裸の王様になってはどうでしょう?
名門侯爵家エクレアール侯爵家の息女、コゼット・エクレアールは、幼い頃から「神童」と謳われる存在だった。その才気は、まるで夜空に佇む満月のように、周囲の凡庸さを照らし出すほどである。幼少期から、彼女は並外れた記憶力と、周囲の大人がたじろぐほどの深い洞察力を発揮した。歴史、哲学、文学はもちろんのこと、とくに彼女が情熱を傾けた学問は、国家の根幹を支える政治経済である。王国の財務資料を読むことが趣味で、侯爵家の貿易相手との契約書を読んで利点と欠点を分析してレポートにまとめることが得意で、時には一流の学者や老練な文官をも唸らせるような提言を行うこともあった。その噂は王城にも届き、彼女が10歳になったばかりのある日、王家から直々に婚約の打診が舞い込んだ。相手は、この国の第一王子、フレデリック・アードラー。フレデリックの婚約者となることは、未来の国母になるということである。およそ女性として一番の名誉だと侯爵家は喜んだ。
しかし、王家からの使者が去ったあと、コゼットは両親の前で困惑の表情を浮かべた。
「お父様、お母様、本当にわたくしがフレデリック殿下と婚約するのですか?」
侯爵夫人が、娘の頬にそっと手を添え、優しい声で応える。
「まあ、コゼット。王家からのご指名よ。これほど光栄なことはないでしょう」
侯爵も厳かに頷く。
「コゼットの心配もわかる。殿下は少々お転婆なご気性だが、王位継承者だ。お前ならば、きっと殿下を立派な王へと導けるだろう。両陛下もそれを期待しているはずだ。それに、お前の才覚を存分に発揮できるだろう」
「少々お転婆なご気性」――父の言葉に、コゼットは内心で嘆息をつく。言葉にするとなんと軽いことだろう。コゼットは数年前に出会ったフレデリックの姿を思い浮かべていた。
彼女は過去に一度だけ、王城の庭園でフレデリックと出会ったことがある。そのときの彼は、第一王子としてはかなり「のびのび」と育ったようで、歳の近いコゼットを見つけるなり、泥だらけのまま走り寄り、「お前、俺と遊ぶか!?」と叫んだのである。
周囲の侍従たちが慌てて「殿下、危のうございます!」と咎めるなか、フレデリックは構わず木登りを始め、そのまま木から落ちて大泣きしていたのだ。その天真爛漫さ……いや、奔放さを超えた、未来の王としての姿を思い浮かべることが難しい言動は、コゼットの記憶に深く刻み込まれていたのだ。彼が王位継承者であることを思えば、その無邪気さは、将来の国政に影を落とすのではないかという懸念が、幼いコゼットの胸に芽生えていた。
婚約の顔合わせの日。それはコゼットにとって、良くも悪くも一生忘れられない思い出深い一日となった。謁見の間には国王夫妻と、フレデリックも同席していた。彼は豪華な王族の衣装に身を包んでいたが、その態度は変わっていなかった。彼はコゼットの姿を見るなり、耳をつんざくほどの大声で叫んだのである。
「やだー!この子と結婚なんて、絶対やだー!もっとかわいい子がいいー!こんなのと結婚なんかしたくない!」
王子は床に寝転がって手足をバタつかせ、まるでお乳を求める赤ん坊のようにおむずがったのである。その場にいた誰もが凍りつくなか、コゼットは冷めた目でその光景を見つめていた。周囲の侍女や側近が必死になだめるも、フレデリックの「おむずがり」は収まらない。国王夫妻は顔を青ざめさせ、コゼットと侯爵夫妻に深々と頭を下げた。結局、顔合わせは中断され、婚約の話は一旦保留となったのである。
謁見の間を出た国王夫妻は、ふたりきりの場で重い溜息をついた。王妃は、涙を浮かべながら夫である国王に語りかける。
「陛下、あの子はどうしてこんなに……。フレデリックがこれほど見苦しい姿を晒すとは思ってもみませんでしたわ。コゼット嬢は、10歳とは思えないほど大人びていて、なんと美しい娘だったことでしょう。フレデリックが彼女の価値を理解してくれれば、この国の未来は安泰でしょうに」
国王は、静かに妻の手を握りしめた。
「我々の教育に、何か間違いがあったのかもしれん。息子の無邪気さを愛するあまり、王としての自覚を育むことを怠ってしまったようだ……。息子のためにも、コゼット嬢をそばに置いてやろう」
