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ダスト  作者: イリ―
南原 -みなみはら-
6/24

南原 (21) アルバイト

 わたしは男性に依存しなければ生きてゆけません。

 愛されていないと不安でしょうがないのです。誰にどう思われようと怖いのです。

 独りでいることが喩えようもなく寂しいのです。


 最初のうちは女友達と過ごしていましたが、次第に彼女たちは離れていきました。億劫だったのでしょう。「ごめんね、でもいつも千鶴とばかりもいられないの」そう言って、友達は彼氏の元に走ったのです。

 いいんです。結局は異性のほうがいいのは、わたしにも分かります。男性に抱きしめられている時、私も色々なことを忘れられます。肌に触れているだけで、落ち着けるのです。

 厳格な両親の元で育ちました。父は医者。母はそんな父に付き従うように従順な妻です。

 厳格ではありましたがやさしい両親です。一人っ子の私を大事にしてくれました。よい幼稚園、よい学校、よい大学。私は両親の望むように、期待に応えたくて、一生懸命、それこそ盲目なほどに一途に生きてきました。だからでしょうか、何もない場所に立たされるのが怖いのです。自分で何かを決めるのが恐ろしくなっていたのです。


 そんな不安も、男性といることで忘れられました。

 女子校ばかりを進んできた私が男性と関わるようになったのは大学に入ってからです。そのうち、サークルの先輩と付き合うことになって、ある夏の夜、初めて男性に抱かれました。細かいことは覚えていません。ただ、先輩からはウッド系の香りがしていたことを覚えているだけです。あの夢のように安心していた時間は、私にとって宝物になったのです。

 その後、先輩とは別れました。好きな人が出来たそうです。ほんの二ヶ月の付き合いでした。でも良いのです。わたしにとっても価値のある時間でしたから。

 それから数人と付き合いましたが、彼らにも感謝しています。身体だけの関係も何人かありました。そういう話を友人とすると、皆の反応はいつも一緒でした。

 都合のいい女、ヤリマン、遊ばれてるだけだ、もっと自分を大事にしなさい。そう口にして、蔑むような目でわたしを見るのです。

 何がいけないのでしょうか?

 好きな男性と身体を重ねているだけです。避妊だってちゃんとしています。それにお金のためにそうしているのでもなく、愛されたいからそうしているだけなのです。その一瞬の幸せのために、わたしはそれ以外の苦しい時間を耐え生きてゆけるのです。

 それがいけないのでしょうか。

 友人たちだって男性に抱かれているのではないのでしょうか。

 そこには違いなんてないと思うのです。



「おはようございます。今日はどうですか?」

 大学の授業の後、夕方からはアルバイトでした。

 趣味としてアロマが好きで、アロマテラピーの勉強をして資格も取りました。たまたま友人とこの店に入り、求人を見かけて店員の女性に話しかけたのです。

 すぐに採用が決まりました。その時の女性がオーナーでした。向日葵のように明るい笑顔が印象的な女性でした。オーナーは「オープンしたばかりで人が足りないの。私達だけでいけると思ったんだけど、やっぱりアルバイトが必要で」と笑っていました。

「おはよう。まぁぼちぼちだな、さっきまで嘉門さんが居座ってたけど」

「またですか? 西島さん目当てなんじゃないですか?」

「なんでもいいさ、物を理解して買っていってくれればそれだけで」

「今日は何を?」

「ティートゥリーベースのブレンドを注文してった。認知症予防の話に興味が出たらしい」

 

 西島さんはこの店アロマショップ「ゼノビア」の店長です。以前は私と同じくバイトでしたが、前任の店長に子供ができて育児に集中するために辞めて、西島さんが引き継ぐことになったのです。前任の店長は女性で、オーナーとは反対の生真面目な人でした。気分に斑がある人で、彼女の機嫌を伺うのが最初に覚えた作業でした。

