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ダスト  作者: イリ―
真東 -まひがし-
13/24

父の告白

 堀北夏芽(ほりきたなつめ)というアルバイトがいる。

 金髪碧眼(きんぱつへきがん)どこからどう見ても日本人ではないのだけれど、中身は生粋の日本人だった。国籍も日本だし、日本語しか話せない。父親がフランス人で母親が日本人だというが両親は既に離婚していて、現在は母親と二人で暮らしている。本人から聞いたことではないが凡そはそんなところらしい。


 南原が八方美人(はっぽうびうじん)的なのに対して堀北は無愛想この上ない。接客として良くないとオーナーにかけあったこともあったが「黙っていても絵になるからいい」と言われただけだった。


 実際に日本人とは違った容姿はこの店にあっては空間を別物に変える力があった。

 日本ではないヨーロッパの町並みにある古き良き店に迷い込んでしまったような錯覚、それは店の宣伝効果にさえなり、アロマオイルのイメージ付けにも貢献していた。

 だからといって居ればいい、なんていうことは僕にはどうも容認し難かった。


 その日は通しの日だった。西島さんは久々に休みだ。このところオーナーが出払っていたのと、クリスマスに向けてのセールや装飾準備、舞台のアフターケア、仕入れなどの通常業務と多忙を極めていたということもあって西島さんは休みがなかった。その中でやっととれた休みだった。もちろん僕も手伝ってはいたけど、常連さんの特注品やクリスマスに向けての限定オイルのブレンドなどで手一杯なのは一緒だった。


 オーナーは日本に戻って早々、シリアに飛んで戻ってきていない。

 予定では帰還は三日後くらいだったと思うが、直前にかかってくる国際電話次第だというのは従業員全員の共通認識だった。オープンから堀北と一緒でラストにみなみが入る。みなみが来るまでは堀北と二人でまわす。

 午前中は納品の整理などが主で、あとはレシピデータの整理などを行っていた。当然お客も来るので、店頭での接客は堀北がやることになる。

 無愛想なのにも関わらず、堀北は客受けが良かった。

 無口であることも個性で、キャラクターそのものが受け容れられているのだと思えた。

 何もしないで愛されるのだから羨ましいことだ。


「堀北、このオイルどう思う?」


 瓶を差し出すと堀北は受け取って匂いを嗅いだ。オリジナルを作った時には自分以外の人間にも確認する。そうでないと独り善がりの物が出来てしまうからだ。

 芸術家ならばそれでもいい、むしろそうあるべきだ。しかし、デザイナーにはクライアントがいる。クライアントの希望こそが重要で、それに副えなければ駄目だ。希望から逸脱した香など何の意味もない。だからこそ他の人間の感想は重要だ。


「これ、ディフューザーにかけてみてもいいですか?」

「あぁもちろん」


 アロマオイルにはノートという揮発の速度の違いがある。

 速い速度で揮発するものはトップノート、ミドルノート、ベースノートと揮発時間が遅くなる。この時間差によって感じる香りに違いが出る。

 シングルオイルならともかく、ブレンドすればそれが大きな意味を持つ。しかし、芳香器を使うことでノートの差無く同時に芳香させることが出来る。芳香器にも色々な種類があるので何を使ってもそうなる訳ではないけれど、この店にあるものは比較的性能がしっかりしているものだった。


「これって嘉門(かもん)さんの注文したやつですか?」

「あぁ、そう。ティートリーベースの認知症予防を想定したやつ」

「七種類くらいですよね。このスパイシーなやつ、ジュニパーベリー? ちょっと多い気がします。嘉門さんあまりこの手の匂いが好きじゃないって言ってたことがあったから」

「そっか、比率変えてみるわ。これ、お前はどう思った?」

「わたしですか? もう少し甘さがあったほうが好きです。丸みも出るし。あくまで私の好みですよ」


 それだけ言って堀北はレジ裏の包材整理を始めた。

 本当に癇に障るやつだと思った。

 堀北の意見が全面的に正しいのが分かったからだ。知識は無いくせに核心だけを突いてくる。

 そして何よりも鼻が良かった。ブレンドされたオイルの種類を判別するなどそうそう出来ることではない。何種類が混ざっているか、それを一瞬で言い当てるなど尋常ではない能力だ。

