皇太子の消極損害
お目通しいただき、ありがとうございます。
(朝食が終わったらすぐに臨時許可を出そう…)
讃美歌が響く宮殿内の礼拝堂で両親と共に祈りを捧げている最中、スタンレイは如何に自然にシュタール伯爵家に荷入許可を降ろすかに考えを巡らせていた。
当日、勅書で呼び出し領地の割譲をエサに全く準備をさせずにカロリーナを皇太子妃候補にするまでは、スタンレイの思惑通りに進んだ。
ただ、そこに潜んでいた問題をスタンレイはしっかりと見落としていた。
日用品と従者を宮殿内に入れること。
通常の手順であれば、皇太子の使者が選定の儀より二十日以上前に候補者への通達をした際に許可書を渡すことになっている。
候補者は入念に準備をして馬車の数と入れる荷物の詳細を宮中の全般を管理する宮内部に提出、許可を得て搬入となるが、カロリーナにはその時間はなかった。
(そもそも、部屋まで辿り着いたのか…?女性の支度は分からないが、まさか正礼装のまま寝るわけでもないし、今朝は?どうしてるんだ?)
カロリーナに対して特に感情はないが、自分のせいでなにも知らずに連れてこられた女の子が右も左も分からないような状態で放置されていると考えると、スタンレイは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
(うゎ…ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイホントウニゴメンナサイゴメンナサイ)
ぎぎぎ…と、懺悔にも似た思いが、スタンレイの祈る手に尋常じゃない力を入れる。
「か…殿下。礼拝、終わりましたよ。」
「うん?あぁ、すまないディラン。行こう。」
優しい青年の声でスタンレイは我に返ると、足早に礼拝堂を後にする。
(いや、いやいやいやいや!!フローディテアを妃にする為にこの選定を使うと決めたんだ!今更弱気になってどうする!!)
ぐっ、と顔を引き締めてスタンレイは執務室へと向かった。
「ディラン、朝食の前に少し書類を片付けよう」
「はい?畏まりました。」
ディランは少し不思議そうにしていたが、何か思い当たる事があったのか微笑ましそうな顔をしてスタンレイの後を追った。
執務室に着くと、さっそくディランはスタンレイに書類を渡した。
「フローディテア嬢の侍女候補のリストです」
「…あぁ!そうか」
フローディテアの名前を聞くと、スタンレイは少し嬉しそうな顔をして書類に目を通した。
(ほとんど同年齢…お友達リストだな)
そのスタンレイを、ディランは微笑ましそうに見守る。
「うん、問題ないだろう。希望通り通して通達を出してくれ。あぁ!一人宮中の儀礼に詳しい夫人をつけてやってくれ。優しく対応できる人物を頼む。」
「はい、そのように。」
上四枚の書類にサインをし、スタンレイはディランに手渡した。
ディランは受け取った書類を革製のホルダーに挟むと、別のホルダーから書類を抜き出し、スタンレイに差し出した。
「次はカロリーナ嬢の侍女候補のリストです」
「…え」
スタンレイは耳を疑った。
(カロリーナの侍女候補リスト…だと?)
「いや…え?ぇ?」
「どうされました?」
軽いパニックに陥ったスタンレイの不審な動きに、ディランは慌てて声をかけた。
(カロリーナには何の用意もさせないように、当日呼び出したんだぞ?…荷物も従者もないのにリストだけがあるとかあり得ないだろう!!)
