怪異 弁当くれに安寧を
柊 春香の章
ざわり、ざわり。
ざわり、ざわり。
今日も学校での一日が終わる。当たり障りのない一日が終わる。
しかし、今日の授業もつかれた。ぐでーと机に突っ伏して、授業で疲れた体と脳を休ませる。
私は柊春香。東雷同高校の二年生。
この学校は進学校だが、そこまで風紀やらは厳しくない、普通の高校だ。
「春香、今日もぐでーとしてるね」
そう話しかけてきたのは、私の友人の加藤優香。文学少女じみた見た目の、可愛らしい同級生。
「あ、優香。今日も疲れたよー」
「あはは。今日の体育の授業はきつかったものね」
そう言いながら、私の前の椅子に座る彼女が持っているのはオカルトじみたタイトルが書かれた本。
彼女は可愛らしいのだが、一点だけ困った所がある。
「ところで春香。この間Rainした……」
「あー、パス」
ホラーじみたことが大好きだという所だ。そして、それを私に布教しまくってくる。
まあ、私もハードカバーしか読んでいなかった彼女にライトノベルを布教したから、お相子なのかもしれない。
そして、彼女は私にこの学校の裏にある池の怪異……らしき現象?を一緒に見にいこうと誘ってきているのだ。
優香は大親友と言って良い。だけど、オカルトな趣味に付き合うほど私は酔狂ではない。
「むー、わかった。一人で行く」
「ちょっと、一人で行くって、正気?」
「うん、せっかくこんな身近にホラーみたいなことがあるかもしれないんだよ? 絶対行くべきだと思うんだ」
「まったく。分かったよ。私も行く」
「本当? ありがとう」
この娘は、全く。夜の女の子の一人歩きが危険だとわからないのだろうか。
仕方がないので、私もいっしょに行くことにした。
何事も起こりませんように。そう願いながら。
◇
夜に出歩くのを心配する親を説得するのに手間取ったが、何とか説き伏せて学校の近くにやってきた。
夜の学校近くは、不気味なほどしんとしている。家の近くもここも、静かさは変わらないはずなのに、なぜこんなに不気味に思えるのだろう。謎だ。
「春香。やっぱり夜の学校付近はとってもいい雰囲気だね」
「優香の、その感覚はわからないなぁ……」
私が、少し興奮している優香に呆れていると、目指す池の傍に到着した。と言っても、夜の校舎に侵入はできないので、校舎裏にある、学校と外を分ける金網の外側から池を見ている。
「そういえば、この池で起こる、変な現象ってなんなの?」
「ああ、それはね。昔、この校舎の池に、腐ってしまった弁当を捨てる不届き者がいたんだけど、その弁当の呪いかなにかで、池が弁当をよこせって声を発するようになったんだって」
「何それ。眉唾もいいところじゃん」
「ロマンがわかってないなー、春香」
そう言いながらスマホの録画機能を使って池の方を撮影する優香。その姿は完全に不審者だ。全く、良い年をした女の子の趣味とは思えないなぁ……なんて思う。まあ、それに付き合っている私も私だが。
十分経った。特に何も起こらない。
二十分経った。ネコが通過した。
三十分経った。いくら人がいない時間帯だといって、これ以上ここにじっとしているのは怪しいことこの上ないだろう。
「ねえ、優香。そろそろ帰ろう? さすがにこれ以上こうしてるのは怪しすぎるって」
「むー、まあいいや。この映像を調査すれば何かわかるかもしれないし」
優香も納得してくれたようだし、私たちは校舎裏の池の傍を去ることにした。
その時だった、何か、嫌な臭いが微かにしたのは。なんだろう?初めて嗅ぐ匂いだ。だが、周囲を見回しても特に変わったものは無い。
変なの。そう思い家に帰る道を行く。
その途中の事だ。私の家と学校の間には、けっこう昔に潰れたお弁当屋さんがあるのだが、その前に一人のお爺さんが立っていた。白髪で、杖をついてはいるが背は真っ直ぐ。
もうやってはいないお弁当屋さんを、じっと見ている。
「ふぅむ、この年には潰れてしまっているのか……」
そう呟いたお爺さんは。すっと私の方を見た。