 耳の最高感覚が絶対音感(ぜったいおんかん)なら、堀北のそれは絶対嗅覚(ぜったいきゅうかく)と言っても遜色ないものだろう。それだけの能力を持ちながら、あいつは香りの仕事そのものに全くと言っていいほど興味を持っていない。


 それが僕には許せなかった。三度目の敗北だ。

 オーナー、西島さん、堀北、彼らの存在は僕の心を苛んでいる。

 何故こんなにも僕を凌駕する存在が居るんだろう。


 僕は香りの仕事に誇りを持って生きてきた。これだけが僕のアイデンティティーなのに、それがこうも簡単に崩れ去る。こよなく香りを愛し、そして香りに押し潰されそうになる。

 僕は一体何をしているのだろう。

 だからだろうか、僕はみなみは好きだった。

 彼女は僕と同じなんだと思う。欠落した自分を隠そうとしているその姿が自分に重なり安心できた。

 きっとそのことに気がついているのは僕だけだ。他の従業員には分からないはずだ。きっとそのまま彼女を真面目な優等生とでも見ているのに違いない。僕だけには分かる。だからみなみといると気持ちが楽だった。そういう意味での「好き」だ。


 堀北がみなみと入れ替わったのは夕方だった。

 会社帰りのOLが増えてくるのでその辺りの時間は少し忙しくなる。その日はクリスマスが近いのもあってプレゼント用に包装することが多く、普段より忙しかった。明日以降もこの感じは続くかもしれない。男性客の姿もかなり増えてきていた。


 客足の引いた八時頃だったと思う。

 ただでさえ白い肌をなお蒼白にして堀北が正面入口から飛び込んできた。

 乱れた呼吸を整える間も置かずに堀北はみなみにすがった。


「どうしたの、何があったの?」

「店長が、西島さんが助けてくれて、でも相手はいっぱいいて、警察を」


 要領を得なかった。ただ事ではないということは普段の堀北には見られない取り乱し方で分かったけれど、警察といわれてこっちも少々戸惑った。


「堀北ちゃん落ち着いて、何があったのかゆっくり話して」


 堀北は座らされ、一口だけ水を飲むと大きく息をついて、再び立ち上がった。

 数人のチーマーに絡まれているところを西島さんが助けてくれたが、堀北を逃がす為に一人でその場に残った。そのチームはスプーキーキャンドルといって武闘派の性質の悪い集団。早くしないと西島さんが危ない、そういうことらしい。


「警察を呼ぶなら急がないといけないけど、もう遅いかもしれない」

「そんな、でも間に合うかもしれないでしょ、早く!」


 取り乱し気味に堀北が叫んだ。

 こいつはこんなにも感情を表に出すのだなと思った。こいつの口が悪いのは以前からだが普段は無口なので分かりにくい。

 それにしても自分が西島さんと同じ立場だったら数分も保つ自信がないと思った。

 相手は複数人のチーマーだ。喧嘩が強いとかそういう問題ではない。複数を同時に制するなんてマンガやアニメのフィクションの中だけの話だ。現実はそんなに甘くない。


「場所はどこだ」

「ここから近く」

「案内してくれ、僕が行こう。みなみは警察に連絡してくれ。店も頼む場合によっては閉めていい」


 みなみは頷いた。

 相手がいなければそれで良し、いれば警察が来るまで時間稼ぎをしてやろうと思った。口先で丸め込むのは得意な方ではあった。何にしても自分が行く方が色々と早い対応が出来る気がした。

 堀北を連れて店を出ようとしたときだった。入口から人が入ってきた。

 客ではない。

 西島さんだった。


「西島さん!」

「なんだよ、まさかレジ合わないとかじゃないだろうな。割り勘だぞお前ら」

 こちらの心配をよそに西島さんは何事も無かったようにそう言った。


 一体どうして無事だったのか聞いた。

 西島さんは買ってきたのだろうコーヒー豆をゴリゴリと挽いている。

 小さなトロフィーのようなものの上に回すハンドルの付いた機械。それをなんと呼ぶのか正しくは知らない。単純に豆挽き機とかそんな名前のような気もする。

 みなみは店頭で締め作業を始め、堀北はオーナーのオルガンの椅子に座っていた。


「別に。ただ話をしただけだな。人間、ましてや日本人同士、話せばちゃんと分かるもんさ。俺を殴ったってリスクしかないってことに気づいたんじゃないのか、きっと」

「そんなもんですかねぇ、イマイチ信じられないなぁ」


 自分たちの邪魔をした男を放置するだろうか?

