頑張れタイ海軍
タイ海軍は第二次世界大戦において2隻の海防戦艦を持っていた。
「トンブリ」と「スリ・アユタヤ」である。
日本の川崎重工神戸造船所で建造された海防戦艦で、満載排水量は2,265トン。
主砲は20.3cm連装砲2基で、60倍の重さがある「大和」はおろか、日清戦争当時の「定遠」にすら敵わないだろう。
こんな小艦が召喚された事で、艦長含めた乗組員たちはさぞ嘆いているかと思いきや、
「こんな所に生まれ変わってしまって損したなあ。
まあ、次に生まれ変わった時は、もっと良い人生になっていれば良いか」
と、とても達観した感想を持っていた。
仏教国のタイでは輪廻転生は当たり前の意識であり、自分の前世の報いで悪い人生に転生したなら、また死んでリセットすれば良いか、的な人生観を持っている。
このタイ海軍の海防戦艦「トンブリ」が、4日目の戦闘で大金星を挙げる。
4日目の海戦はこのようになった。
〇大日本帝国 対 オーストラリア●
〇タイ王国 対 大清帝国●
3日目まで連敗で迎えた「トンブリ」であったが、彼等は負けた事を一々悔やまない。
「まあ、性能的にそうなるだろうね」
と諦めがつくからなのだが、清の「定遠」相手には工夫して戦う。
「トンブリ」の主砲20.3cm砲の射程距離は29,432メートル。
「定遠」の主砲30.5cm砲の最大射程は約7,800メートル。
「トンブリ」の速力は15.5ノット、「定遠」の速力は14.5ノット。
遠距離から撃ちまくって、距離を保ったままでいれば「定遠」では距離を詰められない。
そして日清戦争の黄海海戦の時のように、沈められなくても良い、上部構造物を破壊しまくって戦闘不能にすれば十分だ、という割り切った戦い方をしたのだ。
この作戦が当たり、日没まで距離1万メートル以上を保って戦い続けた結果、神は「トンブリ」を判定勝ちとしたのだ。
神曰く
「劣っていても諦める事無く戦い、工夫をして勝とうする姿勢が素晴らしい。
ヘビー級の殴り合いだけでなく、小兵が巨漢を投げ飛ばす相撲も見ていて面白い」
との事。
そしてリーグ最軽量の小兵は、5日目にリーグ最重量の巨大戦艦と対戦する事になる。
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大日本帝国は「大東亜共栄圏」という構想を掲げていた。
タイ王国はその面で友好国と言える。
実のところ、戦うのは良いのだが虐殺するのは気がひける。
撃沈しても相手も死なないから気が楽ではあるが、それでも感情というのはあるのだ。
この感情は、休養明けに対戦したオーストラリア相手には存在しない。
有賀艦長の生きた第二次世界大戦より遥か後年、日本とオーストラリアは友好国となり、相当に関係が良くなっている。
スポーツにおいても、日本が及ばない豪州のラグビー、或いは豪州が勝てない日本の野球でも、両国チームは敬意を持って全力で戦う。
時にジャイアントキリングをされても、相手を憎む事は無い。
そういう関係に変わるのだが、第二次世界大戦から数十年後まではそうでは無かった。
オーストラリアは白豪主義の国であり、有色人種を激しく差別する。
代表艦である巡洋戦艦「オーストラリア」を運用していた第一次世界大戦時は、イギリスの同盟国として日本が参戦する事を嫌がったり、大戦後の会議で人種間の平等を掲げた日本に対し徹底的な反対をしてその意見を潰したりした。
第二次世界大戦時の日本も、オーストラリアに対して良い感情は持っていない。
だから「大和」は思う存分防御力の弱い巡洋戦艦をなぶり殺しにした。
これで「大和」は3勝負けなし。
予選通過は確実だ。
どういう条件で予選突破にするか、天の声は教えてくれないが、まず次のタイ相手に負ける事は考えられない為、全勝で勝ち抜くだろう。
(これで戦い方がどうとか言わないだろうな)
そう有賀艦長は不安に思ったりするが、そう言われてもソ連戦以外は対等の敵艦が居なかったのだから、横綱相撲をして勝ち方がどうだとか評されてもたまらない。
とりあえずは予選通過を確信し、酒保を開いて乗組員を労っていた。
そんな夜間、有賀の脳に天の声からメッセージが届く。
『次に対戦する戦艦の艦長から、対戦条件についてお願いが来てるんですが』
「対戦条件?」
『そのまま伝えますよ。
”我が艦は日本から購入したもので、貴国はその全てを知っているだろう。
我々は対戦する貴艦の性能は知らないが、大国である日本の戦艦である。
きっとその性能差は歴然としているだろう。
だから、性能差をひっくり返せない昼戦ではなく、夜戦で戦いたい。
願いを聞いて貰えれば有難いが、断られても不満は無い。
海防戦艦「トンブリ」艦長ルアン・プロム・ウィーラーハン中佐”
って事ですが、どうします?』
有賀は考えた。
手元の資料を見て、確かに「トンブリ」は日本の駆逐艦程度のサイズしか無く、まともに戦える相手ではない。
何となくタイが大型艦を持っていないのは想像出来たが、それにしても馬鹿正直に艦名まで教えてくれるとは思わなかった。
きっとお願いする以上、最低限の礼儀として名乗りをしたのだろう。
誇りある帝国海軍軍人として、この礼に応えてやりたい。
それで夜戦を行うとして、どうなるか?
