第60話、怠惰
「ふあぁあ・・・さむっ・・・!」
寝ぼけながら体を起こし、だが寒さの余り一瞬で目が覚めた。
思わずベッドの中に入り直し、毛布と掛布団にくるまる。
「・・・室内でこんなに寒くなるとは」
ただその寒さの中でも、この布団と毛布に入っていれば問題は無い。
冷えて来たからと渡された寝具なので、この寒さに備えた物なのだろう。
おかげでこれだけ寒くとも快適に眠る事が出来た。
もしかするとゲオルド達は、この点も考えて宿を教えてくれたんだろうか。
「・・・寒い、が、腹が減ったな」
心の底から出たくないと思うが、でなければ食堂に向かう事が出来ない。
流石に布団にくるまったまま出て行く、という訳にもいかないしな。
「着替えるか・・・」
諦めて布団から出て、寒さを我慢しつつ防寒着を着こむ。
着替えている最中は泣きそうなぐらい寒いが、着込んでしまえば関係ない。
この服の温かさは昨日の時点で証明済みだ。布団の中より暖かい。
なら服を着たまま寝るのも一手と思ったが、流石に寝心地が悪かった。
布団が寒ければそれでも我慢したが、必要ない以上は寝心地の良さを取りたい。
手袋も付けてから部屋を出ると、室内より暖かい空気が漂っていた。
「おはよう。寒くなかったかい?」
女将の声で目を向けると、暖炉らしき所に薪を投げ込んでいた。
暖かさの理由はこれかと思いながら、女将の下へと近づく。
「布団に入っている間は問題無かったが、出た時が寒すぎたな」
「ははっ、悪いが流石にそこまで面倒は見られないねぇ。まあ室内が寒いのはどうしようもないけど、ここなら暖まれるよ。用が無いならここに居ると良いさ。椅子も使って良いよ」
「それは有難いが、先ずは食事をと思っている」
「ならあっちも暖かいよ。冷えて来たら向こうの暖炉も火を入れてるからね。むしろ向こうは朝から火が入ってるから、上着が要らないぐらい暖かいもしれないね」
そうなのか。とはいえ部屋が寒かった以上、上着を着て来ない選択肢はなかったが。
なんにせよ食堂に足を踏み入れると、確かに女将の言う通り暖かい。
これなら確かに上着は要らないなと思っていると、看板娘が俺に気が付いた。
「あ、おはようミクさん」
「おはよう」
「少し待っててね、すぐ持っていくから。席は何時もの所で良いんだよね?」
「ああ」
娘はそう告げて厨房の方へ向かい、俺は何時も座っている席へと移動する。
別にここが良い、という理由がある訳でも無いが・・・何となくだ。
「上着は・・・隣にでもかけておくか」
早朝だからか客はまだ少なく、席を一つとっても問題は無いだろう。
それに使いもしない席に物を置いて余分に使う、というのも人道に反している。
規則に縛られない行動と考えれば、朝から生き方を通せている気がして心地良い。
昔は規則を守らない人間を注意する側だったが、今の気ままさの何と爽快な事か。
やはり世の中は、悪党が過ごし易い様に出来ていると実感するな。
ついでに帽子と手袋も起き、部屋の暖かさに一息つく。
といった所でことりと目の前に料理が置かれ、暖かい飲み物も置かれた。
「ミクさん、どうぞ」
「今日も早いな」
「ふふっ、ミクさんは大体同じ時間に来るから、実はお父さんが合わせて準備してるんだ。偶に来るのが遅い時とかは、少し心配そうだったけど。夕食とか特にね」
「そうだったか。それは世話をかけたな」
「気にしないで。これも本当は内緒って言われてるし」
「そうか」
「うん。じゃ、追加の料理もすぐ持って来るから、ごゆっくり」
なるほど、毎回食事が出て来るのが早いと思っていたが、そういう理由だったか。
