海辺
オーストラリア最東端のバイロン・ベイから海を眺めて、私のふるさとはこの向こうか、ずいぶん遠くに来てしまったと思ったが、よく考えれば北、陸地の向こうにあるのではないか。海風に乗せられてしまった。
からからに乾いた海藻を下に敷いて、彼は砂浜に三角座りをした。友人がお菓子を入れた袋を忘れたと言って車に取りに行ったので、一人寂しく座って待っていた。中途半端な場所で待っていた。しかし、お菓子袋は家の机の上に置き忘れていたような気がしたのを彼は黙っていた。一人でこの海を見るのも悪くないと感じたからだった。
この海の先には私の大切なものは何もないが、それでもこの先にあるような気がして、まったりとした気分で眺めていた。この海を越えて私は逃げてきたのだ。逃げてはならないものから逃げてきた。その逃げ続けたものに立ち向かうときが今来たと思いながらも、まだ、私は目をそらしている。
唇が一文字になって、細くなった目で、あの諦めを体現した目で、彼は少し視線を落として海を見た。大きな海藻がゆらゆらを波に体を任せて動いている。こちら側へ、向こう側へ、ふらふらしている。
私はどんな時も希望から手を離さず、どんな時も絶望から目をそらさなかった。そういう性分なのだ。そして、私は既に理解していたのだ。何かがうまくいっていないと。どの歯車が欠けているのかもわからず、なぜこうなっているのかもわからずに、ただうまくいっていなかった。それはわかっていた。その原因を単純な不健康に陥れるのは簡単だ。しかし、思想上の、もしくは認識上の不健康は見過ごしてはならなかった。どちらから始まったとも言い難いが、私はどちらも持ってしまっていたのだろう。
私の苦痛は全て自分の世界が完全に正義であるという純粋な信仰とその誤りを見過ごすことができない程度の客観性が備わっていたことにあった。体はゆっくりと蝕まれ、精神は喜びを失って行った。その最中にも、日常は結果を求めてきた。当然、私は応えられなかった。具体的な名称を心の中であげることすらまだ避けている。傷は治ってなお痛む。
数年の療養の後、私は心身ともに健康に戻った。回復してゆく精神とともに歩んだ日常の中で私は、結局、人間は諦めずに進むしかないのだと悟った。この道しかないと知ることが私の心を少し安堵させた。たゆまず進むしかない。その仕方なさが私を大人にした。
彼は腕時計を見た。車にとりに戻ったにしては少し長い気がした。自分がせっかちなだけだろう。もう少し自然を楽しむ心を持ってもいいかもしれない。バードウォッチングという趣味は私に不向きだが、常に動いている海ならまだもう少しぐらいできそうだ。
ただ、私は時間とこのような関わり方をしていただろうか。どうもこうでなかった気がする。小学生のころから夜に布団に入ってもすぐに寝付くことができなくて、空想の世界の中で遊んでいた。その世界の燃料が尽きてしまっても、眠ることができなくて、枕もとのイルカ型の時計を見ることがあった。時計の上、背びれの部分が明かりのスイッチになっていて、そこを押すと真っ暗でも時計が見えた。12時を超えていると、なんだか緊張したものだった。
青年になって、12時を超えても起きているようになって、朝7時に目覚めるのではなくなった。仕事の前に起きていればいいようになった。朝日が昇るとともに眠ることもあった。それぐらいからだろうか。朝と夜がなくなって時間になってしまった気がする。さらに、今から寝て、目覚めたら1時間後出勤。そしてまた夜11時に寝る。というように、似た繰り返しが日常を支配して。そうして、時間が予定の目印になって消えてしまった。
彼は時計をまたみた。二分ほどしかたっていなかった。彼はただ自分に呆れた。こんな自分を待ってくれている人が海の向こうにいると思うと申し訳なさを感じた。しかし同時に、その感情よりもはるかに強い、湯の中で手を動かしているような和らいだ温もりを感じて目頭が熱くなった。こんな人間を待ってくれている人がいるのだと、彼はその喜びをかみしめていた。
半狂乱になって飛び出した家。泣いてくれる弟。謝る側はいつだって気楽だ。加害者はいつも、何をしようにももう遅い。私は一人になって、ようやく助けてもらっていたのだと気づいた。それも、この生涯で出会う誰よりも助けられていた。現在の私は、成熟した装いをまとって、社会をうろうろしている。法律関係の書類の手続きをする担当の方に、
