表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/6

老婆に注意

お目通し頂き、ありがとうございます。

 ふわりと雪の舞う昼過ぎ、宮殿の外門には馬車が列をなしている。

 皇后主催のお茶会に集まった婦人たちが乗った馬車は、かれこれ半時ほど、全く動かずに帝都の大通りを占拠していた。

 門のほど近くに立ち往生しているゼーゲルシッフ侯爵家の馬車から、優しい顔立ちの貴婦人が降りて門へと歩いて行く。

「奥様…!」

「すぐに戻ります。」

 慌てた馭者を制止し、暖かそうなマントを羽織った貴婦人は、颯爽と歩きながら状況を確認する。

(一体、何が?)

 前の馬車には何の問題もなさそうである。

 その前、独特の暗赤色の光沢をもつ質素な黒い馬車と衛兵の姿が目に入る。

(シュタール伯爵家の馬車…?)

「!?」

 ゼーゲルシッフ夫人は息を飲むと、怒りを露に足早に衛兵に近づいていく。

「何をしているのです!!」

 女性とは思えない怒声に、衛兵はびくりと体を震わせ、声の主を認めると姿勢をただす。

 二人の衛兵の前には、小さな老婦人が背中を丸めていた。

 暖かそうなコートを着てはいるが、寒そうに胸の前で手をすり合わせ少し震えているのが見てとれる。

「大丈夫ですか?あぁ…こんなに冷えてしまって」

 ゼーゲルシッフ夫人は老婦人の手を自身の両手で優しく包むと、衛兵を睨む。

「ゼーゲルシッフ侯爵夫人、いや、これはシュタール伯爵家の従者が許可もないのに中に入れろと」

「なれどお嬢様は昨日勅を賜り、まるで罪人のように連行されたのでござります。以前に指名の報せも頂戴しておらぬのに、どうして事前に身の回りの品を運び込むことが出来ましたでしょう。」

 老婦人の震える声に、ゼーゲルシッフ夫人の顔は更に険しさを増す。

(皇室行事に、当日の呼び出しですって…?)

 老婦人はゼーゲルシッフ夫人の手を振りきり、衛兵によろよろと近づき、すがるように懇願した。

「今もただお独り、かような辱しめに耐えていらっしゃるのです。門番様、どうか、どうかお願いにござりまする。お持ちしたのはこの一台、お嬢様の最低限の身の回りの品にござりますれば、何卒、お通しくだされ。この老い先短い婆の後生のお願いにござりまする。」

「だから、許可のない者は」

「いいじゃねぇか、通してやれよ!!」

 突然、どこからか野太い声のヤジが飛んでくる。

 何事かと衛兵とゼーゲルシッフ夫人が振り返ると、道沿いに住む町人や商店主たちが遠巻きに門を取り囲んでいた。

「そうだよ、バアさんそんなに頼んでんだから一台くらい通してやれよ!」

「ケルツェの馬車は五台も通しただろう!身の回りのものくらい、それに比べたら可愛いもんじゃないのさ!」

「可哀想に、あんなお婆さんずっと外に立たせて…」

 野次馬のほとんどは馬車が列をなすという異常事態に様子を窺いに来ていたらしいが、たまたま最初から門でのやり取りを聞いていた人間から口伝えに話があっという間に広がったようで、衛兵に味方する人間は誰もいない。

「こんなに大通り埋められちゃあ、うちは商売上がったりよ!どうしてくれるの!!」

「許可がなければ通せないと言っているだろう!」

「許可がない?許可がないとはどういうことです?許可書や期間の問題ではなく、許可そのものがないということですか?」

 ゼーゲルシッフ夫人の言葉に、衛兵はヤジへの返答を止め、夫人に向かい威厳たっぷりに答えた。

「左様です、ゼーゲルシッフ侯爵夫人。確認をいたしましたが、シュタール伯爵家に荷入許可は出されておりません。」

 衛兵の言葉を聞くと、ゼーゲルシッフ夫人は冷ややかな怒りを深い海のような青い瞳にたたえて呟いた。

「…おかしいではないですか」

「え」

 社交界の中でも聡明で思慮深いと評判のゼーゲルシッフ夫人が、確認した内容に疑念を持つとは思っていなかったらしく、衛兵はたじろんだ。

「いいですか、シュタール伯爵令嬢は皇太子妃候補として召集されたのですよ?同様の立場であるケルツェ準男爵令嬢は荷入れが出来て、なぜシュタール伯爵令嬢は荷入れが許されていないのですか…今すぐ確認なさい!」

「あっ…はっ、はい!!」

 ゼーゲルシッフ夫人の迫力に気圧され、逃げるように衛兵の一人が城へと駆け込んでいった。

 どんどん増えた野次馬は「なんだい、この騒ぎは」「門番がシュタール家の馬車通さねぇんだってよ」「はぁ~、金持ち(ケルツェ)の馬車は頭下げて通してたのにねぇ」「お貴族様も庶民も関係ねぇ、宮殿(うえ)の奴らは金持ちが好きなんだ」「ちげぇねえや」「あぁ嫌だ嫌だ、あたしもシュタール領に引っ越そうかしら。税も物価も安いっていうじゃないか」と、口々に日々の不満を織り混ぜて門の方へと敵意を向ける。

