第4章 密通、海を渡る
さて、話はまたもや前後するが竜田川健二は抹殺されたはずの東西新聞十三版を何処でどうやって手に入れたのか? 次章に移る前に読者の疑問を解く為、また後々の展開の為にも述べて置かなければならない。
話は前年の十二月初旬に遡る。所はタイ王国の首都バンコク。
サマセット・モームのこよなく愛した由緒正しきオリエンタル・ホテル近くの歴史だけはあるフジホテルの一室で竜田川健二は目覚めた。腕時計を見れば午前五時を少し回った頃合い。ダブルベッドの上、竜田川健二の隣には数ヶ月前に不図したきっかけで知り合いになった女子大生のミサオがまだ眠りの中にいた。
さて、竜田川健二に妻子がいる事は既に述べた。故にこの構図は不義密通である。が、竜田川健二には妻に対して良心の呵責も何の疚しさも如何なる罪悪感も微塵も感じる事はなかった。ある出来事以来、彼の妻に対する愛情が完全に消え去り妻の方でもそれを察する様であったが妻も別段何も言わなかった。以来、仮面夫婦、家庭内離婚状態が続いていた。そんな折、不図したきっかけでミサオに出会った。そしてミサオとはいつしか次第に懇ろとなり自然な成り行きで同衾した。
ある日の事だった。ミサオは唐突に「ね、バンコクに一緒に行きましょう」と目を輝かせて言った。「バンコク? 突然どうしたんだい」と竜田川は聞き返す。
「格安のパックツアーを見付けたの」とミサオは得意げにパンフレットを示そうとする。
「団体旅行⁉︎ 団体旅行は気が進まないね」と竜田川は答えた。
「でもね、このパックは料金が格段と安いのよ。その上、ほら日程表を見て。二日目の昼食のところ。由緒あるオリエンタルホテルを眺めながらの豪華ビュッフェの食べ放題。宿泊は歴史あるフジホテル。それに現地で日本語カタコトガイドも同行するから安心だわ」竜田川はミサオに押し切られる形で四泊五日・魅惑のバンコクツアー・ハイライトの団体旅行の参加に同意した。そして家族には学会の発表会と詐称して昨日午後、成田発バンコク行きのパックツアーに参加した。
まだ熟睡しているミサオを部屋に残し竜田川健二は目覚めのコーヒーが飲みたくひとりロビーへ降りていった。ロビーにはまだ時間が早いせいか他に客はいない。近くのソファーに腰掛けホテルのスタッフにホットコーヒーを注文する。運ばれて来たぬるく香りも無いどろどろのコーヒーをすすりながらロビーで眠気を覚ましていると壁際に見慣れたモノを見付けた。
壁際にある新聞掛けの中に何種類かの横文字の新聞の内に見慣れた日本語の新聞が見える。寄って手にとって見るとその新聞は東西新聞であった。何時の日付だとうと一面に目をやるとその東西新聞は当日付けでしかも朝刊。バンコク時間の午前五時半は日本時間で午前七時半。《飛行機で運んで来たのか》と竜田川は不思議に思いながら一面を詳細に見ると題字横にサテライト版とあった。《あッ、これが衛星版と言う奴か!》と、納得してから何時もの習慣で先ずは社会面を開き見出しの拾い読みをしようとした時、竜田川は紙面中程の囲み記事に目が点となってしまった。
『謎の生物出現!? 未知のタンパク質か?【新華社伝】』
「雲南省大理市市民の憩いの場所■湖(ムー湖:■は、やまいだれの中に男へんに夢)公園の湖に今年の中旬位より「くらげ」に似た不透明の不気味な生物が発生。当初は肉饅程の大きさであったがここ数ヶ月で数十キロの大きさに成長。円盤型の体型で表面には多数の赤い筋が中央から周りにかけて走っている。昆明人民大学の微生物研究所の専門家らの観察と分析調査の結果、この生物は七割が水で未知のタンパク質が三割ほど。また、当初市民の中にはこの生物を食べてしまった者がおりその話では食感はコリコリとしてとても美味しかったとの事だ。しかし、現在、当局は食用を禁止している」
《中国でも見付かったのか? 形状からしてもまずD型アミノ酸化合物に間違いない。それにしても何でも食べてしまう民族だな》と竜田川は彼らの旺盛な食欲に感心しながらも自ら人体実験してくれたお陰であれがやはり人体には影響ないと確信できたのであった。
さて、東西新聞サテライト版とは今日では既に廃刊になって月日も久しいが一九九X年当時、東西新聞社ではバンコクで東西新聞サテライト版を発行していた。仕組みはファクシミリと同じ原理であるが前夜午後十時過ぎより東西新聞社東京本社から国際電電(当時)の回線を経由して各紙面データが電送され現地の提携新聞社で特注の受信機で新聞原寸大のポジフィルムで受信。それをアルミ版に焼き付け提携新聞社の輪転機で印刷し当日配達する物であった。余談ではあるが東西新聞社内でサテライト版発行の計画が審議されたのは発刊の数年前、まだ日本はバブル経済に酔いしれていた頃であった。そしていざ発刊したと同じ頃合いにバブルは弾けた。言わばサテライト版はバブル経済の置き土産とも言える。
