第165話、谷へ
「・・・まあ、一つ良い事が解ったのだし、その点で良しとしておくか」
溜め息を吐きつつ負け惜しみの様な呟きを口にするが、実際一つ良い事が解った。
あれだけの雪崩をやり過ごす為に、俺は殆ど躊躇なく踏み込み拳を振り抜いている。
だが手甲が壊れる様子も無ければ、靴が破損した様子も無い。
これなら全力戦闘も可能だろう。破損を気にして戦う必要が無い。
「良い腕だな、店主」
別に腕を疑っていた訳ではないが、正直な所もっと脆い物を想定していた。
店主本人もいつかは壊れると言っていたし、俺の膂力を気にしていたからな。
だが蓋を開けてみればどうだ。なりふり構わない行動でも壊れてはいない。
勿論服には魔力を通していたのも理由だろうが・・・だとしてもだ。
「この手甲、いい仕事をするじゃないか」
これだけの物を用意してくれた領主に礼を言うべきか、加工してくれた店主に言うべきか。
ただ店を紹介した支部長には言いたくない、と思うのは致し方ないだろう。
「さて・・・どうするか」
とりあえず軽く周囲を見回すも、やはり雪以外に何も無い。
いや、先程の雪崩の影響なのか、多少草木が見えてはいるが。
この雪の中でも緑を保つ木か。何とも元気な事だ。
冬に咲く花や冬にこそ美味い野菜も有るし、そういうものだと思うべきか。
『なんかすっごい音してた! 何の遊びしてたの!?』
「出たな」
ポンっと胸元から現れた精霊が、楽し気に飛び出て周囲を見回す。
「別に遊んでいた訳じゃ無い。油断して魔獣を逃がしてしまっただけだ」
『あらぁー。兄が居ればそんな事無かったのに! 妹のうっかりさん!』
「うるさい」
イラっとしたので思わず掴んで投げた。山頂の方まで放物線を描いて行く。
大分遠くに落ちたのは見えたが、あそこまで歩いて行くのは中々に大変そうだな。
この体なら問題無いとは思うが、雪で滑った時が中々に大変そうな斜面―――――。
「いや、違う、別に山頂に行く必要は無いんだ、俺は」
ふと正気に戻った。俺の目的は山登りでは無く、山に居る魔獣を狩る事だ。
何故山を登ろうとしているのか。そもそもそこが間違っている。
行くならばむしろ山頂では無く、もっと下の谷になっている所だろう。
「獣が隠れられそうな所に行くべきだな」
先の熊カモシカは上の方に登って行ったから、上に登れば出会えるかもしれない。
次は流石に逃がす様な真似はしないし、確実に仕留められる自信もある。
だが態々過酷な場所に行っても、他の魔獣が見つかるかは怪しいだろう。
「どの辺りに行くか・・・とりあえず一番近い所に向かってみるか」
人の手が入っていない山なので、人が平気で歩けるような道にはなっていない。
だが雪に滑る事さえ気を付ければ、俺の身体能力なら問題無い――――。
「うおっ」
早速滑った。というか、雪の塊がそのまま滑り落ちて行く。
流石に足場がそのまま動いた場合は、どれだけ踏み込んでもどうしようもない。
さっきの雪崩のせいで、余計に雪が緩くなっていたんだろうか。
「絶叫マシンも真っ青だな、これは」
『ただいま! うおー! いったいなんだこれはー! 妹一人で楽しんで狡い!』
「楽しんでない」
このままだと谷底に落ちる。普通の人間なら死ぬだろう。
ただ自分なら大丈夫という確信と共に、魔力を纏って落下に備える。
そして雪が地面の無い位置まで到達して、雪と一緒に自由落下を始めた。
「ふっ!」
ただそのまま落ちて行くつもりは毛頭なく、全力で雪を蹴って埋もれるのを避けた。
あのままだと追加で上から雪が降って来て、そのまま生き埋めになりそうだったしな。
それはそれで何とかなっただろうが、態々埋まる様な趣味も無い。
『わーい、妹と一緒に飛んでる!』
そうして雪から飛び出た俺は、思ったよりも勢いよく飛び出たらしい。
反対側の山壁へと頭から突っ込む軌道で、このままでは流石に痛そうだ。
「ふんっ!」
空中で体を振って足から着地―――――。
「うぶっ」
埋まった。それはそうだ。反対側も雪なんだから当然だ。
『あははは! 妹変な声!』
「・・・」
少し恥ずかしい気持ちになりつつ出ようとすると、周囲の雪が動く気配を感じた。
どうやら俺が突っ込んだ衝撃で、この辺りの雪も落ちて行く様だ。
「こっ、のっ!」
落ちる前に無理やり足を上げて、思いっきり蹴って抜け出す。
そしてその力が強すぎて、谷を挟んだ反対側へ飛ぶ。
「ああもう、何回やるんだ俺は! 馬鹿か!」
『妹はうっかりさんだからね』
「煩い!」
精霊に文句を返しつつ、これはまた雪に突っ込むと理解して体を回す。
「ふんっ!」
だが今度は真っ直ぐに突っ込むのではなく、踵落としをする様に足を振り抜く。
それにより雪は盛大な音を立てて落ちて行き、俺の体はふわりと浮いた。
『おお、ふんわりー!』
「・・・これはこれで失敗だな」
そしてふわりと浮いた体は、どこにも足場の無い空中に放り出される。
しかも綺麗に真ん中あたりに、一番深そうな位置に落ちるなこれは。
多分落ちても大丈夫だとは思うが、流石にこの高さは痛そうだ。
「いや、そうだ、吹雪があった」
『え、待って妹、それはいだだだだだっ!』
魔術で吹雪を作り出し、その風を自ら受けて空を飛ぶ。
そして雪の少ない外壁を見つけたので、手をかけて何とかぶらさがった。
「ふうっ・・・谷に降りるだけで何をしているんだっ・・・」
手をかけた部分に俺を支える程の強度が無かったのか、パキッという音がした。
当然それを認識した頃には下に落ちており、また落下への対処を要求される。
『いだがっだ・・・もー、あれ痛いんだよ!』
「言ってる場合か! くそっ、登っている時は順調だったというのに!」
悪態をつきながら外壁に手足をかけ、けれど落下が始まったせいかとても滑る。
雪が無い所を探して手をかけているが、落ちる勢いが付いたせいか簡単に崩れる。
だが手をかける度に落下速度は落ちているので、このままならそこまで痛くないだろう。
そうして結局、綺麗な着地など出来ず、積もった雪にずぼっと埋まった。




