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ハジジャンの構造  作者: 三木はじめ
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第6章 河口隊長、カイラスに逝く

時は一九九×年三月×日、所は神奈川県川崎市。本編の時間軸で言えば敷島炎上事件より約二カ月後。

敷島秘密研究所は先の急襲以来、何事に付けても準備万端用意周到の籾木戸源次郎が事前に整備して置いた敷島極秘研究所へ移っていた。


極秘研究所は近年急速に信者数を増やしていた新興宗教団体・セケン天道教(てんどうきょうの総本山・光耀館の中にあった。その光耀館とは炎上した敷島秘密研究所から程遠からぬ読売ランド遊園地近くに立地しその設備たるや五〇〇〇人収容可能のドーム型多目的ホールや大小会議室、教団本部事務所、修行者用宿泊施設、大食堂、来場者用の記念品等や菓子類を扱う売店、信者の儀式用制服を扱う洋装店、その他各種施設等を備えたまことに急成長する新興宗教団体に相応しい建物であった。


そして、知る人ぞ知る敷島極秘研究所の出入り口はその洋装店の試着室内にあった。試着室のマジックミラーの姿見の裏側に自動の素性識別感知器が取り付けられてあり研究所スタッフが姿見に全身を写すと素性確認後自動的に奥の壁が開く。籾木戸源次郎お気に入りの仕掛けだ。その先にエレベータがあり極秘研究所はそのエレベータで上がったドーム型ホールの吊り天井の間にあった。


この光耀館の敷地と建屋は、登記上は教団所有となっていたが実の所有者は籾木戸源次郎であった。が、その事実を知る者は敷島研究所関係者と教団理事会幹部以外にいない。教団側は廉価で施設を借りる事が出来た。が、それ以上の利点が研究所スタッフにはあった。それは信者に紛れて自由に出入り可能な事であった。


それにしても籾木戸源次郎の資産には測りきれないものがある。が、謎の人物・河嶋との確執も含めてそれらが明らかになる事は本編ではない。早い段階でお断り申し上げて置く。が、機会があれば別稿にて記したい。


話は敷島極秘研究所に戻って、その日、研究所のスタッフら数名は仕事後のブレインストーミングを兼ねて雑談をしていた。「既に公表する時に達していると思います」と研究員にひとり生田が力説した。


「時期尚早ではないかね」と籾木戸源次郎は言った、続けて「その生態もまだ分からぬままただ新生物発見だけでは世間を徒に騒がせるだけにならないかね?」生田は答えて「確かに生態は何も分かっておりません。しかし、我々が最初に発見し最初に公表したという既成事実が必要です」


「功を焦ってはいかん」籾木戸が諭すようにいった。「確かに第一発見者の栄誉は私も魅力だ。が、材料が足らな過ぎる」


「食用の可能性まで言及したらどうでしょう? D型アミノ酸を我々は消化吸収できません。という事は、いくら食べても太らないダイエット食品としても利用価値があるのでは?」と生田が反駁する。


「それは危険だ……」籾木戸がいった。生田は籾木戸の話を遮り「例のD型アミノ酸を食した中国人の後追い調査は何も明らかにされていませんが我々の動物実験でも異常は見付かっておりません」そして生田は腕時計に目をやった。

「が、サリドマイドの例もあります。危険過ぎますよ」と竜田川が言った。

「…」竜田川の指摘に生田は沈黙してしまった。


痛み止めとして発売されたサリドマイド剤は工業的に合成された化合物であった。が、当時、人知至らず技術力も未熟で不斉合成という処理をしなかったためその内容物にL型アミノ酸とD型アミノ酸が同数混合していた。服用した妊婦はつわりが治まり妊婦本人の体には何の影響も見られなかった。しかし、月満ちて生まれて来た赤児に多くの奇形児が報告された。(注:L型とD型については後章で記述あり)


「分かりました。私の早計でした」と生田は答えながらも何故か落ち着きがない。

 籾木戸は「どうしたんだね? 生田君。急にソワソワとして何か心配事でも?」


「いえ、実は午後九時から関東テレビで『独占生放送・河口隊長のちび丸発見』の特別番組があるもので……」

「河口隊長? 随分懐かしい名前ですね」と竜田川。


続けて籾木戸が「ちび丸発見? そういえば彼女の失踪からかれこれ三週間になるが、遂に見付けたのか? 一時は内の店子のセケン天道教も拉致疑惑で噂になったが、これでその嫌疑も晴れる訳だ。ところで、今何時だね?」