国王は、王冠の重みに耐えかねるかのように、そっと目を閉じた。両陛下がここで、息子への対応を少しでも改善しようと思えたなら、何かが変わっていたのかもしれない。しかし、両陛下は息子の環境を整えることばかりを考え、息子自身の問題から目を逸してしまったのである。
後日、王家から正式に婚約の話をいったん白紙にする旨の通達が届いた。コゼットは内心安堵したどころか、神に感謝した。しかしながら、見かけ上は王家との縁を結ぶことができなかった哀れな娘である。侯爵夫妻は不憫な娘に表面上は同情していた。――その心のうちは、あの日のフレデリックの様子から、娘に不幸な婚約を押しつけずに済んだことを夫妻も神に感謝を述べていたけれど。
ところが、将来有望なコゼットを手放したくない王家は、婚約白紙と同時に、新たな勅命を下したのである。
「コゼット・エクレアールを、フレデリック第一王子の専属秘書に任命する」
侯爵夫妻は驚き、コゼットは目を見開いた。婚約を拒絶された相手の秘書とは、一体どのような皮肉であろうか。王命は絶対であるが、侯爵夫妻はこのまますんなりとこの勅命を受け入れることは避けたかった。これではコゼットの評判は惨憺たるものとなる。夫妻は王家に、コゼットの淑女教育が完成する三年後からなら専属秘書として娘を送り出しても構わない、それまではこの勅命を受けることはできないと交渉し、いくつかの密約を交わしたらしいが、侯爵夫妻の申し出を王家が全面的に受け入れることで話はまとまった。
両陛下は、フレデリックの奔放さを危惧したが、彼の再教育よりもコゼットの知性をもって彼を補佐させることで、取繕おうとしたのである。秘書としてコゼットと接していれば、フレデリックもコゼットが自身の伴侶にふさわしいと考えるだろうという甘い考えもあったようだ。為政者として尊敬するべきところは多かったが、たったひとりの跡継ぎには、為政者として接することが難しかった。それは両陛下に残された、人間らしさの欠片だったのである。
こうしてコゼットは13歳にして、第一王子の秘書として王城に仕えることになった。それは、ある意味で、彼女の才能が王家にも認められた証拠でもある。もちろん、第一王子の右腕として自らの血縁者を置きたいと考えていた他家はほぞを噛む思いだったが、コゼットに勝る才覚を自らの子女に施すことがどれほど困難なことかも理解していた。表面的には他家もコゼットを称賛したのである。
秘書としてのコゼットの生活は、想像以上に過酷なものだった。フレデリックは、公務には一切興味を示さず、勉学も嫌い、朝から晩まで遊び呆けていた。彼の執務室は、常に未処理の書類の山に埋もれ、時には食べかけのお菓子や脱ぎっぱなしの服が散乱していた。フレデリックの日課は、剣術の稽古と称して庭園を走り回り、騎士たちを巻き込んで大騒ぎすること。時には警護の目を掻い潜り、城下町へ抜け出しては、酒場で騒ぎを起こしたり、賭け事に興じたりすることもあった。その度に、王宮には第一王子の無責任な行動に関する苦情が殺到し、コゼットはその対応に追われた。
コゼットは王子の代わりに山のような書類を処理し、外交文書の翻訳や、隣国との貿易交渉の準備、さらには王室行事の企画運営まで、多岐にわたる業務をほぼひとりでこなしていた。文官たちもフレデリックはお飾りとして扱い、コゼットに指示をあおぎにいく。そうして大量の業務をこなす合間に、フレデリックが起こした問題の尻拭いをしなければならなかった。彼が投げ散らかした書類を整理し、何のつもりか突然やる気になってとくに内容を見もせず署名した無効な文書を修正し、彼の代わりに謝罪の書簡を送り、第一王子の名代で公務を遂行した。
大切な女性としての花ざかりを執務に追われてしまったコゼットは、年頃の娘らしいおしゃれなど楽しむ余裕もなく、動きやすく汚れてもいい地味なドレスに、くしでとかしただけの流しっぱなしの髪で過ごしていた。コゼットがそんなありさまなので、当然フレデリックはそんなコゼットを「地味でつまらない仕事しか能のない女」と内心で見下していたのである。
