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ダスト  作者: イリ―
真東 -まひがし-
12/24

父とアズミと西島店長

 もの心がついたときには親は父だけだった。

 母親は僕を生んで二年後に病気で他界した。昔から身体の強い方ではなかったという。僕を生んでから暫くは元気だったようだが、大寒波が来た年に風邪をこじらせ、肺炎を患い亡くなったのだそうだ。

 肺炎で人は死ぬんだな、僕が話を聞かされた時に思ったことはそれだけだった。小学二年生のときのことだ。

 母の話をされたのには理由があった。

 同級生と喧嘩をしたからだった。母親がいないことを馬鹿にされた。でも、別にそれで怒ったのは僕じゃない。

 僕には初めから知りもしない母などどうでもよかった。だから馬鹿にされても何も感じなかったのだけど、それでも言われっぱなしは面白くなかったので言い返した。それで半泣きになった同級生が掴みかかって来たので引っ叩いた。それが騒ぎになって父に連絡が行った。

 その夜、母の話を聞かされたのだった。

 だけどいくら写真を見せられ、話を聞かされても知らない人の話でしかなくて、それは歴史上の偉人達の話をのんべんだらり聞かされるのとそう違わなかった。母には申し訳ないが、僕にとって父こそがたった一人の家族だった。


 父とは上手くいっている。友人たちはどういう訳か自分の父親とは疎遠な連中が多かった。何だかんだとぶつかって顔に痣を作ってきたやつもいた。それを思うと、特別僕には反抗期もなかったと思うし、アンチな感情は湧かなかった。父自体が陽気だったのもあるだろう。無口なタイプではなかったから常にお互い話をしていたように思う。それはそれで無理をしていたのかもしれないと最近は感じることがあるのだが。

 父はフランスへ行くという話をしても反対しなかった。

 ただし、理由を話したときは黙って聞いていた。わずかでも齟齬(そご)があれば反対されたのかもしれない。でも父が口にしたのは「やっぱりあいつの息子だな」だった。

 母は結婚前、香水の販売員を長く勤めていたらしい。だから父は蛙の子は蛙だと言いたかったのだと思う。でも僕は事あるごとに引っ張り出される「母」という知らない人と無理矢理に関係をつけられるのが嫌だった。自分にとって家族は父だけなのだ。ありもしないものに何の想いも抱くことは出来なかった。自分自身にとっての世界は目の前にある現実だけだった。


 時折ぼんやりと思い出すものがあった。それが何かは曖昧模糊として分からなかったけど、どことなく懐かしい感じのする香りではあった。夢の中で何度も感じた香りだ。

 その夢ではいつも真っ白な世界にぽつんと立っていて、いや座っていたのかもしれないけれど、とにかく一人で真っ白な空間を眺めていた。そうして暫くすると何かが香ってくる。色味で言えば、オレンジと薄いピンクがキラキラと漂う感じだろうか。段々と若草色も広がってきて、最後には柔らかな黄色に包まれるのだった。

 そんな夢を繰り返し見た。そういえば最近はあまり見なくなった。

 あの夢で感じたものを知りたくて、僕はきっと調香師になったのだと思う。



 女が喘いでいる。僕はそれを仰向けになって見上げている。

 今日は当たりだ。顔もいいけれど身体の相性もいい。でも最高には至らない。たくさんのローションで全身を濡らして身体を重ねる感触はぬるぬると全身を快感に誘ってくれる。それでも僕にとってはゲームでしかない。全てが終わると女はメールアドレスをよこした。


「今度二人で会いましょうよ。こんなに気持ちよかったの初めて、仕事だって忘れるところだったわ」

 そう言って笑った。余計なしがらみが嫌だから店に足を運ぶのにそれでは意味がない。

 気まぐれだった。

 店の外で会うのは気がすすまなかったけれど、金をかけずにゲームが出来るならそれでもいいかと思った。友人にそのことを話したら羨ましがられた。

 外で会う時、さすがに最初は警戒した。油断すると強面の男達に囲まれて大金を請求されたりするんじゃないかと思った。風俗には裏なりのルールもあるからだ。でもその女は美人局ということではなかった。そう彼女に聞くと「大丈夫よ、そんなことしないって」と笑われた。


