第49話、受けられない依頼
「良かったのかい、付いて行かなくて」
『あ、女将おはよー!』
背後からそんな言葉を投げかけられ、振り向くと女将が立っていた。
勿論気づいていなかった訳ではないが、反応する気が起きなかっただけだ。
だが声をかけられてしまった以上、無視をするのも不自然だろう。
「付いて行く訳にはいかない」
「そうかい・・・まあ、人にとやかく言える立場じゃないが、無理はするんじゃないよ」
「今の所、無理をした事は生まれてから一度も無い」
『そうかなぁ?』
無理だと感じる様な、そんな瞬間は今の所は経験をしていない。
産まれて直ぐの時もそうだったし、魔獣相手の戦闘も問題は無い。
精霊は首を傾げているが、一体何を思い出しての事やら。どうせ見当違いだろうが。
昔の生なら兎も角、今の俺は無理などした覚えは無いぞ。
「・・・そうかい。まあ良いさ」
「まだ何か言いたげだな」
「いいや。嬢ちゃんが問題無いって言うなら、私は何も言わないよ。それはただのお節介だ」
お節介か。そうだな、確かにお節介だ。
何を言われようと、俺はこの決定を覆す気は無い。
今俺がやるべき事は一つだ。魔獣を狩って、魔核を食う。
そして今よりも力を付けて、悪党を通しきる力を手に入れる事だ。
もし何度もこの決定に口を出されるなら、宿を出ていく事も考える。
宿の食事が食べられないのは残念ではあるが、不快な暮らしはしたくない。
「出て来る」
「あいよ、気を付けてね」
『う~ん・・・あ、妹まってー!』
女将に部屋の鍵を預け、宿を出て組合へと向かう。
『のーんびりお散歩ー』
何故か俺の前を歩く精霊は、器用に人の間を抜けていく。
そして楽し気に街を歩くその姿は、認めがたいが少しほのぼのとする。
精霊の癖に、等と言っても仕方ない事を言いながら、のんびりと歩き続けた。
道中誰も声をかけて来ない静かさに、違和感を覚える自分を自覚しながら。
「・・・騒がしいな」
『今日も人いっぱーい!』
ただ組合に辿り着くと、そんな気分も吹き飛ぶ人の量だった。
朝なんだから当然と言えば当然だろうが、組合のシステムも原因な気がする。
受付の人間が仕事を提案するが、組合員側がごねている事も多いみたいだからな。
身の丈に合わな仕事を寄こせと、そんな事を言い出す手合いへの対処が手ぬるい。
ただし、度が過ぎれば――――――。
「ぎゃあ!?」
『おー、飛んだ! 仲間!』
今宙を舞った男の様に、制裁を加えられる訳だが。
綺麗に飛んで行って壁にぶつかり、痛そうに背中を抑えている。
投げたのは・・・あのアホ女だ。意外だが、本当に意外だが、結構強い。
受付嬢が言っていた通り、未熟な跳ねっかえりを叩き伏せられる程度にはだが。
「その程度の力量で森の奥に行こうだなんて、ただの自殺行為よ。解ったら諦めて、出来る仕事を受けなさい」
「ふざけんな! 俺はこの街まで来れたんだ! 出来る仕事だろうが!!」
アホ女の言葉は通じず、良いから仕事を受けさせろと威圧した態度で叫ぶ男。
だがこの女も伊達に辺境の支部長は努めておらず、男の態度など気にした風も無い。
むしろ雑魚が吠えていると、呆れと侮蔑を含んだ視線を投げかけていた。
・・・それにしてもあの男、見覚えがある様な気が。
ああ、思い出した。やけにゲオルドに絡んでいた男だ。
結局ゲオルド本人に闇討ち、といった事はしなかったらしい。
だがまだ辺境に居たのか。ただ取り巻きが居ない様だが。
何となく周囲を確認していると、アホ女は溜め息を吐いてから応えた。
「あのねぇ・・・他でもない私が無理だって言ってるの。辺境の組合支部長の私が、アンタ一人じゃ死ぬって言ってるのよ。それでも出来ると言い張るなら、勝手に行けば良いじゃない」
「っ、依頼を受けられる、って事で良いんだな?」