年月は瞬く間に過ぎ、コゼットが20歳になったころには、フレデリックは「手のつけられない阿呆王子」という悪評に加え、「女にだらしない」という新たな悪名を手に入れていた。彼の周りには常に派手な、彼の后の座を狙う彼と頭の中身が似ている貴族の令嬢たちが群がり、日夜、酒宴に明け暮れていた。王宮の奥からは、夜な夜な王子の騒ぎ声と、下品な笑い声が漏れ聞こえ、王国の品位を貶めていた。高位貴族たちは、このまま王家に忠誠を誓い続けるか、密かに話し合いを始めていたほどである。
コゼットはこんなときでも冷静に、フレデリックの無駄遣いで国庫が食い荒らされることがないよう手腕を奮った。もしコゼットがいなければ、財政はあっという間に破綻していただろう。フレデリックの荒唐無稽な思いつきで血税が消えないよう、コレットはフレデリックの「2つ以上物事が並行したらどちらかを忘れる」という特性をうまく操り、とんでもない注文は他のことで忘れてしまうよう仕向けた。
フレデリックの放蕩三昧は年々ひどくなるばかりで、多くの侍従や文官たちからフレデリックに対する苦情が両陛下の耳に入らない日はないほどになり、ようやく両陛下も自分たちの思惑がまったくうまくいかないことに焦りを覚えていた。コゼットはフレデリックをこの上なくうまく操縦していたが、フレデリックのほうはそんなコゼットを見下し、低位の令嬢たちと浮名ばかり流している。この二人の婚約はもはや絶望的だった。このままではコゼットが国母になる未来は望めない。かと言って無理に婚約を結べば、またフレデリックは暴れてしまう。そんな姿を見られてしまえば、間違いなく高位貴族たちは、王家から離反していくだろう。両陛下は頭を抱えたが、今さら悔やんでも後の祭りである。
当のコゼットは、そんな王子の私生活には一切関心を抱かなかった。彼女の関心はひたすら公務のみ。この仕事をこなさなければ多くの民が不幸になってしまう、多くのまじめな文官たちが路頭に迷うかもしれないという強い正義感だけで、彼女は書類の山に埋もれ、時には徹夜で仕事をこなす日々だった。彼女にとってフレデリックはただの「署名欄に書く文字列」でしかなかったのである。
ある日の午後、コゼットがフレデリックの執務室に入ると、そこには見知らぬ令嬢が王子の膝の上に座り、昼間からはしたなく睦言をささやき合っていた。令嬢は王子の髪を弄り、王子は恍惚とした表情で彼女を見つめている。二人はコゼットの存在に気づかないほど自分たちの世界にふけり、令嬢の頬は真っ赤に染まっていた。
ここはいつから娼館になったのかしら――と思いながらも、コゼットは眉一つ動かさず、彼らの傍らに歩み寄る。
「フレデリック殿下。こちらの書類にご署名をお願いいたします。至急でございます」
コゼットの声に第一王子はびくりと体を震わせ、しかしコゼットだとわかると、めんどくさそうに舌打ちをする。ふだんからコゼットの悪口を聞かされていたのだろう、その令嬢もコゼットを見ると馬鹿にしたようにクスクスと笑う。まともな貴族家の令嬢ならば、コゼットに対してこのような態度を取るはずがない。彼女は新興貴族の男爵令嬢だった。
「コゼットか……。俺は忙しいんだ。いつも通りそっちで適当にやっといてくれ」
コゼットは冷淡な視線を王子に投げかける。
「殿下の私生活に口を挟むつもりはございません。ですが、こちらの署名は殿下の直筆でないといけません。現在、隣国との貿易協定が難航しており、殿下の署名が遅れることで国の利益が損なわれる可能性がございます。この協定が成立すれば、我が国の経済は飛躍的に発展する見込みでございますが、殿下の署名が滞れば、その機会を失いかねません」
フレデリックは不満げな顔をしながらも、渋々ペンを取り、目の前に差し出された書類に乱雑に署名した。コゼットは署名を確認すると、一瞥もくれず、次の書類を差し出した。
「では、次にこちらへ。こちらは災害地域への支援金に関する承認書類です。これも緊急を要します」
第一王子のめんどくさそうな顔も気にせず、コゼットは淡々と職務を遂行した。
そしてこの日の様子は、王の侍従から直接両陛下に報告が上がることとなった。両陛下は侍従からの報告を取り乱すことなく最後まで静かに聞き終えると、王朝を移す準備に入ったのである。両陛下は最後に、為政者として幕を閉じることを決断したのだ。
