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 ジェルトローネの屋敷がある街は、ハーグァの隣のようだ。運良く馬車を捕まえたため、ジェルトローネに追い立てられることなく街を脱することに成功した。


 だが、彼女はきっとそれだけで引き下がりはしないだろう。エリーたちがサーカスへ戻ることもきっと予想して、追いかけてくるに違いない。エリーは、背後から猛烈な勢いで馬車が駆けてこないかを懸念しており、ほとんど初めて乗る馬車の乗り心地まで気が回らなかった。


 それも杞憂に終わり、エリーたちは無事ハーグァで下車した。馬車へ謝礼を払うのもそこそこに、街外れのサーカスを目指す。


 サーカスが近づくと、ノクスの足は見るからに鈍った。団員に魔女のことを打ち明けるのはそれほど嫌らしい。エリーは何度も「大丈夫だよ」と繰り返して、彼と手を繋いでいた。冷たくなった彼の手を握り、熱が少しでも移るように願った。


 やがてサーカスのテントが見えてくると、今日の公演の準備をしているのか、レグが掃き掃除をしていた。数日ぶりの彼の姿に、エリーの胸が熱くなる。


 ノクスが頼りない足取りで歩いてくるのを見つけると手を振ってきた。その隣にエリーがいることに気がつくと彼ははっと背筋を伸ばしてほうきを放り出し、駆け寄ってきた。


「エリー!」


「レグ!」


 彼は喜色満面で駆けてきてから、思い出したように仏頂面を取り繕った。「なんだ、もう帰ってきたのか」と呟く声はそれでも優しい。エリーはなんだか泣きたくなって、「ただいま」と笑った。


「レグ。申し訳ないけれど、みんなを集めてくれるかな。公演の準備中なのは分かってる。でも、話があるんだ」


 ノクスの硬い声を受けて、レグは背筋を正した。元気のいい返事をすると、訳も聞かずにすっ飛んでいく。途中でほうきを回収することも忘れず、彼は風のようにいなくなった。


「これで、後戻りはできないわけだ」


 ノクスが苦笑する。ステージ上での自信に満ち溢れた姿とは裏腹に、今の彼は風が吹けば倒れそうなほど弱々しい。それだけ彼がこのサーカスを大事にし、仲間たちを守ってきたということなのだろう。


「ノクス、平気だよ」


 エリーが話しかけると、彼は幽霊のような顔色でこちらをちらりと見た。その弱りきった様子がなんだかおかしく、エリーはくすりと笑った。


「みんなが怒ったら謝ろう。隠しててごめんなさいって。エリーも一緒に怒られるよ。黙ってたのはエリーもだもん。一緒にいるよ。大丈夫」


 ノクスはその言葉に、肩の力をほっと抜いた。それから彼もおかしそうに笑って頷く。ありがとう、と囁いた声は小さいが、確かにエリーの耳には届いた。


 ノクスは団員をサーカスの裏に集めた。団員用テントがいくつか並ぶ隙間、常であれば洗濯物を干す場所に、団員たちが集まる。皆一様に、突然の招集への驚きと、エリーがいることへの喜びを顔に浮かべた。


「みんな、公演前の忙しい時間にすまない。来てもらったのは、サーカスのことではなくて、僕の個人的な話で……だから本当に申し訳ないんだけど」


 前置きの長いノクスの脇腹を突く。ジェルトローネがいつ来るか分からない以上、のんびりはしていられないのだ。ノクスもそれを分かっているのか、咳払いをして本題に入ることにしたらしい。


「……僕の呪いについては、みんなも知るところだと思う。時と場所を問わずにやってくる痛みだと」


 空気が変わった。


 団員たちの表情が引き締まり、ノクスの次の一言を待っている。糸がぴんと張りつめたように静まり返り、あたりは風と木々のざわめく音だけになる。ノクスは珍しく緊張した様子で言葉を続けた。


「その呪いは、僕が一方的に被害を受けたものではない。取引によりもたらされた、正当な結果だ」


「取引?」


 静かに聞いていたマーカスが声を漏らす。ノクスはそれに頷いた。


「サーカスに協力する。資金や機材の援助を行い、サーカスをもっと大きなものにする。それが呪いと引き換えに望んだことだ」


 団員の何人かの顔色が悪くなった。体を強張らせた彼らには、話の行く末が理解できたのだろう。ノクスは瞬きを繰り返して、唇をちろりと舐めた。


「僕が取引をしたのは、このサーカスの出資者だ。彼女が僕を呪った魔女ということになる」


 まだ幼い団員がざわめく。どういうこと、と戸惑う年少の者の頭を、ルルが優しく撫でた。人差し指を唇に当てて、しい、と静寂を促す。


「僕は自らの望みのためにサーカスを利用した。自分の孤独を癒すために呪いを受けた。不本意な人物に援助を受けることにもなった。みんなを巻き込んでいると知っても、もう引き返せなかった。僕の弱さが原因だ」


 団員は戸惑いながらも沈黙を守っている。それこそが、ノクスを信頼している証だ。彼はそれに気が付いているのかいないのか、緊張した面持ちをしていた。


「僕とエリーは今、その魔女に追われている。彼女の屋敷から逃げてきたところなんだ。エリーがさらわれ、それを取り返しに行って……彼女ときちんと交渉はしていないが、呪いを解く気は彼女にはないと思う。きっとここまで追いかけてくる」


 今度こそ大きなどよめきが生まれた。幼い者に限らず、歳を重ねた団員たちも顔を見合わせている。混乱と戸惑いの声が囁かれる中で、ノクスは仲間たちを見渡した。


「僕は自分のために、エリーを諦められなかった。そのために魔女とトラブルになり、今後はもう援助を受けられないかもしれない……いや、受けるつもりはない。彼女と決別するつもりだ」