話は戻って、同日の午後七時、竜田川は時差を考慮し籾木戸源次郎の自宅へホテルフロントから国際電話を申し込んだ。《籾木戸さんの自宅も東西新聞を取っていたはずだ》 この記事の意見が聞きたく心がはやる。回線がつながった様でフロントのタイ人スタッフから受話器を渡される。
呼び出し音の後に「もしもし、籾木戸ですが……」間をいれず「籾木戸さん、竜田川ですが、今朝の東西新聞はお読みになりましたか?」と気があせる。
「ん? 竜田川君か。君は今、バンコクだろう。どうだね、密通旅行の味わいは?」
「そんなことより籾木戸さん。今朝の東西新聞読みましたか?」
「東西新聞? ああ、いつもは六時前には届くのだが今朝は七時を過ぎても届かず、また忘れられたかと家内が販売店へ電話したら店員が言うのは本社の輪転機故障で販売店への配送が大幅に遅れたそうだ」籾木戸の的外れな応答に竜田川はもどかしさがつのる。
「籾木戸さん。社会面にD型アミノ酸の記事が載っていますが……」
「ん! ちょっと待ってくれ」
「………」
「竜田川君、そんな記事は何処にも出ておらんよ」
「何ですって! 載ってない! 私の手元にある今日付けの東西新聞にはちゃんと社会面の右ページの中程に載っているんですが……」
「こちらの新聞のその辺りは『新宿駅西口地下街で浮浪者急増』の記事が書いてあるよ」「そんなバカな!」竜田川は狐につままれたように唖然とした。
「同じ東西新聞なのに……。兎に角、明後日に帰国しますので詳しくはその折に」と竜田川は受話器を置いた。それからの三日間、竜田川はミサオとの密通旅行も夜の営みも心あらずの態で帰国後の事ばかり考えていた。
そして三日後の日本時間午前九時過ぎ竜田川健二は成田空港へ降り立った。入国審査の長蛇の列がもどかしく機内預けの手荷物の回収に苛立ちを覚えた。今は一刻でも早く籾木戸源次郎に会って自分の手に入れた新聞を見せたかった。ようやく空港の外へ出た。ミサオとの別れの挨拶も上の空同然に済ませタクシーに乗った。敷島研究所に到着。
竜田川健二は気も焦りプラネタリウムの開演時間も待てず初めて通用門を使った。
籾木戸の部屋に入るやこれまた挨拶そこそこに「籾木戸さん、これです。これが私の新聞です」とバンコクで入手した東西新聞を籾木戸に手渡した。
籾木戸源次郎も竜田川に東西新聞を渡す。竜田川は受取った東西新聞の社会面を開く。《載っていない。どういう事だ?》
怪訝な表情で籾木戸源次郎が言った。「竜田川君。君の新聞は十三版だね。我が家に届いた新聞は十四版だ。少し調べさせてくれないか?」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
竜田川がバンコクでサテライト版東西新聞を手にした日の早朝、日本時間午前零時前。五十嵐首相は東西新聞社主・大原に電話で要望を伝えた。
社会の木鐸と自ら任ずる大原も扱い記事の社会へ与える表面的影響の小ささと旧大阪駅跡地の大きさを天秤に掛け首相の要望を受け入れすぐさま整理部へ十三版回収と記事の差替えの指示をした。整理部では保留記事の中から差し替え記事を見繕い緊急社内連絡網見える化フォローチャート(改定版:一九九×年四月発行)に従い印刷部・配送部・その他関係部署へ十三版回収、差替え再印刷の指示を展開した。
が、一ヶ所連絡漏れがあった。それは電送機報部だ。電送機報部とは世界各地に駐在する外報記者からの電送写真の受信を主な業務としていたが加えて同年五月から始まった東南アジア・サテライト版の紙面電送も兼任していた。
東西新聞の品質マニュアルでは『変化点発生の際は関連部署へ速やかに展開する』の項目があった。が、惜しむらくは仕組みとしての『誰が何時何処で何をどうやって』の明確な規定がなく先の見える化フォローチャートには同年五月より開始されたサテライト版の追加改定がまだ反映されていなかった。
大原社主指示の下、社内各関係部署は御中元と御歳暮の同時受注同時発送手配の様なてんやわんやの大声飛び交う大混乱状態であったが、その時すでに電送機報部では彼岸の大火事、何処吹く風、知らず知らされず鼻歌まじりに通常通りサテライト版用に早刷り十三版全紙面を無事にバンコクへ送信し終わっていた。
当然の事だがこの辺りのいきさつは籾木戸らの預かり知らぬところであった。が、後に籾木戸源次郎が東西新聞社へ十三版の問合せの電話を入れた際、サテライト版への対応漏れが発覚し責任問題に発展して該当日の伝送機報部担当者の東野慎二という男が解雇された。が、問題の根本は仕組みとしての連絡網不備によるものであったのだが東西新聞社としては東野慎二に詰め腹を切らせる形でこの件に済み印を押した。