第51話、森の奥
組合を出たら先ず宿に帰り、部屋に戻ってから鞄から水袋を取り出す。
旅に必要になるかもしれない、と思って一応買っておいた物だ。
ただ辺境への道行きは商人と一緒だったので、全く必要なかったが。
「あとは・・・何か、要るか?」
『いるものー? うーん・・・』
普通に考えれば、山に入るのだから長袖長ズボン、ブーツの類が良いだろう。
手袋もあった方が良いだろうし、奥地に入るのだから防具の類も欲しい。
と思うのが普通なのだろうが、俺の場合それらを殆ど無視できる。
別に木々が当たろうと肌は傷つかず、むしろ傷が付くなら衣服で防げない場合だ。
ただ鎧の類は有用ではあるだろう。流石に魔獣の攻撃は傷がついたからな。
試しにわざと突進を受け止めて見たら、腕が少し痺れる感覚もあった。
痺れる程度で済んでいるのが本来おかしいのだろうが、その点は置いておく。
だが受け止めて痺れるという事は、急所に当たれば効果は有るだろう。
ならば動きの止まる可能性のある胸程度は、覆っておいて損はないか?
一応金はある。魔獣の素材は魔核以外全部売っているから、懐は温かい。
なので防具の類は買いに行けるが・・・問題はサイズが無さそうな事か。
俺の様な子供用の装備など、中古でも少ないだろうしな。
作るとなるとオーダーメイドになるだろう。となれば時間がかかる。
「・・・今は良いか。問題があると判断した時に、何か買えば」
『兄はお菓子が良い!』
現状武器も必要としていないし、時間をかけて用意する気も無い。
後正直な所を言うと、段々面倒になってきた自分が居る。
昔は事前準備をきっちりする口だったが、今はどうにも面倒くさい。
だがむしろ、その感性の方が今は良い気がする。
雑で良いんだ今の俺は。余り難しい事を考える必要は無い。
となればもう悩むのは止めて、とっとと森に向かってしまえば良い。
「なら水だけ汲みに行くか」
『えぇ・・・お菓子ぃ・・・』
水袋に紐を付けて腰に巻き、荷物の入ったカバンを閉める。
部屋を出たら鍵を閉めて、女将に鍵を預けに行った。
精霊はとぼとぼと俺の後を付いて来ている。
「女将、暫く帰らないと思う」
『行ってくるー!』
一瞬で元気になったなコイツ。
「遠出の依頼でも受けたのかい?」
「いや、依頼は受けていない。ただ少し、森の奥に向かおうと思っているだけだ」
『魔獣を探して来るよ!』
「・・・そうかい。ま、お嬢ちゃんの実力は一応解ってるつもりだけどさ、それでも怪我しない様に気を付けて、とは言わせておくれよ」
「ああ、気を付ける」
『妹の事は兄が守るから大丈夫!』
女将の言葉に頷き返し、鍵を渡して宿を出る。
ただそのまま街は出ずに先ずは共同井戸へ。
水袋に水を入れて、とりあえず準備は完了だ。
『もっりのおっくに、いっざいっくぞー♪』
ご機嫌に変な歌を歌いながら歩く精霊を伴い、ポテポテと街を歩く。
街を行く者達と移動速度が明らかに違うのは、この体だから仕方ない。
歩幅がどうしても小さいからな。だからと言って急ぐ気も起きない。
遅すぎず、だが特に早歩きでもない、そんな速度で門へと向かう。
ただし向かう先は街道側では無く、魔獣の多い森にある方の門だが。
『今日もこっちは人がすくないねー』
「利用する人間が少ないかなら」
門の向こうは街が無いので商人が通らず、また魔獣狩りで出入りする者も少ない。
森の方に狩りに行くと言っても、大半は街道側の森に入って行くからな。
街を挟んで反対側なだけだが、それだけの距離で随分と状況が変わるからだ。
魔獣の密度もそうだが、強さもこちら側の方が上で、手練れしか利用をしない。
辺境の街がこの位置にある理由を感じる話だ。ここが通せないラインという訳だ。
