エネミーセカンド
今が変わることはないと、自らの人生が今のまま続いていくと思いたいのは仕方ないことだと思う。生きることに障害となるものが見えなければ、その環境を維持したいと思うのは当然だろう。幸せな今は続いて欲しい、続くべきだと願う。いつか家族に囲まれて老い、子供や孫に囲まれて安らかに死んでいきたい。そこまでを求めなくとも安らかなる生を送りたい。誰もがそんな理想とした人生を思い描くことだろう。
また、それだけでなく、漫然と今に不満があっても諦観に支配されれば、自分の世界は変わらないと感じることもあるはずだ。自分の人生はこんなものだ、何をしたところで大きな変化などなく、救いはない。緩やかに下降していく線の上に乗ったように錯覚し、抗うこともできず歩くしかない。辺りに道を探すのだけど、何も見えない。未来が描けずに真っ暗なトンネルが永遠に続くように思うだろう。
自分は後者だったと思う。
努力も何も関係はない。努力して入った会社から不必要とされ自殺する。そんな連中を嫌というほど見てきた。借金の返済にひたすら追われて闇雲に働き、生きることが何かを見失った者も見た。自分自身も何故こんなことをしているのかと問わなかった日は無かった。
目的を見出せない人々の憐れさと惨めさはどこから来ているのか。その姿を突き詰めていくと何がいけないという具体的なものは無いのだと気づく。会社でもない、人でもない、もっと見えない大きな何かがどこかで狂っているような感じだった。
どうやっても、何も変わらなかった、変えられなかった。無力感に苛まれるだけの生活を送りつづけ、いつしかそれが普通に変わってゆき、このまま生きた実感も無く死ぬのだろうと思っていた。もう何をしても無駄だ、どうでもいい、そういう人生だと納得した。
だが、変化は突然やってきた。
望んでも得られなかったものは、望まなくなった矢先に強引に全てを捻じ曲げて現れる。
我々に選択の余地などないのだと気づいたのはもっとずっと後のことだった。
そして知ったのだ、人生は望むと望まざるに関わらず、大きな見えぬうねりに漂う木片のように翻弄されながら、知らぬうちに変えられてしまうものなのだと。
「司令。黄野中将が到着されました」
「分かった。私の部屋で待つように伝えろ」
お伝えします、と応じた通信が切れると私は立ち上がった。
スミスは目を合わせると頷き、起動準備を引継いで指示を出し始めた。司令室の扉を抜けるとエレベーターホールへの通路を進んだ。
第44エリアにある将官居住区画へ降り、部屋へと向かう。
入口のパネルに触れDNAロックを外すと中に入った。
室内には六畳ほどの部屋が4つあり、それらを繋ぐように円形のリビングがある。ちょっとした一軒家ほどの広さがある部屋を与えられているのは一部の将官だけである。
リビング中央に弧を描くように置かれたソファー。そこに座る背中が見えた。自分が入ってきたことに気がついた背中は立ち上がり、敬礼をした。私は答礼をしなかった。
「仲総司令、黄野桜良中将、EU地区代表ノイマン・G・エウロペア皇王との会談より…」
「無理をするな。ここは、ここだけはいいんだ」
私はそう言って近づき、そっと肩を抱いて引き寄せた。
「あなた……」
彼女はぽろぽろと涙を零した。気丈な妻が涙を流すのを初めて見た。それほどの傷をうけたということなのだろう。隠れ蓑ではあっても、あの場所を心から愛していたのだと今更に強く感じた。私は妻を座らせた。
「店は、あの子達は……」
「新宿を中心に半径15キロ圏内が巻き込まれた。赤羽も、残念だが…」
「わたしはあの子達を救ってあげられなかった。分かっていれば」
「それは違う、分かっていても難しいことだったろう」
「難しいのと不可能は違うわ」
「だが、もうどうすることもできない」
「わかってる、わかってるの、わかってるけど」
妻は顔を伏せ、頭を抱えるようにして泣いた。ただ彼女に触れ、その痛みに咽ぶ心を支えてやることしかできなかった。
黄野は旧姓だ。戸籍上は仲桜良である。しかし組織内部においては夫婦であることで支障の無いように旧姓のままでいる。
彼女の仕事は世界各国にある『エデン』の支部との直接のコンタクト役、もう一つは『三割』の素質を持つ人間を集めて同士を増やすことだ。その為に彼女は隠れ蓑としてアロマオイルのショップオーナーをしていた。オイルの取引を理由にするのが各国を飛び回る理由付けにもなり便利だった。そうやって飛び回りながら素質ある人材を探し出していた。
妻の目は確かだった。一見すれば問題のありそうな人間たちが蓋を開ければ恐ろしく高い能力を持っている、ということが殆どだった。きっと妻は人間の奥にある本当の心を見ることができるのだろうと思う。かく言う自分自身も彼女に選ばれた一人だ。
どこにでもいる普通のなんら取柄のなかった人間が、今はこの『エデン』の司令なのだから分からないものだと思っている。
彼女はことのほか自分の店の従業員を可愛がっていた。数多くの人間と関わってきた中でもとりわけだった。それこそまるで自分の子供のように。
だが、店は赤羽にあった。
その赤羽は塵となった。
それは、大切な子供達を失ったことと同義。彼らの名前は知っていた。事あるごとにメールや通信にも話が出てきたからだ。データは確認していた。直接彼らを見たことも会ったこともないが、彼らがどんな青年達であったか語ることもできる。それほどだったのだ。
妻が噛み締めるように声を漏らす。
「あの子達は皆、救いを求めていたの。今の自分を嘆いていたの。誰よりも本当の自分を求めていたのよ。あの子達は、あの子達には未来を救える力があったのに」
