問い
三宅君のことが好きです。優しいし、わたしを必要としてくれます。
彼女はいても、足りない何かというのはあるのでしょう、その部分をわたしが補ってあげられたらいい、それが例え身体の関係でも。抱きしめてもらえるだけで安心できました。もし今の彼女とうまくいかなくなれば別れることもあるかもしれません。恋愛なんて分からないものです。そしたらわたしにだってチャンスはある、そういう風に思っていました。
別に彼だけに全てを賭けているつもりはありません。いい人がいればその人でもいいし、誘われれば食事に行ったりしてもいます。もちろんその中でいいと思えばセックスだってします。でも、最後には何かが違うと思ってしまうのです。三宅君と比べてしまい、結局は彼の元に行きたいと思ってしまいます。だから不毛な関係だとか、都合のいい女だとか、そう言われたところで詮無いことでした。気持ちの部分はどうにもなりません。
そのことを話しても、誰も分かってはくれず、口先では「そうだよね」と言いながら、その目は理解出来ないという蔑みの入り混じった色に変わるのです。わたしだって皆のように普通に好きな人と一緒にいたい、ただそれだけなのです。
それが少し、ほんの少し変化を見せ始めたのは賢君と会うようになったからでしょうか。彼といると気持ちが軽くなります。つまらないことを話しても、聞いても、どことなく心が落ち着くのを感じるようになっていました。
三宅君とも会いました。嬉しいし好きだけれど、会ってすることはいつも同じ、待ち合わせて食事をし、ホテルに入ってセックスをする。喜びの反面、見えない何かに押し潰されるような圧力を感じるようになっていました。
もう三宅君との関係は終えた方がいいのかもしれません。
好きです。好きだという気持ちに変わりは何もありませんが、どうにもならないこともあるのでしょう。ならば、賢君と一緒にいると感じる心軽さはもう一つの可能性として考えてみてもいいのかも知れませんでした。
そして私は三度目に賢君と会った夜、彼に抱かれました。いつもより肌が敏感に反応して、恥ずかしさに戸惑いました。しかし、彼はそれを受け止めて微笑んでくれました。私は身体を開き、ありのままに彼を受け入れました。三宅君とも違います。どちらがいいとかそういうことではありません。別の感覚が波のように全身に広がっていました。何をどうしていたのか記憶にありませんが、幸福な時間であったと今は思います。
「なにかあったのか? 最近妙に明るいじゃないか」
クリスマス・イヴ前日。お店で追加の飾り付けを手伝っていると西島さんにそう言われました。自分ではいつも通りのつもりでしたが何か違ったのかもしれません。
「実は最近いい人に出会ったんです。まだ付き合ってはいないんですけど」
「へぇ、それは良かったじゃないか。どんな奴だ?」
「なんですかね、分からないんですけど話していると安心する感じの人です」
「そういうのって大事だな。うまくいくといいな」
「はい、がんばります」
西島さんからそんな風に言ってもらえるとは思いませんでした。自分の気持ちが明るくなると、苦手な西島さんとの会話も楽しく感じるのだなと思いました。病は気からとはよく言ったものです。ちょっと違うでしょうか。昨夜のことも関係しているのかも知れません。
昨日は真東さんが通しで朝一が堀北ちゃんでした。わたしは四時から出勤で終わりまでだったのですが、八時前くらいに、帰宅したはずの堀北ちゃんが青い顔で店に駆け込んできました。お客さんはいませんでしたが、いたら大騒ぎになったかもしれないほどです。
どこかのチームの連中にからまれ、西島さんが助けてくれた、でも相手は数人いるから西島さんが危ない。見たことのないほど蒼白な顔でそう言いました。
真東さんと三人で駆けつけるべきか、警察に連絡するべきかで揉めているところに渦中の西島さんが現れたのです。
見たところ特別、怪我などは無いようでした。当人は何事も無かったようにコーヒーを淹れてみんなに振舞ってくれました。しかし、堀北ちゃんの反応からも西島さんが彼女を救ったということは明白でした。
見直した、というのとは違うような気もしますが、ほんの少し、西島さんに対しての見方というものは変わったような気がします。
事務所にいくと堀北ちゃんが台所の方で基材の整理をしていました。無水エタノールなどを日付順に並べながら隙間を掃除しています。彼女は一つに集中すると周りが見えなくなったりします。だから何かを忘れてしまったりして真東さんに怒られたりするのですが、掃除の跡などはピカピカになっています。彼女がこちらに気づいて手を止めました。珍しいことです。
「おつかれさま、わたし上がるね」
「おつかれさまでした」
西島さんの席にあるパソコンの勤怠項目を立ち上げて時間を打ち込みます。労働時間などは全てパソコンで管理していて、以前はタイムカードだったのですが西島さんが店長になって無くなりました。わたしは打刻の音が好きだったのでちょっとだけ物足りない気がしたりしていました。
「千鶴さん」
声に振り向くと、堀北ちゃんが台所への戸口に立っていました。もしかしたら基材でも零したのかと思いました。そう思えるくらい真剣な顔だったからです。
「なに? どうかしたの?」
「おととい一緒にいた人って、彼氏ですか? 髪の黒くて長い人」
賢君のことだと思いました。一緒にいるところを見られたと思うとやけに気恥ずかしくなります。それに、いつ見られたのか、一昨日、その日は前日から彼と夜を過ごし、一緒にいたのは午前中だけなのです。
「あ、いやそういう訳じゃないけど。なんで?」
「あの、ホテルから出てくるところだったから。そうなのかなって。でも、彼氏じゃなくてもそういうことって、するんですか」
やはり見られていた。奇妙な罪悪感と羞恥がじわりと広がりました。何? 何が言いたいの? 抱かれてはいけないの? 彼女もまた、わたしを否定しようとしているの?
「変なとこ見られちゃったかな。恋愛って色々と複雑なことがあって難しいの。でも悪いことをしてるんじゃないのよ、別に」
「そうなんでしょうね。私には分からないけど。それなら気にしなくても良かったんだ」
「気にする? って何を?」
「いや、勘違いです。私がよく分かってなかったんです。気にしないでください」
彼女はそれだけ言ってまた台所の方へと戻ろうとしました。
「待って、気になるよ。何のこと? 教えてよ」
彼女は半分だけ身体を戻し、目は合わさずに呟きました。
「千鶴さんといた人、私、前にも見たことがあって。その時も別の女の人とホテルから出てきたから。そういうのが何回かあって、でも、それが恋愛の世界では普通のことだって知らなかったから。大人の世界ってよく分かりませんね。ごめんなさい、気にしないでください」
そう言うと台所からは基材の瓶のカチャカチャという音が聞こえ始めました。
今彼女が言ったことは何?
わたしにはそれが何を意味しているのかすぐには理解できませんでした。堀北ちゃんは作業に戻ってそれきり何も言いません。わたしはただ呆然と立ち尽くしその言葉を反芻し、理解しようとしました。
「どうしたみなみ、そんなとこで突っ立って」
「いえ、何でもありません。お疲れ様でしたっ」
わたしは西島さんの顔も見ずに荷物を抱えて店を出ました。その時どんな顔をしていたのか想像も出来ませんが、人に見せられるようなものではなかったと思います。わたしは繰り返し、そんなはずはない、何かの間違いだ、頭の中でそう言い聞かせながら、駆けたのです。