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迷い


 昨夜は何やらバタバタと騒々しかったので何だったのかと思っていたら、どうやら夜中に突然雷帝がシルヴァの部屋を訪れたらしい。

 突然訪問するとは、なんて自分勝手なのだと類は呆れた。


(やっぱり最低だ····)


 類の中の雷帝像は、すっかり(顔が良いだけの)駄目男ダメオと化していた。


 押しのイケメンアイドルの裏の顔を知って幻滅する女性の心理と似ているかもしれない。類は初めて雷帝に対して芸能人に抱くような気持ちを抱いたが、それは見た目に対してだけだし今となっては後悔している。


 今は食堂にいて、ヘルガが真ん前の席で黙々と朝食を食べている。雷帝の訪問のことは近くに座っていた女官の話を盗み聞きして知った。

 ここの女官は皆、揃って食事するわけではなく、各々が自分のペースで食堂へ赴き勝手に食べて出ていく。就業時間が人によってバラバラだからだろうか。その方が気楽だ、と類は思う。


 ヘルガとは一緒に食堂へ来たが、いつもより口数が少ない。昨日の話が原因だろうか。類はちらりとスープを飲むヘルガを見る。


(ほっぺにチューはびっくりしたけど、欧米人のような感覚なのかな? おやすみ前にする習慣?)


 じーっと見ていたからか、ヘルガが視線に気付いたようにチラと上目遣いでこちらを見た。


「何見てるのよ?」

「あ、いや、なんか今日は大人しいなって」

「はぁ? 可憐な乙女に向かって『今日は大人しい』って、いつも騒々しいみたいに言わないでくれる?」

「可憐って。可憐だったら『はぁ?』とか言わないでしょ」

「なによ。あたしをフッたくせに。あたしより元の世界のがいいんでしょ!?」

「それは····って、『元の世界』って····」

「あ····」


 ヘルガは一瞬しまったというような顔をしたが、「だって分かるじゃない! 冥界じゃなく帰るところと言えば人間界しかないでしょ!? あんた話せないとか言っておきながらバレバレなのよ!」

「しー! 声が大きい!!」


 類は周囲を見回して口に人差し指を当てる。離れた席に座っていた女官にじろりと見られた。ヘルガは小声で続ける。


「どういう事情か知らないけど、特殊な経緯なんでしょ!? そんな例は極希ごくまれだけどあるにはあるのよ!」

「そうなの!?」


 類はヘルガの話に食いつく。シルヴァも聞いたことがないと言っていたが、ヘルガは情報屋の娘だ。より多くの情報を持っていても不思議ではない。


 類は今までの経緯をヘルガに話すことにした。もしかすると、雷帝に頼む以外に人間界へ帰る方法が見つかるかもしれない。


 それぞれの今日の仕事場へ向かうまでに、話せるだけのことを話した。


「····事情は分かったけど、あたしの気持ちは変わってないわよ。協力なんてしないから」


 ふんっと鼻から息を吐いて、ヘルガは仕事に行ってしまった。分かってはいたが、やはり協力してくれないか。類はふうと息をついて、一人で抱えていた秘密を共有出来たことで少し心が軽くなったとポジティブに考えることにした。


 そして今日は人間界で類が寿命を迎える日であることも思い出す。今日が無事過ぎれば、いつでも戻ることが出来る。





 類はシルヴァに呼び出されたので、急ぎ部屋へ向かった。部屋へ入ると、シルヴァは機嫌良さそうだった。昨夜雷帝が訪れたからだろうか。なかなかお通いになってくれないと言っていたから久しぶりだったのだろう。


「お前の服が出来上がったから、早速着てみてちょうだい」


 あの採寸した服か。思っていたより随分早い。あの下女たちは優秀な仕立て屋だったのだなと少し感心した。

 

 シルヴァが服を側に控える女官に渡す。


 女官が着せてくれようとしたのだが、それはさすがに、と思い隅の方で着替えてくると、最後に女官が細かいところを整えてくれた。その後女官は一礼して部屋を出て行く。


「こ····これは····」


 服を着た類は何と言っていいのか分からなかった。類に似合うのは間違いないが、これは····まさか、わざとか。


「まるっきり男では!?」


 まるで富豪のお嬢様に仕える執事のような格好。黒ベースの生地で作られたパンツに、同じく黒い少し丈が短めの薄手のジャケットは、類の足の長さを強調するような作りだ。ジャケットの中には上品な白いシャツがのぞいている。シャツに少しだけレースがついているのがワンポイントか。シャツとジャケットの間に着たチャコールグレーのベストがジャケットの裾から少し飛び出している。


「何か問題?」

「いえ····この格好で雷帝に会ったら、『なんでここに男がいるんだ』ってなるのでは」

「雷帝風に言うと『何故ここに男がいる!』かしら」

「いえそこはどうでもいいですが····私は殺されるのでは?」

「雷帝の前では着なくていいわ。私の所へ来る時だけ、着てきてちょうだい」


 まあ個人的には女官の服よりもこちらの方が落ち着くのは間違いない。どうやらシルヴァは本当にただ類に似合う服を着せたかっただけで他意はないらしい。びっくりした。わざと男の格好をさせて雷帝の怒りを買わせるのが狙いではと一瞬思ってしまった。

