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ダスト  作者: イリ―
西島 -にしじま-
5/24

クリスマスプレゼント

 体を起こしたのは太陽がいい加減その姿を西の空に落とし始めた頃だった。

 オーナーが飛び回っているせいで、この頃休みが取れていなかった。かといって別段やりたいことがあるわけではないので、実は一向に構わないのだが。


 今日は真東が通して、朝一で堀北、夕方から南原。ついシフトを考えるのは癖のようなものだ。職業病というほどのものでもないから、やっぱり癖だ。人数が少なくてもウチ程度の店は回る。極端なことを言えば、一人でも回るのだ。お客が大挙して押し寄せてくる家電量販店やカフェとは違う。


 日が落ちた頃になって外へ出て、赤羽まで足を伸ばした。

 別に仕事場に顔を出すつもりでもなかったし、赤羽を愛している訳でもない。単に定期があるからだ。

 駅近くのコーヒー専門店に入り、豆を買った。

 自分はコーヒーそのものが好きなのではない。

 部屋で一人、豆を挽くと落ち着く。豆の砕ける振動が良いのかもしれない。

 せっかくだから皆にも飲ませてやろうかと店に足を向けた。だが、時間的に堀北は帰ってしまったかもしれないと思った。


 駅から店への道の途中で女の小さな悲鳴が聞こえた。

 暗がりの路地を覗くと数人の男たちが女の子を囲んでいる。五人はいるか。ナンパにしては些か強引に見える。男達の着ている革ジャンやデニムなどには同じマークが見えた。

 蝋燭が顔になったような模様だ。それがお化けなのか何なのか分からないが、以前無理矢理見せられたアニメ映画であんなのを見たことがある気がした。

 おそらくどこかのチームなのだろうが、この辺りでは見たことがない。どこかから遊びに来て絡んでいるといったところだろうか。

 関われば面倒ではあるだろう。だが、次の瞬間にはその集団に向かって歩き、声をかけていた。

 その女が知り合いでなければ通り過ぎていただろう。


「どうした堀北。ナンパか? モテるんだな」

「西島さん!」

 取り囲んでいた男達が一斉にこちらを向いた。どれもいかつい顔ばかりだ。年齢も定かではない。

 もう少しにこやかでないとナンパ成功は難しいだろう。

「なんだお前。あっち行っとけ。俺たちは今から遊びに行くんだからよぉ」

 主格であるらしい男が言った。

 唯一スーツのようなジャケットを着ていて異質だった。他の四人と比べればいくらかお洒落にも見える。髪もウェーブがかかっていて今時の若者だったが、残念ながら頭は悪そうだった。

