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 煌々と夜を照らし出す光の、その影に少女はいた。


 表はサーカスとやらの見物に来た客で賑わい、はしゃぐ子供の声や屋台の食事の匂いがしている。丸いテントの反対側、開演前のざわめきが届かない裏に回り込んだエリーは、夜の寒気に身を縮ませながら物陰に潜んでいた。


 客が入る正面とは違い、演者や関係者のみが通る場所のため雑然としている。エリーにはとても持ち上げられないような大きな箱がいくつも積み上げられ、篝火の揺らめく明かりに照らされていた。


 エリーはかじかむ両手に、はあ、と息を吐きかけて温めながら耳を澄ませた。肩までの茶髪が揺れて、深いブルーの瞳を忙しなく瞬く。


「いたか」「あのガキどこ行った」と悪態をつく声がいつまでも耳に残っていて幻聴を呼び起こす。彼らは、エリーがサーカスまで逃げたことに気が付いていない──そのはずだ。だからこれは聞こえるはずのない声だ。


 エリーは膝を抱えて小さくなって、頭の中の彼らの声が消えていくことを願っていた。


 ──どうしてこんなことになっちゃったんだろ。


 エリーの目にじわりと涙が滲む。胸の内には、いなくなってしまった祖母や森の仲間たちの姿がぼんやりと浮かんだ。エリーは幼いながらに、彼らともう二度と会うことができないと悟っていた。



 エリー──エインリューズは、黒檀の森に暮らす魔法使いの一族だった。


 森の暮らしは静かに凪いで、変化がない。変わるとすれば、成長していく自分の身長くらいだ。祖母は毎年伸びていくエリーの身長を庭の木に刻み、それだけが時間の経過を認識する唯一の手段だった。


 一族は暮らしの中で魔法を使いはしたが、それで何かを成し遂げようとは考えないようだった。むしろ、生活の範囲からはみ出して力を行使することを嫌う者が多かった。


 街へ出て文明の中で暮らす他の魔法使いから見れば、異質な存在だっただろう。魔法を街の発展に役立てれば、魔法使いはそれなりの地位と金銭を得られると聞いている。人間の技術者よりもよほど重宝されるのだ。


 黒檀の森の魔法使いは、そうした街の暮らしを嫌う懐古主義の一族だった。


 万物には「精霊の流れ」がある。


 分かりやすいものでいえば火。


 火が燃えると、そこからは火の精霊が生まれ、炎の勢いに乗って噴き上がる。そして空気中を舞って、風や他の精霊の流れに乗ってまたどこかへ流れていく。


 その流れを見ることができるのが魔法使いだ。


 魔法使いは、精霊の流れを見て、さらにそれを操ることができる。これを魔法と呼ぶ。


 火気がある場所には必ず火の精霊の流れがあるため、それを操作して火を灯すことができる。水場の近くにも水の精霊がいるため、水流を変えることができる。わかりやすい変化をもたらせるのはこの二つだが、他にも街では雷の精霊からエネルギーを得たり、木々や花々の精霊を使って花壇に花を咲かせたりしているそうだ。


 だが、無から何かを生み出すことはできない。


 必ず元となる精霊の流れがなければ、魔法使いといえどもなにもできはしない。御伽噺の中の魔女などは無から有を生み出したりもしたが、あくまで御伽噺である。現実の魔法使いにそんな力はない。


 黒檀の森の一族は、御伽噺の魔女の失敗を反面教師として、森にひきこもった。最低限の魔法のみを使い、文明の発展に抗った。


 夏に生い茂った草木も秋を通り過ぎれば枯れて、冬には沈黙する。そして、春になれば裸の木も再び芽吹く。飽き飽きするような自然の繰り返しの中に身を置くことを良しとして、慎ましく、謙虚に毎日を過ごした。


「外に出ようなんて考えちゃいけないよ」


 祖母は口を酸っぱくしてそう言った。


 それは、街へ出た結果命を落としたエリーの両親のことを悔やんでいるようでも、軽蔑しているようでもあった。森で暮らしていればあんなことにはならなかったのだと祖母は強く信じているようで、エリーにも何度も語って聞かせた。


「あの子たちは馬鹿だった。街のものを森へ入れようとしたから、精霊が怒ったのさ」


 精霊に意思などあるはずもない。祖母もそれは分かっていただろうが、そう思わなければやっていけなかったのだろう。


 エリーの両親は、この排他的な森の中にいて、「外の街の便利なものを取り入れてはどうか」と考える変わり者だった。正体を隠して街へ繰り出しては、街で作られた道具を持って帰った。


