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ダスト  作者: イリ―
西島 -にしじま-
3/24

オーナー

 数日後、珍しく遅番で出勤は昼を回ってからだった。どことなく見慣れた出勤風景と違うことに新鮮さを感じた。同じ道でも時間によってかなり違うのだ。普段なら集団登校する小学生や電車通学の学生やサラリーマンのスーツ姿ばかりだが、今日は少し違う。散歩する老夫婦だの、商店街の店先で談話する主婦たち、なにをして生計を立てているのかわからないスウェット姿に金のアクセサリをぶらさげている兄さんなどが、そこかしこに見えた。

 平和な平日の午後といえばそう見えなくはない。飛行機雲が空を割っていた。


「何度言わせりゃわかるんだ! 精油は揮発もするし酸化もするんだ、サンプルだからって適当に扱うんじゃねぇ!」

「すみません」

「なんだその態度は、舐めてんのか!」

「謝ってるじゃないですか」

「ふざけやがって」

 店に入るや聞こえてきたのは激昂している真東の怒声だった。おそらく相手は堀北夏芽だろう。

 堀北には話し方など、やや礼儀に欠けるところもあるから誤解も生じやすい。だからといってすぐに直せるものでもない。

 内容を聞く限りではサンプルオイルの取り扱いが原因らしい。普段は女にだらしなく何につけ大雑把な真東も流石にオイルに関してだけは非常に細かい。プロフェッショナルということだろう。

 片やオイルに関して何の資格も知識もないアルバイトであれば温度差は出て当然だ。まして堀北には気の強いところがある。

「商品の管理は仕事として最低限やるべきことだろうが! それも出来ないような奴がそんな態度で許されるとでも思ってんのかよ。これがもし基材だったらどうなると」

「基材はちゃんと気をつけてます。危ないし」

「基材はじゃねぇ! オイルも揮発性だし可燃物質なんだ。一歩間違えば大変なことになるんだよ! それをいい加減に扱うなって言ってるんだ」

 確かに真東の言うことも尤もである。精油は引火の可能性が高いため、指定数量を超えて保管する場合、消防法および「危険物の規制に関する政令」によって規制されている。当然、精油の販売を行っているこの店の保管量は言うに及ばない。さらにオイルを希釈する為のエタノールなどの基材もとなれば爆薬庫は言い過ぎだが、十二分に危険だ。

 だからこそ扱うには資格と許可が必要になってくるのだが、今はサンプルの扱いの話だ。今後は気をつけなければならないが、目くじらを立てるほどではないだろう。

「まぁまぁ、落ち着け。話は大体聞こえたが怒鳴らなくてもいいだろう、5ミリのサンプルならまだ、な」

「西島さん、でも、一回や二回じゃ」

「お前の言うことも正論だが堀北だってまだ慣れきってないんだ。謝ってることだし大目にみてもいいだろう。堀北も次からは気をつけるんだぞ」

「はい、すみませんでした」

 小さく会釈した堀北から目をそらした真東は、ふんと鼻を鳴らして事務所に戻っていった。堀北はそれを見送るとオイルの整理を始めた。

 彼女はフランス人の父と日本人の母をもつハーフである。

 父方の血が強いのか、彼女は金髪に碧眼という日本人離れした容姿をしていた。しかし、本人は日本で生まれ育ったため、見た目とは正反対の純粋な日本人である。それもあってか小さい頃には虐めも多かったという話を聞いたこともあった。