とはいえ砦がどれだけ大きかろうと、回り込んで街道側に来る魔獣も居るのだが。
ただそんな差があると解ってはいても、俺には誤差程度でしかない。
「おう、お嬢ちゃん、もう休暇はおわりかい。働き者だねぇ」
門に辿り着くと門番の一人が俺に気が付き、気軽な様子で手を振って来た。
一応顔見知りになった相手ではあるが、初日はこの男と少々揉めた。
とはいえ向こうはただ心配をしていただけなので、殴り飛ばしたりなどはしていないが。
要するに俺が女で子供と見て、危ないから門を通す訳にはいかないと言われた。
なら通す必要は無いと砦の壁を登り、上から飛び降りて森に向かった訳だが。
帰りは魔獣の死体を抱えて帰って来たから、それ以降はこんな感じだ。
今思えば領主の俺の評価は、この辺りの話も聞いていたせいかもしれない。
別に話を聞かなかったつもりは無いんだがな。話しても無駄だと思っただけで。
「俺は門番程働き者ではない」
『毎日御苦労さまー!』
「そう言ってくれると嬉しいね。人によっちゃ、立ってるだけ、なんて言って来るから」
立ってるだけか。確かに平時は立ってるだけかもしれん。
だがそれは必要な事であり、だからこそ毎日誰かが必ず立っているのだが。
それに出入りが無い訳でもなく、下手に出入りさせない様に気を付ける必要が有る。
もし、万が一にでも街中に魔獣が入ったら、という想像が出来ない人間の発言だな。
そういう連中は、門番に守って貰えずに食われて死ねばいいと思う。
「今日も魔獣狩りかい?」
「いや今日は・・・いや、一応魔獣狩りではあるか」
「あん、どういうこったい?」
「今回は何時もより少し奥に行こうと思っている。だから日帰りはしない」
『どこまで行くかは未定ー』
「おいおいおい、嬢ちゃんの実力は知ってるつもりだが・・・その軽装で奥地に行くのか?」
「そのつもりだ」
俺の答えに門番は頭を抱える様子を見せ、そして大きな溜め息を吐く。
あからさまに困ったな、という表情を向けて来るが、止める気は無い様だ。
傍にある小さな門のカギを開け、砦の上に居る門番に外の事を確認している。
「また砦の上を飛んで行かれちゃ困るし通しはするが・・・気を付けろよ、本当に」
「ああ、死ぬ気は無い」
『兄が守るから大丈夫!』
・・・現状お前が何かしたのって、アホ女に対してだけだけどな。
魔獣相手にはわーきゃー騒いで、ちょろちょろしてるだけだろうに。
「ったく、気軽に言うなぁ。普通単独で森に向かう奴なんて、滅多に居ないんだぞ。だってのにその奥地にとか、自殺に行きますって言ってるようなもんじゃねえか」
「俺にはこの辺りの魔獣など問題にならない」
「知ってるよ。だから通すんだ。けど心配ぐらいはしても良いだろ。まだ、子供なんだからよ」
この門番には子供がいると聞いた。聞いても居ないのに以前話して来た。
俺と同じぐらいの娘らしく、目に入れても痛くないぐらい可愛いと。
きっと俺の姿を見て、娘が危険な場所に行く事を幻視しているのだろう。
俺の頭にポンと手を乗せ、撫でて来る男の目は父性のそれだ。
勿論単純に、この男が仕事熱心であり、お人よしである事も理由だろうが。
「宿の女将とも約束はしたからな。気を付けはする」
「ああ、十分気を付けてな。まだ人生長いんだ。行き急ぐなよ、嬢ちゃん」
「解った、行って来る」
『行って来るー!』
周囲に魔獣が居ない事を確認して扉が開かれ、門番に応えて門をすっと通る。
そして即座に門は閉じられ、後ろを向くと砦の上の兵士が手を振って来た。
声を出さないのは、恐らく周囲の魔獣を刺激しない為だろう。
手を軽く振り返して森に目を向け、その一歩を踏み出した。
「さて、どこまで行くか・・・」
『兄はどこまででもついて行くぞー!』




