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ひしめくように立ち並ぶ中層建築物。その足元を()うように狭い路地が伸びている。

晴れた空からの日差しは建物に(さえぎ)られて届かない。

水底のような薄暗い道を、ひとりの青年が歩いていた。

潮の香りが風にのって吹き抜ける。

海風が青年・テオの黒髪を撫でていった。右耳のピアスが揺れて飾りがきらりと白く光る。飾りは桜貝のような形をした水晶で、内側には虹色の輝きを宿していた。

綿のシャツを風にひるがしながら、坂を登る足取りは軽い。


「ん?」


テオは立ち止まる。遠くのほうが騒がしい。

しだいに複数の足音と怒号が近づいて来た。

いきおいよく、脇道から飛び出したのは若い男だった。


「おっと」


肩を竦めたテオと、息を荒げた男の血走った目が合う。

男はテオの胸倉を乱暴に掴んだ。背中に回り込まれて喉元にナイフを突きつける。


「オイ、来るんじゃねぇぞ!」


続々と駆け付けた追手たちは、その怒号と状況を見るなりピタリと動きを止めた。脇道や小道の先、建物の上から、十人近い人間がいる。彼らは揃ってオレンジ色の布を身に着けていた。街の自警団だ。


「あっ」


集団の先頭にいる金髪の壮年(そうねん)の女が、捕らえられたテオを見て目を丸くした。


「おい、その人はやめーー」


男に向けた言葉を最後まで聞くまえに。

テオは動いた。

そのせいで喉に突き付けられていたナイフが皮膚をつらぬいて突き刺さる。


「えっ?」


男がまぬけな声をあげた。

驚いている相手の腕からするりと抜け出し、身体ごと振り返る。ナイフは首を真横に裂くように抜けていき、溢れ出した血が飛び散った。

振り返った勢いをのせて、肘で相手の(あご)を打ち抜いた。


失神した男は膝から崩れ落ちていく。

手元から落ちたナイフが地面に跳ねて、テオの足元に転がってきた。そこへ大粒の赤い滴がぼたぼたと落ちていく。


「先生!」


金髪の女がまっさきに駆け寄ってきた。ポニーテールが揺れる。

日に焼けた凛々しい顔つきは、テオの出血を目の当たりにして曇っている。


「大丈夫ですか。これ、使ってください」


「ありがとう、ガレス。でも大丈夫」


差し出されたハンカチをやんわりと断る。


「もう塞がった」


袖口で首筋の血をぬぐった。横向きの赤い線が残るだけで、傷口も出血も収まっている。

そばで見ていた団員たちが息を飲むのが聞こえてきた。気絶した男を拘束する手も止まっていた。

心なしかその場の気温が少し下がった気がした。

固まった空気は、眉と目じりを吊り上げたガレスの怒声が打ち壊す。


「だからと言って無茶はしないでください! こっちがびっくりしますから!」


テオは肩をすくめた。


「大切なお身体であることは変わりないんですよっ!」


「ごめん」


「どこを見てますか? ちゃんと私の目を見て!」


棘のある表情を向けてくるガレスに、テオは明後日を向いていた。

歳の離れた姉に叱られる弟のようだった。一見してふたりの年齢は十歳以上離れている。しかしガレスはテオのことを“先生”と呼んでいた。


「それで彼はなにをしたんだ?」


テオがたずねると、ガレスはため息交じりに言った。

拘束された男が数人がかりで運ばれていく。その一団に続いてテオとガレスも坂道を登っていく。


「畑の作物を盗んだあと仲間内で揉めて、相手を刺して大暴れですよ」


「元気だねぇ」


「まったくもって」


行く手の視界が開ける。密集する建物を抜けると、吹き付ける潮風が彼女の髪を揺らした。


空と海の間によこたわる水平線。どこまでも広がる青色。

空を飛ぶ海鳥はいない。波間を跳ねる魚もいない。

陽射しに白くきらめく海面の下には建物がそのまま沈んでいた。

ガレスは筋肉のついた肩をすくめた。


「いずれこの街は海に沈むっていうのに」


打ち寄せる波が雑居ビルの三階部分をなめている。


〇〇〇


ここは小さな島に築かれた街だった。

いまや港や平地は海に呑み込まれている。海面からかろうじて突き出しているのは山の部分で、ひしめくように建物が乱立している。中層建ての上に小さな小屋が重ねられていき、建物は乱雑に高くなっていった。