そうして水面下で重大な動きがあることなどまったく感知していなかったコゼットのもとに縁談が舞い込んだ。相手は、この国の宰相を務める名門公爵家で、自身もすでに宰相補佐として頭角を表している嫡男のクロード・ペンドラゴン。彼はコゼットと同じ年齢でありながら、若くして宰相補佐官の座に就き、その卓越した政治手腕は国内外で高く評価されている。彼は将来の宰相と目されており、その手腕は王国の未来を託すに足るものだと誰もが認めていた。コゼットも彼の辣腕ぶりを公務を通して知っており、その知性と公正さ、そして揺るぎない信念に、深い尊敬の念を抱いていた。
しかしながら、コゼットはフレデリックとのときとは違う不安を覚えていた。クロードと婚約できることは願ったり叶ったりであるが、未だフレデリックとの婚約を諦めていない様子の王家がなんと言うか。フレデリックのさまざまな言動で求心力を落としてはいるものの、現在の両陛下への忠誠心は高位貴族を中心にまだまだ厚いものがある。エクレアール侯爵家の立場が危うくなるのでは、とコゼットは胸を痛めていた。
そんなコゼットに、侯爵夫妻はあたたかな笑顔で「心配ない」と力強く頷く。
「長年、コゼットにばかり大きな負担をしいてきた。でも、もう自分の幸せだけを考えなさい」
侯爵の言葉に、コゼットが涙したのは家族だけの秘密である。
クロードとの顔合わせは、フレデリックとのときとは対照的に、穏やかで知的なものだった。王宮の一室で向かい合った二人は、初めて会ったにもかかわらず、まるで長年の友人のように自然に会話を始めた。二人は国の政治や経済について深く語り合い、互いの見識の高さに感銘を受けた。
クロードはコゼットの聡明さと冷静さに敬意を払い、彼女の意見に真摯に耳を傾けたし、コゼットは、クロードの思慮深さと、常に国の未来を見据える器の大きさにひかれていった。クロードは、コゼットの質問にも的確に答え、時には彼女の知識の斜め上を行くような大胆な考察を述べることもあり、コゼットはますますクロードの深い洞察力に夢中になる。
婚約は滞りなく進み、貴族だけでなく民までも「才媛と賢者の最高の組み合わせ」と称賛した。この婚約は、政略的な側面もあったけれど、結果的に互いを尊重し合う深い愛情のもとに結ばれたのである。
結婚後、コゼットは第一秘書を辞職して、クロードを支えるために家政に力を入れることになった。両陛下にそのことを伝えると、心からうれしそうに祝福され、そのときはじめてコゼットは両陛下の最後の覚悟を察することができた。コゼットは両陛下に深い敬愛を覚え、感涙にむせびながら臣下の礼をとり、秘書として務めることができた栄誉への感謝を述べる。両陛下もまるで娘を見るような愛のこもった瞳で、コゼットの様子を穏やかに見つめていた。
両陛下へのあいさつが終わり、コゼットは重い足取りで第一王子のもとへと向かう。いちおうは自分の上官にあたるので、最低限の報告とあいさつは必要と考えてのことだ。クロードが心配して付添おうとしたが、コゼットは固辞した。不愉快な思いをする人間は少ないほうがいい。
先触れも出して時間通り執務室を訪れたコゼットは、護衛に扉を開けてもらい中に入る。今日はめずらしくフレデリックひとりであった。
「コゼット!お前、クロードと婚約したって本当か!?」
フレデリックはコゼットが現れるやいなや彼女に近づいてその肩をつかみ、乱暴に揺さぶる。その瞳には焦りと困惑がにじんでいる。意外な反応に、コゼットは一瞬言葉に詰まってしまった。
「何をなさるのですか、殿下。おやめください」
コゼットは冷静に王子の手を払い退けた。護衛たちもあわててフレデリックとコゼットの間に入る。彼女は王子に触れられた肩を、煩わしそうに軽く払った。
「この浮気者!お前は俺のことが好きだったんじゃないのか!?どうして、よりによってあの堅物と!」
フレデリックは目を見開いて叫ぶ。顔は真っ赤で、目も充血していた。まるでおもちゃを奪われた子どものような、純粋な怒りに体を震わせている。
コゼットは、一瞬の間、沈黙した。さすがにこの言葉は彼女にとって思いもよらぬ発言であったからである。護衛たちも困惑で目を見合わせていた。フレデリックの叫び声が執務室にこだまし、窓から差し込む夕焼けの光がフレデリックの顔をますます赤くする。
