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過去の大戦争


 類は一人、別の女官が用意した晩酌のセットを持ってシルヴァの寝室の前に立っていた。


 類とヘルガが夜間の当番を担当すると女官が言うと、シルヴァは「ルイ一人でいい」と言った。類に晩酌の用意を持って来させるよう女官に命じ、類は一人、今ここに立っているというわけだ。


「シルヴァ様。晩酌の用意を持ってまいりました」


 慣れない敬語を使い類が言うと、


「入れ」


というシルヴァの声が聞こえた。心なしか明るい声に聞こえる。


 盆を片手に持ち、バランスを保ったまま扉を開けるのはなかなか難しかった。晩酌のセットは二人分と言われたので、結構重い。しかし類は持ち前のバランス感覚と運動神経で、手慣れたウェイターのように華麗にシルヴァの寝室へ入った。服装は完全にウェイトレスだが。


 変わらず甘ったるく官能的な香りが鼻孔を刺激する。類はこの香りが好きだと思った。

 シルヴァは初めて類がこの部屋に入った時と同じように、片膝をベッドの上に立て、片方の脚を垂らしていた。それが基本姿勢なのだろうか。ベールは上がっていて、シルヴァの姿は頭のてっぺんから足の先まで全て見える。シルヴァは類を見て薄く笑みを浮かべていた。緑のウェーブヘアは片方の肩に寄せられていて、先程とまた印象が少し違う。


「あの····こちらに置いても良いでしょうか?」


 類は自身の近くにあるテーブルに、晩酌セットの乗った盆を置こうとする。するとシルヴァは呆れたように息をつく。


「バカ者。私にそこまで取りに行けというの?」


 そしてクイクイと手の平を上に向け人指し指を前後に動かした。来いというジェスチャーだ。類は盆を持ってベッドに近づく。


「ここに置きなさい」


 ベッドの上に手をおいて、シルヴァが言うので、類はここ? と思いながらもベッドの上に盆を置く。


「お前も」


と言って、シルヴァは類もベッドに座らせる。顔を向かい合わせ、どうしたらいいのだと戸惑う類に、シルヴァはぷっと笑って言った。


「似合わないわね」


 その言葉を聞いて、類は一瞬で顔が真っ赤になった。この服だ! 女官の服! やっぱり似合わないのだ! 分かっていた。仕方なく着たが、やはり断れば良かったと類は後悔すると共に羞恥心がマックスに高まった。


「お、お見苦しければ脱いでまいります····」


 下を向いて声を振り絞りそう言うと、シルヴァはフフッと笑って「それもいいわね」と言った。


「お前の魅力を最大限に引き出す服を作らせるわ。少し我慢して」


 シルヴァは優しく類の頬に手をやり、繊細な指で輪郭をなぞった。大切なものが壊れないようにと労るようなその表情を見て、類は不思議と少し気持ちが落ち着いた。


「お前は雷帝に気に入られるだろう」


 まさか側室の口から言われると思わなかった言葉がシルヴァの口から出た時、類は思わず目を見開いた。


「ど、どうして····そう思われるんですか?」


 恐る恐る尋ねる。


「私は雷帝のことを、誰よりも想っているから」


 シルヴァはふっと笑って、空想にふけるように高い天井を見上げた。その脳裏には、類がまだ知らない雷帝の姿が映っているだろうことは明らかだ。妖艶な二重の目が、とろけるように天井を見つめている。まるで雷帝の姿が見えているかのように。


「誰よりも雷帝を想い、尊敬し、そして尊重したいと思っているの。だからこそあの方の望むことが分かる。あの方はお前を欲する。絶対に。私はそれに抗わない。無事にあの方の元にお前を届ける。ただその前に」


 唐突に、シルヴァの唇が類の頬に触れた。


「お前を少し苛めたかっただけ」


 気づくと両頬を両手で挟まれていた。


「え? え?」


 類は少し動転する。目に不安の色を滲ませた類を愛しいものを見るような目で見て、シルヴァはまたもやぷっと笑った。


「冗談よ。最初は雷帝に差し出す前に完璧に仕上げてやろうかと思ったけど、このままの方があの方好みだと気付いた」


 シルヴァはカラカラと笑い、類の持ってきた酒を小ぶりのグラスに注いだ。「お前も飲みなさい」と言われたが、類は酒を飲んだことがないし、未成年なのでと断った。シルヴァはそれ以上は勧めて来ず、一人で晩酌を楽しんでいた。類が席を立つことは許されず、話し相手になれと言われた。

