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青い空を映した海が広がっている。

船影も島影もない、真っ平らな水平線が見渡す限りに横たわっている。

テオは海に面した建物にいた。五階建ての三階部分まで海に沈んでいる。外壁を舐める波が潮風に乗って屋上まで届いてくる。

となりにはガウェインがいる。彼は手のひらに乗せた、いくつかの小さな白い破片を海へ向かって投げた。


「ようやく父は眠りにつくことができました」


そう言った横顔はすっきりとしていた。


「最期まで父がお世話になりました」


深々と頭を下げてくるガウェインを見て、息子の真面目な振る舞いをアーサーも見習えばいいのにと思って笑ってしまう。


「先生、大変ご迷惑をおかけしました」


後ろから声をかけてきたのは、ガウェインの双子の妹のガレスだった。沈んだ顔をしている彼女のとなりにはファンが寄り添っている。


「あんたはうちの玄関で伸びてただけだろう」


「だから、父さんを止められなかった。ファン姉さまもお怪我を」


当時、兄から父が出かけたことを聞いたガレスはすぐにアーサーのあとを追った。彼女も父親の性格をよくわかっていた。アーサーを止めるために駆けつけたものの、突き飛ばされて気絶していたのだ。


「いいんだ。あたしと孫を守ろうとしてのことだったんだから、そんな顔はやめな」


ガレスの背中をファンが優しくさすっている。

彼女も兄とおなじように、苦しむ父を見ていられなかったのだろう。


「ありがとう、ファン姉さま。ふふ。姉さまが自警団の団長を務めていたころも、よくこうやって慰めてくれましたよね」


「懐かしいねぇ。あの頃はあんたは生意気な小娘だったけど、立派になったね」


目尻に深いシワを浮かべて笑うファンに、ガレスの強張っていた表情はゆるんでいった。

ふたりのやり取りを見守っていたテオにガウェインが話しかける。


「フランシスさんの遺骨は親族に引き渡されました。ジェイジェイさんは……?」


「彼が住んでいた家の木の下に埋めたよ。海と空と緑が見える、彼が好きだった場所だ」


たがいに頷きあう。

これまで抱えていた大切な荷物を、あるべき場所にしまっていくような清々しさがあった。


「こうやって、ひとつずつ終わりを迎えていくんだろうね」


テオが言うと、潮風に吹かれるガウェインが口ごもった。

ためらいがちに尋ねてくる。


「そうなると先生は最後まで残ってしまうのでは?」


案じるような声音と眼差しを受けて、テオはにこっと笑ってみせた。


「大丈夫だよ」


〇〇〇


建物に挟まれた狭い階段を降っていく。

薄暗い路地の先に光が見えてきた。花園の入口に大きな背中と小さな背中が並んで座っている。灰暗色の髪の大きな背中が振り返る。シャオハが笑いながら手を振った。


「おかえり~」


すると、隣に座っていた少女がすっくと立ちあがる。振り返ったリリが満面の笑顔を浮かべて、テオとファンを迎え入れた。


「ふたりともおかえり!」


元気な声が路地をいきおいよく反響した。


「起き上がって大丈夫? 痛いところはない?」


テオが尋ねるとリリは大きく頷いた。ピンクのパジャマに毛糸のカーディガンを羽織っている。


「うん、いっぱい寝たもん!」


弾けるような声音のとおり少女の顔色は良い。ファンや医者や、駆けつけてくれた住人たちの尽力があって幼い命は救われた。

なによりリリ自身が生きることを諦めなかった。


「まだ土いじりはよくないから、しばらくはお花畑の見学だもんな」


シャオハはいまにも走り回りそうなリリを膝の上に座らせた。

少女の小さな手がテオの手を取った。


「あの夜のこと、思い出すといまでもちょっと怖いけど、でもね」


リリは嬉しそうに笑いながら見上げてくる。


「こうしていると大丈夫になってくるの。おばあちゃんもテオもシャオハも、いろんな人たちがそばに居てくれるって思うと、負けないぞって思えるの」


「うん」


その場にしゃがみこみ、リリの顔を覗き込む。


「みんながいるからリリは強くなれるよ。強くなって生きていかなくちゃ」


少女の澄んだ瞳はきらきらと輝いていた。

小さく温かな手を両手で包む込む。少女はテオの手をぎゅっと掴んだ。


「だからテオ、リリのことを見守っていてね」


テオは目を細めた。命のきらめきのようなものを感じた。日差しを受けて白く光る水面よりも眩しく、鮮やかな輝きだった。


「もちろん。見守っているよ、いつまでも」


〇〇〇


海上をさわやかな潮風が吹き抜ける。

テオとシャオハは、海面から突き出したクレーンの先端にいた。

街を背にして水平線を眺める。近い未来、街が海に沈んでしまったときの光景はこんなものかも知れない。水面からわずかに覗く建造物だけが街の名残になるのだろう。


「シャオハ。この前の返事をちゃんとしていなかったよね」


そう言ってテオは街のほうを振り返った。


「おれは街が沈んでしまうまで、ここに居るよ」


海風がふたりを撫でる。

おだやかな波音があたりに響いている。


「このままいくと街が沈むよりさきに人がいなくなる。誰も独りになったりしないように、最後まで見守りたいと思っている」


「そう言うと思ってたよ」


となりでシャオハが笑った。

そして、ゆるやかに波打つ水のような優しい眼差しでテオを見下ろした。


「おれはテオのそばにいる」


ふたりで海の方を見る。

青空に浮かぶ白い雲が水平線へと流れていく。

空を映した海原がキラキラと白く輝いている。

永らく見てきた景色。愛すべき日常の風景。潮風がふたりを撫でていく。


「全部を見送ったら海に出よう」


テオの言葉にシャオハは頷いた。


クレーンから降りて、海面から出ている建物へ飛び移る。

海上の足場に降り立ったシャオハが振り返る。


「じつはあの、言い出せなかったことがあって」


隣り合った足場から、きまり悪そうな彼の顔をながめた。


「記憶喪失って言ったこと。あれ、じつはそんなんじゃなくて」


「ちがうんだ?」


テオが首をかしげると、シャオハはきゅっと目を閉じて顔をしかめた。


「怖くて。いきなり海の神様を自称するヤツが現れたらびっくりするだろ? それでもし拒絶でもされたらって思うと、ホントのことを言うのが怖くて……」


「神様でもそういこと気にするんだ」


「そりゃするよ。好きな人に嫌われたくないもん」


両手で顔を覆って背中を丸めるシャオハを、テオは声を出して笑った。おだやかな波間に笑い声が響く。


「そんなことを気にしていたんだと思うとかわいらしいな」


そう言ってテオはシャオハのいる足場に飛び移った。

決まりの悪そうな顔をするシャオハの背中に手を添える。広い背中を優しく撫でた。


「嫌いになるわけないだろ。ずっと会いたかったんだから」


シャオハは海上の足場から波打ち際の建物へと軽々と飛び移った。そして足場にいるテオに向かって腕を伸ばした。


「テオ」


灰暗色の髪を海風に遊ばせながら、シャオハは笑う。


「遅くなってごめん。きみに会いに来るのに百年もかかっちゃった」


テオの黒髪といっしょに右耳のピアスも揺れる。虹色を抱えた水晶の鱗が白く輝く。

テオはシャオハの手を取って、晴れやかに笑った。


「このための百年だったんだな」




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