第8章 いずくんぞ牛刀を用いん
時は生放送日の翌日。
かくして謎の人物河嶋の必死の隠蔽工作の努力も空しく事は一夜にして大方の国民の知るところとなった。
謎の人物・河嶋の呼ぶところの変体アミノ酸化合物、あるいは敷島研究所の呼ぶところのD型アミノ酸、または河口隊長の言うところの面妖物体、まだ名前すらない怪物体発生の瞬間を史上初めて映像に捉えた河口利之の功績は本来ならばピュリッツァー賞十年分にも値するであろう。
が、しかし、何の前触れ予告もなしに突然見せ付けられた国民の大半はその人智を超えた余りの非日常性に戸惑いにわかには信じきれず加えてハリウッドの特撮映画に慣れ親しんだ彼らはもっぱら河口利之の演出説を支持した、あるいは支持したかった。
新聞各紙の一面大見出しもそれを裏付ける様に
『河口利之、復権狙いまたもやヤラセ!』
『懲りない男、奇抜なヤラセで墓穴に転落!』
『河口利之醜態恥じて音信不通雲隠れ!』
『河口隊長、自作自演で恥の上塗り』などなど
が、一部タブロイド紙は
『末日近しハルマゲ丼』
『待ちに待ったちび丸降臨!』
『危ない! 地球外生物侵略』などもあった。
また、後日談となるがその翌々週発行のタイム誌の表紙は『希代のペテン師・ミスターカワグチ』の表題で河口利之の顔写真を載せた。図らずも別な意味でだが彼の念願は叶う形となった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
例によって謎の人物河嶋の声だけの登場
男A=「なんだ、昨夜のあのザマは」
男C=「も、申し訳ございません。河嶋様。何しろ生放送でしたもので事前の検閲ができませんでした」五十嵐の辞任後、首相の座は嵐山が受け継いでいた。
男A=「で、河口ナントカの扱いは?」
男C=「はい、市谷駐屯地の地下室に監視付きで軟禁しております。報道機関各社へも自主規制の再徹底と河口のヤラセと強調する様に要請しました」
男A=「現場での目撃者は?」
男C=「一般人が二八名とテレビ局のスタッフが八名ですが、全員本籍地現住所職業確認の上、河口のヤラセであると自らの意思で納得させて帰宅を許可しました。ただ…」
男A=「ただ? 何だね?」
男C=「いえ、ただ現場には浮浪者も何人かいましたが奴等は突入時のドサクサで霧散した模様です」
男A=「浮浪者? まぁ、構わんだろう、社会の脱落者に耳を貸す者はおらん。で、変体アミノ酸化合物の方は?」
男C=「同じく市谷で隔離観察しております」
男A=「よろしい。変体アミノ酸化合物に付いて何か分かったら逐次報告するようにしたまえ」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
時は同日午前十一時、所はJR京葉線舞浜駅
下りホームに電車が到着。扉が開き浮き浮き顔の乗客達が連れに何かと言いながら急ぎ足気味に降りてくる。皆の行き先は言わずと知れた東京湾デェズニーランドだ。舞浜駅は明るい笑顔が良く似合う駅だ。
そんな華やいだ雰囲気とは無関係な表情でホーム端の喫煙所のベンチにふたりの男が腰掛けている。作業服の上に『若葉建設(株)』と社名の入った黄色い防寒具に身を包み缶コーヒーを飲みながらどうやら世間話か仕事の話をしている様子だ。その年の差から一人が上司でもう一人がその部下というところか。年配の男の名前は佐藤、もう片方の名は我が親愛なる川崎恵だ。
川崎恵は昨夜、佐藤からポケットベルで連絡を受け取った。内容は1、『何時もの時間、何時もの場所で』。何時もの時間とは直近の午前十一、何時もの場所とはここ舞浜駅下りホームの喫煙所だ。
「ヒゲ面の名前が分かったよ」と佐藤が言った。
「・・・・・・」川崎恵が連絡員の静江経由で依頼した人物照会の調査結果が出た様だ。
「名前は三木次朗」
「三木次朗? 何者ですか?そいつは?」と川崎恵。
「セケン天道教の理事長だ」
「セケン天道教⁉︎ 近年、信者を急速に増やし続けているあの新興宗教の世間天道教の理事長⁉︎ 」川崎恵は予想外の人物に驚きを隠せない。
佐藤は尾行のあらましを川崎恵に告げる。
尾行初日、午後五時二十五分。
