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ダスト  作者: イリ―
仲 ‐なか‐
21/24

エデン

 現在、世界情勢の表向きは社会的、宗教的対立や戦争など世界国家統一とは程遠い状況にあるのは誰もが知るところである。だが、それさえもこの世界の本当の姿とは別のものだということは知られてはいない。

 実際には、それらは人類の思想や意識の多様化を目指す為の計画のひとつであり、人の種としての成長を促す為の刺激である。

 人が人として進化し続けていくための因子であり、与えられた肥料のようなものだ。表に存在する世界とは、創りあげられた世界だ。国益を巡っての対立や取引なども、とてつもなく巨大なシナリオに沿った出来事に過ぎない。しかしそれを演じている者たちは何も知らない。それがこの世界の真の姿である。

 世界に生きるものたちはその現実の中で必死に生き、艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越え人類そのものに希望と力を与える。それこそが計画の本来の意味だ。

 人は地球に縛られすぎている。自分たちが地球という極めて小さなカテゴリで安寧としていられるものだと思うことが既に(あやま)りであると気づくものは少ない。


 地球とは宇宙ではない。人類もまた宇宙ではない。我々は宇宙のほんの一部でしかない。喩えるなら大海に漂う一粒の砂のようなものだ。その表現さえもまだ規模として小さい。

 そんな想像も出来ないような宇宙には人類に対しての敵も居る。

 人類はあまりに自分中心に世界を想像しすぎているのだ。

 そのことに気づいた人々は計り知れない巨大な現実に抗うため、絶望を希望へと変えるために世の政の裏側で何百年も前からその手を取っていた。

 そして然るべき時に備え着々と計画を推し進めてきたのだ。


 その象徴こそが『エデン』である。


 何故人々にそれを隠すのか。

 自分も事実を知らされた時にそう怒った。

 事実を知らせずに争わせたり競わせる、そんな馬鹿なことがあってたまるかと。無駄に人は死んでいるではないか。その悲しみの責任は誰が取るのだと。

 だが、後に妻となる彼女が語ったのは、人の弱さについてだった。

 人は(もろ)い。特に心は繊細でほんの些細なことで壊れるのだ。


「世界は既に手を取り合い、平和を手にしているのだ。もしもそれを伝えれば世界がどうなるか分かる?」


 彼女はそう尋ねてきた。自分に答えられるのは己の正義だった。


「争いもなくなって、平和になるだろうさ。もう国や人種間の下らない争いは消える」

「残念だけどそれは違うわ。争いはなくならない。そして何よりも人々は事実を受け容れられないの」


 彼女の寂しそうな表情は嘘をついているようには思えなかった。だが、時間をかければいつかは分かり合えるのではないか、自分はそう言った。


「今のままでいれば、人は人の世界で生きられる。例え争いが起ころうとも、それは人と人のこと、それは人の世界の話。人が頂点にいるから、人は幸せで居られる」


 地球は人類のものだと人は思っているから。そう言う彼女を否定できなかった。傲慢だとも思えるが、自分もどこかでそう思っていることは間違いないからだった。

 でも、と彼女は言った。


「事実は違う。地球の外には宇宙が広がり、その先には人類の敵となるものが間違いなく存在しているの。そして、それらは私たちよりもずっと高度な力を持っているのだとしたら、彼らとの戦いにどれだけの人間が納得できるかしら。その力の差は歴然よ。絶望以外の何も見えないのだとしたら、世界がそれを知ったとき、どうなるかしら?」

「敵が、いるのか……」


 彼女は小さく頷いた。

 混乱では済まないかもしれない。その中で人々は割れ、争いが起きないとは言えない。人の心はそれほどに脆いのだろう。現実さえ受け容れることができるものなどそうは居ないはずだ。自分自身だって、現状を受け容れられずに鬱屈(うっくつ)して生きていたのならば、それ以上の非現実とも思える現実など、どう受け入れろというのか。

 一体その現実を受け容れられるものがどれだけ居るものか想像もできなかった。もしかしたら人は自滅してしまうことさえ有り得るのかもしれなかった。


「人には大きく分けて二つの性質を持った人が存在するの。あなたは知っている?」

「男と女かい?」

「はずれ。働く者と働かない者よ。人間の中でちゃんと働く人は約三割」

「それ以外は働かないってのか? 馬鹿な、みな働いているじゃないか」

「一見はね。でも考えてみて。あなたの仕事場全体で本当にやる気を持って働いていた人の数はどれくらい? 休みたいとか、仕事が嫌だと言わなかった人達よ」


 そう言われるならば、確かに比率で言えばそれくらいなのかもしれない。


「人の遺伝子には潜在的に組み込まれたものがあるの。人が人として長く力を発揮できるように組み込まれたものよ。それを理解するには個という考えは捨てないと駄目、種としての人の話だから。ランニングコストのようなものだと考えて。例えば全力で馬が走ったとするわ。早い?」