「若いのにしっかりしてるね。」
と褒めていただいた時も、
「こう育ててもらっただけですから。」
と返した。その返答に面食らっていたようだったが、私は本当にただ助けられてここまで生きてきただけだ。このいっぱしの装いももらったお古だ。私で成し遂げたものなどほとんどない。だからこそなのだ。私は今、自らの手で何かを掴まなければならないときが来たのだ。
決意に満ちたその顔で、彼は地平線を見た。苦痛が待っていること、自分が最も苦手としていることが待っていることはわかっていた。けれども彼はついに決心がついたのだ。ずるずると逃げてくることにだけ勤勉だった彼が、怠惰に立ち向かうときが来たのだ。彼は半狂乱の時期に書いた日記の中の一節を思い出した。
我々は何を知ったのか、イデアか洞窟の影か、イドラから目を背け、死に至る病を克服し、盲目な意志と虚無を克服し超人となりえたか、言語ゲームの勝者となりえたのか。人間を見つめたその斜視は最後に何を見た。全人類の叡智の頂点達が挑みそして敗れてきた。あるかもなにかも分からぬそれを求め続けた。私も挑みたいと思う。狂気と法悦の狭間にあるはずのその答えを。
このような哲学的な表現の当時の自分は何を託したのかは、ぼんやりとしかわからない。しかし、彼はそれ以前の問題が自分の中にあることに気づいた。彼はこの小旅行を最後に自分の甘さに終止符を打つことに決めていた。これは最後の夢想だった。まだ引き延ばしてしまわないかという不安も彼にはあった。
その理由には、心当たりがあった。誰かのために生きることを行動の理由にしてきた彼とって、優しすぎる宝物たちは有り余るものだった。言い換えれば、彼の堕落も失敗も受け入れてしまうからこそ、彼を愛する人たちは彼の行動の理由になりえなかった。彼は自分をこう納得させるしかなかった。
神の手は貧富優劣善悪に関わらず全てを包んだ。しかし人の手は自らに利するものしか掴まなかった。誰一人として利することのなくなった私は自分で自分を救わざるをえなくった。自分自身を理由に生きざるを得ないのだと、彼は根本の考え方を改めなければならなかった。彼はそれに納得していた。
彼の携帯がぶるっと震えた。友人はこちらに向かっているそうだ。彼は海をもう一度しっかり見た。考え事に集中して、目の前を見ていなかった。波の音にも耳を傾けた。この砂浜は異常に長く、彼の周りには誰もいない。海風が彼の後ろの草を揺らす音と波の音が混ざって心地の良い眠くなる音色を奏でた。
自分はあの時の自分を半狂乱と表現した。半分正気であった。私には理由があったからであった。
彼は唐突に頭の中で始まった古い物語を鑑賞し始めた。忠義に生きた戦士が、叛逆者となった仲間の首を刎ねなければならなくなった。親友である仲間を殺すことはどうしてもできず、懊悩の末、彼は自刃を選んだ。戦士の妻はその後を追った。
彼にとっての物語はそこからであった。この物語を読んで、ある人が病院の待合室で泣きだしてしまった話を彼は聞いた。あまりにきれいだったので、嘘だと思った。だが、嘘だと思うのは嫌だったので、夢だと思うことにした。こういうほとんどの思い出は、今やぼやけて彼の中に消えていった。
ずいぶんと久しぶりに出会った懐かしい記憶に彼は微笑んだ。「私の理由」はふんわりとしたつかみどころのないものとして表現することに留めておく。私は右手を空に挙げるようにして、丸い玉でも投げるように空へ動かした。それを海風に乗せてどこかへやった。本来、苦痛に満ちた困難の後にしか手に入らないはずのものであるから、未来へと運んでおくれと頼んで風に渡した。
自分の来た道の方を見た。友人が遠くの方を歩いている。私は手を振った。彼も手を振り返した。携帯を見ると、家にお菓子を忘れてきたので近くの店で買ってきた、と連絡が入っていた。私は立ち上がって伸びをした。この砂浜をもう少し奥まで行って、少し疲れたら帰ろうと思った。友人もそんな感じで大した計画を立ててはいないだろう。家に帰って大家が世話を押し付けてきてくれた猫が待っている。私のベッドに何度も粗相をしているが、私しか餌をやる人がいない。私がやるしかない。家に帰って誰もいないやつは、自分で自分を守ってやらないといけない。言い訳でもなんでもいい。
日は沈む予兆すらなく照っている。予定になった明日の朝に新しい自分になれているだろうか。彼は、できる!と小さく口に出した。