(…全く、口性無く言われるのは目に見えているのに何故平等に扱えないのかしら)

 怒りに震えるゼーゲルシッフ夫人は、昨晩目にした光景を思い出す。

 煌びやかな明るい色のドレスを纏い、さも当然のように皇太子殿下にエスコートされ、式を退席したフローディテア。

 誰の目にも殿下が特別扱いしていることは明らかだった。

 公平公正であるべき選考を既に決定しているかのような振る舞いに、会場には呆れと怒りが渦巻いていた。

 そんな中、たったり独り残されたカロリーナは顔色ひとつ変えずに舞踏会を乗りきった。

(中にはカロリーナ嬢の手腕を見せるための殿下の策だと言う方もいたわね…)

 ゼーゲルシッフ夫人が会場に立つカロリーナを思い出したと同時に、宮殿から衛兵が駆け戻ってきた。

「かっ…確認いたしました、っ、はぁっ、はっ、シュタール伯爵家には、本日、皇帝陛下より、きょ…許可が降りております…」

 駆け戻った相方の言葉を聞くと、門に残っていた衛兵は、苦い顔をしてシュタール家の馬車を場内へと通した。

「あぁ、ありがとうございます、ありがとうございます」

 老婦人は衛兵に頭を下げると、ゼーゲルシッフ夫人に向き直り、拝むように頭を下げ続ける。

「そんな、止めてください…良かったですね。さ、早くお嬢さんの所へ行きましょう」

「おぅ、良かったなバアさん!!」

「頑張んなー!あたしらがついてるよー!」

「ありがとうございます、皆さんありがとう…」

 ゼーゲルシッフ夫人に促され、野次馬から声援を受けながら老婦人は外門をくぐっていった。

「ばあや…!」

 どこかで聞いたような女性の声にゼーゲルシッフ夫人が姿を探すと、雪の積もった庭木のそばに長いコートに身を包んだカロリーナが立っていた。

 その辺りには足跡もなく、化粧っ気のない顔の高い部分は真っ赤になっている。

 緑がかった淡褐色の瞳は少し潤んで見えた。

「あぁ…お嬢様、何というお姿でおられるのです!こんなに冷えてしまって、おいたわしや…」

 老婦人はよろよろとカロリーナに駆け寄り、両手でカロリーナの頬を優しく包む。

「これくらい大丈夫よ、ばあやが来てくれたのだから。ところで…?」

「こちらは、ゼーゲルシッフ侯爵夫人様にござります。門での騒動を治め、馬車を通してくださりました。婆の恩人にござりまする。」

 老婦人の話を聞くと、カロリーナはゼーゲルシッフ夫人に向き直り、跪礼をする。

「それとは知らず、大変失礼をいたしました。遅ればせながらゼーゲルシッフ侯爵夫人にご挨拶申し上げます。この度は私の従者がお世話になりました事、厚く御礼申し上げます。これより穏やかに過ごせますのは、夫人のお心によるもにございます。このご恩は必ず」

「良いのです。ここでも普段と変わらず過ごすのは貴女の権利であり、皇室の義務でもあります。私は皇室に仕える貴族の一人として、義務を果たしたに過ぎません。」

 少し屈んだカロリーナのコートの隙間から見える服は、冬服ではあるが古着とわかる。

 正礼装はそもそも自分で着ることはままならないし、その身ひとつで宮殿に連れてこられたカロリーナが持ち込めるはずはない。

(この宮殿にもまだ、心あるメイドが居てくれたのね…)

 ゼーゲルシッフ夫人はほっとしたのと同時に再び怒りが込み上げてくる。

「この度の事は巧くお使いなさい」

 ゼーゲルシッフ夫人の冷たく強い口調の言葉に、カロリーナは頭を下げたままぴくりと反応する。

「見ているものも多い事実は、時に強い武器となります。伏魔殿と呼ばれた時代ほどではありませんが、社交界にも宮中にも(はかりごと)は日常です。ですから、その身に起きたこと、見聞きしたことは巧くお使いなさい。それに、社交界はいつでも噂の種を好むものです」

「ご教示頂きありがとう存じます」

 ゼーゲルシッフ夫人の言葉に、カロリーナは頭を上げることなく答えた。

「と、なれば今は機ではございません。どうか此度の事はまだ、皇后陛下のお耳に入れないで頂きたいのです。」

「?」

「昨日の舞踏会での事もございます、皇后陛下の外洋の如き広いお心に、これ以上波風が立ちますと私も立場がございません。それに」

 カロリーナは顔だけ少し上げ、戸惑うゼーゲルシッフ夫人に向けて言葉を続ける。

「多大なご迷惑をお掛けいたしております社交界の皆様におかれましては、せめて選考の儀を長く楽しんで頂きとう存じます。ですのでどうか」

 言い終わると、カロリーナは今一度頭を下げる。

()()…ね)

