類の処遇
シルヴァの部屋で、ドレス姿のままの類は腕を組んだシルヴァと向き合っていた。
「ヴァリス様に気に入られたのは不幸中の幸いよ。あの方は雷帝に進言されることもある立場。雷帝も一目置かれているからこそ、あの場が収まったのだと思うわ。ヴァリス様が発言されていなければ、おそらくお前の命はなかったわよ」
類は本当にいろんな人たちに助けられたことを実感した。雷帝の怒りが爆発していたら、自分は間違いなく殺されていた。そうなればもう家族には会えないし、おそらく冥界へ行き早々に生まれ変わることになっていたのだろう。今更ながら、自分の無鉄砲な行いに恐ろしくなる。
類が黙っていると、シルヴァはまたふぅと息をつきながら近づいてきて、類の頬に触れる。
「本当に、お前が無事で良かった」
「シルヴァ様····」
「····お前が発言したのは、エリサベトや私達を思ってだということは分かっているわ。今までそんなことを言った者はいなかったのに。褒めるわけではないけど····気持ちは嬉しいわ。ありがとう」
類は正直余計なお世話だったのかと思っていたが、『ありがとう』という言葉を聞いて、少し救われた気がした。
「エリサベト様は····大丈夫でしょうか」
類が眉を傾けてそう言うと、シルヴァはふっと笑う。
「自分よりもエリサベトを心配するのね。····正直、危ういと思うわ。でもどうしようもない。最初はああではなかったのよ。プライドは高かったけど、真面目で礼儀正しくもう少し穏やかだったわ。それが、エリサベトを側室に迎えた後、最初に新しく女たちが集められた時、変わったの」
類は『何人も犠牲になっている』というシルヴァの言葉を思い出した。
「目立っていた候補の女に危害を加えて、無理矢理追い出してしまったのよ。雷帝はそのことに特に何も言われなかったわ。その後もそれが続いたの。それを知っているから、雷帝は今回エリサベトに辛く当たったのかもしれないわ」
そうだったのか、と類は思ったが、そのような状況を作り出したのは雷帝なので、特に考えは変わらない。
エリサベトは、側室にならない方が良かったのだろう。精神的に強くないとやっていけない過酷な場所なのだと改めて認識する。
「フローラ様とセシリア様は、どのような方なのですか?」
「····あの二人は····全くエリサベトとは違うわ。私とも。フローラは特に、雷帝を愛しているわけではないのだと思うわ。正妻の座を狙っているのよ。皇后のね」
「皇后····」
「この国には未だかつて皇后が立ったことはないの。雷帝が正妻を決められないからよ。側室は何人もいて何度も入れ替わって来たけど、皇后の座はずっと空席のまま。その最初の皇后となれば、これ以上の名誉はないわ」
「何故、雷帝は皇后を決められないのでしょう?」
類が聞くと、シルヴァは少し下に目線を落とす。
「····雷帝には、想い人がいるのよ。詳しいことは私も分からないのだけど、噂よ。戦争の情報を集めていた時に聞いたの。その人はどうなったのか分からないけど、雷帝はその人を忘れられないのだと私は思っているわ。だから私たちは、雷帝を慰めることは出来るけれど、心を手に入れることは出来ないのよ。でも他の側室たちはおそらくそれを知らないわ」
――雷帝には想い人がいる。
それは何とも意外で、今までの雷帝のイメージを覆すものと言っても過言ではなかった。
ずっと一人の女性を一途に想うことと、多くの側室を抱えることは矛盾している。想い人がいるから、側室の元をなかなか訪れないのか? でも、それなら何故側室を迎えるのか。側室など必要ないではないか。
わけがわからない。
類は混乱した。
「シルヴァ様は····それでも雷帝を愛しているのですか?」
シルヴァは二重の目を細めて類を見て、微笑みながら言った。
「ええ、愛しているわ。想い人のことを初めて知った時も、気持ちは変わらなかったの。むしろ、その方があの方らしいと思えたわ」
類にはシルヴァの気持ちを理解出来ない。執着でもなく、これが真実の愛というヤツなのか。相手に何も求めず、ただ愛する。もしそれが真実の愛なら、なんて悲しいんだろうと思えてしまった。
