同級生
その日は暇でもなく忙しくもなく、納品の整理を午前中いっぱい行い、午後は店頭でアドバイザーに徹していた。
店に来る客の九割は女性で、経済的にも余裕の出てくる二十代中盤から上、というのが主立った客層である。
多く用途は芳香器を使った芳香浴に使う。それ以外にもアロマテラピーとして多くの利用法があり、浴槽に入れたり精油をオイルで希釈してマッサージに使ったりと様々だ。それぞれの利用法に合わせてこの店ではアドバイスを行いつつ販売したり、時には用途の要望に応じてオリジナルのオイルをブレンドしたり、そのオイルを使って空間への演出を行ったりもするのだが、演出に関して言えば極めて稀だ。何せ人手が足りないので余程のことがなければしない。酒の席で知人の切なる願いにほだされたオーナーが考えなしに受注を受ける場合がある、といった程度だ。しかし、今後はそれも視野に入れた活動をしていくべきだろうというのは自分も真東も共通の意見であった。
当然だがアドバイスするにも知識が必要になる。アルバイトの時はレジがほとんどだったので問題なかったが、店長になるにあたってはそうもいかず、結局「大丈夫よ、費用は経費で落とすから」と言ったオーナーのゴリ押しで資格を取りに行かされた。
南原千鶴も独自で資格を持っていた。だからこそここでのバイトを選んだのだろうが。この店で資格がないのはもう一人のバイト、堀北夏芽だけだろう。まぁバイトで資格までは必要もないから一向に構わない。
二十時頃になるともうほとんど客は来ない。おそらく来てもあと一、二客だろう。友人のプレゼントだというOLらしい女性にラッピングして手渡し送り出すと、静まった店内では緩やかに流れる有線のクラシックだけが空間を泳いでいるようだった。日替わりでたいているローズウッドの香りとよく合っている。
店の中央にはアンティークの小さな円卓があり、プレゼントの候補に上がったオイルが並んでいる。それらを棚に戻していると千鶴がレジから声をかけてきた。
「あの、いきなりで不躾な質問なんですが」
「いいよ、なに?」
「西島さんは彼女とか作らないんですか?」
「いい人がいれば考えるけど、無理に作る気はないね」
「寂しくないですか? もう十二月です。クリスマスですよ」
「別に。クリスマスなんて世間が騒いでいるだけだし、それに合わせてやる必要もないだろ? そもそもキリスト教徒でもないしね。あぁそれでも、クリスマス用の飾り付けくらいはしたほうがいいかな、受けがよさそうだ」
クリスマスにかこつけた世間のエセイベントになど一切の興味もないが、経済効果としてのこの時期は無視できない。財布の紐が緩みやすいこの時にこそ売り上げを伸ばすチャンスがあるのだからスタイルだけでも合わせるくらいはせねばなるまい。気持ちが高揚すれば購買意欲だって上がることだろう。
西側の梁から正面に向かって装飾を渡らせて、入口の横の窓から見えるようにツリーを置くのもいいだろう。教会のイメージを出すために少々値は張るが当日は乳香や没薬を炊いてみるのもいいかもしれない。
そんなことを考えながら店内に装飾イメージを重ねてみる。
「すごいですね、私は一人だと寂しいです」
「別にすごくない、普通さ。みなみだったらすぐ彼氏とかできるだろ? しょっちゅう食事に誘われているらしいじゃないか」
彼女は容姿も端麗だし能力も高い、欠点は動きが少々トロ臭いといったところだろうと思う。そこだって見方によっては魅力のひとつにはなるだろう。だったら引く手は数多、クリスマスを一人で過ごすなど、まず想像し難かった。
「誘われればいいというものでもないですよ」
「誘われもしない奴よりマシだろ? もしかして好きなやつとかいるのか?」
「んー、います。でもその人には彼女がいるんですよね」
「それは残念だったな」