彼らはこれまでに選んだ多くの者達の中でもずば抜けた素質を持っているのよ、と妻はいつも自慢げに語っていた。
「絶対に許せない」
妻が小さく噛み締めるように言った。
「あぁ、必ず彼らの、いやそれだけではない犠牲者たちの敵を討とう」
その時、目の前にあるテーブルに赤点が点滅しコールが鳴った。
「緊急につき失礼します。申し訳ありません」
「いや構わない。どうした」
画面は呼び出していない、音声通信だけだ。
「敵の位置が判明しました。距離38万キロ、月のほぼ前方に展開しています。現在確認できる艦隊数は50。うち15が今回の攻撃に使われた長距離射撃用の砲艦のようです」
「砲艦の第二射は」
「高熱源反応、電磁反応その他、現在のところ動きはありません。あれだけのエネルギーをチャージするにはまだ時間はかかるとは思われますが」
「予断は捨てろ。チャージの時間があるとは限らん、第二射に対しての防御対応は怠るな。それから各国に通達、夜間地域における電灯使用を制限。その他の地域においても警戒は最高値で発布するように」
「はい、既に通達は終えております。それから、気になる事がひとつ。僅かにではありますが重力震が観測されています」
「重力震?」
「今は誤差範囲内ですが、万が一の場合は」
「ありえない事ではない。米国が接触した別種族から手に入れた情報の中にはそれらに関する記述もあったはずだ。だとすれば可能性は無視できん。起動は何パーセントだ」
「現在45パーセント。オールクリア。問題ありません。完了まで約15分です」
「よろしい。わたしもすぐそちらへ戻る。観測だけは怠るな、些細な変化も見逃すなよ。それから情報管制もイヴェラ少将のほうで統制をとるように伝えろ」
「了解」
それを最後に通信は切れた。
「私は行くが、もう少し休んでいるといい、いろいろ整理も必要だろう」
妻は小さく首を振った。
「わたしがここで深呼吸したところであの子達は戻らない。時間がないでしょう、わたしもできることはやりたい」
「そうか、だが無理はするな」
「ありがとう。でも無理をしないでどうにかなる状況でないことは分かっているわ」
妻は立ち上がって敬礼をした。今度は答礼をする。
今から二人は夫婦ではなく同士として敵に向かう。もう夫婦には戻れないかもしれない。だが、二人に悔いはない。お互いに微笑み部屋を出た。
エネミーセカンド、それが敵の通称だった。
エネミーファーストはおよそ年前500に現れたという。だがその時は相手の規模も小さく、実のところ宇宙を彷徨って偶然落ちてきただけの無力な難破船だった。攻撃的姿勢をとったので駆逐し、それは終結した。一般的には隕石の落下、そういうことで処理された。
ファーストの遺物は回収され、その研究成果が現代科学に通じ、今や『エデン』の建造にまで技術は及んでいる。
ファースト回収のその後、一国で処理できる問題ではないと当時機密保持していた国が秘密裏に手を伸ばし、世界中の国々、正確には国々の裏側で采配をとっていた連中にコンタクトを取り、協力を求めた。
その結果、表には出ない暗黙の巨大国家連合組織が生まれた。
組織に名はない。名は必要ない。地球という星の中で生きるもの全ての為にあるからだ。名前などという枠組みさえも必要ない。
科学技術が進めば進むほど解明が進み、その都度新たな事実が浮かび上がった。
宇宙にはどうやら知的生命体という解釈だけでは理解できないものも多いようだった。人類に似たような種族は比較的友好であると思えるデータはあったが、そうではないものも多かった。
星にとり付き寄生してエネルギーを食らい移動する超巨大なワームのようなものや、ウィルスのように微細な身体で他生物に寄生するもの。生きている電磁嵐や、あらゆるものを砕く重力生物までいるらしい。そのどれもが凡そ地球人類と共存など到底望めぬようなものばかりだった。
そんなものがこの宇宙にはごまんとあって、恐ろしく微妙な、不安定な状況の中で奇跡的に地球は成り立っていた。強力な電磁波動を受けただけでも地球は滅ぶのだ。
あっという間に全てが終わりかねない現実。
そんなものを公表しようものなら、何を待たずしてこの星は、否、人類は自らの錯乱で滅ぶだろう。気づかぬから生きていられる。
実は絶壁の間に張られたロープの上に立っているんだよ、そう誰かに言われて辺りを見回し、そこが本当に絶壁だったとき、どれくらいの人間が落ちずにいられるのか。気づかなければそのままでいられたのに、知ってしまった為に落ちてゆく人間はどれほどいるのだろう。
計り知ることはできない。
その時落ちない人間たち、それがきっと妻の言った三割の人間なのだろう。
そして今、脅威がその姿を現した。
彼らはエネミーファーストとは別種の存在だ。
姿形は不明。それだけでなくほぼ何も分かっていない。分かっているのは人類に対し敵意を持っていることと、強大な科学技術を持っているということ。そして技術レベルに反し知的レベルは高くなく、むしろ我々の方が高いということだった。つけ入る隙があるとすればそこしかない。
組織が彼らの存在に気づいたのは50年程前。火星の裏側に展開していた艦隊を確認したのが最初だった。だが彼らは一向に動く気配もなく、組織は観察だけを慎重に続けていた。
それが10年ほど前から状況が変わった。微動だにしなかった彼らが徐々に動きだした。
艦隊は特殊なフィールドを展開し、目視は当然のこと赤外線やX線、電波干渉、重力波観測に至るまで全てを無効化していた。一般的な観測装置ではその姿を確認することなど到底できず、組織の持つファーストの異物、立体時空位相解析の技術を用いてようやく確認ができる程度だった。
いつ何が起きてもおかしくない状況になっていた。