シルヴァの部屋を後にして、自室へ向かう。『今日は休みなさい』と言われたので、部屋で休むつもりだ。ヘルガと話したいと思った。ヘルガは部屋にいるのだろうか。
自室で着替える。棚に入っていたラフなシャツとパンツを着て、ふぅと息をつく。イヤリングとネックレスを棚の引き出しに仕舞って、ドレスをハンガーに引っ掛け棚に吊るした。そしてそこで、ウィッグは広間に置いてきてしまったと気づく。改めて、怒ると冷静さを失ってしまうことを反省した。
自室を出てヘルガの部屋をノックした。
「はーい?」
中から気の抜けた声が聞こえた。
「ヘルガ。私。ちょっと入っていい?」
少しすると、ガチャリと扉が開く。
「あら、おかえり。たっぷり怒られた? それとも褒められた?」
「怒られるのは分かるけど、なんで褒められるの?」
「だって。あんたが言ったことは本当のことじゃない? 言うタイミングは別として。まあ、入んなさいよ」
ヘルガはキョロキョロと周囲を見回して下手なことは言えないと思ったのか、すぐに部屋へ入れてくれた。「そこ座って」と言うので、椅子に腰掛けた。小さな丸テーブルを隔ててヘルガも座る。
ヘルガは下ろしていた髪をまた三つ編みにして女官の服を着ていた。化粧はそのままだ。薄化粧だがいつもより顔立ちが少し派手に見える。
「ヘルガ、仕事なの?」
「そうよ? あんたは休みなの?」
「う、うん。そう言われたけど」
「何よ〜、またあんただけ特別扱い? シルヴァ様も甘すぎるわ」
ズルい〜! と言いながら類の両頬を引っ張ってくる。いてててっと言いながら、確かにシルヴァは自分に甘いと思ったので甘んじて受けた。
「で? 何か話したいことがあったから来たんでしょ?」
ヘルガは気が済んたのか手を戻し、頬杖をつきながら言った。類は自身の頬を擦りながら口を開く。
「あー、うん。今日のこと····どう思う?」
「いや、ざっくり聞くわね。どう思うって、何に対して? あんたが雷帝に暴言吐いて殺されそうになったこと?」
「いやそれはもういいよ。どう思ってるか分かってるから。····エリサベトのこと」
ああ。とヘルガは思い出すように空を見ながら答える。
「あの女はもう終わりね。すでに落ち目だったけど、今日ので決定的。雷帝も側室から外すんじゃないかしら? まあその方があの女にとってはいいかもね。気持ちは別として。どう考えても、ここでやっていくには脆すぎるでしょ」
「エリサベトが救われることは····ないよね。私はエリサベトよりも雷帝に問題があると思うんだけど」
「····あんたあの女に濡れ衣着せられたのによく庇えるわね。雷帝にも問題はあると思うわよ? それは皆分かってるでしょ。でも言った内容は本当でも、あの場で言えるのは相当な馬鹿よ。雷帝はここの一番の権力者で、誰も逆らえないのは事実なんだから。結果目つけられて側室にもなれないし、目的も達成出来ないしで何も得してないじゃない。これからどうするつもり?」
ヘルガの言うとおりだ。あの時、類は感情的になって自身の目的のことなどどうでも良くなっていた。
「追い出されたら、別の国に行くしかないかな? それか死神を探す。あ、私をここに連れて来た死神にもう一度会えるかな?」
会ったら何と言われるか。雷帝に歯向かって追い出されたと言ったら卒倒するかもしれない。自身にとばっちりが来ないように策略を巡らすのだろうか。
「····まあとりあえず雷帝の下す処遇次第ね。追い出されたらそうするしかないけど、ヴァリスがフォローしてくれるって言ってたから、ここに残れる可能性は高いんじゃない? これ以上ない強力な味方よ。でも元の世界へ帰れる可能性は限りなく低くなったと思うけどね。もう諦めたら?」
ヘルガは類の顔を上目遣いで覗き込んでくる。類はうーんと唸る。
「そうかもしれないけど、まだ日数はあるから粘れるだけ粘るよ。そうだ、ずっと疑問に思ってたことがあるんだけど」
「何よ?」
「私をここへ連れてきた死神は、49日以内に天上界の門をくぐらなければ元の世界には戻れなくなると言ったんだけど、シルヴァ様の話によると、49日ってのは冥界へ行って生まれ変わるまでの期間のことみたいなんだ。天上界では生まれ変わることはないだろうって言ってたから、49日経つと別の理由で帰ることが不可能になるってことなのかな? ヘルガ、何か知ってる?」