 ゼーゲルシッフ夫人は少し考えると、小さく頷き、カロリーナに声をかけた。

「わかりました、伝わらぬよう努めましょう。」

「ありがとう存じます。」

 カロリーナの後ろで一緒に頭を下げながらも心配そうに見上げる老婦人にちらりと目をやると、ゼーゲルシッフ夫人は微笑み、少し膝を曲げてカロリーナに近づく。

「さぁ、もうお行きなさい。息まで冷えているではありまりませんか…これ以上冷えると熱を出しますよ」

 優しい声で言い終わると、ゼーゲルシッフ夫人は颯爽と馬車の方へと向かった。


 カロリーナとばあやが部屋に着くと、持ち込んだ荷物が既に運び込まれ、馬車に積み込まれた時と同じ荷姿で置かれていた。

 コートをばあやに渡しながらカロリーナは呟いた。

「それで」

「首尾よくシュトラーセ子爵家の馬車の前に入りましたので、一部始終。町民も多く見物しておりましたので、遠からず市中でも流布しましょう。はてさて、あのシュトラーセ子爵夫人(おしゃべりカバン)がいつまで我慢できますやら」

「上々ね。」

 表情を全く変えることなくカロリーナは荷解きを始める。

 ばあやはコートを掛けると、黒い木箱から小さな包みを取り出して部屋の奥へと向かっていった。

「ミカエラ様へのお手紙はお嬢様の出発と同じくして早馬を出しました故、明日には届くかと。」

「おばあ様は今頃お怒りでしょうね。先方にも申し訳ないことをしたわ…、大丈夫かしら」

 自身の服を寝室のクローゼットとチェストにしまい、カロリーナが広いリビングへ戻ると、執務用の机に温かいミルクティと数枚の書類が用意されていた。

「机に殿下へ提出しました侍女候補者のリストをご用意いたしました。」

 リストに目を通すと、カロリーナは小さく頷いた。

「妥当な人選ね…まぁ、アルテミシアは来るでしょうね、呼ばなくても」

「えぇ、皇室と言えど簡単には追い払えぬでしょうからなぁ」

「まぁ、無理でしょうね」と小さく呟き、カロリーナはミルクティに手を伸ばす。

「…あぁ、予想通り私は殿下の恋人フローディテア嬢を皇太子妃にするべく選ばれたようよ」

 立ったままミルクティをすするカロリーナは、まだ台所にいるであろうばあやに向かって声をかけた。

「学校の総評を見て凡庸令嬢(わたくし)ならば勝てると踏んだんでしょうね。まさかそんな風に目を付けられるとは…想定外だったわ」

 ばあやが台所から出てくるのを確認すると、カロリーナは椅子にかける。

「よもやお嬢様をかませ犬に選ぶとは…」

 ゆっくりと音も立てず、サブレをカロリーナの前に運ぶと、ばあやは失笑する。

「くくっ、とんだ阿呆にござりまするなぁ」

「ばあや、不敬罪に問われるわよ」

「ひひ…申し訳ござりませぬ。しかし可笑しゅうて可笑しゅうて…ふっ」

「代わりにフォルトを頂けるそうよ。」

「なんと」

 フォルトの名を聞いた途端、ばあやは笑うのを止め、カロリーナに恭しく頭を下げた。

「それはおめでとう存じます」

「えぇ。しかも自身で発展させた功績で払い下げてくれるだなんて…おばあ様には申し訳ないけど、選考に参加しないわけにはいかないわ。」

「ミカエラ様も先方様も必ずやご理解なさるでしょう。さて…」

 そう言ってばあやは一番大きな箱から大量の紙の束を取り出し、カロリーナの机に積み上げる。

「こちらは帝国内の貴族達の調査書にござります。」

 次にその倍ほどを取り出して、来客用のテーブルにどさり、と積む。

「こちらは各領の調査書にござりまする。過去三年分の収支と月毎の気象、災害についても入っております。」

 そして最後に使い込まれた手帳の束をカロリーナに手渡した。

「して、こちらがこの婆の手記にござりまする。」

「これが音に聞く亡国の閻魔帳ね」

「ひひ、滅相もござりませぬ。ただ、この婆がメイドになってより八十余年の宮中や家門の()()()などが書かれておりますれば、何かのお役に立つかと」

「ありがとう、後はいつも通りでお願い。」

「畏まりました。」

 ばあやの返答を確認する前に、カロリーナは書類の束を読み始める。

 カロリーナに一礼をし、ばあやは物音ひとつ立てず、年齢を感じさせない軽やかな動きで残った荷物を必要な場所へと移動させていった。

「ばあや」

「はい」

 何かの作業中にカロリーナが声をかけることは珍しく、ばあやは目を丸くして動きを止めた。

 カロリーナはばあやの様子を気にすることもなく、淡々と言葉を続ける。

「私の予測が正しければ、近日中にクラーニヒ女公爵様より招待状が届くはずよ。その場合、侍女はしばらく来ないわ。以上よ。」

「…心得ましてござりまする」

 自身の動きを先読みされている事を察すると、ばあやはあまり上品ではない笑みを浮かべてカロリーナに一礼し、廊下へと向かって歩き出した。


 そして二日後、クラーニヒ公爵家からお茶会の招待状が届いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