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 ──これから、どうしたらいいんだろう。


 エリーは野菜の皮を剥いて鍋に放り込む。蛇口を捻って水を溜めると、澄んだ水がどぼどぼと出てくる。野菜の沈んだ鍋を覗き込むと、険しい顔をした自分と目が合った。


 魔女の家に来て四日。エリーはこの屋敷のメイドとして働きまわっていた。呪われることも、手酷く扱われることもない。本当にただのメイドである。


 ジェルトローネは宣言通り、エリーに屋敷の仕事を任せた。基本は掃除、洗濯、料理の三つである。とはいえ、掃除は前任のメイドが手を尽くしていたらしくほとんど汚れはなく、洗濯もジェルトローネとエリーの二人だけのため量は少ない。最も難しいのは、魔法がふんだんに使われたキッチンで料理を作ることだった。


 ジェルトローネの家は魔女らしく、ほとんど全ての品に魔法が使われていた。特にキッチンは、エリーが森で暮らしていた家のものとは全く異なり、初めはジェルトローネに使い方を聞かなければならなかった。


 エリーが特に仰天したのは火だ。


 森で暮らしていた頃には、粘土や石を組み合わせて作ったかまどの中で火を燃やし、その上に鍋を置いて調理をした。もしくは、外で焚火をして鍋を吊るすというものだ。


 だが魔女の家では違う。


 煮炊きするのに使うのは巨大な機械だった。


 鍋を乗せる台自体は、エリーでも手が届く高さだ。だがその下にはごちゃごちゃと様々な機構がついている。鍋を乗せる台には管が繋がり、管にはツマミがついている。その管は地面に繋がって、エリーには見えないさらにどこかへ続いていた。


 ジェルトローネに教わった使い方はこうだ。


 栓を捻るとシューっと音を立てて管から「ガス」というものが噴出するため、そこに火をつける。家の中には火気がないため火の精霊の流れも乏しく、魔法で灯せるのは非常に小さな炎だけだが、それでもガスに触れるとぼっと燃え上がる。そしてツマミを調節して火の大きさを適度に抑えることで、火を扱えるというわけだ。


 ほんの小さな火が一瞬にして巨大に膨れ上がるのは、恐ろしさと共に大いなる興味を抱かせた。ジェルトローネは、街の文明の発展に寄与している魔法使いに違いない。であれば、自宅にこれだけの機械があるのも、豪邸に暮らすだけの資金があることにも頷ける。彼女はまさしく魔女と呼ぶのにふさわしい、魔法のスペシャリストなのだ。


 野菜を煮込みながら、エリーはため息をついた。


「こんなにすごい魔法使いなのに、どうしてノクスを呪ったんだろう?」


 エリーには想像もつかないが、恐らく富も名声も思うがままのはずだ。街の中にはジェルトローネが作った機械がきっと動いているのだろうし、それで人々の暮らしも便利になっていく。だというのに、彼女は何を求めてノクスを呪ったのだろう。ただの嫌がらせ、暇つぶしなのだろうか?


 考えても答えは見つからず、エリーは窓の外を見た。


 キッチンは中庭に繋がっている。四角い屋敷の中央に空いた小さな陽だまりは外には通じていない。そのため外出が禁じられているエリーが唯一外の空気に当たれる場所だった。


 エリーは新鮮な空気を求め、野菜を煮ていることを忘れて中庭へ出た。


 ジェルトローネが管理しているのか、狭い庭は花壇が設置され、とりどりの花が花弁のドレスを広げていた。黄に赤、薄紫の花々は露に濡れて光を放っている。陽光を浴びて葉を風に躍らせる見事な花に見惚れていると、その一画に花ではない植物を見つけた。


 それは小さな実だった。赤く色づいた木の実が、背の低い木の先端にいくつもぶら下がっている。親指の爪ほどの楕円形の実は、触れると微かに柔らかく、食せる程度には熟しているように見えた。


「これ、ピゴの実かな?」


 森で暮らしていた頃、自然に生えているものを見つけては齧っていた思い出が蘇る。種が大きく可食部はそう多くないが、森で暮らす子供たちは皆この実を齧っては、甘酸っぱい果汁で小腹を満たしたものだ。