 何を話すのだと思いながら、ベッドに腰掛けたまま、ぐびくびと勢いよく酒を飲むシルヴァをただ見るだけの時間が過ぎる。酒をどれだけ飲んでも酔った様子の感じられないシルヴァに少し驚く。


「お前····先の戦争を知ってる?」


 突然、シルヴァがほんのり赤くなった顔で聞いてきた。


「先の····戦争?」

「····大昔に起こった人間界と天上界の大戦争よ」

「そ、そんなことが?」

「知らないわよね。ほとんどの住人がこのことを知らない。途方もなく長い時が経っているから無理もないけど、それでも覚えておかなくてはならない。廊下の絵画を見た?」

 

 類はハッとして、ここに来た時に見た絵を思い出す。あの黄金の髪の天使の絵。


「あれは戦争の絵よ。天使の姿で描かれているけど、悪魔と戦ったのは神。その戦いで、天上界の最高神は死んだ。雷帝の父上よ。雷帝は、誰もが戦争を忘れ去ってしまっても、ずっと一人戦い続けている」


 急に酒が回ったのか、シルヴァは首を垂れた。しかし手はグラスから離れない。


「シルヴァ様。大丈夫ですか?」


 類が声をかけても反応がない。しばらく沈黙が流れる。やがてシルヴァのグラスにかかった指がピクリと動いた。そしてグラスをゆっくりと持ち上げると、そのまま口につけ傾ける。ゴクリと喉が動いて、グラスは空になった。


 とろりとした目をして、シルヴァは類を見た。その頬は上気したように赤かった。


「私は····生前呪われていた」


 突然また話し出した。類は寝かせた方が良いかと思ったが、シルヴァは眠る気はないようだ。話させろというように目で訴えてくる。類は眉を傾けて話を聞く。


「死んだ後、冥界へ行ったけど、なかなか生まれ変わることは出来ないと言われた。そんなことはまずないらしい。冥界へ行ってから49日経つと、魂は別の生き物になって生まれ変わる。それが普通よ。しかし私は普通ではなかったらしい」


 冥界へ行って49日経つと、魂は生まれ変わる。49日経つと戻ることは不可能とはそういうことだったのかと類は理解した。では天上界ならどうなのかと考える。


「人間界を出て天上界の門を通った場合、生まれ変わりはしないのですか?」


 シルヴァは座った目で類を見つめた。首をわずかに傾け答える。


「しないだろう。生まれ変わることが出来るのは冥界だけ。····お前は人間界から来たの? 冥界へ行かず直接? ····珍しいわね。そんな話は聞いたことがない」


 まあちょっと特殊な経緯で····と言おうとしたが、変に勘繰られても嫌なので黙っておいた。生きたまま来たことがバレたらどうなるのか想像がつかない。


 シルヴァは類が答えなくても気にせず続けた。酔っているのだろうが、受け答えはしっかりしているので、頭ははっきりしているようだ。


「天上界の住人は、ほとんどがここで生まれた者よ。ごくたまに冥界から流れてくる者がいるだけ。私もその一人」

「生まれ変わることが出来なかったから、こちらへ来たのですか?」

「····自分で決めたわけではないわ。雷帝が····私を見初めてくださったから、ここに来られた」


 シルヴァはまたボーッとくうを見つめるように言った。


「雷帝は····私の天。私の神。····私の····全て····」


 ここまで愛し抜かれて、何故新しい女を集めたのか。類は理解が出来なかった。雷帝はシルヴァが言うような素晴らしい男だとは、到底思えないと思った。


 シルヴァは眠くなったのか、突然ゴロンと横になった。布地から豊満な胸が零れ落ちそうになっていて、類は思わず目を背けた。女でもドキッとする体だ。男なら一瞬でノックダウンだろう。類は何となく自分の体を見下ろして、はぁと息をついた。立ち上がり、ベッドの上にあったタオルケットをシルヴァの体にかけた。いつの間にか、シルヴァはすーっと静かな寝息を立てて眠っていた。


 晩酌セットを盆に乗せ、それを持って部屋から出た。少し離れた所に立っていた女官に渡し、部屋の扉の脇に立った。

 薄暗いわずかな灯りに照らされた空間で一人、先程シルヴァに聞いた話について考える。

 冷酷と聞いていた雷帝にも壮絶な過去があったんだなと思ったが、まだ会ったこともないので特にそれ以上に思うことはない。シルヴァが雷帝にこれ以上ないほどに心酔していることは分かったが。魅力的なのだろうが、女をとっかえひっかえするような男にロクなやつがいないことは類も知っている。


