類の立場
夕方、十分に睡眠が取れたところで衣装部屋に呼び出され、類は複数の下女たちに採寸されていた。
「ルイ様、もう少し腕を上げてくださいますか? そうです、まあルイ様、腕が長い」
「脚も長いですわ。完璧なスタイル。さすがルイ様」
「美しい····」
三人がかりで採寸する必要はあるのだろうか。ベタベタと必要以上に体を触られている気がするが、気のせいか。そして開始してから随分時間が経っているが、一向に終わる気配がない。
「あ、あの····そろそろ仕事に行かないと」
「まあ、申し訳ございません。でもこれはシルヴァ様直々のご命令ですので、疎かにすることは出来ませんわ」
下女はそう言って、また類の腕に手をかける。
どうやらシルヴァが昨夜言っていた、『お前の魅力を最大限に引き出す服を作らせる』という言葉を実行しているらしい。
薄手のタンクトップにショートパンツというほぼ下着姿の類は、それだけで落ち着かないのにこうもベタベタと見知らぬ人間にあちこち触られては、恥ずかしいを通り越して不快だ。
はぁと溜息をついて、どこへ行っても逃れられぬ自分の運命を呪う。
何故類はこうも女にモテるのか。生まれてこのかた、放っておかれたことなどないに等しい。いつでも周りにキャイキャイと女たちが纏わりつく。
いい加減にしてくれと思ったことは数え切れないほどある。放っておいて欲しい時だってある。類だって、イケメンである以前に人格のある人間だ。その尊厳を無視されているように感じたことは数知れない。
それでも爆発しなかったのは、それが好意からだと分かっているから。自分が我慢すればそれで済むという境地に辿り着き、今まで生きてきた。
しかし虚しい気持ちは拭えなかった。誰も本当の類を見ていない気がしていたからだ。外見や仕草、声などに好意を抱かれても、実は少しも嬉しくない。それは生まれ持ったもので、努力して身につけたものでもなければ、自らの意思を反映しているものでもないからだ。ただの器。その器を、皆崇拝するように寄ってくる。
皆の期待を裏切らないために、本音を押し殺して生きてきたことは、本当は間違っていると気づいていた。
コンコン
入り口の扉から音が鳴る。
「ルイ〜、終わったぁ?」
ヘルガの声だ。ピクリと類の表情は動く。下女たちは手を止めて、扉の方を見た。
ガチャリと扉が開き、ヘルガが入ってくる。
「いつまでかかってんのよ! さっさと終わらせなさいよ!」
ヘルガが怒ると、下女たちはアセアセと道具を持って「もう終わりました〜」と類から離れる。終わってたのか。類は項垂れた。
「早く服を着て! 仕事に行くわよ!」
類は素早く女官の服を身につけると、ヘルガと共に衣装部屋を出た。
廊下を歩きながら、ヘルガは珍しく真剣な面持ちで話し始める。
「あんたが寝てる間に、大変な事件が起きたのよ!」
「大変な事件?」
「そう! エリサベトが毒を盛られたの」
「えぇっ!?」
「そしてそれをルイの仕業だと、エリサベトがのたまったのよ」
「はぁ!?」
ヘルガはチッと舌打ちして、可愛い顔を極道のように歪ませて言う。
「あの女····絶対に自作自演だわ。ルイを追い出すために手段を選ばないってのは本当のようね」
シルヴァとの会話が聞こえていたのか。類はもしシルヴァの女官になっていなかったら本当に為す術なく追い出されていただろうと思う。
「ルイをよこせと暴れているそうよ。シルヴァ様が牽制しにエリサベトの元へ行くらしいから、私たちも行くわよ」
二人は急ぎ、シルヴァの部屋へ向かった。
「別に急がなくていい。急いで行ったところで何も変わらない。頭の足りぬ女が痺れを切らせて向こうから来るかもしれないし、もう少し様子を見よう」
部屋に入ると、主は優雅に絵を描いていた。先端に赤いインクをつけた細めの筆を持ち、椅子に腰掛け、木で作られたイーゼルに立て掛けられた厚さ2〜3センチはある大きな白い板のようなものと向き合っている。