 懐かしくなり、数粒をもぎ取る。今日の魔女の食事に並べてみるのもいいだろうと考えていると、火にかけたままの野菜を思い出した。エリーは慌ててキッチンへ駆け戻った。


 そのうち野菜は煮えて、隣のフライパンでは子ウサギの肉が焼きあがった。エリーもほとんど食べたことのないようなごちそうが、ジェルトローネの日常だ。だが盗み食いをする気分にもなれず、エリーは黙って料理を皿に盛った。


 おぼつかない手つきで作られた料理を配膳用のワゴンに乗せて、ダイニングへ持ち込んだ。


 彼女は本を読んでいた。机に向かって何かしらの図式や計算を書き込んでは思考を巡らせている。作業ならば自室で行えばいいというのに、彼女はどこにでも本やメモを持ち込む。癖なのだろうか。


 エリーがやってきたことに気が付くと、彼女は顔を上げて「そこにおいてちょうだい」と微笑んだ。エリーは指示されるまま、広げられた紙を避けた場所に皿をセッティングした。


「待って」


 皿を置いていると、ジェルトローネが鋭い声でエリーを呼び止めた。何かと思い姿勢を正すと、彼女は強張った表情でこちらを見ていた。


「それ、どうして持ってきたの?」


 彼女が指差したのは、エリーが今まさに手にしている小皿だった。そこには中庭でもいだピゴの実が乗せられており、つやつやとその実を輝かせている。


「ピゴの実だよね? エリーも昔よく食べてたの。庭に生えてたから、食べるためかなって」


 ジェルトローネはいつになく険しい顔でエリーを上から下まで睨みつけたが、やがて「知っているはずないものね」とため息をついて、その視線から解放した。


「似ているけれど、ピゴの実じゃないの。食べられないものだから、もう食事には並べないで」


「うん……」


 有無を言わせない強い態度で言いつけられ、エリーは頷いた。どうやら似ているだけで別物だったようだ。毒のあるものを人に食べさせようとしてしまった、と肩を落として反省した。いくら相手が魔女とはいえ、毒殺などしたくはない。


「……それを煮詰めた汁を飲むと、毒素が体にひっかかるの」


 気落ちしたエリーを見かねたのか、ジェルトローネが語り始める。視線は紙に戻されているが、明らかにエリーに向けて話していた。


「普段はなんの悪さもしないわ。ただ、雷の精霊か何かで少し刺激を与えると、途端に暴れだす。毒のひっかかった場所に痛みと痺れをもたらすのよ」


 その話を聞いて、エリーは間抜けに「へえ」と相槌を打った。彼女もそれ以上は語る気がないのか、黙って紙に目を落としている。エリーは皿を並べる手を再び動かしたが、目線だけはちらちらとジェルトローネに送っていた。


 その後は滞りなく食事の準備ができたが、彼女は机にかじりついたままだった。集中したその顔を見つめていると、視線に気が付いたジェルトローネが顔を上げた。


「何か?」


「ジェルトローネはすごい魔法使いだよね」


 ここで働き出して四日。黙って仕事をこなしていたエリーが自分から話しかけてきたことで、彼女は眉を上げた。おっとりと微笑んで話の続きを待っている。


「この家にはたくさん魔法が使われてる。玄関のドアは鍵がないのにどうしてか開かないし、キッチンはよく分からない方法で火を使えるし。サーカスで使ってたライトも、ジェルトローネのものなんでしょ?」


「そうね。この家と、あのサーカスで使われているものは全て私が作ったものよ」


「じゃあお金持ちで、たくさんの人から頼りにされてるってことだよね。エリーにはないものをたくさん持ってる。なのに、どうしてノクスと取引をしようって思ったの?」


 羨んでいるわけではない。確かに、街の魔法使いや御伽噺の魔女はエリーの憧れではあったが、何を捨ててもその領域に至りたいと思うほどではない。純粋に疑問だった。彼女が何を求めてノクスと取引をすることになったのか。