一通り変な動きをしてからスタンレイは椅子に戻り、頭を抱えて首だけディランに向ける。
「なんであるの?」
「そりゃあるでしょう。」
「いや、そうなんだけど…」
なにも知らないディランはさも当然のように答えた。
幼い頃から親友のように育ったディランにも、スタンレイは今回の計画を話してはいない。
話してしまえば、ディランは皇太子付きの秘書官の役職上、宮内部に報告しなければならないからだ。
(ディランの事だから察しているとは思うが…)
スタンレイは恐る恐るリストに目を通す。
リストには一体どんな接点があるのか皆目見当もつかない、ここ数年勢いのあると言われる家門の令嬢や夫人ばかりが載っている。
(えぇ…何の繋がり?どういう状況?!コワいコワいコワい…)
渋い顔で書類を眺めているスタンレイの様子が気になり、ディランは横からスタンレイの握りしめているリストを覗きこんだ。
「カロリーナ嬢は存外、交遊範囲が広くていらっしゃいますね。年齢も爵位もまちまちですし…うわ、ベルク辺境伯までですか?!はぁ…これは確かに迷いますね」
(そもそも、カロリーナについてなにも知らないな。同年代の子女はほとんど学校で過ごすから総評でだいたい分かると思ったが…もしかしたら、スゴいコネとかあるのかもしれない)
頭を抱えて深いため息をついたスタンレイから書類を回収し、ディランはフローディテアのリストと見比べる。
「まぁ…そうですね。このまま通してしまっては勝負が決まったようなものですし…カロリーナ嬢には申し訳ないですが、少し介入させて頂きましょう。」
「できるのか?!」
「まぁ、候補といっても希望ですからね。フローディテア嬢と同等となると…全員変えないといけないので、そこまでは無理ですけど。調整して後程お持ちします。」
「そ、そうか…では調整を頼む。」
ディランの提案に一筋の希望を見たのか、スタンレイは元気と顔色を取り戻す。
「ついでにカロリーナについて調べてくれ。」
「は?いや、調査って…殿下がよくご存知なのでは?」
「頼む…頼むよディラン…解ってくれ」
(フローディテアを勝たせるためには、しっかり調べて対策を練らないと…)
すがるように左腕を掴んできたスタンレイの手に、がっつり付いた爪痕を認めたディランは「あー…」と、残念そうな同情の声を上げてから、うんうん頷いた。
「畏まりました。(お詫びね。置き去りにした…)」
「なるはやで。な・る・は・や・で・お・ね・が・い」
ぐぐぐっ、と震えるくらいの力を手に込めてスタンレイは必死の形相でディランの腕を握りしめる。
「わかりました。分かりましたから…痛い痛い痛い…!ね、殿下!ご飯、ご飯行きましょう?!ね?皆さんお待ちですよ!!痛い痛い…!」
暗い表情のスタンレイが面倒くさそうな顔をしたディランを伴って食堂に入ると、既に皇帝と皇后は食事を取っていた。
「遅くなりました」
「良い。先に始めている。」
スタンレイは皇后の向かいの席にひらひらと手を振る、パウダーブルーの可愛らしいドレスを来た金髪の女性を見つけた。
「あは、スターンレーイ」
とびきり明るい声でスタンレイを迎えたのは、皇帝の姉、リーリエだった。
「伯母上?!どうされたのですか?」
「ウフフ。せっかくだからお話したいなぁって思って。お泊まりしたのよ。あら、ディランちゃんも一緒に食べていきなさい。」
手を頬の横で合わせて首を傾け、ふわりと笑うリーリエ。
「あぁ…いえ、私は」
「ふふっ、座って?皆で食べた方が美味しいでしょ?」
断ろうとしたディランに向かってリーリエは、にこりと微笑みながらスタンレイの隣に向かって手を伸ばす。
「はっ、では」
皇帝が頷いたのを確認すると、ディランは一礼し、席に着いた。
リーリエは気に入った相手に“ちゃん”をつけて呼ぶ。
中でもディランは役職柄融通がききやすく、皇帝もリーリエが来ると相手をさせるために呼び出す。
その為リーリエもディランを自分の子供のように扱うし、上流階級の間では暗黙の了解になっている。
間を置かず、コンソメスープがスタンレイとディランの前へと出された。
「もうっ、あんなに素敵な女の子を見初めるなんてスタンレイは流石ね~って、皆言ってたのよ!私、すごく嬉しいわ!」
デザートのりんごのクレープシュゼットを切りながら、リーリエはうっとりと微笑みながらスタンレイに声をかける。
「そうですか、そう言って頂けて私も嬉しいです。途中で退席してしまってご紹介もできずに申し訳ありませんでした。」
(よしっ、伯母上ならフローディテアを絶対気に入ると思ったんだ…!)
