有賀幸作という男
戦艦「大和」艦長・有賀幸作大佐(死後に中将)は、1917年に海軍兵学校45期卒業生として大日本帝国海軍軍人としてのキャリアをスタートさせた。
最初の駆逐艦「水無月」乗艦を皮切りに、主に水雷戦隊勤めをして来た。
戦艦勤務は「長門」に乗艦した事があるが、その時は規則にうるさい事に戸惑ったという。
司令官としては第一掃海隊司令が最初で、その後は駆逐隊司令を歴任する。
他のキャリアとしては、重巡洋艦「鳥海」艦長や水雷学校教頭というのがあり、はっきり言えば水雷畑の軍人であった。
戦艦艦長はこの「大和」が最初で最後である。
故に、不慣れな「大和」の操艦だった為、魚雷を多数受けたのではないか、という評があるが、あの坊ノ岬沖海戦では仕方が無い、誰が操艦していてもあれだけ被雷したとも言われている。
こんな経歴だから、海戦の条件では夜戦を選択する。
水雷戦隊は闇夜に紛れて敵に肉薄し、魚雷を放つ夜戦を行う。
有賀はこの夜戦の訓練は何度もして来た。
元々日本海軍は猛訓練をして、チートじみた練度を誇る軍隊なのだ。
主力艦と違い、喪失を覚悟の上で使われる駆逐艦乗りは、対水上艦攻撃においては世界最強と言えただろう。
……対潜、対空には触れないでおくが。
むしろ「大和」艦長となってからの方が、燃料不足から砲撃訓練もろくに出来ないとボヤいていたという。
とにかく実戦畑で来た有賀は、一番自分が慣れている戦い方を「大和」でもしようと思う。
彼は本来、豪放磊落な性格である。
締めるべき時は締めるが、基本的に部下に優しく、笑顔で接する人物である。
だからこそ着任から日が経ってなくとも、戦艦乗りでなく駆逐艦乗りからの艦長であっても、「大和」の全乗組員から親しまれていた。
そんな彼なのだが、この異世界における日本人の最高責任者として、ただ豪胆で優しい人物なだけではいられない。
優勝したら何が得られるのか、敗北したらどうなるのか、いまだに教えて貰えないのだが、そんな中でも部下を率いて、意味の分からない戦いを指揮して勝つのだ。
きっとそれが、遠い祖国・日本の為になると信じて。
(俺は現場一筋。
参謀や教育者をやった事もあるが、肌に合わなかった)
そう回想する。
(考えてみれば、政治的な役回りには近寄らなかった。
連合艦隊司令長官にはなりたいが、軍令部長や海軍大臣には興味が無い。
一軍人として方針に従って生きる方が楽。
方針を立てるにしても、会議で決めたい。
そんな俺が、どうして皆の生命を預かるだけならいざ知らず、天とやらの応対までしなければならないとは……)
そう、彼にしか天の声は届かない。
天との交渉は彼にしか出来ない。
他の者、例えば能村次郎副長が天から届けられた通達文を見ても
「これは天一号作戦前日の新聞じゃないですか」
と、違う物に見えてしまうようだ。
だから事情を話して相談する事は出来ても、最終的には彼一人が天と話をしたり、申請書を書いたりする。
そういう意味では彼は孤独であり、交流した「ヴァンガード」のアグニュー艦長や「トンブリ」のウィーラーハン艦長が立場を共有出来る同志とも言えた。
(そして、宿敵であるアメリカ戦艦の艦長も。
こんな理不尽な状況に巻き込まれた相手にも奇妙な同情のような気分を感じる。
元の世界に居た時には感じなかったものだ。
ではあるが、俺はアメリカに勝ちたい。
ここで勝っても何の意味も無いのかもしれない。
日本はきっと負けるだろう。
そんな事は分かり切っている。
天一号作戦だって、伊藤整一第二艦隊司令長官が言っていたように
「この命令は我々に死所を与えたものである。
死んでこいということである」
という意味しか無かった。
こんな作戦をするしか無い軍隊が勝てる筈が無い。
講和の際に少しでも有利な条件を引き出す、その為の捨て石にすらならない。
分かっている、分かっているが