「そりゃあ、早い」

「じゃあ、持久力はどうかしら」

「まぁ長くはもたないだろう」

「なら、三割の力で走ったならどうかしら。もちろん遅いわよね。でも距離はどう?」

「そうだな、結果的にはその方が遠くへ行くのかもしれない」

「人の種を存続させる遺伝子には、長い時間を存続できるように組み込まれたシステムとしてそういうものがあるの」

「じゃあ残りの七割は無意味だっていうのか?」

「それは実際に実験データが出ているわ。三割の働く者たちを組織から外すの、そうしたら残るのは七割の働かない者たちよね。どうなるかしら」

「どうなるもない、そうなったら働かない組織になってお終いだろ」

「はずれ。組織はしっかりと機能するわ。以前とまったく変わらずにね」

「なんでだ?」

「働かない七割を十としなおして三割が働く者へと変化するのよ。そして、その三割をまた外せば、残った中の三割がまた働き出す。つまりは割合の問題なのよ。人にはその三対七のプログラムが組み込まれているの。これは最後の二人になっても機能するわ」

「なるほど、人間にそういうものが組み込まれているのは分かった。それが世界に公表しない事と何の関係があるんだ」

「つまり。全てを理解できる人間は三割ってことよ。そして、その三割が私たちの組織であり、この『エデン』だっていうこと」

「なんだそりゃ、勝手な言い分だな。自分たちが選ばれた存在だとでも言うつもりか? ただの差別や選民思想と変わらないのじゃないか」

「差別なんてしてないわ。選民思想でもない。私たちはいつだって人類のこと、地球のことを思っている。もしも私たちがいなくなれば、別の三割が同じことをするでしょうね。だけど今はまだ私たちが居るというだけのこと。だから私たちは今、人類のためにできることをしている。傍から観れば傲慢(ごうまん)と思われても仕方がないかもしれない。でも、こんなことは知らずに人生を幸せにまっとうできるなら、私たちはそうさせてあげたい」

「じゃあなんで俺を連れてきた。知らなければ普通に生きられたのではないのか?」

「あなたは今の世界に満足だったのかしら?」

「それは…」


 答えられなかった。

 正しくは答えたくなかったのだ。

 答えれば自分の負けを認めるのと同じような気がした。だが、沈黙は結局負けを認めたのと同じ事でもあったのだが。

 それにね、と彼女が言った。


「もっと大事なことがあるの」

「大事なこと?」

「そう。あなたが、その三割の中の一人だっていうこと」


 後に妻となる彼女はそう言って笑った。



「電磁波干渉20パーセント。最低ラインまであと20秒」

「遅いぞ、処理効率が悪い! 3桁代の光伝導演算機はどうなってる」


 統括オペレーターの皺枯(しわが)れた怒声が聞こえた。

 広大な司令室が青白い画面光で満たされていた。深海のような幻想的な空間で全てのモジュールがフル稼働している。それでも電磁波干渉程度でここまでの遅れは厳しかった。

 だが、それはあくまで現状での話だ。『エデン』が本格的に起動したときに発揮される実力はこんなものではない。

 周囲に展開しているモニターに視線を走らせた。

 副指令席に着いているスミスが連絡を取っているのはアメリカ支部のピーター・グラッドストンだ。彼は表立って名を知られてはいない。しかし、実質の権力は大統領をも凌ぐ。だからといって実際に陣頭に立つことはなく、常に影から調整をとっている。アメリカもまた臨戦状態へと移行していた。

「3、2、1。映像、出ます!」

 女性オペレーターの声がマイク越しに響いた。その場の誰もが固唾を飲み画面を見つめている。そして、ノイズの消えた画面に映し出されたものに、誰もが息を呑んだ。


 穴だった。


 画面に映し出されたものは、東京であった場所に直径30キロの大きさで開けられた口。

 大都市として繁栄を極めた東京。それがあったはずの場所にはもう高層ビルも網目のような道路も線路も、何もなくなっていた。その場所にいたはずの人々と共に。


「東京ロスト。深度500メートル。地殻の損傷は軽微。マントル層までは届いていません」


 この一撃での地球崩壊はなさそうだったが影響自体は出るだろう。首都を失ったのは痛い。お飾りでも政府機関は必要なのだ。大混乱が予測された。だが、その処理は自分の仕事ではない。


 ふと妻が表向きに開いた店のことを思い出した。赤羽にあったはずだ。もちろんそこも範囲内になっていた。妻もすぐに知ることになるだろう。


「それにしても奴ら、なんでこの範囲だけを」


 ピーターとの通信会談を終えたスミスが不思議そうに言う。この範囲とは東経105度から150度のことを言っている。


「奴らは高度な科学力を持ってはいるが、行動原理は至って単純だということだろう。陣取った場所を考えれば分からないことでもない」

「太陽と地球の延長線軸上。まさか」

「おそらく光が嫌いなのだろう。主要都市が狙われたのは、闇に光っていたからだ」

「明るかったから…? そんなことで」

「理由などそんなものだろうよ。あとは実行する力だ。奴らにはそれができたというだけのこと。だが、これほどのことができるのは想定外だったな。もっと早く分かってさえいればシールド展開もできたのだが、完全に我らが後手だった」


 よもや衛星軌道外からこれほど的確に狙い撃ちしてくるとは誰も思わなかった。技術が及ばなかったは言い訳にならない。それは滅亡已(めつぼうや)むなしと言っているのと同じだ。戦略の中での一つのミス、そうして受け止めるしかない。


「だが、やつらも大きなミスをした」


 スミスも漸く落ち着いたのか、小さく頷いた。


「『エデン』を潰し損ねた」


 立ち上がり、マイクに向けて叫んだ。


「全艦戦闘配備。『エデン』起動!」



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