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 それからエリーは、魔法の練習に明け暮れた。


 ノクスの言う通り、魔法を使うための精霊の操り方は他の魔法使いから学ぶのがほとんどだ。エリーが水を操って見せたのだって、祖母から教わった洗濯のための水流を少し応用しただけに過ぎない。


 だが逆に言えば、基礎さえ知っていれば、もっと集中を深めて精霊の操作を緻密にしていけば、ショーで使えるような大規模な魔法を使えるようになるということだ。そして、エリーは既にその基礎を知っている。後は自分の努力次第というわけだ。


 エリーは移動の合間、休憩時間や睡眠の時間を惜しんで魔法の研鑽に勤しんだ。毎日地道に、水を操ることだけを考える。これまでは粗雑に精霊の流れを作るだけだったが、ショーで使えるほどのものにするためには、細い穴に糸を通すような正確な動きが求められる。歩いている間も、いかに効率よく正確に精霊の流れを生み出すかと言ったことに集中し、しばしば小さな段差につまずいた。


 レグを筆頭にサーカスの仲間たちは呆れ顔だったが、ノクスだけがエリーを笑わずに見守った。それがまるで期待されているようで嬉しく、エリーの魔法への傾倒に拍車をかけた。


 ──ノクスの呪いをエリーはどうにもできない。それなら、少しでも役に立って、ノクスの寂しいのがなくなるお手伝いをするんだ。


 その練習の甲斐あってか、エリーの水流を操る魔法はそれなりに練度を上げていた。「道端でやればちょっとした小銭稼ぎもできちゃうんじゃないかしら?」というルルのお墨付きももらった。サーカス団が目的地であるハーグァの街に到着する頃には、エリーは水の精霊が少ない場所でも水を操れるようになっていた。


 到着するなり、街の人手を集めてサーカスの設営にとりかかる。柱となる木材はあらかじめ都合がつけてあったらしく、テント設営地に置かれていた。それを魔法の使われた機械でなんとか持ち上げ、人力も含めてテントを張っていく。設営に関して、非力なエリーは大して役にも立てず、あちらへこちらへ走り回って工具などを届けることしかできなかった。


 何日かをかけて設営していくため、初日は大きな柱を立てたところで一区切りとなった。テントを張るのは街の外れであり、街灯の数も少ない。これから照明なども設置していくらしいが、今日のところは火を焚いて暗くなり始めたテントの周囲を照らすばかりだった。


 サーカスの者たちは、旅の疲れを癒す意味でも今日は皆早々にテントへ引っ込んで休息を取っている。皆が人心地つくころ、エリーはサーカスをそっと抜け出して街へ走り込んだ。


 街の建物や人々の服装はサーチェスと違っていたものの、街灯の輝きや路地裏の薄暗さはそう変わらなかった。エリーは迷わないように目印を覚えながら街の中枢へ入っていく。すれ違う人々は時折エリーに怪訝な目を向けてきたが、積極的に声をかけてくる者はいなかった。どこぞの家の子供だと勘違いされたのかもしれない。


 エリーは人の多い噴水広場へやってくると、噴水を覗き込んだ。夜の闇の中、そばの街灯に照らされて水面が揺らめいている。そこから立ち上る水の精霊の流れを感じ取ると、エリーはよし、と意気込んだ。


 エリーは街で、練習した魔法を披露しようと計画してここまでやってきた。


 練習の成果をサーカスの仲間たちに見せびらかしたところ、それなりの評価をもらえた。サーカスで演目として見せるにはまだ足りないが、路上で一芸としてやればそれなりに見てもらえるのでは、と皆に言われ、試してみたくなったのだ。


 ──エリーは何もできないわけじゃないもん。エリーだって、魔法が使えるんだから。


 坂を転がり落ちるように、エリーは魔法にのめりこんだ。最近は寝る間も惜しんで研鑽を重ねたのだ。旅の中で何度も練習をした。大げさな技ではないが、通り過ぎる人の足を一瞬だけ止めるくらいはできると思いたい。ルルが押してくれた太鼓判を信じ、エリーは大きく息を吸い込んだ。


 ──大丈夫……だよね、ノクス。


 目をつぶって深呼吸を繰り返す。心臓の鼓動が早まっていくのを感じながらも、エリーは精霊の流れに集中した。


 ──細く、ぎりぎりまで細く水を持ち上げる。それで、まっすぐ持ち上がったら、籠を編むみたいに組み合わせて。それを何度も繰り返して、折って、畳んで、広げて。木が枝を広げるみたいに、隅々まで力を入れて、緩めて。


 エリーは頭の中で絵を思い浮かべながら、それを水でなぞった。目をつぶっているため実物は見ていないが、精霊の流れは感じられる。額に汗が浮き上がるが、それを拭うこともなくエリーは魔法に集中していた。