 エリーに負の感情が薄いと気が付いたのか、魔女は小さく嘆息すると背もたれに体を預けた。握っていた羽ペンをペン立てに戻して、天井を見上げる。


「世界を構築する最少人数は、何人だと思う?」


 唐突な話題に、エリーは眉をしかめる。理解が追いついていないことはジェルトローネにも理解できていただろうが、彼女はそのまま話を続けた。


「世界が在るためには、人間は二人以上必要なの。一人で夢想しているだけでは、それは世界とは呼べない。誰かとそれを共有して、認め合って初めて世界と呼べる大きさになる。だから、二人が世界を作るための最小人数なのよ」


 ジェルトローネの目が遠くを見た。その瞳はどこかがらんどうで、空虚な色をしている。美しい黒々とした瞳には、一切の光が宿っていなかった。


「私は世界を作りたかった。その相手をずっと探していた。だから道端で芸を見せるノクスと出会った時、本当に嬉しかったのよ。あれだけ精霊に愛されている子と世界を作れたら、どれだけ素敵かしらって」


 魔女の目がエリーに戻る。彼女は微笑んで首を傾げた。


「そして私は彼と世界を作った。夢の世界──サーカスを」


 背筋がぞっと冷えた。


 ノクスたちは、路上での芸からスタートしたと言っていた。そして、それが大きくなれたのは出資者のおかげ──つまり、魔女の力によるものだと。


 彼女はノクスに首輪をつけて我が物とした上で、サーカスに出資することで世界を作る望みまで果たした。欲しいものを全て手に入れたのだ。


「で、でも……サーカスにはたくさんの仲間がいるよ。あなたとノクスだけのものじゃない……」


「そうね。でも、誰が私たちの間に入れるのかしら? 呪いは誰にも解けない。サーカスの団員だって、心配するのが関の山で助けることなんてできない。ノクスはサーカスを続けていくためにも生きるためにも、私と手を切るわけにはいかない。でも、時々は刺激がなくっちゃ」


 ジェルトローネの表情が削げ落ちた。一切の感情が消えた顔をエリーに向けて、怒りでも恨みでもない、空っぽの瞳で見つめてきた。まるで目の位置に、黒い穴が二つ空いているようだ。


「あなたみたいに呪いから解放してくれそうな子と出会って、ノクスに希望が生まれたら、それを断ち切る。目の前で取り上げる。そうするとノクスはひどく落ち込んで、やっぱり私とは離れられないんだって実感するのよ。そしてまた、私とノクスのサーカスは続いていく。二人だけの世界が。だからあなたをサーカスへ導いたの。いいスパイスになるんじゃないかって思って」


 温度のない視線に射すくめられ、奥歯ががちがちと震えだす。唇をくっと噛み締めることでそれを堪えたが、ジェルトローネにはそれすら見透かされているような気がした。


 エリーが硬直したまま視線を受け止めていると、魔女はふっと笑みを浮かべた。そこには、先ほどと変わらないたおやかさがある。空虚でも、笑顔であるというだけでエリーの恐怖は幾分か和らいだ。


「大丈夫。エリーを殺したりなんてしないわ。ただ、ずうっとここで飼い殺してあげる。サーカスには戻れない。ノクスにももう会えない。ここで誰とも世界を作れずに、そうして時を過ごしなさい」


 部屋の中には、エリーが運んできた料理の匂いが充満している。香ばしく焼きあがった子ウサギからはハーブの香りが立ち上っていたが、空腹を思い出すことはできなかった。エリーはぎこちない仕草で、逃げるようにダイニングから出て行った。


 背後でドアが閉まると、ようやく呼吸が解放されたような心地がした。だが、あの空間から逃れても、まだ彼女の視線が付きまとうような感覚がある。


 ジェルトローネには底がない。どこまでも落ちていく奈落のような空虚が、彼女からは伝わってくる。それこそが、彼女の孤独なのだろうか。それを癒すために、ノクスと世界を作ったと。


「でも……じゃあなんでジェルトローネはまだ穴が空いたままなの?」


 閉められたドアを見やる。そこには何の答えもなく、ただ重厚な木のドアがあるばかりだった。


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