「次はお前をモデルにしたい」
シルヴァは妖艶に微笑んで類を見つめる。何と言ってよいか分からず、「はぁ」と曖昧に返事をする。隣にいるヘルガに小声で「ちゃんと返事しなさいよ」と怒られる。
ひとまず急ぎではないらしいので、ヘルガと共に部屋を出る。
シルヴァ邸の女官長であるサラが、部屋の前で待機するよう二人に命じる。類たちをここへ連れてきた女官だ。
ヘルガと共に、シルヴァの部屋の扉の両隣に向かい合って立つ。扉が閉まっていても声は少し聞こえるようなので下手なことは言えないと思い、二人は黙ったまま目線だけを時折交わす。
雷帝がここへ来た時はどうするのだろうか、と類は少し気になる。下々の者には聞かれたくない話をすることもあるだろう。人払いするのだろうか。
ヘルガは暇そうに呆けたり、手をぶらぶらとさせたり、周囲をチラチラと見たりしている。じっとしているのが苦手なんだろうなぁと類は思う。それでもヘルガにとって、この仕事は理想のはずだ。そのために後宮へ入ったと言っていた。
「ルイはいる?」
類がぼーっとしていると、突然中から声がする。
「は、はい」
と慌てて返事をする。「入れ」と言われたので、扉を開けた。
「何の御用でしょう」
女官の言葉の使い方はイマイチよく分からない。とりあえずは我流だ。
シルヴァは類の姿を見ると、目を細めて嬉しそうにした。
「一緒に食事しよう」
と言われる。「は、はぁ」とまた曖昧に答えてしまう。女官と食事することなどあるのかと思ったが、命令には従うしかない。
シルヴァはヘルガを呼び、二人分の食事の用意をさせるよう命じた。ヘルガはチラリと類を見て、いいなぁというような顔をした後、部屋を出て行った。
絵のセットはそのままの場所に置かれている。椅子だけをテーブルの側へ移動するように言われたので、類はそれほど華美ではないがシンプルにセンスの良い椅子を持ち上げる。その際にチラリとイーゼルに乗った絵を見て、ハッとした。廊下に飾ってあった絵の中の、金髪の天使。それと同じ姿が、この絵の中にあった。一つ違うのは、この絵には天使の羽が描かれていない。
思わず椅子をその場に下ろし、絵を見入ってしまった。
ゆるりと腕を組んだシルヴァは、そんな類を見て、ふっと微笑む。
「雷帝は美しいでしょう?」
それを聞いて、類はこれが雷帝か! と衝撃を受けた。何故か分からないが、無性に目を惹かれるこの姿。美しいのに、線は細くなく逞しく見える。
「もしかして、廊下の絵はシルヴァ様が描かれたのですか?」
類はシルヴァを見て聞いてみた。シルヴァは首を軽く横に振る。
「あの絵を描いたのは私ではないわ。元々この国にあったものよ。それを買い集めたの。なかなかに苦労したわ。あれらを描いた者はもうここにいなかったから、各地に散らばっていたのよ」
「何故····買い集めたのですか?」
類が聞くと、シルヴァはまた雷帝のことを思い浮かべているのだろう、瞳の色を深くする。
「雷帝のことをより深く知るためよ。まずは戦争のことを知りたかったの。情報を集められるだけ集めたけど、戦争を知る人はほとんどいなかったわ。あれは貴重な資料なのよ」
類は再び絵に目を落とす。赤い甲冑を身に着けた雷帝が、巨大な黄金の槌を肩に担いでいる。その目は遠くを見つめている。
「雷帝はどのような方なのですか?」
類は本当の主であるはずの、まだ会ったことのない雷帝に少し興味を持った。類の目的は雷帝に天上界の扉を開けてもらうこと。それ以外はないのだが、絵の中の人物が雷帝なら、そうでなくとも本物に会ってみたい気持ちになった。どのような雰囲気を持っているのか、性格は、声は、身長は? テレビの中の芸能人に興味を持つとはこんな感じかとふと考えた。
「雷帝は激しいお方よ。気性が荒く、すぐにご機嫌を損ねる」
「そ····そうなのですか····」