ヘルガは意外という顔で類を見る。
「あんた、そういうことは鋭く気づくのね。····人間界から直接天上界へ来た例があるにはあるって前に言ったけど、戻った例なんて知らないからね。どうなるかなんて深く考えたことないわよ」
「もしかして、49日越えても戻れる可能性はある?」
「それは····例がないんだからやめといた方がいいんじゃない? 最悪どこにも行けずに消えるかもしれないわよ?」
どこにも行けずに消える····。それは嫌だ。
ヘルガが「そろそろ仕事に行かないと」と言うので、「行ってらっしゃい」と言って一緒に部屋を出て自室へ戻った。
天上界から人間界へ戻った例がないなら、49日以内でも戻れる保証はないということか。類はふとそう思って不安になる。誰か教えてくれる人はいないのか。
ヴァリスの顔が浮かんだ。もしかすると、ヴァリスが何か知っているかもしれない。しかし気に入られはしたが、類が人間界へ戻るのに協力してくれるとはとても思えない。
死神は類に嘘を教えたのか。
もう一度あの死神に会って問い詰めたいとも思った。
‾‾‾‾‾‾
「あー上手く行かないなぁ。ユリウスの弱点にするのは無理かな? 何か別の手を考えないと。あーあせっかく人間界をくまなく探して苦労して見つけたのに無駄骨」
ペレはあぐらをかいた上に肘を置き、頬杖をついて唸った。しかしすぐに口角を上げる。
「でもまあいっか。面白いから」
◇◇◇
「あの娘の処遇をどうなさいますか?」
オスカは書斎の椅子に腰掛け、頬杖をつく雷帝の真横に立ち、聞いた。
「あの女の話はするな。気分が悪い」
コンコン
と重厚な扉を叩く音がする。
オスカは扉へ向かって歩く。扉を開いた先にはヴァリスの顔があった。
「雷帝。ヴァリス様が来られました」
はぁ、とこれ見よがしに溜息をついて、雷帝は「通せ」と言った。
ヴァリスはいつもどおり口元に笑みをたたえたまま、部屋へ入る。そのまま雷帝の方へ向かっていく。黒い羽は背中で折り畳まれ振動に合わせて揺れる。
「雷帝」
「言いたいことは分かっている。あの女を許せと言うなら聞けん」
「何故ですか? 雷帝の好む要素を集めて具現化したような女ですが」
「外見だけならな。中身は全く話にならん」
「そうでしょうか? 耳障りの良いことだけを言う者よりも、よほど良いと思いますわ。痛いところを突いてくる者を側に置くことも君主には必要です。あの者を見ていると、レム様を思い出しますわ」
「ヴァリス様!」
ヴァリスは敢えて言ったのだと言うようにオスカを見た。
雷帝はピクリとして少し口を結んだ後、金色の瞳でヴァリスを見据える。
「レムとあの女を一緒にするな。立場が違う」
「それはそうですが、雷帝に対して遠慮なく発言する姿勢を見て思い出しただけですわ。むしろ立場を考えると、あの者の方がよほど勇気があると言えます」
「俺は思い出さない。あの女は二度と見たくない」
ふいと横を向いた雷帝を見て、ふぅと息をつき、ヴァリスは口角を上げたまま首を軽く横に振った。頑固ね、と言うように。
「ではあの者は私がもらっても? 雷帝の目の届かないところに置きますから。一応雷帝に歯向かった罰としてこき使うことにしますわ」
想定していなかった言葉が返ってきたからか、雷帝は目を見開いた。しかしふんっと鼻を鳴らすと、「勝手にしろ」と言った。
それを聞いてヴァリスは満足そうに、「ではそういたしますわ」と言って部屋を出て行った。
ヴァリスは雷帝がまだ子供の姿だった頃、すでに最高神に仕えていたことをオスカは知っている。双子の弟であるガーラも同様だ。ガーラは忠誠心が強く生真面目で従順なのに対し、ヴァリスは雷帝に進んで進言する。
雷帝も、ヴァリスにはあまり強く出られないところがある。幼い頃から世話になった記憶があるからだろうか。
オスカは自身もヴァリスやガーラに世話になったことを思い出す。
ヴァリスのペースで話を進められて少し不服そうな雷帝を見て、オスカはふっと目を細めた。