コゼットは小さくため息をつき、まるでかわいそうなものを見るような目でフレデリックをにらみつけた。
「大きな誤解があるようです。好きだったことなんていちどもありませんけれど」
フレデリックの紅潮した頬が、一瞬にして青くなる。彼は絶句し、コゼットの顔を呆然と見つめた。まるで信じられないというまぬけな表情に、コゼットは笑いそうになる頬の筋肉を必死で引きしめる。護衛たちは顔をそむけて、深呼吸をしていた。その心情は推して知るべしだ。
「……は?」
「それに、殿下はわたくしと婚約するのを嫌だとおっしゃったではありませんか。さすがに覚えていらっしゃいますわよね?」
「……っ、でも、俺のことが好きだから、秘書になったんだろう!?」
コゼットは淡々と続ける。
「誤解です。敬愛する両陛下からの勅命でしたのでお受けしたまでですわ」
「俺が他の令嬢たちといたら、嫉妬の目を向けていたではないか」
「誤解です。この令嬢への慰謝料がいくらになるか、国庫を心配しておりました」
「違う……コゼットは、俺のことが、好きなんだ……」
「なので、誤解です」
コゼットの言葉は、まるで氷の刃のようにフレデリックの心臓を貫く。彼の顔は蒼白になり、膝から崩れ落ちた。彼は、自分が今までどれほど無責任で、そしてどれほど相手の感情を軽んじていたかを、この一瞬で初めて理解したようだった。
フレデリックはコゼットのドレスをつかみ、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔でコゼットを見上げる。
「ちちうえっ、と、ははうえが、おかしなことを言うんだ。王家をっ、うつす、って……。お、れは、王になれないって……」
「まあ、それはすばらしいご判断ですわ。フレデリック殿下に王の責務はおつらいことと存じます」
「嫌だあああああ……っ!おれ、が、王になる……んだ!」
床に顔を伏せて泣き出したフレデリックに、コゼットはこらえきれずに吹き出してしまう。10歳のとき、婚約をするつもりで顔を合わせたときと、この第一王子は何も変わっていない。
「とある同盟国では、『はだかのおうさま』が人気らしいですわ」
ぽかんとコゼットを見つめるフレデリックに、短くため息をついてドレスの裾を軽く引っ張る。
「殿下も見えない衣装でも身にまとって、裸の王様になってはどうでしょう?」
コゼットは、最後に深々と頭を下げた。
「長らくお世話になりました。フレデリック殿下の秘書の職を辞任させていただきます。最後の日まで王家のため、この身を尽くす所存でございます」
そして、一切振り向くこともなく、執務室をあとにする。残された第一王子は、ただ呆然と、夕闇が迫る執務室の床に座り込んでいた。
コゼットとクロードが婚約を結んで数か月後、王家は次の王朝をペンドラゴン公爵家に移すことを発表した。ペンドラゴン公爵は国王となり、クロードが王太子となることも同時に発表されたのである。両陛下にはこれまでの功績を讃え、一代限りの公爵の地位が新王によって下賜された。一代限りということは、その地位を実子に継承することはできない。フレデリックが爵位を賜るためには、彼自身の努力と才覚で獲得するしかない。
しかしながら、長年嫌なことから逃げ回り、本気で何かに取り組むことのなかったフレデリックは、新王朝が開いた祝賀パーティーで、まるで自分が次代の王であり、新王朝は間違いであると貴族たちの前で嘯いてしまった。これがきっかけで新王朝への不敬罪として、生涯その身を捕らえられることになったのである。
彼が入れられたのは、罪を犯した王族が幽閉される塔だ。このままではどのみち平民になるしかなかったフレデリックにとっては、ある意味幸いだったかもしれない。
コゼットとクロードは婚約を結んで一年後に成婚し、コゼットは王太子妃として公私ともにクロードを支えた。王太子夫妻は国内外の貴族たちや民たちにも愛され、民のための政治を行ったという。のちにクロードとコゼットが国王、王妃になると、ますます国が発展し、王朝も長く続いた。クロードとコゼットの治世は、賢王と賢妃の時代として「賢賢時代」と歴史書には記されている。