「もしかしたらそのうち別れるかもって思ってて……。だから待ってるんです」
「へぇ、でも別れないかもしれないぜ」
「でも、別れることもあるかもしれないじゃないですか。人ってどうなるか分からないし」
「まぁそうだけどな」
それを言ってりゃキリが無い。可能性を語っていたらなんの結論だって出ない。持っている情報を元に、最も効率のいい選択をすべきなのだ。
待つなんていう行為には何の展望もないというのは自論である。待つなど一方的な防御策であり、動かぬ身になど変化はない。ゼロではないだろうが時間の無駄としか思えない。遡ることを恐れ、流されるままに漂う生き方は多くの人間が行っている本能的な行動とは言え、自分の性にはどうも合わない。
この手の話は面倒だから正直言って好きじゃない。端的に現実を教えたところでゼロに近い希望的観測に逃避し、耳をふさぐ。そんな連中の話など建設的であるはずもなく、結論を言えば聞く価値もない。
彼女にもその手の要素があるのだろう。仕事をする上では優秀だが、一個人としてはつまらない存在なのではないかと思ってしまう。
どちらにしたところで無意味な問答でしかなく、自分にとってなんの関係のない話だ。好きにしたらいい。
千鶴が何かを言おうとしたところで入り口のベルがカランコロンと鳴った。
店を閉めた後、帰宅はせずに池袋に出た。
その夜は久々に高校時代の同級生との飲みだった。数人が集まる程度のものだが、それでも彼らに会うのは五年ぶりくらいだ。みんなそれぞれに変わっているのだろうなとぼんやり思った。
予想は的中だった。
集まった五人のうち二人は所帯を持ち、一人は海外に転勤していたし、一人は頭の毛があからさまに薄くなっていた。あまりの変貌ぶりに動揺しなかったと言えば嘘だと思う。
「久しぶり、雅虎は全然かわんねぇなぁ、こいつなんて見ろよ、無残なもんだろ」
「うるさいな、これでも増えてきてるんだよ。ケアすれば元通りとまではいかくても、ダイブ違うんだぞ。お前らだって今だけなんだからな」
同級生は自分を名前で呼ぶ。久々に名前を呼ばれたなと思った。
「毛根が死んだ人間のひがみはいいよ、それでも婚約してるんだから物好きもいたもんだ」
「知ってるか雅虎、こいつの婚約者って意外に美人なんだぞ」
「いいなぁ家庭持ちは、そろそろ俺も落ち着きたいよ。向こうは落ち着かなくてさ」
「サンフランシスコだっけ? 金髪美女がいっぱいだろうに」
「そうだけど、食事がなぁ、肉ばっかだし無駄に量は多いし。やっぱり和食が恋しいよ。嫁さんが作る和食で静かな晩下とか憧れるよなぁ」
「雅虎はどうなんだ? そろそろ落ち着かないとなぁ、もういい歳なんだからさ」
余計な世話だ。三十そこそこでいい歳といえばそうなのかもしれないが、だからといって結婚しなければならぬ道理もない。そもそも話していて思ったのは、もう若い頃のようには動けないだとか、若くないんだから無理すんなとか、そんなことを平気で口にすることが多すぎる。
正直、連中の気が知れない。自分たちの怠惰な運動不足から来る体力の衰えと、自然と訪れる老化現象を一緒くたにしているのは彼らが自分たちの堕落責任を老化という生理現象に転嫁しているのに過ぎない。道具だって何だって油を注して動かさなければ錆びるのは当然の結果だ。恋愛に関して言えば他社の関与もあるのだからまた違うのだろうが、そんなもの、尚更年齢とは関係ない。
「さぁ? 興味ないな」
「ほんと変わらないな、お前。俺らの中じゃ一番イケメン面なのに」
「そりゃどうも、でもな、興味がないものは仕方がない」
「お前もサンフランシスコ来るか? 日本向きじゃないのかも知れんぜ」
そう言って友人たちは笑った。