 堀北は怯えるよりむしろ強い視線で果敢に抗っているようだった。


「遊びに。そうなのか?」

「遊びになんて行かないわよ。離して、痛いのよ」

 左手を掴まれているようだ。逃れようとしてもがいているが抜けられない。

「と、言ってるけれど。離してやってくれないかな。痛がっているし」

「うるせぇな、すっこんでろよ。それとも痛い目みねぇと分かんないか、おっさん」

「これでもまだ三十路なんだ。周りからは若いって言われるんだけど」

「知るかよ、何なんだこいつ。お前ら、そいつどうにかしろ」

 二人が近づいてくる。

 一人はガタイのいい角刈り。もう一人は痩せぎすの顔がニワトリみたいな男だ。

 細いほうが胸座を掴んできた。

「とっとと失せなよ、おっさん。それとも俺たちとやるか?」

 この手の連中はすぐにこうして力で物事を解決しようとする。そうすることしか思い浮かばないのだろう。想像力の無さが愚かを通り越して哀れだった。


「別に何をする気もないよ、堀北、帰るよな?」

「ふざけんなっ!」

「西島さんっ!!」


 拳が振りかぶられて、次の瞬間真っ直ぐ向かってきた。

 真っ直ぐだったから、避けた。

 ニワトリが体勢を崩して無様に転がると、主格の男は流石に堀北の手を離してこちらを意識し始めた。

「チーム・スプーキーキャンドルを怒らせたらどうなるか、分かってんのか? おっさん」

「スプーキー? どういう意味?」

 彼らは更に怒り出した。

 ただの質問だったのだが教えてはくれないらしい。

 四人が周りを取り囲んだ。逃げ道は塞がれている。

 どうやら腹を決めなければならないらしい。そして同時にこうも思った。もしかしたら、自分はここで消えることが出来るかもしれない、と。


「おっさん、あんたが悪いんだ。黙ってどっか行ってりゃよかったのにな。そうしたら痛い目だけは見ないで済んだんだぜ。土下座でもすりゃあまだ許してやってもいいぜ」

「土下座をさせたら満足かい。つまらないなぁ、そうやって上に立って他人を見下したつもりになってないと怖いんだろ? こんな価値も無いおっさんとやらを君達のように若くて可能性がある若者達が恐れる必要が何処にあるんだろうね。群れて弱いものをいたぶることでその恐怖を誤魔化しているのだろうなぁ、可哀想に。うん、可哀想だ。でも普通だね。結局は想定内だ。よくあることだな。普通ということはつまり、君達は社会適合を果たしているということだ。羨ましいよ、ん? 多分羨ましいんだと思うけど、どうなんだろう」

「何言ってやがるんだこいつ? おい、お前ら、やっちまえ」

「西島さん、逃げて!」

 堀北が叫ぶ。

 小さく首を振って、行けと顎をしゃくると戸惑いながら堀北が駆け出した。

 幸い彼らは気づいていない。


 目を閉じた。


 自分にとって実験のようなものだと思った。

 これでこの世界から消えることが出来るのであれば、それでいい。

 周囲の気配がぞぞと動きだした。

 沢山の何かが迫ってくる気配を感じた。



 空には月が浮かんでいて、冷たく輝いている。息は真っ白に広がって、消える。


「残念だ……どうやら俺は消えそびれたようだ」


 周りに、はずみで落としたコーヒー豆が散らばっている。

 拾って集めればまだ飲めるだろうか?と一粒摘んだ。

 うめき声が聞こえる。

「ば、ばけもん、か」

「そうだなぁ、そうなのかもしれない。だからこの世界がつまらないのかもなぁ」

 五人の男達が道に転がっている。

 主格の男だけ意識があるようだった。

 紙袋に穴がないことを確かめて、こぼれていない豆を確認していると男が呟く。

「な、なにもんなんだ、あんた。普通じゃねぇ…」

「何者かなんて自分が知りたいよ。普通なんて括りはそれぞれ個人の矮小な価値観でしかない。君が今いくつかは知らないけどね、所詮は二十年程度の価値観ってことさ。何千、何万、何億年と続く世界の僅か二十年だ。君はなにをどのくらい知っているのだろうね。例えばこの豆がどうやって海の向こうからここまで来たのか、それさえ分かるのかな?」

 彼は無言だった。

「収穫はにジャコウネコに食わせるんだ。豆は消化されず糞と一緒に出てくる。それを集める。そうすることで良質な豆を判別するんだ。それから出荷するまでも、した後も、様々な人の手を渡ってここまでくる」

「だからなんだ、知るかよ」

「知らなくていい。関係のない人間にこんな事実は価値がない。同じように、君らの価値観なんて面白くもなんともないし俺には関係もないというだけだ。

 ちっぽけな価値観でちっぽけな世界に生きて、それが全てだと思い込み、ちっぽけな人生を送る。それだけさ。つまらないよなぁ、そんなつまらないものに関わるのが嫌なんだよ、分からないだろうな」

 転がる男と目を合わせると、彼は目を逸らした。負け犬の所業だ。

 相手を見極められないからこうなる。想像力が足りないのだ。だが、普通はそうやって失敗を重ねて成長するのだろう。精々がんばってくれと憐憫だけ振り撒いてその場を立ち去った。