 シルヴァに限ってそれはないことは分かっていたのに。


 シルヴァは類に近づくと、その真っ直ぐな漆黒の前髪をわさっと掻き上げた。


「オールバックにしたらより良いわ」


 そう言って、一度類の元を離れ鏡台へ向かう。ワックスのようなものを手につけて、それを手の平全体で練りながら、再び類に近づいてくる。

 手櫛で髪を整えられる。艶の増した類の髪は、前髪ごと後ろへ掻き上げられた。


「毛が真っ直ぐで柔らかいから戻ってきてしまうわね。でもこれはこれでいいわ」


 オールバックにはならなかったが、整えられた髪型はキマっていたらしい。シルヴァは満足そうに二重の目を細めて微笑んだ。


「格好良いわ。さすがはルイね。ああ、私だけのものにしたい」


 頬に触れようとして、ワックスがついていたことを思い出したのか寸でのところで止める。代わりになのか、頬に口づけを落とされた。


(最近よくほっぺにチューされる····)


 少し慣れたのか、類はまたかと思えるほどの余裕が出てきた。

 

 そうだ、というように、シルヴァはまた鏡台の方へ行き、光沢のある黒い靴を持ってきた。先が尖っている革靴だ。


「これもね」


 類は早速履いてみる。ピッタリだ。採寸の時、足のサイズも測っていたことを思い出す。


「これは買ったものだけど、良いわね」


 シルヴァは腕を組んで、満足気に頷いた。


「あ。そうそう。昨夜雷帝と話したのだけど、お目通りの日が決まったわ。明日よ」

「え!?」


 類は突然の話に面食らう。明日、とうとう雷帝と対面することになるのか。

 

「お目通り用のドレスも用意しておいたわ。明日は徹底的に着飾って、雷帝にお気に召していただくのよ」


 ····やっぱり女装するのか。当然だが何となく気が重い。男の格好で行く方がまずいのは分かっているが、男性に気に入られるために着飾る日が来るとは思っていなかった。人生どうなるか分からないものだ。

 そして別に気に入られる必要はないんだったと思い出す。明日のお目通りの際に、雷帝に元の世界へ帰してもらうようお願いする。駄目なら別の方法を考える。

 類はシミュレーションするように、頭の中にその光景を思い描いた。


「場所はここの広間よ。側室も一同に介するし、大規模なお披露目会にするつもりよ。お前のね」


 シルヴァは美しくウィンクした。が、全然嬉しくなかった。エリサベトとの話を聞いていたはずなのに、聞かなかったことにするつもりなのか。類はここを去るつもりだと言ったのに。


「駄目よ」


 何も言っていないのに、シルヴァは少し目線を鋭くした。


「え····?」

「ここを去るのは。お前は、雷帝に良い影響をもたらすと思うの。勘よ。でも私の勘はすごく当たるの」

 

 心を読む力もあるのか? というほど、シルヴァは度々類を驚かせる。それほど顔に出ているのは思えないのに。


「でも····」

「お前にしか出来ないことがある。だからここへ来た。そう思えばいい」


 シルヴァは、ヘルガと同じことを言う。私にしか出来ないこととは何なのか? 雷帝が関わること? 雷帝には正直関わりたくないのに。嫌な予感がするのだ。類も勘は鈍い方ではない。雷帝に関わればろくなことがない。そんな気がして仕方がない。

 

「明日は出ます。でも、雷帝に気に入られる気はありません····」

「何故? 怖いの? ····好きになってしまうことが」

「····!」


 類はシルヴァに言われて、確信した。正直、雷帝のことが良くも悪くも気になっている。本当はどんな人物なのか知りたい。好きになってしまう可能性がある。類は男性でも女性でも、そう思ってしまったのは初めてなのだ。だから怖い。一刻も早く帰らなければと思うのだと。だから退路を断つためにエリサベトにここを去るつもりだと宣言した。

 

「····好きになってしまったら、幸せと不幸が共存する形にはなるわ。でもね、あの方に見初められることは、この世の至福であることは保証するわ」


 シルヴァは眉を傾けて言った。本当にそう思っているのだろう。類は何も言うことが出来なかった。


 部屋を出た後も、雷帝のことを考えていた。側室になることで幸せになれるとはとても思えない、という考えは変わらない。そもそも類はちゃんとした恋愛などしたことがない。それがいきなり側室になり、一夫多妻の世界で生きていくなどハードルがエベレストのように高い。

 シルヴァやエリサベト以外の側室たちは幸せなんだろうか。雷帝のことを好きでなければある程度幸せかもしれない。恋愛に重きを置かないのであれば、贅沢な暮らしが出来るしむしろ最高か。

 

(逆に人間界に戻ったらどうなるんだろう。当たり前に戻るつもりだったけど、その後どうなるかなんて考えてなかった)


 そのまま、死なずに済んだ世界で何事もなかったかのように生きるのか。高校を卒業して、大学へ入り、就職する。結婚して子供を産んで····自分が子供を産むなんて想像出来ない。それどころか男性と付き合い結婚することも。


 あああ! っと類はせっかく整えてもらった頭を乱雑に掻きむしった。何が正解か分からない。シルヴァやヘルガの言うように、類にしか出来ない仕事のようなものがこの世界にあるのなら、ここで生きていく意味があるのかもしれない。でも、今はそれが本当にあるのかも分からない。

 人間界には自分を待っている家族がいる。別れの挨拶もしていない。このままこの世界にいるということは、家族と永遠に別れるということだ。それは悲しすぎる。それを回避するためにここへ来たのだから。


――そうだ。帰ろう、人間界に。家族に会うために。明日は雷帝にそれをお願いしよう。


 類を見てザワザワする女官たちを尻目に、決意の眼差しで仕事場へ向かった。



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