第182話、領主の伝言
領主は小さく息を吐き出すと、気を取り直す様に椅子に座り直した。
そしてふっと笑いながら茶を一口飲み、それから口を開く。
「ミク殿、この話は信じている者も居れば、信じていない者も居る。俺の親父は信じていない口でな。どうせ自分達の偉大さを作り上げる為の創作だと、そう言っていた。この街を守っているのは自分達だと。会った事も無い化け物牛なぞの力ではないと、そう言っていた」
「領主殿は信じていたと?」
「いや、半信半疑といった所か。こんな所に砦を築くなんて事を、本当に人力だけで成したのかとも思ったし、創作の可能性も否定はし切れないとも思った」
それは、そうか。俺もそこは疑問に思ったしな。よくこんな物を作れたものだと。
あの魔獣に会った後であれば、成程可能だったろうと思えるが。
「半信半疑の割には、素直に俺の言葉を信じるんだな」
「この話を絶対に知らないであろう貴殿の口から出て来た言葉だぞ。疑う余地がない」
「どうかな。忍び込んで記録を漁ったかもしれんが」
「それなら漁られた形跡が有るだろうさ」
まあ確かに、自分では漁った形跡を隠す、というのは少し難しいだろうな。
「まあ、領主殿の親父殿が言う事も、完全に間違っている訳ではないだろうがな」
「と、いうと?」
「この砦を守る者が、民を守る者が居なければ、砦は既になくなっているはずだ。それが解っていたからこそ、アイツは当時の領主に頼んだのだろうよ。ここを守ってくれと」
「・・・そうか、確かに、そうかもしれないな」
あの牛が出来た事は、この土地を安定させる事だ。
だが安定させたとしても、それでも魔獣の強さは変わらない。
強い魔獣が山奥に生まれるだけで、辺境の危険度は変わっていない。
ならば辺境の砦を守る者達がいなければ、既に廃墟になっているだろう。
そういう意味では、領主殿の父が言っていた事は正しい。守って来たのは領主一族だ。
「だが砦の者達の力だけでは、きっと生き延びる事は出来ていない。それも事実だ」
「ああ、解っている。くくっ、父が生きていれば渋い顔をした話だろうな」
「父親とは折り合いが悪いのか?」
「多少喧嘩をする時があった程度だ。決定的な仲違いをする程ではない。もしそうであったら、私はここに座っていないさ。きっと他の優秀な者が領主になっている」
そんなものか。まあ確かに、世襲制の貴族などそんなものかもしれない。
当時の当主に嫌われてしまえば、次期当主の座など無いだろう。
となれば優秀さ以前に、悪い関係でない事が必須ではあるか。
その場合仲の良い無能が当主になる事もあるがな。
「しかし、そうか。彼は実在して、今も生きている、か。感謝せねばな、貴殿にも」
「俺に?」
一体俺になのを感謝すると言うのか。俺は何もしていないぞ。
むしろ領主には迷惑をかけ、その上でふんぞり返っている自覚が有る。
悪党の生き方を通す為に、面倒な相手として俺はここに居るはずだ。
「ああ、貴殿が教えてくれなければ、私は感謝すべき存在を信じ切れないまま過ごしていた。我々を守り続けてくれた偉大な存在を疑ったまま。そしてこのまま歳を取れば、やはり父が正しかったのかもしれないと、そう思っていたかもしれない。誇りが有るから余計にだ」
誇り。領主としての、代々砦を守り続けた誇りを持つ一族。
その誇りを胸に持つが故に、現実的な『事実』を見る必要が有る。
となれば本当に存在するかも怪しい記録など、一笑に付す方が自然なのだろう。
「なあ、ミク殿、貴殿はまた山へ向う事は有るのか?」
「勿論だ。今日は一度休む為に帰って来ただけで、疲れが取れ次第また行くつもりだ」
「そうか、ならば彼への伝言を頼まれてくれないだろうか。勿論報酬は出す」
「何を伝えれば良い」
報酬額も聞かずに、その内容を問い返す。
正直な所、どうせまた牛には会いに行くつもりだ。
ならば別に報酬の額などどうでも良い話だからな。
これは領主の為では無く、一晩世話になった牛の為だ。
「祀り上げるのを拒否したのは、真実なのか教えて頂きたいと。そして我々に何か、して欲しい事は無いのかと・・・今まで守ってくれた感謝の気持ちを、何か出来はしないかと」
「・・・解った。次に出会った時にしっかりと聞いておこう」
ただ領主の伝言は、もう一つの話をしたい俺にとって、都合の良い言葉だった。




