会えないハム友
「わんわんわんわんわんわんっっっっっ」
INUUが吠えている。
最近、INUUは不機嫌だ。
だが、それで吠えているわけではない。
「わんわんわんわんわんわんっっっっっ」
家の前に何かが通る度に吠えている。
最後の方にエコーがかかっているかのように聞こえるのは気のせいではない。
語尾が遠吠のように段々と小さく伸ばされていくためだ。
「わんわんわんわんわんわんっっっっっ」
そして、この独特の吠え方で、郵便局の配達員のバイクという事がわかる。
しかし、毎日何度も家の前をとおるのにそのバイクが家の前を通る度に飽きずに吠え続けているのである。
確かに知らない人が通ったり他の犬が通ると吠える。
「わんわん」と普通に。
だが、決してエコーじみた吠え方はしない。
それに、車に吠える事はない(犬が乗っていたら別だが)。
もちろんバイクにも……。
それこそ、家の前に止まらない限りは……。
なのにである。
なぜか、郵便局の配達員のバイクだけは違うのだ。
うーん、何がINUUをそこまで駆り立てるのだろう。
吠えるのを聞きつつ、そんな事を思ってしまう。
なお、よく家に訪ねてくる人、近所の人に対しても吠える時はあるが、それは構って欲しい吠え方で、「あうあう」という感じだ。
なお、僕に対しても吠える時はあるが、それは構って欲しい時の吠え方である「あうあう」という感じに近いが微妙に伝わり方が違う。
そういうこともあり、対象によって吠えたかが違ってくるINUUは番犬としては優秀であると言える。
それもかなりと言っていい。
もしかしたら縄張り意識が強いのかもしれない。
そして、ふと思う。
ハム友である片山さんだとどんな吠え方をするんだろうかと。
そして、そんな考えが浮かぶと気になってしまう。
おっと、話が反れている。
修正、修正っと。
ともかく、今、INUUは不機嫌なのである。
原因は、さっき思考に出てきたハム友の片山だ。
別に彼女が直接INUUを不機嫌にさせることをしたわけではない。
いや、この場合、していないことが問題なのだ。
実は、ここ一週間、散歩の途中で、片山さんとは会っていないのである。
つまり、ここ一週間、散歩のときにしかハムハムできない限定品を味わっていないのである。
そのせいか、散歩が終わった後、INUUは仕方ねぇかという感じの表情で(そう見えるだけかもしれんが)、僕の手を何度もハムハムしている。
その様子から、ハムハムはINUUにとって嗜好行為であるという僕の認識は益々強くなった。
さらに限定品に弱いという感じもしている。
なんでわかるのか。
実は、僕も限定品、期間限定に弱いのだ。
ついつい限定品とか期間限定とか書かれていると買ってしまうのである。
だから、INUUのそんな気持ちがわかってしまうのだ。
もっとも、なんか納得できない気持ちも沸いたが……。
ともかくだ。
INUUはハム友(限定品)ロスを味わっているらしい。
で、そんなINUUの感情に近いものを実は僕も感じていた。
一人で黙々とする仕事柄、どうしても他人との接点は少なくなる。
そんな中、散歩の途中で会って話をする片山さんはありがたい存在であった。
もちろん、会話も楽しい。
だが、ある意味、癒しと言ってもいいかもしれない。
ここ一週間会えなかっだだけで、どれだけ彼女との会話を僕も楽しみにしていたのか痛感させられてしまっていた。
「あー、彼女と話したいな……」
今日も散歩の途中で寄ったベンチに彼女の姿がなかった為、思わず僕はそう呟いてしまっていた。
そんな僕の言葉の意味が分かったのだろうか。
INUUは同意を示すかのように「わんっ」と吠える。
わかってくれるか、同士よ。
思わずそう思いたくなったが、『まぁ、目的違うけどね』と自分に突っ込んでみる。
あー、空しいのう……。
だからかもしれない。
このまま家に帰るのはつまらないな……。
そう思った僕は、街の方に歩き出す。
コンビニに寄って帰る事にするか。
そう思ったのである。
普段なら、そんな事は思わない。
ただ、コンビニに行けば彼女に会えるかもしれない。
そんな気持ちになってしまったのだ。
そして、INUUも一緒に歩き出す。
『お前の気持ちわかるぜ』
INUUがそんな事を思っているかのように、ちらちらとこっちを見ている。
その様子を見て、心の中で反論しておく。
『だから、お前とは目的違うからな』と。
たったったとINUUが歩いていく。
さあ、いそごう。
そんな感じがしてしまう。
もしかしたら、INUUは何か感じたのかもしれない。
僕はそんな気がしてならない。
だから、僕も少し速足で歩く。
そして、間もなくコンビニというところで、家と家の脇の所でコンビニの袋を持ったまま座り込んでいる片山さんを発見した。
駆け出して近づこうとすると、マスクをした片山さんが口を開く。
「だ、駄目です。インフルエンザなのであまり近づかない方が……」
その声はガラガラで、顔は真っ赤になっている事からかなりの高熱なのだろう。
だけど、そんな事はどうでもいい。
僕とINUUは片山さんの側によると声をかける。
「その様子じゃ、大丈夫……じゃなさそうですね」
「だから……」
何か言いかける片山さん。
だが、そんな事はどうでも良かった。
当たり前のように彼女に背中を向けて言っていた。
「家まで送りますから、背中に乗って」
「えっ?!」
驚いたような彼女の声。
その声に、なんでこんなことしているんだろうと一瞬思ったものの、「知り合いが困っているのを見捨てられないからこうするのは当たり前ですよ」と言っておく。
「でも、うつったら……」
「一人暮らしですからうつっても大丈夫です」
そう言った後、「あ、もっともこいつもいますけど……いいですよね?」とINUUの方を見て言う。
その様子に、片山さんは一瞬、え?!という表情をしたものの、すぐにくすくすと笑うが、喉が痛いのかすぐに笑っていた顔が苦痛に歪んだ。
「ともかく背中に乗ってください。送ります」
少し躊躇した感じはあったものの、歩くのも大変なのだろう。彼女は恥ずかしそうに僕の背中に身体を預ける。
彼女を背中に背負って僕は立ち上がると声をかけた。
「家までのナビゲートお願いします」
「はい……」
彼女の案内を受けて僕は歩き出す。
もちろん、彼女を背負って。
足元にはINUUが時折こっちを見てはちょこちょこと歩いてくる。
その様子は心配しているかのように見えた。
そして、彼女を背負って20分程度歩いただろうか。
二階建てのアパートが見える。
「えっと、あの建物のの102号室なんです」
「わかりました」
そう答えて、僕は102号室の前で彼女を下ろす。
なんとかふらふらしながらも立ち上がると鍵を出してドアを開ける。
そして、こちらをちらりと見る片山さん。
「えっと……」
部屋にあげてお礼を言った方がいいのかどうか迷っている感じだった。
だから、先に声をかけておく。
「もう帰ります。お大事に」
その言葉に、僕の気遣いを感じたのだろう。
「すみません」とだけ言うと彼女は自分の家の中に入っていった。
それを見届けると「よしっ。帰るか」とINUUにそう言う。
するとINUUはうれしそうにわんと吠え、今度こそ帰宅するために家の方に歩き出したのであった。
なお、家に帰りつくとハムハムを所望された。
もちろんたっぷりと。
ふむ。
どうやらINUUも今回は空気を読んだようだ。
そうだよね。
僕はハムハムするINUUにそう声をかけたが、INUUはただ夢中でハムハムしているだけであった。