 ゆっくりと、花を開く。


 開花の瞬間に合わせて、エリーは目を開いた。


 瞬間、おおっという小さなどよめきが聞こえた。


 エリーの目の前には、複雑に蔦を伸ばし、そして艶やかな大輪を咲かせる水の花があった。エリーが両手を広げても抱えきれないほどの大きさに膨らんだ水流は、自然の摂理を無視して空中に浮かび上がっている。それこそまさに、魔法だけが成せる技だった。


 通り過ぎる際、わずかに足を止めた風である観客たちが拍手を贈ってくる。身なりの良い老年の男性、夫婦、紳士。数名が立ち止まってエリーに注目していた。小さな人だかりとなった噴水の中心で、エリーは緩みそうになる口元を必死で抑えた。


 観客の興を冷めさせないよう、ゆっくりと水の花弁を散らして花を枯れさせる。その雫の一滴に至るまでを噴水の中へ戻すと、再び拍手がエリーを包んだ。そして、老年の男性がエリーの足元に何かを置いたのを皮切りに、隣にいた夫婦も懐を漁りはじめる。


 見れば、そこにはコインが輝いていた。森の暮らしでは使ったことはないが、レグから話は聞いている。街で買い物をするために必要な硬貨だ。そしてその隣には、どこかで見たような輝きの金色の小さな石が落ちている。それはいつかにノクスと見た、宝石と呼ばれる石によく似ていた。どうやら、魔法への対価らしい。


「あっ……ありがとう!」


 コインと宝石を置いて立ち去ろうとする人々の背に、追いすがるように声をかける。


「今度、街の外れで路傍の石ころ団がサーカスをやります! ぜひ見に来てください!」


 茹で上がったように耳まで赤く染まりながら、エリーは叫んだ。その声がどこまで届いたのかは分からないが、彼らの去った後には少しばかりのコインと小さなはちみつ色の石が残されていた。


 不思議な高揚感だった。


 エリーの魔法を見ていた者はほんのわずかだが、それでもその数人の観客はエリーの技に感動し、コインを払ってもいいと思ってくれたのだ。それがエリーの価値を認めたようで、腹の底から叫びたい衝動に駆られた。


 ──誰かの心を動かした。このコインはその証なんだ。エリーもノクスみたいに、誰かを楽しませる魔法が使えたんだ。


 エリーは宝石を拾って、手の中で弄んだ。


 小さな金色の石は、街灯の光を反射して煌めいた。はあはあと自分の呼吸の音が妙に耳について、広場の喧噪も噴水の水音も遠かった。


 ──これ、ノクスにあげたら喜ぶかな。ノクスの寂しいの、少しでもなくなるかな。


 胸の内側が激しく鼓動する。脈打つ熱の塊が喉を押し上げて口から飛び出してしまうのではと心配して、エリーは思わず唇を押さえた。


 宝石がちかりと光る。


 エリーはその煌めきを強く握りしめて、興奮のままサーカスへ駆け戻っていった。足取りは軽く、まるで羽でも生えたかのようだった。




 サーカスへ戻ると、すでに皆就寝の準備を終えてテントへ入った後のようだった。焚火の数も減り、まだ起きている数名もそろそろ火を消して眠りにつくのではないだろうか。揺れる炎にテントの影が揺らめく、そんな夜の静かな空気が漂っていた。


 だが、エリーは今すぐ眠れと言われても無理だろう。先ほどの体験はそれほどに強烈で、エリーの脳を痺れさせていた。エリーは握りしめていた手のひらを開いて、暗がりの中の宝石を見下ろした。


 ──エリーがもらったんだ。エリーの魔法で。


 その実感が後からじわじわとこみあげてくる。エリーは勝手に持ち上がる唇をどうにか抑えようとしたが、その試みはうまくいかなかった。そのうちくすくすとした笑みが勝手にこみあげてきて、エリーの胸を躍らせた。


「ふふ、あはは、やったあ! エリーって本当にすごいのかも……」


 手で口を押さえたまま、ひそひそと笑う。まるで、一日に一つまでと言われていたお菓子を二つ食べてしまった時のような、ひそやかな興奮がエリーの中にあった。


「エリー?」


 くふくふと笑っていたところに声をかけられ、ぱっと顔を上げる。そこには顔色の悪いノクスが立っており、どこか呆然とした顔をしていた。まだ起きていたようだ。


「あ、ノクス、あのね」


 手の中の石を見せようとするが、それよりも先にノクスがずんずんと歩み寄ってきて、エリーの肩を掴んだ。その力の強さが予想外で、思わず口をつぐむ。ノクスは険しい表情でエリーの肩や髪に触れた。そのまま落ち着きのない仕草でエリーの全身を改める。


