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ハジジャンの構造  作者: 三木はじめ
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第5章 時の人、華麗なる変身

五十嵐元首相片手醜聞報道の余波で赤坂の料亭桔梗の売れっ子芸者ちび丸はすっかり時の人となっていた。


当初はテレビのワイドショー等で五十嵐元首相の秘められた恥部を覗き見る快感に酔い痴れていた視聴者達も一人歩きを始めた五十嵐醜聞に対する関心とは別にエキセントリックな魅力をちび丸に次第に感じるようになり民放各社も出せば売れるちび丸特番を各社各様、手を変え品を変え切り口を変え挙句には書き割りだけを変えて競って乱造放映し合っていた。


踊らされる視聴者の方も男も女も幼稚園児から寝たきり老人に至るまで十人一色、百人一様、千人一丸、万人足踏を揃え、国を挙げてバスに乗り遅れまい式に早朝のラテ番チェックがにわか日課となりゴールデンタイムにちび丸特番のあろうものなら勤め人は残業を拒否し商店主は早仕舞いを決め込み夜の繁華街からは人影が消え銭湯は男湯女湯共にガラ空き状態となるまでにちび丸熱は一億総庶民の間で蔓延していた。


ちび丸はその名に似合わず細身の長身でどこか異国情緒の香りがし、その上、庶民には決して真似ることのできない高貴なアンニュイを漂わせていた。テレビ出演の際は本業の和服姿とは打って変わってショートの髪を七三に分けダンディな装いで決め何時も自分のことを「ボク」と呼んだ。


「ボクはね、あいつの女々しい性格が嫌いなんだよ」

「ボクははっきり言ってやったよ、お前なんかに囲われたくないとね」

ちび丸のどことなく投げやりな高貴なアンニュイに一億総庶民は陶酔していた。ちび丸のひとことに傾倒し、ふたことに我を忘れ、みことに見事に果てては甘美な虚脱感に浸された。


 無論のことテレビに負けず劣らず雑誌出版各社もちび丸特集を企画し合っていた。

『ちび丸お気に入りレストラン百選』

『保存版・ちび丸辞典』.

『誰も書かなかった素顔のちび丸』

『ちび丸語録』

『これであなたもちび丸通』などなど


ちび丸特集掲載雑誌本は赤丸急上昇で売れに売れ書籍月間ベストテンの上位を互いに争いあった。が、購入した読者らは、読後、その思わせぶりな表題に言い知れぬ欲求不満を覚えた。


なぜならば、羊頭狗肉。

どの出版社もそしてテレビ局もちび丸の生い立ち私生活、否、本名すらも報じることができなかったからだ。

何故かちび丸は黙して『私』を語ろうとはしなかった。


当時はまだストーカーという言葉は市民権を得てはいなかったが誰が追跡しても必ず途中で見失うのが常で、たとえそれがベテラン追っかけ記者のチーム追跡でも最後まで尾行できる者は決していなかった。赤坂の料亭桔梗の女主人も同僚たちもちび丸の現住所すら知らない有様であった。


赤坂の売れっ子芸者にして男装の麗人、加えて『私』を語らぬ謎の女ちび丸に一億総庶民はなおさらの憧憬の念を覚えずにはいられなかった。


そして、そんな熱烈ちび丸熱猖獗の最中、尋常ならざる事態が出来した。

連日テレビ出演していたちび丸が四日前よりいきなり行方不明となっていたのだ。

職場のものにも何も告げずちび丸は突然姿を消した。


熱烈ちび丸熱に冒された患者達はちび丸失踪に

『不慮の事故説』

『監禁説』

『某国工作員誘拐説』

『愛の逃避行説』

『某宗教団体拉致説』

果ては『ちび丸昇天説』などなど推測し合っては否定し合った。


憶測は噂となり噂は流言飛語と変わり全国を駆け巡った。諸説紛々たる中、患者らは言いようのない欲求不満に陥っていた。


そんな事は我関せずとちび丸は姿身なりを変えて新宿駅西口地下道にたむろする浮浪者の群れの中にいた。もちろん浮浪者の格好をしてだ。そして、それに気付く者は当然の事ではあるが誰一人としていなかった。


赤坂の売れっ子芸者にして男装の麗人は世を偽る仮の姿。ちび丸には決して公にはできないふたつの秘め事があった。


先ずは驚くなかれ。ちび丸は心身共に健全な男であった。そして、誰知ろう、ちび丸はその実態が国民の目に触れる事の決してない外事警察(別名 チェリー)の隠密捜査官でもあった。ちび丸、本名・川崎恵は特命を帯び浮浪者に変装していたのだった。


ここで話は一旦、前年の十二月初旬に遡る。

所はJR東日本京葉線舞浜駅下ホームの端(浦安側)。今日では到底想像または金輪際容認出来ない事であろうが当時は灰皿を囲む様に三人掛けパイプベンチをコの字に並べた喫煙所があった。


これは舞浜駅だけの特権では無くJR或は私鉄の大方の駅のホームには喫煙所があった。愛煙家には今は昔の何とも古き良き時代であろうか。


そしてその喫煙所のベンチに二人の男が腰掛けていた。服装は背中に青葉建設と社名の入った上下黄土色の作業服を共に着ている。同じく社名の入ったマディソンスクェアバッグとヘルメットが横に置いてある。他人目には建築関係の二人が移動の途中で一服している様子に見えるであろう。


