ。まともなヤツかと思ってたけどとんでもない。きみが一番どうかしてる。おかしいよ」


「俺はこの身体になる以前は寝たきりだったからね。やりたい事はなにひとつ出来なかった。今のほうが好きなように動けて楽しいよ」


するとジェイジェイは思い出したように「あぁ」と気だるげにつぶやいた。


「……そういえばきみは肉を食った経緯が違うんだったっけ」


「そうだよ」


テオは軽い口調で返した。


「まわりの人間はどんどん死んでいくのに、生きていて楽しい?」


「その人が生を全うできたのならそれでいい」


ジェイジェイは天を仰いだまま、目の端でテオを見遣った。


「……やっぱおかしい、こいつ」


吐き捨てる。

水の音をさせながら彼は足を組み直した。


「そっか、フランシスは死んだのか。いつも(しか)め面で近寄りがたいおじさんだったけど、色んな事を知っていて話を聞くのは嫌じゃなかった」


テオは何も言わずに海をながめていた。


「その流れでアーサーも死んでくんないかな。全部アイツの所為だからさぁ」


ジェイジェイの言うとおり。

すべてのはじまりはアーサーだった。

あの男が、海の神様を殺した。


「きみは当時、彼の側近だったんだろ?」


「止めりゃよかったって? 止めたさ。でもアレが止まると思うか?」


鼻で笑う。冷たく乾いた笑いだった。


「暴走特急のバカだよ。不老不死とかワケわかんないもんに盛り上がってさ。海の神様を捕まえるためだけに最新鋭の捕鯨船(ほげいせん)を造って、港の設備を強化して、金も人も時間も湯水みたいに使ってさ。挙句の果てにマジで神様を捕まえて肉食ってガチ不老不死になるとか。バカが突き抜け過ぎてる」


ジェイジェイは膝を抱えて背中を丸める。吐息で水面が揺れた。


「……ぼくはとっとと死にたかったのに」


希死(きし)を抱えたまま生きるしかない青年はぽつりと漏らした。


「絶対に許さないからな。ぼくを騙して肉の毒見をさせたこと……ッ!」


そして怨念を煮詰めたような形相で空を睨んだ。唸り声をあげ頭を掻きむしる。

かと思うと、ジェイジェイはぴたりと動きを止めた。

ぼさぼさになった頭はそのままに、テオのほうへ覇気のない目を向けてくる。


「きみは一体どんな気持ちだ? 自警団の訓練やらでアイツに協力してはいるけれど」


「彼がいることで皆がまとまっているのは確かだよ。でもアーサーに力を貸しているつもりはない。すべては自警団や住人たちのためだ」


クマの浮いた目元を細めてジェイジェイは「ふぅん」と鼻を鳴らした。

テオは続ける。


「アーサーのことは愚かだと思っている。彼ほど挽回のできない、取り返しのつかない決定的な過ちを犯した者をほかに知らない。どんな死に方をするんだろうね」


「死ねないんだよなぁ」


鼻で笑い飛ばすとジェイジェイはのびのびと身体をのばした。バスタブにもたれ、腹の上で手を重ねる。潮風を木々の香りを大きく吸い込んで「あーあ」と息をついた。


「街が海に沈んだら、ぼくらはどうなるんだろう。死ねないまま海の底に沈んでいくのかな。は? 三人で? 死ぬほど気まずいんだけど」


濡れた髪から落ちる雫が、バスタブの水面にいくつもの波紋を描き出す。


「……つか不老不死とか民間信仰じゃないのかよ。ガチなことある? はぁ。思い出したら死にたくなってきた」


投げやりな口調とともにジェイジェイはバスタブに沈んでいく。

テオはスツールから立ち上がった。


「魔法が解けた? もうお魚に戻る?」


「ぴちぴちぴち。ぼくはご機嫌なお魚さん。くそったれ、早く消えろ」


ジェイジェイは中指を突き立てた。

バスタブに歩み寄ったテオは青年の青白い手を掴むと、中指と一緒に人差し指も立たせた。眉間と顎にシワを寄せるジェイジェイにピースサインをさせると、満足そうにうなずいて来た道へと歩き出した。


「あのさァ。きみのこういうトコがさァ」


背中にそんな声が投げつけられる。心底呆れているような、彼らしい物言いだった。

木を足場にして屋上から降りていく途中で、


「べつにうらやましくないよ」


そんなつぶやきが潮風に乗って聞こえて来た。



巡回をしながら街を見て回る。

限られた陸地で懸命に生きる人々と挨拶をかわし、同じように巡回をしている自警団たちと言葉をかわす。いつもと変わらない、波音と潮風に包まれた穏やかな日常。


見慣れた景色のなかのどこかに、フランシスを殺した犯人がいる。

いったいどうやって不老不死者を殺すことができたのか。

方法も理由もいまは分かりようがない。


分かるのは、この百年で初めてのことが起きているということ。

海に沈もうとする夕日が今日も街を赤く染め上げる。


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