テオは目的地へ向かうため、廃墟になったフロアを通っていく。

多くの建物は住む人も管理する人もいない廃墟だ。

人口のピークは過ぎた。何度かの流行病や集団移住を経て、住人はかつての半分以下に減った。住人不在の建物群だけがいまなお残り、黙り込んだまま海に沈むのを待っている。


廃墟の外階段を下るテオに、地上から手をふる男がいた。


「先生。こちらです」


「やあガウェイン」


金色の髪を短く刈り込んだその男は路地の入口に立っていた。年の頃は壮年で、精悍(せいかん)な顔つきはさきほど出会った女性によく似ている。


「さっきガレスに会ったよ」


テオがそういうと、ガウェインは陽に焼けた顔に笑みを浮かべた。


「妹にですか。というか、巻き込まれましたか?」


血で汚れたシャツを見ても男は慣れたように小首を傾げた。そして先を歩いてテオを路地の奥へと案内していく。


「父……アーサーはこの先にいます」


ブロック塀に挟まれた小道の突き当りには、二階建てのこぢんまりとした家があった。

ウッドデッキのイスにスーツ姿の男が座っている。


「来たか」


明るい金色の髪をラフに撫でつけた三十代頃の男だ。青い瞳に帯びる光は鋭く、テオを見るなり呆れたように眉根をよせた。


「とんでもねぇ恰好で来やがって」


そしてガウェインへ目配せをした。男はテオへ一礼して、来た道を戻って行った。

アーサーがイスを軋ませて立ち上がる。


「ついて来い」


玄関をくぐる背中についていく。

落ち着いた深緑色の壁紙。廊下を進み、階段を昇って二階へ。天井から下がる小ぶりなランプ。家のなかまで波の音が聞こえてくる。壁に掲げられた絵画を眺めながら、テオは前を歩く背中にたずねた。


「ここは?」


「フランシスの家だ」


「あぁ、彼の。あまり会う機会がないから顔を見るのは久しぶりだ。良い家に住んでいるんだね」


テオの穏やかな言葉をアーサーは鼻で笑う。

彼は二階の突き当りにある扉の前で足を止めた。


「家主は死んだよ。フランシスは死んだ」


扉を開く。

広い部屋は雑然としていた。薄暗く、窓辺はカーテンで閉じられ空気がこもっている。大きな本棚が壁を埋めていて、収まりきらない本が床に積み上げられていた。それは山脈のように連なり室内を圧迫していた。本の山や床にはメモ紙が散乱している。


「死んだ……?」


部屋の中央に置かれた木製の机に、グレイヘアの年配の男が突っ伏していた。

机で息絶えている男の相貌は、テオが知っているフランシスと一致していた。イスに座った状態で、机に広げた本やノートの上に突っ伏して死んでいた。だらりと下がった右手の先、床には使い込まれた万年室が落ちている。