「どこも怪我はしていない? 魔法の使い過ぎで具合が悪くなっただとか、大丈夫?」


「う、うん……平気……」


「知らない女性に声をかけられたりはしなかった? 黒い衣の、黒髪の女性だ。彼女に、何かされたり……」


「してないよ。会ってない」


 エリーがおずおずと頷くと、ノクスはやっと詰めていた息を吐きだした。眉間に寄っていた皺が解けて、いつもの彼の余裕が戻る。その頃になって、エリーもようやくノクスの様子に目がいった。


 彼は長い髪を一つにくくっているが、それも解けかけて木の葉が絡まっていた。シャツやズボンも焚火に照らされた場所は土汚れがついており彼らしくない。どうしたというのだろう。


 エリーのきょとんとした視線を受けて、ノクスは戸惑ったように続けた。


「君が見当たらないから、水辺で魔法の練習をしているうちに何かあったんじゃないかと探し回ってしまって……無事でよかった」


 ノクスはそこで深く息をついた。それから、自身の慌てぶりが恥ずかしくなったのか、小さくはにかむ。


「サーカスの皆には、どうせ魔法の練習に夢中になっているだけだと言われたし、僕もそう思ったんだけれど……万が一ということもあるから」


 そうして、エリーの顔にかかっていた髪の毛を静かに払う。ノクスが心底安堵したように微笑むので、エリーはすっかり虚を突かれてしまった。


「街へ行ってたの。魔法を試してみたくて」


「そう」


 ノクスは何かに怯えているようだった。エリーがいなくなったことにひどく動揺して、あちこちを探し回ったらしい。いつも泰然と構えている彼らしくない、落ち着きのなさだった。それだけ心配してくれるのはありがたいが、どうにも違和感を感じる。


 ──ノクス、何を気にしてるんだろう?


 確かに、誰にも告げずに勝手に街へ出て行ったことはエリーの反省すべき点だ。だが、移動中にはレグや他の子どもたちだって、ふらりと遊びに出かけて行先が分からないということは多々あった。それに比べれば、エリーがサーカスを離れていたのは短時間だ。ここまで取り乱す理由が分からなかった。


 ノクスは少しの間思案顔をしていたが、やがて真剣なまなざしをエリーに向けた。


「色々なことに興味があるだろうから自由にさせていたけれど……今度からは、どこに行くのか誰かに報告すること。魔法の練習にしても、街へ行くにしても、誰かと一緒に行って。君はまだ小さいんだから」


「うん……ごめんなさい……」


 彼の言うことは正しい。その点だけはエリーも素直に反省し、頷いた。


 エリーがノクスの注意に理解を示すと、彼も満足したようだった。表情を緩め、そこでエリーの拳が握られたままだと気が付く。


「何か持っているのかい?」


 そこでエリーは、魔法の対価として得た宝石の存在を思い出した。目を輝かせてノクスの前に手を広げる。


 エリーの小さな手の中から透明な金色の石が現れ、ノクスが瞬きをした。エリーは先ほどまでの違和感を忘れようと早口で説明を付け加えた。


「魔法見せたら、通りすがりの人がこれくれて……ノクスにあげようと思って」


「僕に?」


「うん。ノクスの目と同じ色だから」


 宝石と同じ色の瞳が見開かれた。瞼が数回下りてきて、またすぐに開く。呆気にとられた様子のノクスに、エリーの気持ちが萎んでいく。こんなに小さな宝石は、ノクスには不要だったかもしれない。団長である彼なら、もっと立派な宝石を買うことだってできるのだ。


「いらないなら、捨てる……」


「いるよ」


 ノクスは我に返って、宝石を投げようとしたエリーを制した。彼は少しばかりまごつきながら、エリーの手を掴んで問いかける。


「でも、いいのかい? これは君の魔法への報酬だ。僕がもらうのにふさわしいとは……」


「エリーが、ノクスにあげたいの。これ、お守りだって前に言ってたから」


 ノクスと街を歩いた時、これと同じ宝石を見かけた。その時に、この宝石はお守りとしても用いられると話したのはノクスだ。エリーはそれを思い出して、ノクスに渡そうと決めたのだ。


「覚えていたんだね」


「覚えてる。忘れちゃったら、ノクスは寂しいかと思って」


 ノクスを見れば、彼は間の抜けた、非常に恰好のつかない表情を浮かべていた。


「ノクス?」


「……うん。そうだね。覚えていてくれて、嬉しい」


 ノクスはエリーの手から慎重に石を受け取ると、指先でつまんで笑った。


「ありがとう、エリー」


 エリーは頷いて、ノクスの首に抱きついた。ノクスも静かにそれを受け止めて、しばらく背中を撫でてくれていた。


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