 まして頭の悪そうな武闘派のチームの連中がだ。でも西島さんはこうして無事に豆を挽いている。

 武闘派を叩きのめすなんて考えられないし、もしかしたら土下座でもして謝ったか。もしくは西島さんの親は強大な権力を持つ政財界のお偉いさんで、名前を出せば手が出せないとか。

 そんなことでもなければ五人に囲まれて無傷でいられただろうか。

 この人はもしかしたらとんでもない人なのかもしれない、そんな思いがいつにもまして脳裏を過ぎった。


「あの、西島さん。本当にありがとうございました」

「もう聞いた。そんなに何度も言わなくていい。コーヒー飲むだろ?」


 堀北は頷いて西島さんが豆を挽くのを黙って見ていた。

 閉店時間を迎えて全員がそろった頃に合わせて淹れられたコーヒーはとてもいい香りがした。

 今まで働いてきて、初めてこのメンバーが仲間なんだと思った。

 多分みんなどこかに見えない壁があったんだとおもう、今回の出来事と、淹れてくれたコーヒーの香りがその壁をほんの少しだけ低くしてくれた。

 そう思ったのは僕だけだったろうか?

 もしかしたら、一時的な興奮状態が引き起こした錯覚だったのかもしれなかった。



 父親から電話があった。

 直接話があるから仕事上がりにでも会おうと言われたので、実家に顔を出すと伝えた。

 わざわざ外で話すこともない、家のほうがゆっくりもできるだろう。その日は早番で上がりが五時だった。

 実家は雑司が谷にある。赤羽からだと精々20分といったところだ。

 駅を出て鬼子母神堂や東京音大とは反対に鬼子母神表参道を進み、途中で左に入る。雑司が谷公園を過ぎて暫く行くと実家がある。今は父と祖母が一緒に住んでいるのだが、半年前に祖母が入院してからは父一人だった。

 祖母は足が悪かった。リハビリも兼ねていたのだが、本人はすこぶる元気なのでじき退院する予定だ。年越しは実家でできると祖母は嬉しそうに言っていた。


 父はまだ帰っていなかった。

 それは予想通りで、初めから久々の実家で少しだけゆっくりとするつもりでいた。鍵は持っている。

 玄関を開けて中に入るとしんとした暗闇に包まれた。実家の匂いがした。

 電気を点けて階段脇の廊下をすすむ、左手がキッチンとリビングで突き当りにトイレとバスルームがある。そこを右に折れると寝室が二部屋あり、一方は祖母、もう一方が父の部屋だ。父の部屋には仏壇がある。

 仏壇の前に座って手を合わせた。母の生前の写真が置いてあり、明るい笑顔を湛えていた。

 幼い頃から父にしつけられて、家に戻ると必ず手を合わせることになっていた。

 でも正直に言えばただ手を合わせている、それ以上でも以下でもなかった。心の中には何も無い。

 写真の女性は母だ。そう言われて育ったに過ぎず、実感など無いに等しかった。

 記憶に無い以上、僕にとっての母とは記号でしかない。


 そのことは父には言ったことがない。僕にとってはそれが事実だとしても、父にとって母は存在するものであり、僕は母の形見なのだと思う。そんな父に話したところで傷つけるだけだということぐらいは分かっているつもりだった。だから、形だけでも、僕は合わせているし、これからもそれは変わらない。


 家の中は思っていたよりずっと片付いていた。祖母がいなくなってから荒れ放題だろうと予想していたのだけれど、父は案外マメなのかもしれない。勝手に風呂を沸かして入り、出てきたところに父が帰ってきた。