類はそれを聞いて少し残念な気持ちが湧いてくる。聞いてはいたが、雷帝に心酔しているシルヴァですらそう言うなら、本当にそうなのだろう。
シルヴァは言い直すように続ける。
「真っ直ぐだということよ。ご自分の気持ちに正直なの。偽ったりすることはない。常に前を向き、戦っている」
確かに、絵を見てもそれは分かる。瞳には意志の強さが宿っている。向き合うべきことに常に向き合い、戦い続けることは簡単ではない。類も、自分を偽ったまま生きてきたと言えばそうなのかもしれない。その方が楽だからだ。多くの人間はそうするのだろう。
類は何故か、雷帝をフォローするように考えてしまっていることに気付いた。自分が惹かれたのは良い人物だと思い込みたいのだろうか。
「シルヴァ様。お食事をお持ちしました」
外からヘルガの声が聞こえる。すでに食事の用意は出来ていたのか、やけに早い。シルヴァが入るように言うと、扉が開きゾロゾロと女官たちが大小様々な皿を持って入ってくる。まだ銀色のクローシュが被せられた状態だが、隙間から漏れた僅かな美味しそうな匂いを類の鼻は捉える。
椅子をテーブルの側に移動させる。そのまま椅子の側に立っていると、シルヴァに座れと言われた。
しかし料理を運ぶ女官たちの前で、自分だけ椅子に座るのは何となく気が引ける。同じように皿を持ったヘルガが、目で不満を訴えてくる。しょうがないだろという顔をヘルガに送り返す。シルヴァの手前、気は引けたが類は仕方なく椅子に腰掛けた。
2.5メートル✕1メートルほどの白の長テーブルの長い方を前に、シルヴァと向い合わせになって座っている類は、次々と運ばれてくる皿に目を向ける。やがて皿が揃うと、女官たちはクローシュを開け、それを手に下がる。一礼し順番に部屋を出て行った。サラとヘルガだけが最後まで残り、テーブルの脇に立っていた。
類の目は皿の中の料理に釘付けだった。料理の良い匂いは、香の香りを掻き消したちまち部屋の中に充満する。
緑や赤い野菜の入った白濁したスープ、フォアグラのようなものが乗ったフィレステーキには黒っぽいソースがかかっていて、背中を割られた大きなロブスターはレタスに包まれ存在感を放っている。他にも沢山の種類の野菜が盛り込まれたサラダ、オレンジ色のクリームで和えられたパスタなど、色とりどりの料理がテーブルを彩っている。
それらはキラキラと輝いているように、類の目には映った。類の瞳も輝く。
サラはワインボトルを開栓し、シルヴァの前のワイングラスに赤ワインのような液体を注いだ。類の前には水のグラスが既に置かれている。
「今回はヘルガが毒見をいたします」
サラがシルヴァに向けてそう言うと、シルヴァは早速始めてと言う。
サラは盆に乗った小さな沢山の皿に、順番にテーブルに並んだ料理を一口分ずつ、各皿に備え付けられた道具を使い入れていく。
全て入れ終わると、テーブルの空いたスペースにそれを置く。ヘルガの目の前だ。
ヘルガは目を輝かせ、「では毒見を始めさせていただきます」と言って、女官が持ってきた簡易の椅子に腰掛けフォークを持った。順番に小皿の中の料理を口に運ぶ。
恍惚! という表情で一口目を食べたヘルガは、「だ、大丈夫です」と言い、次の皿に手を付ける。全て食べ終わった頃には、ヘルガの顔はとろけていた。毒見がそんな顔をして良いのか。類と同様にサラもそう思っているのだろう、冷や冷やとしたような表情でヘルガを見ている。
「ご苦労さま。下がっていいわよ」
シルヴァに言われ、サラが早く立ちなさいと促すと、ヘルガは慌てて立ち上がり自身が座っていた椅子を持ち上げた。サラは空の小皿の乗った盆を持つと、頭を下げて「ごゆっくりお食事をお楽しみください」と言い、チラリと類を見た。その目は「くれぐれも粗相のないように!」と訴えているようだった。
サラとヘルガが出て行くと、シルヴァは「では、食べよう」とワイングラスを持ち上げた。