 西島さんはその人と比べると仕事についてはもっと厳しいと思います。

 でもいつも穏やかで、実際よく仕事ができる人なので不満はありません。落ち着いていて、何でもできて、どこかで敵わないと思ってしまう。こういう人が大人の男性なのかもしれないと思いました。

 そう感じると同時に、普段は優しいのですが、時々ものの言い方が冷たいような気がすることがあります。そういうところは苦手というか、掴み所のない人に思えます。

 恋人はいないようですが、本人は興味が無いようです。クリスマスにも興味がないみたいなんです。こういうイベントで独りでいて平気だなんて、わたしには正直理解ができません。


「そうだ、オーナーが土産を置いてった。どれか好きなの選んでいいぞ」

 西島さんはレジカウンター裏から瓶を三本取り出しました。グラースの香水だということでした。一つずつ香りを嗅いで選びます。ピンクの瓶がいいなと思いました。でも、堀北ちゃんも選ぶのではないかと思ったので聞きました。

「好きなのでいいんですか?」

「あぁ、きっとお前はピンクのだろ。堀北は多分黄色いのだから、持ってけ」

 驚きました。西島さんはわたし達の好みも分かっているようでした。

 店の掛け時計を見ると、時計は五時十五分前でした。わたしはピンクの瓶を取り、急いでバックルームに入って着替えました。勤怠は十分前に切るのがこだわりなのです。着替えるといっても、髪を束ねてエプロンをかける程度です。でも、海外を飛び回るオーナーが選んできたエプロンなので模様もかわいくて、気に入っています。わたしのエプロンには月桂樹の葉がデザインされていました。

 水を流す音が聞こえました。お手洗いから真東さんが出てきて「よう、おはよう」とだけ言うと、思い出したようにキッチンに向かいました。基材の瓶を持って戻ると真東さんはオルガンに向かって色々と調合を始めました。きっと先程予約をうけたオイルをブレンドするのだと思いました。

 店頭に戻るとサンプルチェックをしている西島さんの背中があって、案外広くみえました。

「オーナーはどうしたんですか? 帰ってきたんですよね?」

「あぁ、戻った早々また暫く高飛びだ。今度はシリアだとさ」

「シリア? どの辺ですかそれ?」

「地中海東部だな。砂漠のあるとこだ。覚えとくといい、この店の名前の由来になっている女王がいた国だからな」

「ゼノビアって女王の名前だったんですか、知らなかった」


 店を見渡しました。ヨーロッパの工房のような木の温かみのある部屋。観葉植物がところどころに置いてあります。オーナーが持ってきて、西島さんが飾りつけます。オーナーはその飾りつけには口を出しません。西島さんを信頼しているのだと思います。それは少し羨ましいことでした。

 壁に並んだアンティークの棚にはたくさんの遮光ボトルが並んでいます。青い瓶が並ぶ様子はとてもきれいです。今日の香りはきっとローズウッドにマンダリンと少しだけイランイランが混ざった香りでしょう。もう少し混ざっていそうですが、そこまでは分かりませんでした。もっともっと香りを知って、訓練しないと分かりません。いずれはわたしも真東さんのように調香をしてみたいものです。

 入り口のベルが鳴りました。カウベルのような音がします。女性が一人、店に入ってきました。

「いらっしゃいませ。こんにちは。なにかお探し物がありましたらお声がけください」

 女性は微笑みました。



「千鶴、今度の土曜日、合コン行かない? 千鶴が来てくれれば人数ピッタリなのよ」

「合コンかぁ、どうしようかなぁ」

「お願い千鶴、今回はイケメンぞろいらしいのよ。フリーなんだから千鶴もチャンスでしょ。別に参加するだけでもいいからさ」

 手を合わせられて、頭まで下げられれば断る大きな理由もありません。一応わたしも参加することにしました。でも、参加するだけです。わたしには好きな人がいるのです。

「ありがとう、恩に着るよ。時間とか詳しいことはメールするから、じゃあまたね」

「うん、また」

 彼女はいそいそと荷物をまとめて講堂を飛び出していきました。

 友人の優子は合コンばかりしています。彼女はわたしの話を聞いても嫌な顔をしません。きっと同類だと思っているのでしょう。でもちょっと違います。彼女はセックスが好きで、わたしは好きな人に抱かれるのが好きなんです。別に優子を悪く言ってるのではありません。優子には優子の行動理念があって、わたしにもそれがある、というだけのことです。