ヒゲ面が西口地下道から移動→尾行開始(一名)→ヒゲ面はコインロッカーから鞄を取出しトイレへ向かう→トイレの入口が見える場所から監視続行→ヒゲ面がトイレから出てくる。浮浪者身なりからこざっぱりとした格好へ着替えていた。そして地上へ出て南口の方へ歩く→尾行→ヒゲ面は新宿駅南口前の横断歩道を渡る→尾行→ヒゲ面は甲州街道を高井戸方面に向って歩き出す→様子見停止(気づかれていない様子)→ベンツのワゴン車が一台、ヒゲ面の前で止まる。ヒゲ面乗車後、走り出す→尾行失敗
川崎恵が口を挟む「送迎付の浮浪者ですか? 昔の都市伝説で聞いた事がありますがまさか実在するとは!」
佐藤が応える「初日尾行では送迎付を想定していなかったので見事に失敗。が、ナンバーは辛うじて控えた。陸運局で確認したら車の所有者は世間天道教であった訳だ」
「・・・・・・・」
佐藤が続ける。「翌日、別働班をセケン天道教の総本山に行かせた。中々開放的と言うか間口が広いというか信者以外でも簡単に入れたそうだ。総本山はなかなか立派な造りで屋内に様々な施設があったが中央に受付もあり別働班はセケン天道教のパンフレットを入手した。その冊子の中にヒゲ面が理事長として載っていたそうだ」
「セケン天道教の理事長とキム・オリジとどの様な接点があるのでしょうかね」と川崎恵は更なる混迷の中に追い込まれた思いであった。
そして「理事長の方はキム・オリジ似の男を知っている様でしたが、キム・オリジ似の男は理事長に全く反応していませんでした。全くどう言う関係なのでしょうか?しかし、理事長と言えば教団のトップですよね。何も自分でやらず部下に調査をやらせれば良いのではないでしょうか?」
「人には依頼できない訳でもあるんじゃないか?」と佐藤が答えた。
表の顔は新興宗教の理事長、果たして裏の顔は何者だ? キム・オリジ似との関係やいかん。真実はいずれ明らかになるであろう。が、それはまだまだ先の話である。
ふたりの間にしばし沈黙がおとづれた。
そして川崎恵は唐突に佐藤に言った。
「佐藤さん、昨夜のテレビをご覧になりましたか?」
「昨夜の? 河口隊長のちび丸発見の事かね? 当然見たよ。いや、チャンネル権は私にはなかったが妻と娘達が釘付けだったよ。君の事だからよもや見付かるとは思っていなかったがあの地下街を逃げ行く女、あれはヤラセだろう?」
「はい、私も突然聞こえて来たちび丸があそこにいるわの女の叫び声には心底寿命が縮まる思いでしたよ」
「でも、その後のB地点の怪物体、あれは良くできていたな」
「いえ、あれは作り物なんかじゃありませんよ」
「????」
「私は近くで一部始終を見ていましたが、あれは本物です」
「見ていた?」
「はい」と川崎は昨夜の経緯を佐藤に語る。
話は昨夜の新宿西口地下道に戻る。
河口利之らの撮影チームが逃げる女を追いかけて階段を上がって行った後、浮浪者の何人かが立ち上がった。社会を捨てたはずの浮浪者にもまだ好奇心が残っているのかその一群は撮影チームの後を所作も軽く嬉々として追いかけて行った。その一群の中にキム・オリジもいた。川崎恵もすわ遅れじとその後に続く。
新宿西口公園に到着後、川崎恵は物陰に隠れキム・オリジを見張った。キム・オリジらの一群は右手斜め前方約二〇メートル、茂みの裏にいた。左手斜め前方には河口利之。ちょうど三角形の各頂点にそれぞれが位置していた。そしてかの怪物体はその三角形のほぼ中点にいた。
川崎恵の位置からは怪物体の斜め後ろ姿が見ることが出来だ。昨夜、テレビの生放送は時間未達で中断されたが、河口利之始め現場に居合わせた人々はそんな事とは露知らずスタッフらは撮影を続けていた。怪物体は局部を覆うことも無く裸体のまま同じところにたたずんでいる。
河口利之がカメラに向かい何かしゃべっている。取り巻く掛け付けた野次馬連が口々に河口利之に怒鳴り声を浴びせる。河口利之がそれに答弁するようにカメラに向かいまた何か発言する。しかし川崎恵の位置からはよく聞き取れない。そんな両者のやり取りがしばらく続いた。
が、突然、その場の全員を取り囲む様に四方から強いライトが照らされた。
とっさに川崎恵は職業的感で素早く気配もみせず消えうせた。一方、キム・オリジらの一群もてんやわんや両手を上で左右させ右往左往にドタバタとすちゃらかすちゃらかに何か口々に叫びながらクモの子を散らすように霧散した。後には河口利之らスタッフと掛け付けた野次馬連、そして怪物体が残り投光器に照らされていた。
川崎恵は安全地を確保して推移を見守った。周りから投光器を照らしているのは五十人程の奇妙ないでたちの武装集団であった。