まずい。こんな夜遅くに出歩いていたなんて、学校の人に言われたら面倒だ。
少し身構えてしまうが、お爺さんは人懐っこい笑顔で。
「お嬢さん、この店が潰れた年を知らないかな? 」
「え?」
思わず、間抜けな声が出てしまったが、このお店が潰れた年なんて聞いて、何をするのだろうか。
「え、ええと。確か、五年位前だったかな」
「ああ、五年前か。ここの豚カツ弁当は絶品だったから、また食べたいと思ってたのだが」
なるほど、このお店のかつてのお客さんだったのだろう。五年以上ぶりに来てみたら、店が潰れていた。という事か。お爺さんは、私の横を通りながらお礼を言って去っていく。
「だが、五年前ならそう手間はかからないな。ありがとう、お嬢さん」
「どういたしまして……ん?」
手間はかからない?どういう事だろう。そう思い、お爺さんが去っていった方を見るが。そこには、漆黒の闇が広がるだけだった。
アレ、お爺さんは?と見渡すが、居ない。
何だったのだろうか。なんだか怖くなり、速足で家に帰った。
そして、家に着けば親への説明もほどほどに、ベッドに横になる。
ああ、疲れた。優香からRainが来ているが、明日返事しよう。
ゆっくりと、瞼を閉じた。
◇
何だろう。体が重い。
なんだか、背中が痛い。というか、固い物の上で寝ている感じがする。
ゆっくりと瞼を開ければ、真っ暗な夜空が見えた。
え、どういう事?
私は慌て飛び起きる。ここはどこ?きょろきょろと見渡せば、ここは校舎裏の池の傍だ。
ああ、なんだ。優香と一緒に変なことしたから、変な夢を見ているんだな。なんて思えば、池の方、水中から、何か声が聞こえる。
何だろう?つい、よく聞こうとしてしまった。
「くれ」
「くれ」
「くれ」
そんな声が、水中から聞こえる。ああ、なんか妙にリアルな夢だなぁ。なんだか、夏に行った海の磯の香り、それを腐らせたかのような臭いも妙にリアルだ。
そんな楽観な考えをしていると、池の中から、手が伸びてくる。
「くれ」
「弁当」
「くれ」
その伸びてくる手が私の足を掴んだ。冷たい。ぞっとする冷たさだ。
そこで初めて、これが夢にしては妙だと思った。
夢で、こんなぞっとするような、冷たさを感じるだろうか?
しかも、その手に握られる冷たい痛さ。それがリアルに感じられる。
なんか、変だ。
「くれ」
「くれ」
「くれ」
鼓膜を、冷たい無機質な声が揺らす。私はあわて、その足を掴む手を振り解いて、池から離れようとする。
だが、何か透明な壁のようなものに阻まれ、遠くへ行けない。
手が、増えてくる。
私へと、池から手が沢山伸びてくる。
「くれ」
「弁当」
「くれ」
その青白い手が、私の手を掴む。足を掴む。服を掴む。
誰か、助けて。声を出そうとするが、喉に手が伸びてきて、締め付けられる。
苦しい。そのまま、池へと私の体は引っ張られていく。
私は、締め付けられる喉から、振り絞って声を出した。
「だず……げで……」
その時だ、バリィン!と、後ろで何かが割れる音がしたのは。
かつん、かつんと杖が地面を鳴らす音がした。その音がするたびに、私の体を拘束していた手が、逃げるように水の中へと入っていく。
私は、解放された喉から、空気を一杯吸いこんで、息を吐いた。た、助かった。
「ふむ、危機一髪といったところか」
後ろを振り向けば、居たのはお弁当屋さんの前にいたお爺さんだった。
だが、あの時の優しげな表情は無く、刀のような鋭い眼差しで池を見ている。
お爺さんは私に近づくと、優しく頭を撫でてきた。
「怖かったろう、もう大丈夫だよ」
不思議と頭撫でに不快感は無く、ほっとする耳触りの良い声色が心地良い。
「あ、りがとう、ございます」
「何、君の後ろに不穏な影を見たのでな、つい老婆心で見守っていたのだよ」
そう言いながら、私の傍にいるお爺さん。彼は続ける。
「そして、こうやって君は怪異に狙われた。間に合ってよかったよ」