言われてみれば、初日はもう少し提供速度が遅かった気がするな。
それでも余り待たされた覚えがないので、特に文句も無かったのだが。
「もぐもぐ・・・」
うん、今日も美味い。寒かったからか暖かい料理が殊更美味い。
暖かい飲み物はお茶だが、香辛料の類が入ったお茶だな。
「美味いな」
癖を感じるので好みは有るだろうが、俺は好きな部類の味だ。
そうして料理とお茶を口にしている内に、段々体の内から熱くなって来た。
汗をかく程ではないが、その熱が全身にいきわたる様な感覚がある。
「冬用の食事、という事か」
昨日まではそんな事は無かったので、これはきっと寒い時期の料理なのだろう。
材料が理由か、それとも調味料が要因なのか、どちらかは俺には解らない。
ともあれ美味しく食べられて暖まれる。その事さえ解っていれば良い。
『妹よー! 兄の分はちゃんと残っているかい!』
胸元から精霊が現れたが、無視して食事を食べ続ける。
俺にとって宿の食事は今一番の娯楽と言って良い。
それを邪魔されるのも嫌なので、いちいち反応しない事に決めた。
『むう、お返事してくれない・・・良いもん、兄も勝手に食べるもーん』
そして無視していると勝手に食事へと飛びつき、モグモグと食べ始める。
当然どうしても精霊が視界に入り、そこで今更ながら疑問を感じた。
コイツ宿の食事は美味しいと言いつつ、食事量は少ないなと。
他の所で食べ始めた場合、もっと大量に素早く食べていたのに。
昨日の酒場での出来事もそうだった。一瞬で肉が消えた。
『おいしーね!』
「・・・そうだな」
俺の疑問の視線に気が付いた精霊は、だが俺の様子には頓着しない。
ただ嬉しそうに、楽しそうに、料理が美味しいねと共感を求める。
反応する気が無いと決めていたはずが、その言葉には応えてしまった。
まあ、仕方ないだろう。実際美味いのだから。仕方ない。
「今日も美味かった」
『おいしかったー!』
「はーい、お父さんにも伝えておくね」
そうして食べ終わると看板娘に伝え、食堂を出たら暖炉の前へ。
上着が有るので問題は無いが、暖かい場所の方がやはり良い。
「・・・最初は寒さにも強いと思ったんだがな」
『あたたかーい!』
裸だった時は不便を感じなかったし、その後も割と薄着な方だった。
だが周囲は余り薄着ではない事が多く、なら寒さにも強いのだろうと。
実際はこの通りな訳だが・・・出来れば強くありたかったな。
嘆いても仕方ないか。そもそも強い体の時点で恵まれている訳だしな。
魔力も強いから魔術も使える。これ以上を望むのは贅沢か。
「それに、暫くはのんびりできるし・・・暖かい場所でゆっくりしよう。ああいや、魔核の査定の結果を聞いて、売却額を受け取らないといけないんだったな」
外に出ないといけない。その事に気が滅入る自分を自覚する。
「・・・いかんな。目的を忘れるな。一番の目標を忘れるな」
寒さが辛くて日和っていたが、元々俺は雪山に向かうつもりなんだ。
強い魔獣を倒す為に、その為に防寒具を作って貰っている。
なら街中を歩く程度の事は何ともない、とぐらい思わねば。
実際何ともないんだしな。防寒具をちゃんと着こんでさえいれば。
「・・・でも、もう少し暖まってから行こう。どうせ朝方は人が多いし、少し遅くなってからの方が受付も楽だろう。仕事を受ける気は変わらず無いしな」
『すぴー・・・すぴー・・・はっ!? ね、寝てない、寝てないよ!?』
だが暖炉の温かさは、俺の決意をぐにゃりと溶かしている気がした。
完全に俺の勝手な思い込みな自覚はある。あるけどこう寒いとやはり辛い。
いや、この怠惰感もこれはこれで良いのかもしれない。悪党的には。