類はレストランなどで料理を取り分けたことがない。家ではもちろんあるが、礼儀のようなものは何一つ知らない。どうしようかと思っていると、シルヴァはぷっと笑った。
「自分でやるから、お前はお前の分だけを取ればいいのよ。私は食事は自分のペースで取るのが好きなの」
心を読まれたようで、類は恥ずかしかった。シルヴァは全てお見通しなのか。類が分かりやすいのか。どうもシルヴァの前だと落ち着かない。主従関係があるからだろうか。
「あ、あの····シルヴァ様。何故私と一緒に食事を? 女官と食事など、しても良いのでしょうか」
類はシルヴァを上目遣いで見ながら、疑問に思ったことを聞いた。
シルヴァはワイングラスを片手に類をじっと見つめると、セクシーに形良く膨らんだ赤い上下の唇を開く。
「お前は可愛い」
突然言われた言葉に、類はえっ? となる。シルヴァは類の反応を見てふっと笑うと続ける。
「雷帝に献上するのでなければ、間違いなく私のものにしていた。しかしお前はいずれ雷帝の側室となる身。他と扱いを変えるのは当然でしょう?」
シルヴァはグラスの中のワインを飲み干すと、そっとテーブルに置いた。そしてフォークを持ち、ロブスターの背中の中身をざくりと刺す。一口分のコロリとした身が、フォークの先端に突き刺さり姿を現した。シルヴァは身の部分を類に向けて差し出してくる。
「食べてみて」
再びえっ? と目を見開く類。どうすれば····と戸惑っていると、あーんと言うように口を開いてみせるシルヴァ。えええ? と思いながらも、シルヴァにずっと手を上げさせているわけにはいかないので、おずおずと口を開ける。
ぱくり、とロブスターを口に入れる。ふわっとした食感が口内に広がった。
「お、美味しい····」
思わず漏れた一言に、シルヴァはでしょ? と言うように、満足そうに微笑んだ。
「ここにいる間、たまに食事に付き合ってちょうだい。一人で食べてもつまらないのよ。雷帝はあまりお通いになってくださらないし。側室になってからでも、いつでも歓迎するわよ」
本当に自分は雷帝の側室になるのだろうか、という疑問は持ったが、少し寂しそうに眉を傾けるシルヴァを見て、「はい」と言うしかなかった。
言われたとおり自分の分の料理を好きなだけ手元の皿に取り、食べる。「ほっぺが落ちそう」とはこういう時に使うのだなと思いながら、類は料理をどんどん頬張ってしまう。シルヴァはそんな類を微笑ましく見ているだけで、あまり料理に手を付けていないように見えた。
満腹になり、ふぅと息をついて水の入ったグラスを手に取る。主の前で満腹になるまで食べ続けるとは失礼ではないかという考えが途中ふとよぎったが、どの料理も絶品すぎて手が止まらなかった。
シルヴァはワインを飲んでいる。ステーキとサラダを食べていたが、あとの料理には手を付けていないようだった。シルヴァのグラスが空になった時だけ、類はボトルを手にワインを注いだ。もう五杯は飲んでいる。顔はほんのり赤くなっていた。しかし酔っ払ってはいないようだ。
その時、バタバタと走るような音が廊下から聞こえた。
「シルヴァ様! エリサベト様が面会を求めております!」
扉越しに女官の声がして、シルヴァはそちらに目を向けた。
「来たか」
と言って、類の方を見た。
「安心して。お前は渡さないから。必ず私が守る」
そして扉に向けて言った。
「広間に通して。丁重にね」
扉の向こうの女官は「承知いたしました」と言い、再びパタパタと走る音がした。
「私たちも行くわよ」
シルヴァはゆっくりと優雅に立ち上がると、昨夜と同じく面積少なめのドレスの上にベールのような薄手の羽織を羽織って、しゃなりしゃなりと扉に向かった。類もその後に付いていく。
シルヴァの緑色の髪を間近に見ながら、一体どうなるのだろうと緊張の面持ちで、外にいる女官が開けた扉をシルヴァと共に通った。