神とやらの意向で電探は使用不能だ。
艦載機も持っていない。
電波で敵の接近を知る事も、水偵を使って敵艦上空から照明弾を降らす事も出来ない。
探照灯を点け、目視照準で戦う事になる。
実力差は狭まるだろう。
(面白い)
個人的にはそう思う。
しかし、多くの乗組員の生命を預かる責任者として、自分の感情だけで決める訳にはいかない。
有賀は天の声に回答を待って貰い、急遽幹部を集めた。
幹部に事情を話すと、幹部たちも自分たちの部下の意見を聞いて来ると言う。
そして暫くして
「夜戦に応じても良い、という者が大半でした」
という結果を得る。
中には、むしろ夜戦を是非ともしたい、という分科員も居た。
探照灯要員とか。
有賀は天の声に「夜戦を承知した」と回答する。
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「見えませんねえ……」
この世界に月は無いのかもしれない。
毎日が新月という事はなく、この5日の間に何らかの形の月を見る筈である。
しかし月を昼も夜も見かけない。
月が無いから潮汐も発生せず、この世界の海は常に凪の状態だ。
そして夜に月明りが無い為、漆黒の闇に包まれている。
暗礁も無いし、島も一切見かけない。
どこまで行っても海だけ。
唯一の光は見知らぬ星座の発するもののみ。
夜戦に応じた「大和」の面々であるが、油断はしない。
こうした暗闇の中で、先んじて探照灯を点けるのは、自分の位置を知らせるようなものである。
あの意地の悪い神とか天の声の為す事だ、きっと何らかの方法で、「大和」と「トンブリ」は近い距離に置かれているのだろう。
こちらから光を出す事なく、先に敵を見つけ出さないと。
「トンブリ」の20.3cm砲は日本海軍の重巡洋艦に使われているものである。
中々高性能な砲だ。
「大和」を沈めるには至らずとも、火災を起こした艦に対し暗闇を常に移動しながらヒット&アウェイに徹しられたら、判定負けも有り得る。
「『トンブリ』に魚雷が無いのは救いだな」
有賀はそう考える。
先に見つかって、魚雷を何発も打ち込まれたら、「大和」とて大損害を受けるだろう。
そして魚雷発射時には発砲炎は無い為、相手の居場所は分からないまま、一方的に打たれ続ける。
(焦るな。
「トンブリ」の方も我々を見つけられずにいるのだ。
代々夜戦の練習をして来た日本海軍と違い、タイ海軍は夜戦は不得手であろう)
緊張をしながら数時間が経つ。
19時半の日没から7時間後の深夜2時半、静寂は突如破られる。
「大和」が先に発見され、「トンブリ」から先制の一撃が放たれた。
これはサイズの違いに由るものだ。
全長76メートルと、大正時代の樅型駆逐艦(全長88.4メートル)よりも小さい「トンブリ」の発見は難しく、全長263メートル、艦橋の高さ46メートルの「大和」は星明りを遮るシルエットを比較的探しやすい。
先に発見した「トンブリ」は主砲を発射し、その内1発が「大和」の後部艦橋付近に命中する。
思わぬ先制打を受けた「大和」だったが、同時に発砲炎から「トンブリ」の位置も確認する。
想像以上に近い位置まで忍び寄っていた。
距離にして2千メートルくらいだろうか。
(やられたな)
と思いつつも、夜戦に不慣れな「トンブリ」乗員が命中弾を出せる距離にいるという事は、こちらも当てられるという事で安心する。
「探照灯照射。
さっきので場所は分かるな」
そして砲術長も命令を出す。
「1番、2番、3番副砲、順次砲撃開始。
各砲塔目視照準。
敵は近い。
狙って撃て」
近距離の小型艦相手に主砲は、オーバーキルというより扱いに困る代物だ。
それよりも60口径15.5cm副砲は、毎分7発もの射撃が可能で、散布界も小さい、それが片舷方向に3基9門向ける事が出来る。
有賀は敵が「トンブリ」と分かった時点で、副砲での対決を指示していた。
これまで手持ち無沙汰であった副砲要員たちは喜び、夜戦を楽しみに待つ。
そして敵発見、砲撃開始命令を受けて喜び、直接照準で砲弾を放ち続ける。
探照灯要員もこの世界での初仕事に、張り切って照射し続けていた。
会敵から30分余り海戦が続く。
「トンブリ」もあの手この手で回避や攻撃を試みていた。
「やりますな」
「よくやっている。
同盟国として誇らしい」
「敵ながら天晴れ」
「自分が演習の採点官なら、高得点をつけてます」
こんな上から目線での評価が出来るようになったのは、「トンブリ」が炎上して沈没しかけているのを確認した後の話だ。
「撃ち方止め。
探照灯はそのまま。
いくら死なないとはいえ、友邦国に対しての礼儀だ。
短艇を下して救助に向かえ」
有賀艦長の時代で、中華民国と名を変え「志那」と呼んでいる旧清国、ソビエト連邦と改まったかつてのロシア帝国、そして連合国のオーストラリアはいずれも敵か、敵だった。
それに対しタイは一度も敵対した事が無い。
こんな世界と言っても、溺死なんかさせたくない。
漂流者を救出し、「大和」に上げて健闘を讃えた。
日本海軍には敵艦の乗員であっても、沈没後は危険を顧みずに助ける艦長も存在する。
いわんや友好国をや。
こうして意外な奮闘を見せた海防戦艦「トンブリ」とその乗組員に拍手を送りながら、「大和」のアジア予選は終了するのであった。