リーリエはいわゆる可愛いものが大好きだ。
魔法使いやら妖精や幻獣なんかも「いたら素敵ねー」と肯定的だし、ぼんやりとつかみどころのない色も好んで身につける。
身分の差を乗り越える恋物語や王子様が囚われのお姫様を救う英雄譚なんかに目がない。
ピンクの髪にエメラルドの瞳を持つ、人形のように可愛いフローディテアと皇太子である自分の結婚話なら飛びついてくる、とスタンレイは踏んでいた。
味方が増える上にリーリエはクラーニヒ公爵という肩書きも持っているため、社交界の後ろ楯としても申し分ない。
「あの後、本当にもうスゴかったんだから!ねぇ、テオ」
ふぶっ。
リーリエから話を振られた皇帝は口にしていたコーヒーを吹き出し、むせ返った。
「げはっ、ゴホッごほっ…!あぉ、ええ、とても素晴らしかったですね、姉上」
「え、素晴らしい…ですか?」
スタンレイの怪訝そうな様子を気に止めることなく、リーリエは少し興奮気味に話を続けた。
「そうよ~、スタンレイが出ていっちゃった後、警備のあの凄い美人の子…あ、ルーファウスちゃんがね、カロリーナちゃんにダンスを申し出て二人で踊ったのよ~!!三曲も!会場みーんな見惚れちゃって…も~、とおっっても素敵だったんだから。まるで、お伽噺のお姫様と王子様みたいだったのよ~!はぁ…スタンレイにも見せてあげたかったわ。」
自慢気だったり驚いてみたりうっとりしてみたり、リーリエはコロコロと表情や感情を変えながら、スタンレイ退場後を語る。
(カロリーナの方か…)
スタンレイは思わず舌打ちをしかけそうになったのを、何とか噛み殺す。
が、リーリエはスタンレイの些細な口もとの変化を見逃さなかった。
「あ、スタンレイが王子様っぽくないわけじゃないのよ?」
慌てた様子でリーリエは言い繕った。
(まぁ、それなら母上が上機嫌だったのも分かるな)
舞踏会を退席したにも関わらず皇后がご機嫌だった理由をスタンレイは今、理解した。
ぶち壊されたはずが、カロリーナのファインプレーで大成功に終わったのならば、大義であったに違いない。
それに三曲も踊れば、皇后専属の侍女たちが体を労っても、どこからも文句はでないだろう。
(しかし、そんなに上手いなら学校の成績表に書かれていても良いはずだが…)
「あっ、それにね、去り際も素晴らしかったんだから!」
まだまだ話足りないらしく、リーリエは目を輝かせて斜め上を見上げる。
(まだ何かあったのか)
「カロリーナちゃんが三曲終わった後に『皆様、申し訳ございません。皇太子妃候補でございます為、これより課題をお伺いせねばなりません。皇后陛下とともに皆様のもとを去りますことをどうかお許しください。殿下がフローディテア様を夏の女神に攫われぬようにされているうちに参らねば…皆様はどうかブランルまで楽しい夜会をお過ごしくださいませ』って、皆がぽかんとしている間にすっと出ていっちゃったの。格好良かったわ~」
(何さらりとこなしやがんだ、チクショウが)
スタンレイの脳裏にありありとその時の様子が思い浮かんだ。
「カロリーナちゃんが居てくれなかったら、スタンレイがお馬鹿さんだって、思われちゃうところだったのよ?」
ぐっ、と両手を胸の前で握りしめ、リーリエは少しむくれながらスタンレイに言い聞かせるように話した。
(カロリーナの言い様じゃあ、場違いな町娘をどうにか俺がフォローしてたような印象だな…)
これでしばらくは社交界の流行ワードは夏の女神に決まりだろう。
(あ!…あの時カロリーナに言わせたかったのはコレか?!)
思い当たった様子のスタンレイを一瞥し、皇后はふふっ、と上品に笑ってフルートグラスをあおる。
「そうよ!スタンレイもあんな常夏娘なんか夏の女神様にお渡しして戻ってくるべきだったのよ~!そうしたら」
「カロリーナ嬢がルーファウスではなく、ウチのスタンレイと踊りましたね」
「あら…」
皇后のさらりとした発言に、リーリエは熱が冷めたらしく、残念そうに口を閉ざした。
そして、じっ、と何とも切なそうにスタンレイを見つめる。
「わかる!!よーくわかるわ、あなたの気持ち!いくらダンスが好きな私でもスタンレイくらいしか踊れなかったら、きっと逃げ出していたもの!!」
ぶふっっ!!