池を見るのとは違う、優しい眼差しが私を撫でる。そしてホッとすると同時に、疑問が浮かんできた。
「あの、貴方は?」
「私かい?私は旅人だよ。色んな時代、いろんな場所、いろんな世界に行くただの旅人さ」
そう言いながら、へたり込んでいた私を抱き抱えて、立たせてくれる。
「ここは、君の夢の世界。今、寝ている君の見ている夢さ」
「夢? でも」
「ああ。あのままだったら、君の魂はあの怪異に飲み込まれていただろう」
旅人のお爺さんはそう言いながら、池と私の間に立つ。
すると、再び青白い手が、今度はお爺さんへと伸びてきた。
「夢の世界とは、寝ている時に脳が記憶を整理する間、魂が一旦この世とあの世の間の世界に漂うときに出来る、とても不安定な世界なんだ」
そう言いながら、杖で地面をつくことで鳴る音で、手を追い払っている。
「夢の世界は、怪異にとっては入り込みやすいもの。お嬢さん。君は今日、何か不思議なもの、不思議なことと接する機会があったのでは?」
「不思議なこと……あ」
あの、お弁当を欲しがる池だろうか。それを伝えると、お爺さんは納得したように。
「なるほど、怪異、弁当くれか」
「弁当くれ?」
「ああ。この怪異は、水の神が祭られた池に、腐った弁当を捨てた少年の魂が、怒った水の神によって変化したものだよ」
なんと。この青白い手は、元は人の魂だったのか。驚いていると、お爺さんは続ける。
「水の神は、農作の神とも関係がある。自分のテリトリーの池を汚された怒りと、お弁当に使われた農作物を腐らせ、捨てたことへの怒りはすさまじいものだ」
なるほど、私も自分の祖父から、食べ物を粗末にするなとよく言われたが、ここまでのことになるとは。
「まあ、この怪異への対処法は簡単なのだかな」
そう言うと、お爺さんは懐から、袋を出す。中には、豚カツ弁当。
それを伸びる手に手渡すと、そのお弁当は、池の中へと。そして、ぐちゃぐちゃと咀嚼音がする。
「お弁当をあげれば良い。これで君はこの怪異から逃げられる」
「本当に? 良かった……」
ホッとする私の手を、お爺さんは優しく握って。
「さあ、悪い夢の世界から出ようか」
「は、はい。でも……」
「大丈夫。一度怪異から逃れられれば、魂に免疫ができて、同じ怪異には襲われないよ」
そして、私はお爺さんに手をとられ、一緒に夢の世界から出ようとした。
お爺さんが世界に開けた穴から、世界を出る直前。私は池の方を一度、振り向く。
池の上、一人の少年が、悲しそうな顔でこちらを見ていた。
その姿になんとも言えない思いが浮かぶが、私にはどうしようもない。
ごめんね。そう念じて、瞼を閉じた。
◇
次の日のことだ。ベッドの上で目を覚ました私。さっきのは夢だったのだろうか。でも、あの妙な臭い、冷たい手の感触。旅人のお爺さんの優しい温かさ。どれもしっかりと覚えている。そして、あの夢の中で見た、少年の悲しそうな表情も。
私は襲われた側だ。あの少年に何かすることは無いかもしれない。でも、なぜか、何かが心に引っかかる。
よし。なら……そう思い立ち、私は学校に行く前に、幼いころに遊んだオモチャのある倉庫へとむかった。
そして、学校でカメラに怪しいものが何も写っていなかったことを残念がる優香をあしらいつつ、お昼の時間、私は池の傍にいた。
そこには、水の神様を祭る、小さな祠がたしかにある。
その前に、私はゴムでできた、小さなお弁当のおもちゃを供えた。
なんとなく、あの弁当くれが、可哀想だったから。
本物のお弁当を供えたら、私も水の神様を怒らせちゃうかもしれないから。おもちゃのお弁当にした。
そして、池に向かい手を合わせ、去ろうとしたその時。
水面の奥、うっすらと少年の顔が見えた。その口が、ゆっくりと動く。
『あ り が と う』
そう言われた気がして、私は首を振る。これは私の自己満足だから。お礼を言うことは無いよと。
そして、私は池の傍を後にした。
そういえば、今日お母さんは何のお弁当を作ってくれたのかな。感謝して食べないとな……なんて、思いながら。