 彼女の名前は「アズミ」といった。源氏名のようなものだから本名ではないだろう。年は二十だと言うけど、これもどこまで本当だか分からない。年上かもしれないし年下かもしれない。でもそれでいい、偽りであればあるほどそれだけの関係でいられるからだ。下手に素で関わられても迷惑だし、面倒だった。


「リュウくんてさ、なんだっけ、なんとかっていうお笑い芸人に似てるって言われない?」

「なんとかじゃ分からない」

「んー、なんだっけなぁ。まぁいいんだけどさ」

「適当だなぁ」

「よく言われる」


 アズミはカラカラと笑った。

 リュウというのは偽名だ。竜也(たつや)だからリュウにしている。

 アズミはショートヘアの少しボーイッシュな印象の子だ。普段着だとお店のときとは印象が違う。無邪気が前面に出ている。お店の時はそれじゃあ駄目なんだろう、もっと大人びた話し方だったが、今は元気な少女といった感じだった。二人でカフェに入ってコーヒーを飲んだ。アズミは凡そコーヒーとは思えない甘ったるそうなものを頼んでいた。


「リュウくんはお仕事なにしてるの?」

「調香師」

「チョウコウシ? ってなに?」

「香りを調合する仕事。アロマテラピーとかで使うオイルとか、香水とかさ」

「へーすごーいね。わたしが使ってる香水とか分かる?」

「シャネルの五番だろ」

「あたりー。すごーい」

「それくらい分かるよ。思いっきり有名だからな。香りの世界でそれ知らない奴の方がおかしい。香りに革命起こした香水だからな、それって」


 アルデヒドが大発見だとか、天然と合成をブレンドした画期的な香水だとか、気がつくとそんな話を延々していた。アズミはそれを飽きもせずに聞いていた。そのあと軽く食事をとったのが六時半頃、そのあとはすぐにホテルに入った。

 やはりプロだ、ベッドの中での彼女はうって変わった(なま)めかしさだった。捕まえれば逃げる、かと思えば擦り寄ってくる距離感が心地よかった。猫のようだ。結局三回やった。


「なんで風俗で働いてんの?」


 タブーだとも思ったが興味本位で聞いてみた。アズミは「うーん」と暫く考え込んだ。


「最初はね、アイドルになりたかったの。地元の方ではけっこう有名でいけるんじゃないかって思ったのよね。東京に遊びにきたら芸能事務所にスカウトされて、それでこれしかないって思ったの。写真集とかも出したんだよ、DVDとかもね」


 そう言ってグラビアのポーズをしてみせる。


「でもね、可愛い子っていっぱいいるのよね。しかも若い子が次々でてくるの。負けないようにいろいろとお金かけたりするんだけど、歯の矯正とかホワイトニングとか、エステもそう。人によっては整形も。でも結局売れなくて、数人のファンもいてくれるんだけどそれだけじゃあね。

 気付いたら借金が雪だるま式に増えてて、事務所も契約切れで解雇。

 でも借金返さないといけないし、社長に相談したら紹介されたのがAV業界でさ、気付いたらAV女優。でもね、AVもアイドルも結局一緒よ、可愛い子は次々出てきて有名になるのは一握りなの。それでもまだわたしはマシだったかな」


 ぼんやりとAVを思い出す。もしかしたら彼女の作品を観たこともあるのかもしれなかった。その時の名前までは聞く気にならなかった。


「それでAVの契約も切れて今の仕事についたの」

「普通の仕事じゃ駄目だったのか?」

「それじゃあ返せないもの、借金。今は返したけどね、でも辞める気もないかな。気づいちゃったのよね、この仕事が楽しいって、お金も沢山もらえるし」

「そんなもんかねぇ」

「もちろん嫌々やってる子もいるわよ。この仕事って大体入りは同じようなものだから、わたしの場合は性に合ったのね。だからお店の外でもこうしてるのかも」


 アズミは僕の手をとって指を舐めた。その様子をしばらく眺めていたけど眠くなってそのまま目を閉じた。聞いてはみたものの大した感想もなかった。ありがちだけどそういうものなんだな、と思っただけだった。アズミの匂いもまた理想とは違っていた。


