第10章 あっ、聴診器。お前もか!
それまで日の目を見る事のなかった言わば隠し子的存在であったハジジャンではあるが世間では目撃伝聞談等で公然の秘密と化していた故、論文の内容が余りにも衝撃的であったにも関わらず逆輸入された『ハジジャンの構造』は瞬く間に広く人口に膾炙した。
謎の人物河嶋のかつての報道機関への自主規制要請も発令よりの歳月も久しく効力も衰え加えて逆輸入の圧力に耐え切れず各報道機関はひるがえって他社の先駆けに遅れまじと堰を切った様に特別番組特集記事を放映報道した。
『ハジジャン 各地からの発見報告』
『神の子ハジジャン、その知られざる真実』
『ハジジャンの穴場、全国百選』
『間違えだらけのハジジャン穴場』
『保存版・失敗しないハジジャンの飼い方』
『決定版・間違いだらけのハジジャン飼育法』などなど
また、
『あなたの隣にインベーダ・ハジジャン』
『悔い改めよ。末日近しハルマゲ丼!』などなどドサクサ便乗似非宗教本もあった。
時は二〇〇×年九月、所は東京都渋谷区 日本放送組合101スタジオ
スタジオ内では竜田川健二を解説者にむかえ緊急特別番組『神の子ハジジャンの不思議』の録画取りが行われようとしている。対する質問者は同放送局の売れっ子女性アナウンサ川崎めぐみ。
尚、この売れっ子アナウンサ川崎めぐみは正真正銘の女性でありチェリーの隠密捜査官川崎恵とは同姓同名ではあるが全くの別人である。川崎恵の変装ではない。あらかじめお断りして置く。
が、この売れっ子アナウンサ川崎めぐみは、色々と秘め事の多い女であった。
実は破壊防止法赤丸急上昇第二候補の排他性の強い秘密結社・ちび丸真理教の隠れ信者であった。しかもその地位は伝道本部次長という幹部信者であるが、事は本人と信者以外誰も知らない。
また、後に六本木の高級マンションで本人主催による年越し乱交SM絶倫パーティー開催中に踏み込んだ麻薬Gメンに大麻取締法違反の現行犯で逮捕され駆け付けた報道陣にそのあらわなSM調教ルックス姿の潤んだ目を写真に取られ世間を騒がせる事になるが、まだその頃は見てくれ上の彼女の知的で清楚で淑やかな美貌に多くの視聴者は好感を抱いており仮面の下の素顔を知る者は関係者以外誰もいなかった。
話はスタジオ101に戻る。竜田川健二はカメラに向かって話し掛ける。「蚕は卵がかえり芋虫からサナギに変わり最後に成虫となります。これを完全変態四体と呼びます。ゴキブリは芋虫・サナギの過程を経る事なく卵から直接成体へ変わりますので不完全変態の二体と呼んでいます。ハジジャンも二体です。便宜上、孵化前をキラル体、孵化後をハジジャンと呼ぶ事にします」
「キラル体?」
画面は変わり直径約五〇センチ、厚み約二〇センチ程の例の怪物体が写る。
「これはハジジャンの卵ですか、それともサナギですか?」と川崎めぐみが尋ねる。
「いえ、卵やサナギですと既に内部に蓄えている栄養分を消費するだけで外部からの栄養補給はありませんが、キラル体はその間も外部から栄養を取り入れている様ですので、むしろ種と呼んだようがイメージに近いと思います」と竜田川健二。
「種? ハジジャンの種?そうしますとハジジャンは植物ですか?」と川崎めぐみ。
「いえ、イメージ的には種ですが植物ではありません。体組織は動物そのものです。が、哺乳類ではありません。何しろ我々の生態系とは全く違う生き物ですので分類のしようがありません。ハジジャンはハジジャンです」
「そうしますとハジジャンは何を食べているのですか?」
「難しい質問です。我々十年の観察でも未だ特定できていません。ただ、成体のハジジャンは何でも口にします。カレーライスでも天丼でもトムヤムクンでも何でも食べます。しかも、驚いた事に仕込まずとも箸の使い方もしっています。まるで、先天的習性のようです。ハジジャンは人間の食べる物は何でも食べます。が、体組織の違いからタンパク質は吸収出来ません。逆に何年もの間、食事を与えなくても彼らは空腹を訴えません。ですから何か他のモノを栄養源としているはずですがまだそれが何なのかは特定出来ておりません」
竜田川は続けて「私達は現在孵化後ハジジャンを一〇八匹飼育観察していますが、オスが六〇匹とメスが四八匹です。これも実に不思議な事に孵化時の推定年齢がまちまちでして最小が人間にして十五歳前後、最高が七〇歳位です」
「一〇八匹! 随分たくさんいますね」
「いや、我々が採取したハジジャンはごく一部です。正確な数は分かりませんが日本中にはこの何倍何十倍もが人間社会に紛れ込んでいるはずです」
「ハジジャンは言葉が分かりますか?」
「はい、驚く事に孵化後だいたい一週間でしゃべり始めます。しかも、日本語です」
「日本語ですか!?」
「はい。そして、これまた不可解な事に先天的習性なのでしょうか中には東北弁や、関西弁、遠州弁もいます」
「だらだにですか!?」
「はい、流暢なだらだにです」
「それでは、どうすればハジジャンと人間の見分けが付きますか?」
「いい質問です。外見だけでは違いが分かりませんが、ハジジャンの細胞組織を偏光顕微鏡という特別な顕微鏡で見ますと右旋回します。因みに人間の組織は左旋回します」
「特別な顕微鏡ですか?」