 彼と繋がっている指は冷え切って震えている。彼はエリーの手をぎゅっと握ると、団員に頭を下げた。


「自分勝手でごめん。サーカスが続けられなくなったら僕のせいだ。みんなの居場所を奪うことになるかもしれない。本当にごめん」


 その場は再び静まった。謝罪をしたノクスに続き、エリーも声を張る。


「ごめんなさい! エリーとノクスだけじゃ、ジェルトローネをなんとかできなかったの。だからみんなに助けてほしい。勝手だけど、お願いします!」


 エリーも思い切り頭を下げた。ひょこりと髪の毛が揺れる。


 少しの間、静けさが満ちた。


 ノクスの緊張が移ったのか、エリーの心臓もばくばくと早鐘を打っている。サーカスの仲間がノクスを拒絶するとは思えないが、人の心など分からない。エリーは強く目を瞑って、言葉が返ってくるのを待った。


「……団長」


 口を開いたのはマーカスだった。呼びかけられ、ノクスと二人顔を上げる。


 マーカスは呆れ顔で立っていた。


「そういう大事なことは、もっと早く言ってくれ」


 ノクスの瞳が困惑に揺れる。マーカスは一歩前に出て胸を張った。


「頼まれたって弱音なんて口にしない俺らの団長が、助けてくれって言ってんだ。初めてじゃないか、なあみんな」


 マーカスが振り向いた先では、団員が頷いている。「団長ってばかっこつけてるもんね」「いつも大丈夫としか言わないからな」と口々に言い合ってはさざめくように笑い声が広がる。


 マーカスはこちらへ向き直った。そして目の前にやってくると、力強い瞳でエリーを見た。


「団長の『大丈夫』じゃない言葉、やっと聞けたのはエリーのおかげだな。ありがとう」


「うん……」


 きょとんとしたエリーの頭を、マーカスが乱暴に撫でる。髪が乱れて絡まるが、なぜだか悪い気はしなかった。


 マーカスはノクスの肩に手を置いて、にっと笑った。


「見くびってもらっちゃ困るぜ、団長。あんたを呪うだけじゃなく、仲間をさらった相手に助けられてまでサーカス続けたいやつなんて、うちには一人もいない」


 団員全員の視線がノクスに集中する。彼らの視線には、温かい力が宿っている。皆、ノクスを慕っていた。


「団長を呪った大魔女様が来るぞ! とっつかまえて呪い解かせてやろう!」


 マーカスが団員を煽ると、おおッと鬨の声が上がる。皆は周囲のメンバーと手を取り合い、肩を叩き合って互いを鼓舞した。その顔には、未来を閉ざされる悲しみなどない。


 ノクスは唇をわななかせた。何かを言おうとしたが、結局それが言葉になることはなかった。ただ、喉から絞り出したような「ありがとう」という声だけが聞こえ、ノクスは俯いた。その手の震えが恐れや緊張からでないことを、エリーは知っている。




 呪いの発作を起こすために必要なのはネックレスだ。それはすでに外してノクスから離れた団員が所持しているため、今は呪いの発作を警戒する必要はない。


 だが、ネックレスがなくともジェルトローネ自身が接近し精霊を操作すれば、発作は起こせる。つまり、呪いの根本を解決するか、ジェルトローネが金輪際ノクスに近づかないようにしなければ懸念は残り続けるのだ。もしステージ上でパフォーマンスをしている時に呪いの発作が起きれば、命に関わる可能性もある。


 そこで、サーカスの面々はジェルトローネを迎え撃つ形を取ることにした。夜の公演まではまだ時間がある。ジェルトローネがすぐに追ってくる可能性を信じ、今日のうちに全てを片付けることを選んだのだ。かなり無茶ではあるが、仕方がない。魔女を放置したまま開演する方が危険だ。


「魔女は巧みに魔法を使う。街の発展に関わる大魔法使いなだけあって、僕が知る中でも最も偉大だ。油断はしないように」


 ジェルトローネについてよく知るノクスが、団員へ指示を飛ばしていく。


「マーカスは状況を見て、みんなが危険な目に合わないよう統率するんだ。深追いはしなくていい。隙を作って彼女を拘束できれば万々歳だ。ルルは正確にナイフを投げられる。それで魔女を怯ませることもできると思う。でも、絶対に当てたらだめだ。君の技量は、誰かを傷つけるためのものじゃないからね……」


 ノクスの矢継ぎ早の指示に従って、団員が走り回った。公演前の慌ただしさに似た空気がサーカスに満ちている。皆の顔には不安もあったが、逃げ出そうと考えたり、ノクスを恨むような色は全くなかった。ほとんど初めてノクスの弱みを知り、皆奮起していたのだ。


 そしてノクスもまた、その信頼に応えようとしている。


 これまで、変化を恐れて魔女の元に傅いてきたノクスの弱さは、きっと全てが変わったわけではない。ノクスは今でも魔女を心底恐れていて、仮面を被り直して全てをなかったことにして、一人で抱える方が楽だとも思っているかもしれない。


 それでも、ノクスはサーカスの皆と痛みを分け合う道を選んだ。


 痛みも恐れも罪も、自分だけで完結していればある意味気楽だ。誰にも責任を持たないということだからだ。そこから脱しようとノクスは立ち上がった。その決意がどこへ向かうかは分からないが、エリーは彼の決意を支えたい。彼が首輪を外し、自分の意思で今度こそサーカスの皆と夢の世界を作る手伝いがしたかった。


「来たぞ! 魔女だ!」


 外を見ていた団員が大テントに駆け込んできて叫ぶ。その一言で全員がそれぞれの場所へ散り、テントの入口を睨んだ。


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