 店に着くと三人が顔をつき合わせてわたわたとしていた。

 自分が入ってきたことに気づくと三人は同時に声を上げた。


「西島さん!」

「なんだよ、まさかレジ合わないとかじゃないだろうな。割り勘だぞお前ら」

「何言ってるんすか、大丈夫だったんですか! 今、警察に連絡しようかと」

「大袈裟だな。まぁコーヒー豆は少々紛失したけどな。堀北は大丈夫か? 手」

「うん。ありがとう、西島さん」

 堀北は小さくなって頷く。ずいぶんしおらしくなるものだ。普段はもっとぶっきらぼうなものの言い方しか出来ないのに。人間きっかけがあればどうとでも転がるということか。

「西島さん見直しました。案外男らしいんですね。わたし、西島さんのこと少し勘違いしてました」

 みなみが言った。人というものは、ちょっとしたことでモノの見方が変わる。勘違いしていたのも己なら、思い込んでいたのも己、と思ったがあえて口にはしなかった。

 結局のところ、何でもいいのだ。他人の見方がどうであれ、自分は自分であり、何も変わらない。変われない。

 その後、買ってきた豆を挽いた。破れたのが安い豆で良かった。折角ならみんなには美味しいコーヒーを飲ませたい。

 それからコーヒーを淹れて、皆で飲んだ。

 この日が今迄で一番賑やかな夜だったかもしれない。

 みんなの、聞いたことのない話を聞いた。

 その内容がどうあれ、真東も、南原も、堀北も楽しんでいるようだった。



 ある夜、店でダマスカスローズオイルの資料作成やフレグランスのデータを探したり、ポップやフライヤーの手配に関係しそうな事柄を調べていた。

 八時には堀北の「お疲れ様でした。メリークリスマス西島さん。お先に失礼します」という声が聞こえた。そこからは多少混んだが一人で接客をこなして九時過ぎに閉店した。


 十時頃、先日の豆がまだ残っていたので、挽いてコーヒーを淹れた。

 夜は流石に冷える。コーヒーから湯気がやけに鮮明にあがっていた。

 コーヒーを飲んで一息つくと空腹も感じたが、冷蔵庫にはろくなものがなかったので、結局近所のコンビニに買いに出ることにした。コートを羽織っても寒風は容赦なく隙間から侵入してこようとする。手袋がないのでポケットに手を突っ込んだ。


 クリスマス・イヴの夜なのだ、とようやく実感できたのは街の装飾が煌びやかに輝いていたからだろう。街がどこか暖かい雰囲気に包まれているような印象だった。

 信号を渡ろうと立ち止まると、足元に羽が落ちていた。

 黒い、エッジの鋭い小さな羽。

 根元は引き千切れたように肉の繊維が残っている。車に轢かれたのだろうか、燕のもののように見えた。冬なのに居るものだろうか? 迷ったのかもしれない。

 少し先にもう片方も見える。きっとどこかに体もあるのだろう。

 儚いものだと思う。きっと自分もそのうちに死んでいく。

 その時、自分もまたこの燕のように、自分の世界ではない場所で独り野垂れ死ぬのだろう。

 どことなく愛着を覚え、燕の羽にそっと微笑みかけた。


 買い物を済ませて戻ると、店の前に中を伺っている白いコートの姿があった。

 小川美樹だった。

 声をかけると驚いて振り返って笑った。

「あ、出かけてたんですね。てっきり中にいるのかと。その、これ」

 顔をうつむけながら両手で差し出された赤い袋。クリスマスプレゼントだろう。

「あの、気に入ってもらえるか分からないけど」

「いいのかい? 何も、変わりはしないよ。俺に関われば辛いだけかもしれないのに」

 彼女は顔を上げて微笑んだ。

「いいんです。そうしたいんです。そうしないと、きっと後悔しちゃうから」

 彼女は何かの答えを見つけたのかもしれない。

 揺らがない何かを見つけたのなら、自分が何かを言う必要もないだろう。

 袋を受け取って、開いた。中は茶色い皮の手袋だった。


「西島さん、いつもコートのポケットに手を入れてるから」

「そっか、どうもありがとう。使わせてもらうよ」


 じゃあこれでと立ち去ろうとする彼女の背中を眺めた。

 何も、何も変わりはしないのだが、こういうのを気まぐれとでもいうのだろうか。

 彼女を呼び止めた。

「コーヒーを淹れるんだ。折角だから少し、飲んでいかないか?」そう言うと、彼女は戸惑ったように微笑んで、頷いた。


 そして

 店に入ろうとしたときだった。


 夜が、掻き消えた。


 振り返ると太陽のように鮮烈な光が空を覆っていた。

 自分も、彼女も、呆然と天空に広がる光を見た。

 ほんの一瞬の出来事だったのだろう。

 その刹那に見た。ビルが、街が、彼女が、自分が、光に飲まれて塵になっていくのを。

 理解など及ばない。

 ただ思った。

 これが

 

 自分の最後なのだ、と。

 

 

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