「それでも俺はアメリカに勝ちたい。
沖縄にたどり着けなかった『大和』の無念を晴らしたい。
一矢報いたいのだ」
という偽れぬ感情を胸に抱いていた。
正直な話、アメリカ戦艦と戦う為に、この理不尽な世界で戦い続けて来た。
アメリカの前に、イギリスもフランスもソ連もどうでも良かった。
だから彼は、アメリカとの決戦日が知らされると、全乗組員を第一砲塔前部に集めて訓示を行う。
いよいよ勝負だ。
早い話、これに勝ちさえすれば、決勝戦で負けたって良い。
この一戦だけは、出し惜しみを一切する事無く、前部出し切って勝つしか無い。
また負けたら、死んでも死に切れない。
「ここまで来て海軍魂がどうこう言うのもなんだが、
この戦いだけは諸君の努力と根性に期待する。
次の戦いは夜戦になるだろう。
私は夜戦は得意だが、それでも見張り員の目が無いと指揮も出来ん。
しっかりと敵を見つけ出して欲しい。
夜戦では接近戦になるだろう。
この『大和』の装甲とて、1万メートル以内から撃たれたら貫通するかもしれない。
だが、肉を切らせて骨を断つ!
どんな損害が出ても、怯む事無く戦い続けて欲しい。
そして、手の空いているものは、消火や排水作業を手伝って欲しい。
直撃を喰らって、私が戦死する事もあるだろう。
その時は誰かが指揮を引き継いで戦い続けてくれ。
最後は二等水兵だけになっても戦ってくれ。
どうせこの世界に僚艦も居ないし、帰るべき祖国も無い。
戦って死のう。
いや、死ぬ事すら出来ないかもしれない。
明日になれば生き返っている事もあり得る。
死して靖国神社にも行けないのなら、勝って生き続けるしか無いだろ!
今回は敢えて言う、必勝の信念で戦い抜け!
私からは以上だ」
我ながら余り上手い演説では無いと思う。
それでも、拙いなりに感情は伝わったと思う。
部下たちも
「沖縄に行けなかった無念を晴らしましょう」
「今度は空母相手じゃないんだ、この『大和』の強さを見せてやりましょうぞ」
「一対一で『大和』が負けるとは思いません」
と対アメリカに闘志を漲らせている。
有賀艦長は二度目のオムライス解禁を命じた。
宴会である。
現実世界での「大和」最後の出撃前、未練が無い様にと開かれた「無礼講の宴会」と同じものである。
この宴会で、有賀は不思議な体験をした。
有賀幸作は見事なまでの禿頭である。
無礼講の席で、彼は青年士官から
「お、木魚があるぞ」
と頭をペチペチ叩かれたのである。
有賀はこの事を咎めない。
笑って許す度量がある。
不思議だったのは、この無礼が二度目であった事だ。
一度目は、この世界に召喚される前、沖縄に向けての出撃前夜であった。
(不思議だ。
全く同じ事を繰り返しているのか?)
そう言えば、彼の部下たちの行動は彼が覚えているそのままであった。
彼も知らなかったような意外な事をする者は居ない。
タバコをくすねていくのも、ヘビースモーカーの彼を「煙突」とあだ名しているのも、全部覚えている。
既視感なんてものではない、はっきり覚えている事なのだ。
もしも太平洋戦争から80年後の世界の知識が有るなら、こう思ったのかもしれない。
ここは仮想現実世界で、自分以外の者たちは、元の世界での人格を元に再現されたキャラクターなのでは無いか? と。
そして自分自身すらそのようなものではないか、と。
魂がそっくりコピーされ、それがこの世界における投影体を動かしているのかも。
生憎有賀はそんな未来知識も無く、バーチャルとかアバターなんていう概念すら知らないから、自分の記憶から一歩も外に出ない部下たちに違和感を感じつつも、下手に思い悩まず、戦いの為に切り替える事にした。
もっとも、彼以外が再現キャラだというのは誤りである。
彼の記憶に無い行動をする者も存在していたのだ。
次の戦いでそれを知る事になろう。
この回からジョーク少なめでいきます。