 僕はそのまま眠っていた。


  何時だろう、目を覚ましてすぐに思ったのはそれだった。起き上がってサイドテーブルを見る。一時間くらい寝ていたようだった。お互いに明日は朝が早いから帰ろうと決めていた。横を見るとアズミが屈託のない顔で眠っている。まるで子供のようにまっさらな寝顔だった。ちょっと前まで身体を重ねていたとは思えない。まして僕の上で激しく腰を振っていた人物とはとても同じだと思えないような顔だった。


「なんで一緒に寝てるんだよ、帰るぜ。起きろよ」

 目をこすって起きたアズミは「竜くんの寝顔が可愛かったから」と言った。

 それからホテルを出て別れた。またねと手を振ってアズミは楽しそうに駆けていった。

 明日から彼女はまた色々な男に抱かれるだけの玩具になるんだと思った。彼女はその道を選んだんだからきっとそれはそれでいいんだろう。

 そしてゲームだと思っているのとは違う男がきっと彼女を愛してくれるのだ。

 どのみち関係の無い話だ。時計は九時過ぎだった。



 電車に乗って赤羽に着いたのは十時前だった。

 駅から店とは反対方向に十五分といったところだ、そこに住んでいるマンションがある。

 六畳一間の小さなワンルームだけれど一人で住むには十分すぎるほどだ。バスとトイレが分かれているということにはこだわった。


 今年は例年より温かいとニュースでは伝えていたが、寒いのが苦手だから、夜ともなればかなり寒く感じる。西島さんが去年より全然温かいと言っていたのを思い出していた。そうでもないと思う。

 温かいものが飲みたくて自販機でコーンポタージュを買った。飲みきって帰ろうとしたところで西島さんが店の方からやってくるのが見えた。

 声をかけようとしたのだけど、西島さんの隣には花屋の小川美樹の姿があったので止めた。

 二人の様子が少し変だと思ったからだった。どうもぎこちなさを感じる。

 その多くは小川さんの方から感じた。西島さんはいつもの様子で、変化を感じることが出来ない。改札前にはあまり人の姿がなかったので、向こうからは見えないように移動した。

 柱の影から見ているとその会話の内容がわずかだが聞こえてきた。


 告白だった。

 彼女はどうやら西島さんのことが好きだったらしい。

 ほんの少し、がっかりした。なぜなら彼女のことが気になっていたからだ。

 好きという感情とは違うと思う。

 彼女は隣の花屋のアルバイトだった。彼女からは香水のような匂いはしなかった。

 花の香りに囲まれていてもそこだけぽっかりと穴が開いたように香りを感じなかった。

 匂いが無いわけじゃない。(うっす)らとしていて周囲と馴染まないのだ。

 そんな彼女の希薄な印象が何となく気にかかった。その素朴さにどこか懐かしさも感じた。古き日本の穏やかな情緒、フランス田園地帯の緩やかな澄清、そんな印象と言ってもいい。


 そんな彼女だから、艶やかな花々とは好対照に感じていた。

 西島さんのことが好きだからといってそれに何が影響するわけではないけど、もしも西島さんの存在がその空間の不協和音になるのであれば、最高のブレンドオイルのバランスを別の人間に崩されるのと同じようなものだ。そのオイルは台無しになってしまう。


「好意を抱ける相手なんていないんだ」


 西島さんの声が聞こえた。僕はその言葉に安堵した。

 そして思った。

 西島さんは壊れている、と。


 以前から感じていた違和感のようなものはそこから来ているのかもしれない。

 でも、逆に僕の目にはその姿がやけに力強く、触れれば崩れそうなほど脆い、相反する要素を絶妙に組上げられた存在であるように見えた。

 自分と重ね合わせたとき、そのあまりの違いに僕は西島さんを心から畏怖し憧憬した。

 そして、その存在に嫉妬してもいた。


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