第3章 五十嵐首相、片手でさよなら
時は一九九×年一月某日深夜。例によって電話の呼び鈴から話が始まる。
男A「はい、河嶋ですか……」
男B「河嶋様でございますか? 私、五十嵐でございます。夜分お休みのところ大変恐縮でございますが、至急ご報告すべき事態が発生しまして……」
男A「……」
男B「実は、あの日の新聞を嗅ぎ回っている男がおりまして……」
男A「あの日の新聞? 何!? 完全に抹消したのではなかったのか?」
男B「はい、いえ、その、実は新聞の入手経路は不明でありますが川崎に敷島秘密研究所と言う名の民間の研究機関がありまして」
男A「なんだ、そのふざけた名前は?」
男B「はい、いえ、その、実は詳しくは分からないのですが、そこの代表の籾木戸源次郎とか言う男が」
男A「何? 籾木戸源次郎! 奴はまだ生きておったのか?」
男B「えっ? 奴と申しますと?」
男A「いや、何でもない。構わん、その何とか研究所ごと始末しろ」
男B「えっ? 始末と申しますと?」
男A「始末は始末だよ、それも根こそぎだ。生死は問わぬ。あけぼの機関を動員したまえ。それから、報道機関には適当に応えておきたまえ。それでは、五十嵐君、お休み」
明けて翌日は前章の敷島秘密研究所炎上事件へとつながる。
尚、炎上事件に対する報道機関の扱いは翌日の一部地方版朝刊で『登戸の老朽ビル漏電で全焼、死傷者なし』と小さく報じられたのみであった。
そして、その炎上事件の夕方、激怒した河嶋は五十嵐首相に電話を入れた。
男B「はい、五十嵐ですが」
男A「バカ者。なんだ!あの失態は!この役立たず!」
男B「も、申し訳ございません。何しろ隊員が全館を制圧した時にはもう誰もいませんでしたもので」
男A「何故初めから登戸と言わんのだ。何が敷島秘密研究所だ、君は知っていたんだろう、馬鹿者」
男B「・・・・・・・・・・・・・・」
男A「もういい、君は宮崎に帰って少し休養したまえ」
河嶋は激しく受話器を置いた。昨日の電話で五十嵐が研究所の所在地をもう少し詳しく話していたのなら籾木戸ら一味を一網打尽にできたであろう事に河嶋は悔やまれてならなかった。河嶋は知っていた。戦時中、登戸に旧陸軍の風船爆弾地下研究所があった事を。地上の敷地の大方は施設も含め戦後某私大へ払い下げられたが地下施設は含まれていなかったはずだ。何時どのようにして籾木戸が地下施設を所有したかは不明だが用意周到な奴の事だ、万が一の地上からの襲撃に備えて非常口を再整備していたのであろう。それにしても腹の虫が収まらぬ。もし、昨夜の電話で五十嵐が研究所の所在地を詳しく伝えていたら手の打ち様はあったものを。河嶋は怒りにかられて何処かに電話を入れた。
賢明なる読者の皆さんはお気付きの事と察せられるが襲撃失敗の原因は五十嵐首相一人に起因するものではない。首相の報告を聞いた河嶋が籾木戸源次郎の名前の出現に前後を忘れる事もなく研究所の所在地をより詳しく確認していれば籾木戸一味を一網打尽に出来た事は疑いもない。そうなれば本編の展開も別なものになっていたであろう。一人の老害の早計が歴史の流れを変えた事例は過去を顧みれば枚挙にいとまがない。
翌朝
全国紙、地方紙、スポーツ紙、業界紙、宗教紙、各紙表現は異なるものの一様に一面大見出しで五十嵐首相片手醜聞の報を伝えた。
『首相、片手で芸者をろうらく』
『国辱大臣、血税で芸者を二号に』
『好色総理、芸者ちび丸に貢ぐ君』
各紙の伝えるところによると五十嵐首相は赤坂の料亭ききょうの売れっ子芸者・ちび丸に右手五本を広げて示し「どうだ、これで俺の女にならんか」と口説いたがちび丸はそれを拒否。ちび丸の証言によると指一本十万円、五本でしめて五十万円、五十嵐首相は月々五十万円でちび丸を妾にしようとしたがちび丸は拒否し各新聞社にリークしたものだ。
同日午後、五十嵐総理は緊急記者会見を開き「世間様に合わせる顔がありません」と素直に辞任を表明した。