 石斧よりも鋭い鉄の斧、よりあたりを明るく照らすランプ。お砂糖をたっぷり使ったお菓子に、カラフルな屋根の下を馬が走る小さなオーナメント。ほとんどは森の者に受け入れられずに拒絶されたが、両親は街へ出ることをやめなかったという。それは、エリーが生まれた後にも続いた。


 それが本当に精霊の逆鱗に触れたのか、単なる事故か。彼らは街から引き上げる最中に崖から転落した。


 魔法使いでも、自分の体を自由自在に浮かしたりなどできはしない。幼いエリーを置いたまま家に帰らない二人を心配した祖母によって遺体は発見され、集落の外れに埋葬された。エリーが三歳の時だった。


 祖母は二人を馬鹿だと言うが、エリーはそうは思わなかった。家に僅かに残る、両親が持ち込んだ街の発明品を見るたびに心臓の鼓動が早くなる。回らない小さな木馬の飾りを見ていると、まだ見ぬ街の景色を想像して胸が踊った。


 森の仲間のことは好きだ。祖母と静かに暮らすのも決して悪くはない。しかし、街には様々なものや人が溢れ、夜でも明るいとさえ聞く。そんな技を持つ街の方が、よほど魔法使いらしい。


 エリーはいつの間にか街へ憧れを抱き、いつか両親のように森を出るのだと夢見るようになった。街への憧れだけを胸に森から飛び出していこうとして、祖母にこっぴどく叱られることもよくあった。そのたびに、祖母は「このお転婆は誰に似たのか」と頭を抱えた。


 その夢は、エリーが十一歳を迎えた年に、思っていたものとは違う形で現実となった。


 エリーたちの集落は森の奥深く、街の人間には見つからないような場所にある。存在すらも知られていないような秘境である。


 だが、それは昔の話だ。


 森の中で時間が止まったままの暮らしを続けている間、外では文明が進歩を続けていた。火を自在に操り、魔法使いでなくても綺麗な水がすぐに手に入る。街は拡大を続け、森はどんどんと切り拓かれた。


 その手が、黒檀の森にも伸びた。


 街の人間たちは、開拓する森の様子を見にやってきただけだった。だがその中で森の奥へ入り込み、魔法使いの集落を発見した。


 彼らは街に認知されていない魔法使いがいることに驚き、交流を図った。だが森の人間はそれを拒み、恐れ、混乱のあまり彼らを攻撃した。振りかぶった石斧で殴られた男性は、打ちどころが悪く死亡した。


 それから、街の人間による蹂躙が始まった。


 魔法使いと言っても、その実態はほとんど普通の人間だ。精霊の力を借りて、ほんの少し不思議なことができるだけ。指先に火を灯しても、それを燃やし続けるだけの燃料がなければすぐに消える。水の行く流れを曲げることはできても、大きな水源を生み出すことはできない。人を呪うことができる大魔女などは御伽噺の存在で、普通の魔法使いにはとてもじゃないができない芸当だった。


 対して、街の人間たちは他の魔法使いの協力を得て、凶悪な武器を手にしていた。鉄の筒からは鉛の玉が飛び出し、スイッチを押せば火を吹く機械が家を焼いた。


 エリーたちの住処は、一晩で失われた。


 大人も子供もほとんどが死んだ。わずかに生き残った者は、反逆者として捕らえられるか、国の管理から零れ落ちて人身売買の商人に売られるかだった。


 エリーの運命はといえば、後者であった。


 魔法使いという種族は、ほとんどがその能力を活かして国の発展に寄与しているが、非合法の場になると非常に高値でやり取りされる。精霊の流れが見える魔法使いは、好事家には大層な人気なのだそうだ。商人からそんな話を聞かされたエリーは、家族を失った悲しみに暮れる暇もないまま街へ送られ、オークションの日を待った。


 エリーは囚われた檻の中、目まぐるしく変わっていく自分の世界に置いていかれ、粗末な衣類と食事のみを与えられる現状を受け入れられずにいた。ショックで思考が痺れ、これから売り飛ばされる悲壮感も、家を焼かれた憎しみもなく、ただ空っぽのままその場に蹲っていた。


 エリーが意識を取り戻したのは、隣の奴隷の少年が囁いた言葉が耳に届いた時だった。


「だから、売られるってことは、もう二度と自由がないってことだよ」


 エリーの目に僅かに光が戻った。


 話しているのは、エリーよりも少しだけ年上の少年だった。ボロ布のような服を身に纏い、隣に座る幼い少女──妹だろうか──に話しかけている。人身売買という仕組みを理解できない妹に、言葉を尽くして現状について説明をしているようだった。


「どこにも行けなくなるんだ。何かを食べるとか、寝るとか、全部誰かの言う通りにしなきゃいけない」


「じゃあ、街にも出られないの? お祭りの飴も食べられない?」


「食べられない。もう、駄目なんだよ……」


 兄の声が涙に滲み始める。顔を覆った兄の様子にようやく理解が追いついたのか、妹もまた唸るように泣き始めた。牢の中にいる他の子供たちは一声も発さなかったが、心持ちは皆同じように思えた。


 これから先、どこにも行き場はない。エリーたちからは自由が失われた。


 じゃあ、街にも出られないの?