 現在十八の彼女にとってはそう昔のことでもないのではないかと思う。だからこそ気も強く、ややひねくれているのだという分析に至っている。


 堀北は、真東とのやり取りに怒るでも落ち込むでもなく、ただ黙々と作業を進めていた。

 その姿はこの店の雰囲気によく馴染む。彼女の立つ一角だけ、まるで本当に中世のヨーロッパのようだった。そこが気に入ってオーナーは彼女を採用したのだ。

 事務所に入ると、真東はオルガンの前でオイルの入った遮光ボトルを大事そうに両手で持って匂いを嗅いでいた。きっと『フラット』だろう。

 彼のオリジナルのブレンドオイルで、鎮静効果のあるオイルを混ぜたものだ。たしかサンダルウッドをベースにしてラベンダーなどが数種類ブレンドされていたはずだが、細かい調合比率は知らない。以前嗅がせてもらったが、効果はともかくとして自分には合わなかった。匂いにも好みは出る。自分はラベンダーが比較的苦手なのだ。

「なにかあったのか? 気が立ってるようだけど」

「なにもありませんよ。ただ、あいつ鼻もいいのに、無駄にしてるから」

 そう言ったきり真東は黙った。

 きっと彼なりに堀北の才能を認めているのだろう、だからつまらないミスが許せないのだ。

 たしかに堀北は異常に鼻が良かった。

 ブレンドされているオイルの知識はないのだが、何種類の香りが使われているのかを当てることができた。知識さえあれば調香師として活躍できるだけの才能を秘めている。だが、本人には特別に自覚もなく、意欲もない。真東にはその辺も気に触るのかもしれなかった。

 店の方からは堀北の「いらっしゃいませ」という声が聞こえてきた。



 クリスマスまであと十日ほどになった頃、オーナーが帰ってきた。

 きっといい取引が出来たのだろう、表情は清々しいものだった。

「ジャスミンオイルの契約が出来たわ、これで高品質のものが手に入る。それから西島。申し訳ないんだけど、私、もう一回飛ぶわ」

 オーナーは帰還早々、ただいまを言うでもなく、また店を空けると言い放った。

「え? またですか? なんで?」

「それがさ、良質のダマスカスローズを扱っているところがあるって教えてもらってね。直接行きたかったんだけど時間がなくて、なにせ場所がシリアなのよ。本場のダマスカスローズを抽出している業者があって、そこから直輸入できるように話をつけてくれるって言うの。あとは私が直接交渉するだけなのよ。店の名前に恥じないためには、やっぱりこれは絶対に必要でしょ」

 店名になっている『ゼノビア』は、シルクロードの時代にシリア砂漠中央付近で交易の要として栄えた国、パルミラの女王の名前らしい。栄華を極めたパルミラも時代の変化から交易が陸路から海上に移った為、衰退していった。

 ゼノビアは国を守るため果敢にもローマ帝国に戦いを挑み、結果、滅んだ。しかし、ゼノビアは国民からは未だこよなく愛されている女王なのだそうだ。

 そのゼノビアが香水として愛用したのがダマスカスローズ、と言うのはオーナーである。

 確かに、良質のものが手に入れば、この店の主力となりうる。きっと目玉商品として注目を浴びるだろう。


「それで、いつ行くんですか?」

「午後の便を取ってあるの、だからよろしくね。はいこれお土産。好きなのみんなで選んで、喧嘩しちゃだめよ。あと、今回はオリーブ石鹸買ってきてあげるから」

 それだけ言い残し、オーナーは一陣の風が通り過ぎるようにしていなくなった。

「あれ? 今のタクシー、オーナーですよね、どこ行ったんですか?」

 真東が車の去った方向に意識を向けながら店の表から入ってきた。

「それがなぁ、今度はシリアだそうだよ」

「はぁ? 今度はどのくらい行くんですか?」

「あぁ、聞いてないなぁ。そんな暇さえなかった。これ、お土産だってさ」

 デザインも色もとりどりの香水の瓶が四本並んでいた。そのうち一本を取り上げひと吹きした真東は香りを嗅ぐと瓶を置いた。

「あの人はほんとに自由ですねぇ」

 そう言って苦笑すると残り三本の香りを確認し、無骨な緑の瓶を持って事務所に入っていった。オーナーとの付き合いは真東の方が長い。

「ほんと、羨ましいな」

 何が、とは自分自身よく分からないのだが、そんな言葉が不意に口をついた。

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