「どういうことだ? いや、いったいどうやって?」


目の前の死体にテオの声がうわずる。

フランシスに訪れた唐突な「死」に混乱していた。

アーサーはその様子を見て何度か頷いた。


「気持ちはわからんでもない。オレも最初は目を疑ったからな」


足元の紙片を拾い上げる。


「フランシスはここに籠って海を渡る方法を探していた。定期的に会ってはいたが、最近は現れなかった。ガウェインに様子を見にいかせたら、このありさまだ」


ふたりして机のフランシスを覗き込む。

男の死に顔は眉間に深いシワを浮かべていた。苦悶の表情にも見えるが、彼は生前から気難しい学者のように顔をしかめていたのでなんともいえない。


「撃たれたわけでも、刺されたわけでも無い。押し入り強盗だとか怨恨だとかで殺されたわけじゃねぇんだろう。そんなもんじゃ俺たちは死ねないからな。……あるのはコレだ」


アーサーが指を差す。

フランシスの右の首筋が欠損していた。


「これは……食いちぎられた、のか?」


歪な傷口には乾いた血がこびりついている。室内が薄暗くてわからなかったが、机や床にも血痕があった。どれも黒く変色して乾ききっていた。


「形的に獣の顎じゃない。たぶん人だ」


「人?」


いまだにテオは困惑していた。眉をひそめる様子をみて、アーサーは「はん」と鼻を鳴らして笑い飛ばした。


「そりゃビックリするよな。いや、人を食いちぎる強靭な顎の持ち主にも驚きではあるが」


革靴の踵を鳴らして窓辺へ向かう。緞帳のような重たいカーテンを勢いよく開けた。

室内に光が押し寄せる。


「ここに来て新事実だ。オレたちって死ねるらしい」


潮風で汚れた窓越しには広大な海と水平線が見える。

アーサーは海を睨んだ。口元には皮肉気な笑みが浮かんでいる。


「百年前、海の神様の肉と食ったオレたちは不老不死になった。何があろうと死なない最高な身体になったっつーのに、いったいこりゃどういうこった!」


テオはフランシスのことを眺めた。

はたして彼は自分が死んだことに気付いているだろうか。

不老不死になって、終わらない命のはずだった。終着点のない旅が、終わることを知ったとき彼は何を思っただろう。苦痛か恐怖か、あるいは安堵か。

静かに目を伏せて別れを告げた。


部屋を出るとき、出口付近の壁に貼られた地図に気が付いた。


「彼は、海を渡る方法を見つけられたのかな」


古い地図だった。触れただけで破れてしまいそうなほどぼろぼろで色も褪せている。

島の位置にピンが刺してある。地図通りなら西北の方向に大陸があるはずだった。百年前までは肉眼でも見えていて、船で行き来することが出来た。


しかし、ある時を境に見えなくなってしまった。大陸だけでなく、島の周囲に存在していたはず陸地はすべて消えてしまったのだ。

この島は広大な海の中に孤立している。


「さぁな。これまでに陸地を探し求めて海に出た連中は腐るほどいた。けど、誰一人として戻って来なかった。何度か出した調査隊ですら。百年で一人も、だぞ」


廊下からアーサーの声が聞こえてくる。


「どうやら、あの世のほうが近いみたいだ」


彼は階段の前で立ち止まり、廊下の先を眺めていた。突き当りには小さな窓があり、そこからも海が見えた。アーサーは睨むような眼差しで呟いた。


「気持ち悪ぃ海だ」


「きみは特にそう思うだろうな、アーサー」


テオが言うとアーサーは特大の舌打ちをした。それはテオに対してか、それとも海に向けてなのかはわからない。乱暴な足音をたてて階段を下って行った。


フランシスの家を出たところでアーサーが言った。


「俺はフランシスの親族に連絡をいれてやらねぇと。あいつの娘の、えっと子供の子供の、あぁクソややこしい。とにかく血縁者にだ」


「こちらは巡回に行く。フランシスを殺した犯人が街にいるということだから」


「普通に考えりゃそうだが、普通が通じる相手だといいがな」


アーサーは額の生え際あたりをぽりぽりと掻いてため息をついた。


「ま、お前なら大抵の敵もぶちのめせるだろ。自警団を鍛えた腕に期待してる」


歩き出してから、テオは振り返った。


「ついでにジェイジェイの様子を見てくるよ」


「アイツならこのことを怒りながら羨むだろうな」


軽く鼻で笑ってアーサーは路地の先へと消えていった。



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