 先ほどの妹の声が頭に響いている。それが、エリーの心臓を激しく脈打たせた。胃の上がどんどんと突き上げるように騒ぎ、胸の内側で何かが暴れている。


 エリーはきっと、この後でオークションにかけられ、好事家の元で一生を終えるだろう。運が良ければ富豪に買われ、それなりに愛玩されて好きなように過ごせるかもしれない。だが、最悪の場合、鎖で繋がれ、「珍しい生き物」として見世物にされて生きていくことになる。そうなれば、エリーは生きながらに死んでいるのと同じだろう。エリーの人生は、エリーのものではなくなる。


 ──そんなの、嫌だ。エリーは街へ行きたい。外の世界を知りたい。


 エリーはすっと立ち上がると、檻の外を覗き込んだ。粗末な小屋の中、鍵付きの檻に閉じ込めていることに油断しているのか、監視の目はない。エリーが魔法使いということも分かっているはずだが、子供相手と侮っているようだ。もしくは、既に夜のため眠りについたのか。


 エリーは周囲を見渡した。


 炎のように揺らめくオーラが、外に繋がる戸から流れてきているのが分かった。微かだが、火の精霊の流れがある。外で火を焚いているのだろうか。


 これなら、やれるかもしれない。


 エリーは人差し指を立てると、牢の鍵の細くなっている部分に指先を押し当てた。そして大きく息を吸うと、爪先に火を灯した。


 ぽっとにわかに明るくなった牢に、子供たちの視線が集中する。何が起きているのかと呆然とする眼差しの中で、一人がぼそりと呟いた。


「魔法使いだ」


 エリーの指から火が消える。呼吸が乱れて額に汗が浮かび上がるが、ここでやめるわけにはいかない。エリーは再び息を詰めて、指を鍵に引っかけた。


 断続的にではあるが、何度も火で炙ることで鍵は徐々に赤熱しはじめる。そこで、他の子供たちもエリーが何をしようとしているのか理解したようだった。彼らは騒ぎ立てることなく、奇妙に緊張した空気でエリーを見守っていた。


 ──あともう少し。


 これほど魔法を連発した経験はなく、目の前がちかちかとして息が苦しい。


 魔法は精霊を利用して行使するが、それには深い集中が必要だ。自分の意識を精霊と同調させるため、体力を大きく消耗する。魔法に慣れない身で過剰に行使すると体力が削られ、息苦しさや頭痛、酷いと意識の喪失まで起きる。


 せっかく鍵が開いても気絶しては意味がない。エリーは噛み締めた歯の隙間からぜえぜえと息をして、強張る指を立て続けた。


 もう限界だというところまで鍵を炙ると、エリーは一息で鍵を引っ張った。すると熱せられ柔らかくなった細い部分が、ぐにゃりと伸びる。扉を無理に押すと、鍵がぎいと軋んで開いた。


「開いた……」


 汗が頬を伝い、顎から垂れ落ちていく。エリーが思わずへたり込むと、それまで遠巻きにしていた子供たちがゆっくりと歩み寄ってきた。


「これ、出られるってこと?」


「出た後でもし捕まったら」


「けどこのままじゃ売り飛ばされるだけだよう」


 小声で子供たちが口々に相談を始める。誰だって逃げたいのは同じだが、商人の目をかいくぐって無事に逃げ延びる保証などどこにもない。そして再び捕まった時には、目を覆いたくなるような仕置きが待っているに違いない。その恐怖が、皆の足を竦ませる。


「エリーは、行くよ」


 呼吸を整え、汗を拭い、エリーは立ち上がった。それに、子供たちがしんと静まり返る。


「エリー、もっと色んな世界を見たい。街を知りたい。このまま閉じ込められておしまいなんて、嫌」


 エリーを守る森も、祖母も、今はいない。それでもエリーは諦められなかった。両親が見た世界を自分も見るまでは死ねない。そんな思いだけが胸の中で燃え上がり、悲しみに折れそうになる膝を必死に支えていた。


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