「そんな訳ないでしょうが」
「んでだよ! 行って良いって事だろうが!」
「・・・はぁ、会話が成立しない」
『妹と兄の会話みたい』
聞き訳がないというか、最早何を言っているのかという感じすらする男。
そんな男の様子にアホ女は頭を抱え、盛大な溜息を吐いていた。
あと精霊、解ってやってたのかこの野郎。
足元に居た精霊を踏みつけ、小さく『ぐえっ』と聞こえたが知った事では無い。
「もう取り巻きも居ないんだから、連中と同じ様に帰りなさいよ。ここは自分達には早かったと逃げて行ったアイツらの方が、力量弁えないアンタより余程有能だと思うわよ?」
「るせぇ!! あいつらは取り巻きでも仲間でもねぇ!! 負け犬の裏切り者だ!!!」
今の会話で大体の所を察せてしまった。
つまりこの男は、あれだけ居た取り巻きに見限られたのだろう。
いや、もしかしたら辺境は危ないと、説得はされたのかもしれない。
それでも男は自分ならやれると主張し、だがアホ女は無理だと断定している。
俺だってそう思う。護衛依頼での働きを見れば、この男に辺境は厳しい。
それは当然身近に居る取り巻き共の方が強く感じ、死ぬ前に辺境から逃げたのだろう。
何も見えていない、力量も弁えていない、この男について行って死ぬのを恐れて。
普通の精神ならば命は惜しい。態々命を捨ててまで付き合いたい相手ではないという事だ。
故にこの男の周囲に居た者達は仲間ではなく、まさしく『取り巻き』だったのだろう。
・・・本当にどこまでも、ゲオルドと正反対の男だな、こいつは。
「俺は、俺はやれるんだ! 辺境だろうと、どこだろうと、やれるんだよ!!」
そして逃げた者達を裏切ったと言う男の目は、最早血走っている様に見える。
恐らく奴が口にした『負け犬』という言葉は、誰よりも自分に向けているのだろう。
勿論本人は認めていない。だが無意識に自分がそうだと思っている。
だからこそ否定を正しいと思いたくて、自分はやれると言い張るんだ。
負け犬であるという思考を、考えない様にする為に。
辺境でやっていける人間からすれば、見苦しいとしか思えないだろう。
その行動に信念など無く、逃避の為に命を捨てに行っているだけだからな。
ただの現実逃避。ならばそんな現実逃避に、組合が付き合ってやる道理はない。
「じゃあ勝手にやりなさいって言ってるのよ。勝手に森に行って、勝手に魔獣と戦って、出来る事を示して来ればいいじゃない。無理だって言ってるのに行くなら、自己責任で行動なさい」
組合の責任者として無理は止め、そして警告もして、けれど話が通じない。
ならば勝手に森に行って勝手に死ね。あの女の言う事はそういう意味だ。
「それじゃあ依頼料が入らねえだろうが! 俺は金が要るんだよ!! 良いから――――――」
「いい加減にしなさいよ?」
男は最後まで叫ぶ事なく、女の言葉と同時に吹き飛ばされた。
女は一歩も動かず、風の塊が男の腹を殴りつけた事で。
恐らく魔術の類だろう。魔力で固めた感じが見えたからな。
男は再度壁に叩きつけられ、今度は腹を抑えてうめき声を漏らす。
「アンタに相応しい依頼はある。けど大人しくそっちを受ける気が無いなら、吠えずにとっとと去りなさい。アンタ一人に時間かけてる暇なんて無いのよ。ただでさえ朝は忙しいのに。ここまで言ってもまだ騒ぐなら、次はもう少し強めに放り出すわよ」
「ぐっ・・・畜生・・・!」
男の目はまだ正気とは思えなかったが、それでも不利を理解する事は出来たらしい。
腹を抑えながら立ち上がり、小さく「くそっ」と言いながら組合を出て行った。
あの男どうするつもりだ。まさか本当に単独で森に行くつもりじゃないだろうな。
・・・俺には関係のない話か。あれが死のうと、何も。
命の軽い世界では尚の事、あの手の人間は死ぬのが世界の道理だ。