スタンレイの隣でオムレツを食べていたディランが思い切り吹き出しかけた。
きっ、と悔しそうに睨むスタンレイの視線をかわすように顔を背け、ディランは明後日の方を向いてむせ続ける。
「ああっ、なんて可哀想なスタンレイ…私がちゃんと教えてあげなかったばっかりに…ううっ…」
(いやいや、ダンスが苦手になるくらい、みっちりしごかれましたよ…)
リーリエは突然涙ぐみ、膝にのせていたテーブルナプキンの端で軽く目もとを押さえてから、立ち上がった。
「ごめんね~!!これからは沢山たくさん、教えてあげる!ううん、今からでも遅くないわ!カロリーナちゃんと踊っても恥ずかしくないよう、しっかりと、練習しましょうね!」
「はっ?!あぁ…」
滑るようにスタンレイの所まで小走りにやって来て、リーリエはスタンレイの手を握った。
「…え?」
「さ、行くわよスタンレイ」
混乱するスタンレイに、にこりと微笑むリーリエ。
「え?いや、この後仕事が」
「まぁ、スタンレイの仕事はダンスよりも大切だと言うの?」
「調整いたします。」
リーリエが名前を呼ぶより早く、ディランは反応した。
「あら、良かったわねスタンレイ」
「姉上のご指導なら間違いないだろう」
皇帝も皇后も自分に飛び火しないように、笑顔でスタンレイに言葉をかけた。
「うふふっ、さぁ、行くわよ~」
「えっ?!えぇ?いやぁ…ぁあぁっ」
パタン、と静かに食堂の扉が閉まり、食堂は朝の爽やかな静寂に包まれた。
「あぁ、実にいい朝だわ」
清々しそうな様子でグラスを見上げる皇后の言葉に、皇帝とディランは静かに頷いたのだった。
一方、食堂から引きずり出されるように広間に連れ去られたスタンレイは、そのままリーリエからダンスのレクチャーを受けることになった。
何時間か後、何とか広間から這い出てスタンレイは廊下の壁にもたれてへたりこむ。
「スタンレイ…」
「はぁっ…あぁ…父上?」
突然後ろからかかった冷たい声色の皇帝の声に、スタンレイは壁に張り付いて何とか振り返った。
声色同様の冷たい顔で、皇帝はスタンレイを見下ろしている。
「先程、外門で一騒動あったのだが…何か分かるな」
皇帝の言葉に、スタンレイの汗は一気に冷えて疲労感は悪寒に変わる。
スタンレイは懐中時計を慌てて取り出すと、時間を確認した。
昼を越えて、針は二時を目前にしていた。
(…終わった)
酷い虚無感と脱力感が戻ってきた体の疲労感と相まって、スタンレイは壁に寄りかかったまま床に向かって滑り落ちた。
「わかっているならば良い。」
その様子を確認した皇帝は深いため息をついて、ぽつりと呟いた。
「通した馬車は一台だ、お気に入りの常夏娘と違ってな」
スタンレイが何の事かと見上げると、皇帝はスタンレイを見つめて小さな声で囁いた。
「早め機嫌を取ることだ。皇后の御用達ドレス商でも都イチのデザイナーでも何でもいいから早急に手配しろ。」
「は…いや、とんでもない金額になりますよ。伯爵家に」
スタンレイの的外れな返答に皇帝は眉を潜めて額をおさえ、頭を小さく左右に振ってからスタンレイを怒鳴り飛ばした。
「宮廷費に決まってるだろう!!お前は無礼の上塗りをする気か!!」
突然の大声に、スタンレイは何故か床に正座して姿勢をただした。
「とにかく!直ぐに通達を出し、カロリーナ嬢のためにドレス商を呼ぶのだ!!わかったな!」
「はっ…はいっ」
スタンレイの言葉を聞かないうちに、皇帝は元来た方へと足早に引き返していった。
「まぁ…!!カロリーナちゃんにドレス商を呼ぶの?!いいじゃな~い」
「そ…そうですか?」
ひょこりとリーリエが広間から顔を出し、頬に手を添え楽しそうにからだを揺らした。
(衣装選びなんか…何が楽しいんだか)
心身とも疲れがピークに達しているスタンレイは、壁づたいになんとか立ち上がり、ため息混じりに聞き返した。
「そうよ~、女の子はね、みーんな、可愛いものが好きなのよ~。可愛い姿を皆に見てもらえたら…あぁ~!」
「はいっ?!」
リーリエの叫びに驚き、スタンレイは思わず壁から離れた。
「スタンレイ、私、すごぉおく、良いことを思いついたわ!」
うふふっ、と上機嫌に笑うリーリエに嫌な予感しかしないスタンレイ。
「さ、プリッシラちゃんのお茶会に行かなくちゃ。じゃあね、スタンレイ」
くるりと廊下に躍り出ると、足取りも軽やかに皇帝が去っていった方とは逆方向に歩いて行った。
スタンレイが解放された安堵感に包まれていると、リーリエははたっ、と止まり、上半身だけでスタンレイに振り返った。
「また明日ね~」
茫然自失のスタンレイにひらひらと手を振り、リーリエは楽しそうに去っていった。
リーリエが角を曲がるのを見送り、スタンレイは床に張り付いた。