「何? 奇妙ないでたちの武装集団?」と佐藤が口を挟む。
「はい、見慣れない格好をした武装集団です。私兵集団のような感じです」と川崎恵は応じる。「その格好たるや、私の知っている警察、機動隊、あるいは自衛隊のいずれでもありませんでした。編み上げ靴に迷彩ズボン、メッシュのシャツに革ジャンバー、ネットで覆われたヘルメットの徽章は三日月のような模様がありました」
「ん? 三日月型のマーク?」佐藤には思い当たるところがあるのか、続けて「もしかしてその武装集団は日本刀を背負っていなかったかね?」
川崎恵は佐藤の問いに驚き「佐藤さん、どうして知っているのですか?」
場面は前夜の西口公園。
野次馬のひとりが武装集団のすきを見付け走り出した。間を入れず武装集団のひとりが拳銃を構え逃げ出した男に狙いを付ける。が、別のひとりが「よせ、拳銃は最後の武器だ」といさめる。拳銃の男はうなずき素早く懐から何かを取り出し逃げた男に投げ付けた。男は尻餅を付き地面に倒れ込む。男は投網に絡まれていた。
場面は舞浜駅の喫煙所に戻って、
佐藤がいった。「あけぼの機関だよ、それは。だが、何故に彼らが?」といぶかしがる。
「あけぼの機関! 何ですか? それは?」と川崎恵も驚きを隠しきれない。
「あけぼの機関、別名、正義の味方忍者部隊」と佐藤が答える。
「正義の味方忍者部隊?」川崎恵が尚更に語気を強めて復唱する。
「ああ、正義の味方忍者部隊だ。もっとも、この正義とは体制の意味だがね」
佐藤は続けて「私も詳しくは知らないが、国内の治安維持を主な任務とする内閣総理大臣直属の超法規的秘密部隊だよ。その存在は我々の組織以上に秘匿性が高く関係者以外その実態を誰も知らないよ」
「超法規的秘密部隊!? そんな組織が平和憲法を持つ我が日本で何時からあるんですか?」
「ああ、その歴史は古く戦前に遡る。前身は旧帝国陸軍に所属したいわゆる特務機関のひとつだ。あけぼの機関は戦時中、戦地で暴れたそうだ」
「しかし特務は終戦と共に解散させられたと聞いていますが…」と川崎は話の全貌が掴めずもどかしい。
「確かに一旦は解散した。が、昭和二七年、GHQの強要により警察予備隊法が成立。今の自衛隊の前身だが、同法成立と共にかつての職業軍人の多くは予備隊に復帰した。特務の生き残りも同じく復帰した」
「しかし、侵略戦争を未来永劫放棄した第九条の為、国外への道を塞がれた特務にはやる仕事がないじゃないですか?」と川崎恵が遮る。
それに佐藤答えた。「その通りだ。そして見かねた予備隊上層部が代わりに国内治安維持の職を与えようとしたが、治安維持は警察権の領域であり誇り高い元特務の連中は承服できない。そこで窮地の解決策として内調に第六課を新設して警察権力では手に負えない重大治安事件等を解決させる為、超法規的力を与え彼らの面目を保てるようにした訳だ。それが、今日に至っている」
「しかし、私の記憶では内調は第五課までのはずですよ」と川崎恵。
「その通りだ。第六課は成文上どこにも存在しない超極秘の特殊部隊だ。聞くところによると平時は市谷駐屯地内で身なりを変え雑役や清掃の仕事をしているそうだ。そして、いざ有事の召集が発動されるや素早く忍者部隊に変身するとの事だ」
佐藤は勢い付き話を続ける。「また、特務には面白い逸話も残っているよ。山下財宝伝説も同じだが上海にも軍票発行で集めた巨万の財があったそうだ。それを、終戦の混乱時に特務のひとりが奇計を弄し横領隠匿し日本へ持ち帰ったそうだ」
「どの位の額ですか?」川崎恵が尋ねる。
「噂の域をでていないが今に換算すると兆の単位だそうだ。それにしても昨夜、河口のヤラセを暴く為だけにあけぼの機関を出動させるのは余りに大仰しい過剰処置だ、牛刀で鶏頭を断つ様なものだ。君の言う通り、怪物体は本物かも知れないな」
「はい、見ていてあれが作り物とは思えませんでした。余りにもリアル過ぎましたよ」
チェリーもあけぼの機関もそれぞれに国家権力の一翼を担ってはいたが、悲しき哉、縦割り行政の為、横の連絡は皆無であった。
さて、さて、本章までを『発生前夜』と括るなら次章より暫くの数章は『蜜月の始まり』と呼んでも許されるであろう。未だ未だ先は長いが読者諸兄姉の貴重なお時間を割いてお付き合いいただければ語り部の私も幸甚の極みでありおりはべりいそべやき。