 優子は唯一の親友と呼べるかもしれません。自分たちも同じ穴の狢なのに、取り繕って自分は違うんだと気取っているような人たちとは全然違います。今時の女子大生なんて八割が何らかの形で処女を失っています。それなのに自分は違うんだ、綺麗なんだと見栄を張って、他人を見下そうとするのですから、そんな人たちと比べたら、すべてを受け入れて自分に正直に生きている優子のほうがよっぽど純粋で、綺麗です。


 メールの着信がありました。

 携帯を確認すると、三宅裕介の表示が出ていました。わたしは嬉々としてメールを開きました。四日ぶりのメールだったからです。

『今日会えるかな? ちづの顔が見たくなった』

 わたしはすぐに『大丈夫だよ。わたしも会いたい』と返しました。荷物をまとめると軽い足取りで講堂を出て、キャンパスを後にしました。

 午後六時、渋谷で待ち合わせました。彼に会うのは二週間ぶりです。ハチ公近くで待っていると、彼がやってきました。相変わらず爽やかで、素敵でした。

「とりあえず飯でも食おうか。何か食いたいものある?」

「ううん、三宅君の好きなのでいいよ」

「そっか、じゃあイタリアンでいいか」

 頷くと、彼はわたしの手を引いて歩き出しました。その感触に、わたしは胸がはちきれそうでした。ずっとこのままでいられたらいいのにと思いました。



「やっぱりちづといると落ち着くよ」

 ベッドの上で一通りの行為を終えると、彼がそう言いました。彼の大きな手にわたしの手をかみ合わせ、それを眺めながら聞いていました。この時間がわたしはとても好きでした。抱かれている時に頭の中が真っ白になる感覚も好きですが、セックスが終わったあとの何ともいえない、ゆったりとした空気が心を落ち着かせてくれます。タバコに火を点けると、彼の胸がゆっくりと上下します。それを眺めているのも好きでした。

「ねぇ、イヴは会えるかな?」

「ちょっと無理かな。向こうがあるから」

「そっか、仕方ないよね」

 彼には恋人がいます。わたしじゃありません。正式な彼女がいるのです。それはわたしも知っていたし、彼も隠していませんでした。だから、わたしたちは身体だけの関係なのです。

 セフレと言われれば否定もできませんが、ちょっと違います。わたしは彼のことが好きだからです。セックスするだけの友人とは違います。今はまだ彼は別の人のものだけど、そのうち別れるかもしれません。その時にわたしが隣に立てれば、それでいいのです。結婚していなければ、まだ可能性はあると思うんです。恋愛はどうなるかなんて誰にも分からないのですから。だから、今は時々、彼の疲れた心を癒してあげられれば、わたしは幸せなのです。

「でもさ、プレゼントは用意するから。何か欲しいものはある?」

「んー、わたしはこうやって三宅君に会えれば、それでいいよ」

「そうもいかないだろ。なにか探しておくよ」

「うん、楽しみにしてる」

「じゃあ、もう一回しようか」

 彼は覆い被さるようにして、わたしにキスをしました。わたしは身を任せて目を閉じました。彼の手が触れていくそばから肌が熱を帯びていきます。身体の奥に熱が宿り、その熱と彼の熱がまるで一つになろうとするかように、わたしは彼を受け入れるのでした。次第にわたしの意識は、真っ白などこかへと飛んでいきました。



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