歳の頃は一人が三〇代前半、もう一人が四〇代中盤か。この若い方の男が本章の主人公隠密捜査官の川崎恵である。今ひとりは川崎恵の直接の上司の佐藤だ。ここ舞浜駅下りホームの喫煙所が川崎恵の潜伏捜査中の二人のおち合い場所だった。前日、佐藤から川崎恵のポケベルに「いつもの時間、いつもの場所で」の連絡があったのだ。


「どうだね、赤坂の方は?」佐藤がたずねる。

「特に不審な動きは見られませんね。手鼻のチンもまだ現れません」


佐藤は「そうか、手鼻のチンもまだのようか」と川崎恵に応じながらおもむろにマディソンスクェアバックの中からA4版の茶封筒を取り出し川崎恵に手渡した。

「君も忙しい体だが、これも引き受けてくれないか? 君が適任と思われるので……」 


受け取った茶封筒の中には新聞記事の切り抜きとカラー写真があった。切抜きの見出しには『新宿西口地下道に浮浪者が急増』とありカラー写真は切り抜き中の白黒写真を大焼きにしたものであった。


佐藤がいった。「資料班が見付けて来た。出所は昨日の東西新聞朝刊だ。東西新聞の社会部に問い合わせたところ撮影したのは先月頭で一旦はボツ記事となったが何かの埋め記事で日の目を見たそうだ。カラー写真は社会部の写真を焼き増しさせてもらった」


賢明なる読者の皆さんはご記憶の事と思われる。この『新宿西口地下道に浮浪者が急増』の記事はあの謎の人物川嶋が五十嵐元首相に差し替えを命じた結果、日の目を見た記事である。


歴史にもしもは禁句ではあるが、もしも、記事の差し替えがなければ或いは差し替えられた記事が別物であれば本編に隠密捜査官の川崎恵が登場する事は決してなかったであろう。歴史の気まぐれか? 時の天使の戯れか? 差し替えが無ければ本編の流れは全く別なものになっていた事であろう。


佐藤の説明を聞きながら川崎恵はカラー写真を見詰めていた。

写真は新宿駅西口地下道らしく壁に沿って五〇人程の浮浪者が写っている。中にはカメラに向かいにこやかにVサインを送っている浮浪者も何人かいた。

「最近の浮浪者は随分明るいですね!」

川崎恵は第一印象を述べた後、そのVサインの浮浪者の一人に目が留まった。


「あっ、これはハゲマニア人民共和国のキム・オリジじゃないですか!?」

 佐藤が頷いた。が、川崎恵は解せぬ様子で話を続けた。

「が、しかし、彼は昨年、町田の百貨店で大失態を演じ本国へ強制送還となりその後第一級国辱罪で三族もろとも飼っていたペットのスピッツまでも無慈悲にも終身強制超重労働再教育常冬キャンプ送りになったと言われていますが何時何の目的で舞い戻って来たのでしょうか?それとも他人の空似ですか?」

「そこだよ、君に調べてもらいたいのは」と佐藤は答える。


「昨日、別班が西口地下道に行ったがキムは見当たらなかった。監視は続けるのでキムが現れたら浮浪者に変装して接触してくれ」

川崎恵は無言で頷きながらある事に気付いた。

「ホクロが逆ですよ」


キム・オリジには右の頬に五円玉大のホクロがあった。が、写真の男のホクロは左側にある。写真の裏焼きかと川崎恵は思ったが背景に写っている旅行会社のポスターのキャッチコピーの「私を銀山温泉に連れてって」の大見出しの文字は逆転していない。

「変装のつもりですかね?」

「それも分からん」と佐藤が答える。


 さて、このハゲマニア人民共和国のキム・オリジとは一体如何なる人物であるのか? 本編では後々に人類存亡にも関与するかなり重要な立回りを担う人物になるのではあるがまだこの当時は唯の通りすがり通行人級の役どころなので説明は割愛する。後に章を立てそれも前編後編に分け詳述する事になるであろう。


そして、五日前に佐藤からキム出現の報を受けた川崎恵は身なりを変え新宿西口地下道にたむろする浮浪者の群れに潜入したのだった。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


この章の最後に読者の後々の誤解を避けるため、ひとつ言及して置くべき事がある。

それは赤坂の一芸者ちび丸を時の人とならしめた五十嵐首相片手醜聞事件の事である。賢明なる方は既にお気付きの事と察せられるが、そして、五十嵐首相の名誉の為にも言及するが両人は世間で喧伝されているよう間柄ではみじんもなかった。


互いに顔名前は知ってはいたかも知れないが五十嵐首相が片手で言い寄った事もちび丸がそれを拒否した事も全く根も葉もない作り話であった。そうさせたのは、そう、もちろん謎の人物河嶋だ。


五十嵐首相片手醜聞事件報道日前夜、ちび丸こと川崎恵は桔梗で見知らぬ男から電話を受け翌日の朝刊報道の通り口裏を合わせるよう恫喝されたのだ。

また、付け加えて置くが謎の人物河嶋側もちび丸の実の正体を知らなかった。



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