 数時間経っても、中からは物音一つしなかった。グッスリ眠っているのだろう。

 類は立ったままふあっとあくびしながら、ヘルガはどうしているだろうかと考えた。





 朝方に仕事を終え、別の女官と交代し自室へ戻った。食堂が開くまではまだ時間がある。フラフラとベッドまで歩き、そのままフカフカのベッドに倒れ込む。駄目だ。このまま寝てしまいそう。心地良い布団の感触に包まれて、類は閉じそうになる瞼を必死に開く。

 今日は夕方まで仕事がない。もちろんシルヴァに呼び出された場合、すぐに行かなくてはならないが。朝食を食べたら寝よう、と思いながら、類は意識が遠のくのに抗うことが出来ず、そのままなす術なく夢の中に落ちた。


「ちょーっとー! いるのー!? 返事してよー!」


 ゴンゴンッという乱暴な音と共に聞こえる声に、類はハッと目を覚ました。ヘルガの声だ。のっそりと起き上がり、扉に向かう。鍵を捻りガチャリと扉を開けると、不機嫌なヘルガの顔が少し下にあった。


 ヘルガは「寝てたの」と言ってじろじろと類の顔を見てから、その視線を下にずらし観察するように類の足先まで這わせた後、また徐々に顔へ戻す。


「········食われた?」

「は?」

「シルヴァに」

「なんで?」

「········そんな勢いだったから」


 類はまだ寝ぼけた頭を斜めに傾ける。それよりもお腹がすいた。類の目はヘルガの手元に釘付けだった。類の反応を見て、ヘルガはふぅと息をついて言った。


「····何もなかったなら何より。はい、これ。朝食」


 ヘルガの手にはバスケットが握られていた。その中にはパンと瓶に入ったミルクとリンゴが入っている。


「ありがとう!」


 類がとびきりの笑顔を向けて言うと、ヘルガは


「これだけしか持って来れなかったけど! 有り難く食いなさいよ!」


と顔を背けるようにしてそう言って、バスケットを類に渡しさっさと行ってしまった。これから仕事なのだろうか。ヘルガは昨夜は休めたのか。

 類は受け取ったバスケットを見て、ふふっと笑った。ヘルガはなんだかんだ言って優しい。




   ◇◇◇





 雷獣オスカは、雷帝と共に断崖絶壁に立っていた。30メートルほど下の岩肌に、激しく打ち寄せる荒波がぶつかっては細かく飛散している。

 雷帝は、髪と同じ金色の瞳を真っ直ぐ眼前に広がる海に落としていた。


「再び大きな戦争が始まるのでしょうか」


 オスカの言葉に、雷帝は眉一つ動かさず、決意したように言う。


「他国でも間者の動きが活発化している。そう遠くないうちに始まるだろう」

「レム様を取り戻すチャンスとなれば良いのですが」

「そのつもりだ。必ず取り戻す。そして今度こそオルムを討つ」


 雷帝はギュッと拳をきつく握り締めた。そして思い出したように、オスカの方に目線をよこす。


「そういや、ペレの行方は分かったか?」

「いえ。申し訳ございません。あの者は本当に掴めないもので」

「ペレは使いようによっては役に立つ。が、油断は禁物だ。何を考えているかは俺にも分からん。突然オルムに肩入れする可能性は十分にある」

「はい。引き続き行方を探ります」


 オスカは再び前を見た雷帝の姿を伺い見る。この世の美と力を具現化したような存在。最高神の息子であり、天上界の現支配者。それがこの雷帝であり、オスカのあるじだ。

 オスカは物心ついた頃から雷帝に仕えている。先の戦争でも共に戦った。命をかけて守るべき唯一無二の主人だと心から思っている。


「雷帝。お忘れかもしれませんが····各地から集めた女が揃っている頃かと。気が向きましたら後宮にお立ち寄りください」

「忘れていた。今は気分じゃない」

「そう言われるかと思いましたが····女たちも雷帝のお帰りを待ち望んでおります」

「····戻ったらシルヴァの所へ行くか。新しい女たちは不便がないよう生活させておけ」

「は」


 雷帝はふぅと息を吐いて、透き通ったように青い天空を仰ぎ見た。天上界まで見えるのではないかというほど、遮るものが何もない空。太ももの辺りまで伸びた真っ直ぐな金髪が、湿気た風に揺れている。


「レム····」


 呟くように小さく発した雷帝の言葉を聞いて、オスカは目を伏せた。



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