「おう、悪かったな。待たせたか?」

「いや、そうでもない。風呂にも入ってたし」

「そうか、ビールでも飲んでろ、冷蔵庫に入ってる」

「そうさせてもらう」


 父は着替えて戻ってきた。父は大手デパートで働いる。新商品イベントが催されたが担当のクライアントが何も理解していなかった為にろくな打ち合わせもできず困った。年長だからと不勉強はまずい、若者のことで文句ばかり言うのは本末転倒だ。

 そんなことをああだこうだと父はひとしきりぼやいていた。


「で、直接話したいことって何? イベントのことじゃないだろ?」


 その言葉で父は珍しく黙り込んだ。

 一瞬迷うように目を下に向けたが、一呼吸付くとゆっくり口を開き始めた。


「実はな、再婚しようかと思うんだ。でも、もしお前が反対だったら、無理にはするつもりは無いんだ。ばあちゃんにはまだ言ってない。実は彼女にもまだ言っていないんだ。ばあちゃんも一緒になるから、向こうの気持ちもあると思うし。竜也、どう思う」


 賛成だった。

 相手を知らないが今のところ反対する理由が無い。

 母が亡くなって23年になる。その間、父はずっと一人で僕にかかりきりだった。

 母はいなかったが、その分全て父が補ってくれた。他の連中の父よりも何倍も親であったと僕は思っている。

 そんな父が、ようやく自分の幸せに目を向けてくれたのだと思うと嬉しかった。父はきっと母のことが引っかかっているのだろう。裏切り行為くらいにも思っているかもしれない。そして、新しい母となる女性を僕が受け容れられないのではないかと思っているのだ。表面上は合わせてきた。だから父がそういう風に考えるのは無理もないことだと思う。実際には僕の中に占める母の存在など無いに等しい。このことで偽る必要がなくなると思えば、むしろ気分は楽だった。


「どんな人?」

「あぁ、それがな、母さんの、元同僚なんだ。母さんが亡くなってから時々ウチにもきてくれたことがあるんだが、覚えてないだろうな。何年か前に再会してな、あいつの話をしているうちに、お互い一緒にいた方がいいんじゃないかと思うようになっていったんだ」

「そう、じゃあ二人で思い出に縛られたいんだね。それでもいいの?」

「確かにそういうことかもしれない。あいつの存在が忘れられないんだ我々は。だったらいっそそれも共有して生きていくのも一つかと思ってな」

「辛くないの?」

「辛くないというのは嘘かもしれないな。でも、あいつのことを共有できる相手は彼女しかいないだろう。彼女でなければ俺は結婚しようとは思わなかっただろう。彼女も同じ気持ちでいてくれているはずだ」

「でもプロポーズしてないんだろ? 大丈夫なの?」

「わからん。何よりまず竜也、お前に話しておきたかった」


 馬鹿みたいに正直で、真っ直ぐで、不器用な父だと思った。

 だからこそ、幸せになって欲しいとも思った。

 自分はこんなに綺麗な心でいられない。そんな気もした。


「いいとおもう」

「だから、一度お前にも…、え? 今、いいって言ったのか?」

「言ったよ。僕だってもう子供じゃないんだ。父さんの自由にすればいい。僕は賛成だ」

「本当に、いいのか?」

「いいって言ってるじゃないか。まったく、父親なら、俺は再婚する、文句は言わせねぇ!くらいの感じでもいいんじゃないの? ほんと、ビビリなんだから」

「でもなぁ、これは本人達だけの問題ではないし」

「本人たちの問題なんだよ。そもそもさ、まだオッケーもらってないんだろ?」

「それは、まぁ、そうなんだが」


 恥ずかしそうにしている父が幸せそうに見えた。きっといい相手なんだろう。この父が選ぶんだから間違いは無いはずだ。きっと今までにも何度も母の遺影と会話したのに違いない。死者にさえも筋を通そうとする、そんな父だ。


「それでな、今度お前にも会って欲しいんだ」

「別に構わないよ。いつ?」


 父が言ったのは明日。

 12月24日。

 クリスマスイブだった。



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