「後五分で九時です」


河口利之(四五才?)は民放関東テレビの報道番組担当プロデューサー兼キャスター。


彼の起伏に富んだ数奇な半生を語るには四百字詰め原稿用紙にして二三、二六四枚と一六行一八文字必要だが今は省いて必要最低限の近況のみを述べさせていただく。


河口利之は関東テレビに移籍する以前は某大手放送局・日本放送組合にいた。在職中最後の仕事となったのが『特別企画ドキュメンタリ・秘境カイラス山に迫る(シリーズ全十回)』であった。


インドヒンドゥ教第一神シバ神の夏の住処としてヒンドゥ教徒に崇められている聖地カイラス山は中華人民共和国チベット自治区の西端に位置している。中華人民共和国人民政府は八〇年代前半より外貨獲得の為、その竹のカーテンを開き外国人観光客に国内主要都市を開放していたがカイラス山への入境許可を発行せずカイラス山は交通の四通八達した二〇世紀の世界でも数少ない残された秘境のひとつであった。


 明治の僧・河口慧海かわぐちえかいの『チベット潜入記』にもカイラス山の描写が見られるが河口利之の『秘境カイラスに迫る』は人民政府、インド共和国、ネパール王国より特別の入境撮影許可を得て明治の僧・河口慧海の足跡をたどる様にインド東北の村ダージリンを起点にネパール平野を西進しヒマラヤ山系を右回りカイラス山に至る全行程四〇〇〇キロ、現地ロケ日数十ヶ月に及ぶ大作であった。


そして河口利之の企画は当たりに当たり放映を重ねる毎に視聴率は加速度的雪だるま式に伸び関連キャラクターグッズも生産が間に合わない程飛ぶように売れ社内では局長賞確定、次期役員の噂まで流れる勢いであった。


が、しかし好事魔多し浮かれるもの久しからずの古言の通り、彼の高人気をねたむ社内反対勢力の内部告発により数々のヤラセが発覚し他局ワイドショーや週刊誌等の格好の餌食となった。


『キャラバン隊襲撃山賊、実は現地学生アルバイト』

『隊員多数、謎の風土病? 実はただの食あたり』

『シェルパ断崖転落死、実は今も健在』

『キャラバン隊陸路艱難辛苦の行軍中、河口隊長バンコク・タニヤで酒池肉林』

『河口隊長大発見! 歴史的希少曼荼羅図、実はカトゥマンドゥの土産屋で値切って購入』

『突然の崖崩れ、危うく避けて九死に一生! 実は隊長、何度も練習、崖崩れは合成』


 衆人に恥部を暴かれた河口利之は自暴自棄の中、ヤケ酒を浴び、深夜乗りつけたタクシー内で些細な事から口論となり自分の履いていた下駄でタクシー運転手の頭を殴るという暴行を働き、これが致命傷となって職場を追われた。


 失意の二年が過ぎ去った。


河口利之は、ほとぼりが冷めるのを見計らい返り咲きを狙って関東テレビに入社した。入社後製作第一弾は起死回生を賭して『独占生放送・河口隊長のちび丸大発見』を企画した。


日本中の注目を集めていたちび丸は失踪から十日余りが過ぎても依然行方不明のままであった。河口利之は独自の情報網と称しひとりの匿名証言者(女性)を探し出して来た。彼女の供述を基にちび丸大発見シナリオの骨子を書き上げた。

●放送日=三月×日 午後九時

●撮影地=新宿駅西口地下道(放映開始まで場所は極秘扱い)

●匿名証言者の指摘によるちび丸発見

●ちび丸との独占インタビュー


 詳細な詰めは得意のアドリブで間を持たせることにして河口利之は『独占生放送・河口隊長のちび丸大発見』の企画書を関東テレビ第三製作局局長に提出した。


当時、視聴率低迷に心底悩む関東テレビ幹部らは河口利之の企画書に色めき立ち後先を考慮する事もなく満場一致でゴーサインを出し各新聞社へ番組変更の知らせを送るよう手配させた。


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