一見は気にしてくれているような素振りだが、結局のところどうでもいいと思っているのは明らかだ。自分とは関係ない。こいつは変わった奴なんだ。そう心の奥では傍観者として優位に立ったつもりでいるのだろう。自分たちは着実に幸せに向かっているが、そうじゃない人間もいる。そうやって無意識のうちに他人を見下しているのだと気づいていない。
別にそれは構わない。
彼らの持つ価値観など誰かが漠然と作り出した擬似的な人生をトレースしているに過ぎない。
みんながそうだから、みんなと同じようにレールを進む、それが幸せだから、と自由意志とはかけ離れた不自由に縛られているだけなのだ。それでいい、多くの人間はそれでいいのだ。
だが、少なくとも自分は違う。負け惜しみでも、強がりでもない。まして自分が上等だと言っているのでもない。厳然たる事実だ。
人が人という種を存続させるために必要な本能。そういったものが自分にはない。
例えば女だ。種の存続には生殖活動というものが必須だろう。発情し、性交し、子を成し、育て、種は続いていく。男達の誰もが女に魅入られ、抱きたいと思う。
それは体内に仕組まれた遺伝子のプログラムなのだろう。男は女を求め、また女は男を求める。それが仕組まれた普通である。だが気づいているだろうか、選ぶ自由こそあれ根幹に存在している意味は決して自由でもなんでもなく『種の存続』その一言に尽き、呪縛のように付きまとう。
それは自由なのか?
人間にさえも本当の意味での自由意志など無いのではないだろうか。
しかし、自分にはその欲求が無い。女を抱きたいとも思わないし、マスターベーションすらもしない。生殖行為そのものに興味が無い。いつからだろうか、それでも若い頃はまだ異性に興味も持っていたのだ。触れたいと思ったし、抱いてみたいとも思った。
だが、欲求に従った結果、待っていたのはただの嫌悪感でしかなかった。自己嫌悪であり他者嫌悪だった。当時付き合っていた女性は美しかったがそれだけの、頭の悪い関わる価値の無いような女だった。
ある時そのことに目覚めたように気がついた。結局煩わしさだけが積もり積もって別れた。
その後も何人かと付き合ったが肉体関係には至らなかった。関わることそれ自体が時間の無駄だった。何をしても、話しても、意味は感じられなかった。そして最後にはヒステリックに無知的な罵声だけを雄叫ぶ。もう、女という生き物に興味がなくなっていた。
友人に何度か風俗へ行こうと誘われたりもしたが丁重に断った。価値の無い人間に触れられるだけでも不快だ。射精するだけの為に大枚をはたく気にもならないし、そもそも射精など、ただの排泄行為でしかない。そうとしか思えないのについて行く気にもならない。
だからだろう、ある一時、同性愛者だという噂が流れたことがある。
勘違いしたある男が力づくで迫ってきたことがあった。その彼には申し訳なかったが、肋骨と前歯を数本頂いた。正当防衛である。彼に話を理解する頭があればあんなことにはならなかっただろう。
自分は当然男にも興味がないのだ。
詰まるところ、人間とは違う理によって生きているからこそ、自分は本当の自由意思を持っているのではないだろうかと思う。いや、もしかしたらモラルの鎖などというものにがんじがらめになっている自分にだって、真の自由意思などないのだろう。
「じゃあ今度はGWあたりに戻る予定だから、また飲もうぜ」
「その頃にはハゲも結婚かな?」
「ハゲっていうな、まだそれなりにある。ちなみに結婚は夏の予定だよ。また連絡する」
じゃあなと解散して一人、ほろ酔いの心持ちで空を眺めると真っ白い月が見えた。十二月の夜は寒い。タクシーを待つ間にマフラーを巻きなおし、ふと空を眺めると何か光が過ぎった気がした。
流れ星か?
願い事などあるのだろうか、思い返しても何も浮かばない。しいて願うのであれば、自分と世界のズレの正体を知りたい。それくらいだろうか。
月は変わらず冷たく光っている。
その周りで星たちがちらちらと瞬いていた。