「はい。いえ、レントゲンでも分かります。私達の心臓は左側にありますがハジジャンの心臓は右側にあります」
「レントゲン? 右側? ハジジャンの心臓は右側にあるのですか?」
「はい。ハジジャンの心臓は右側にあります。ちょうど鏡に映したように我々人類とは左右が逆です」
「では、疑わしきを見付けたら、毎回病院が保健所につれて行けば分かりますね」
「はい。その通りです。でも、もっと簡単な方法もあります」
「と、申しますと?」
「はい。聴診器です。被疑者の胸に聴診器を当てるのです。心臓の鼓動が左側から聞こえたら人間です。逆に、右側から聞こえたらそれは間違いなくハジジャンです」
「あっ、なるほど聴診器ですか?それは簡単でいいですね。私もひとつ買おうかしら…」
「……」
「それから最後にもうひとつ質問がありますが一部週刊誌等で取り沙汰されていますようにハジジャンが地球外生物の可能性はありますか?」
「難しい質問です。はっきりないとは断言できません。しかし、地球外生物はSFの域を出ておりませんがハジジャンは現実に存在します。私達の研究所もハジジャン発生の謎はまだ解明できておりませんが、現実の問題としてハジジャンを地球外生物に結びつけるのは飛躍のし過ぎだと思います」
「今日は、お忙しい中、大変ありがとうございました」
こうして録画取りは終了した。
ハジジャンが話題になるに伴って竜田川健二の名前も知れ渡っていった。そして、連日連夜テレビでラジオで講演会で竜田川健二の顔を見ない日、声を聞かない日が無くなるほどまでに彼はすっかり時の寵児となっていた。
また、ネイチャー誌発表に先駆けマホロバ研究所は第二研究所とは別に港区白金に連絡事務所を構えていた事も付け加えて置く。
さて、さて、さて、またまた、またもや又之助、話は側道に迂回する。
日本放送組合制作『神の子ハジジャンの不思議』放映日の翌日、前代未聞の異変が起こった。
それは日本中から聴診器が消えた。いや、市場から消えたのであった。番組を見た者、またはその話を又聞きした者達は医療機器販売店・卸店に殺到し聴診器を我先に買い求めた。店側も聴診器など豊富に在庫を抱えているはずはなく束の間に売り切れた。間に合わず買い損ねた者達はやるかたなく溜息まじりに予約注文を入れた。
そしてその週末、全国の予約数をまとめた聴診器メーカーは力の限りうれしい悲鳴を張り上げた。手持ちの在庫を放出しても全く間に合わず受注残をこなすだけでも向こう三ヶ月フル稼働フル生産しても恐らくは間に合わないであろう程の数量であり、その上、後追い追加注文が朝な夕な五月雨式に舞い込み全ての需要を満足させる日の見極めがたたない程の有様であった。
竜田川健二の聴診器発言は期せずして時ならぬ聴診器特需を誘発し永らく低迷していた日本経済を活性化させ同年下半期の国内経済成長率を一.八パーセント上方修正させる主因となった。
が、しかし、中には心無い者も当然いた。
とある卸店の発売日の前日より徹夜で並び念願の聴診器をようやく手に入れた小学校六年生の出木杉できお君はその嬉しさ溢れる帰り道、中学生悪餓鬼三人組に恐喝され聴診器を奪われた悲しい事件や、仮病を装い病院へ訪れ問診時に医者の隙を突いて聴診器を引ったくり逃げようとしたが百貫厚化粧タラコ紅唇の看護婦長に気合の入った二段投げ&地獄車で取り押さえられたドジな事件。
銀婚式もとうに過ぎ自他共にその仲の睦まじさを認めるオシドリ蚤の夫婦が一本の聴診器の所有権をめぐり合意に至らず家裁へ離婚調停を申出た笑えぬ事件。
部下の聴診器欲しさにヒ素&トリカブト入りカレーライスを食べさせ殺害を謀った某県警巡査部長の残虐な事件。学校帰りの小学校三年生の女子に聴診器を見せてあげるとたぶらかし車に乗せようとした所を善意の通行人に気付かれ御用となった某県立高校教諭のお粗末な事件、などなど似たような事件が各地より報告された。
また、ある会社役員は、中国製聴診器五万個を無許可で輸入しようとしたが成田にて関税法違反で書類送検された事件などもあった。
この世の中、何が流行るか分からない。その年の暮れには聴診器ブームは頂点に達し、場所時間状況にとらわれず何時でも首から聴診器をぶら下げる事が最先端のおしゃれな流行となっていた。
初詣の和服姿の女性も聴診器をぶら下げ、成人式に集う男女もしかり聴診器。早朝の通勤電車の中ではそれぞれ好み収入に応じ服装は違うが皆一様に首から聴診器をぶら下げ駅職員も売店のおばさんも聴診器。新宿駅西口地下道にたむろするホームレスも市谷駐屯地の清掃員も聴診器。チェリーの佐藤も聴診器。謎の人物河嶋も聴診器。また、告別式で読経する僧侶の首にも聴診器、はたまた春場所千秋楽の行司の首にも聴診器。日本中、どこでもここでも聴診器。誰でも彼でも聴診器。
遂に聴診器は単に一過性の流行には終わらず、誰扇動する事もなく「聴診器持たぬ者、人間にあらず」的風潮が生まれ、現代日本人の常備携帯品のひとつに仲間入りする。
そして、例えば初対面の場合、名刺交換・自己紹介の後には大方は目上のほうから「それでは」と聴診器を相手の胸に当て、次に目下の者が「恐れ入りますが」と聴診器を当て返し互いに納得しあってから初めて商談・用件に入るという風な行為が良識ある者の社会的習慣として定着して行く。