当ててはいけない相手
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「さて、どうかね?スタンレイ」
玉座にゆったりと座り、皇帝は目の前に立っている皇太子スタンレイに声をかけた。
金髪碧眼、絵本に出てくるような見事な王子様容姿のスタンレイは今、人生最大の選択を迫られている。
固唾を呑んで事の成り行きを見つめる貴族たち。
どちらを妃に選ぶのか。
彼らの視線は、自分たちよりも玉座に少し近いところに立っている二人の令嬢へと注がれている。
皇太子の恋人として認知されているフローディテア。
繊細な銀刺繍の施された薄い紫のプリンセスラインドレスに身を包み、緩いウェーブのかかったピンク色のロングヘアをドレスと同色の幅の広いリボンでハーフアップにしている。
ただ自信無さげに立つ細身の彼女は柔らかな色合いでまとまっている事もあり、儚い印象である。
その左の令嬢がフローディテアの競合相手カロリーナ。
フルアップでタイトに纏め上げた深いチョコレート色の髪に這い上がるようなデザインの金の髪飾り、腰下から黒のフリルへと斜めに切り替わる深紅のマーメイドドレスに総レースの長袖ボレロといった存在感の強い装いだ。
その堂々とした美しい立ち姿のせいか、フローディテアよりも小柄なカロリーナの方が今は大きく見える。
「心配することはない。余は、お前の意見を尊重すると先に伝えておいたであろう。」
皇帝の言葉にスタンレイは首だけ動かし後ろの二人を見る。
フローディテアは固い表情でうつ向いたまま視線をあげ、スタンレイを見つめていた。
一方カロリーナは、凛とした佇まいで皇帝とスタンレイのやりとりを眺めている。
顔にも態度にも微塵も出さないが、その目は完璧に傍観者のソレだ。
ぐっ、と顔をしかめてから、スタンレイは玉座に向き直った。
約十ヶ月前―――
「勅使様ですぅぅっ!!」
バァン!と蹴破る勢いで扉を開き、庭の雪掻きをしていた使用人の青年が玄関ホールにに転がりこんできた。
"勅使様"の単語に邸の中がざわめき立つ。
彼が駆け込んでくるのは日常茶飯事のようで、叫びながら何処かに走っていってしまった青年を誰も気に止める様子はない。
「お嬢様、不調法を申し訳ございません」
二階から様子を眺めているカロリーナを見つけ、執事長がぺこりと頭を下げた。
執事長の声でカロリーナに気づいた使用人たちは慌ててカロリーナに礼をする。
やってしまった…と心の声が聞こえてきそうなほど、沈んだ空気が漂う。
カロリーナが嫌いなわけではない。
顔立ちもややつり目の印象があるくらいで際立った美醜はないし、体つきも小柄で威圧感などは全くなく、馴染みやすい。
黒ユリのような色の長袖ブラウスとくすんだ青のハイウエストスカート姿の今もそうだが、カロリーナは基本的に目立つような服装もしない。
高圧的な態度もなく声も穏やか、表情は乏しいが自分たちに丁寧に接してくる彼女にむしろ好意を抱いている。
ただ、馴染みやすいせいで見落とす。
その度に無視されたと思ってカロリーナが不快な思いをしているのではないかと、邸の使用人たちは申し訳ない気持ちでいっぱいになるようだ。
当のカロリーナは領の本屋敷以外では気が付かれることがないと理解しており、特に気にしてはいない。
「主人たるおばあ様が御不在なのに、一体何かしら?」
カロリーナは執事長に声をかけた。
帝都の高級住宅区に建つこの瀟洒な別邸はカロリーナの祖母ミカエラの居宅となっており、他に住んでいる人間はいない。
そして当のミカエラは、カロリーナの兄ファルマンを連れて外遊中である。
「このような事は初めてのため、私にも解りかねます」
「そう」
「はいはいはい。皆、落ち着いて落ち着いて」
パンパンと響くように手を叩きながら応接室からカロリーナの父、マークスが出てきた。
ゆるやかなクセのある明るい茶髪にくりっとしたグレーの瞳。
中肉中背、やや顔は大きくどちらかと言えば強面。
飄々としているところ以外、カロリーナとは似ても似つかないこのおじさんには特技がある。
「はあぁぁい!」
マークスはそのまま玄関ホールの中央まで進み出て、勢いよく両手をあげY字をつくった。
そわそわと浮き足だっていた使用人たちは整列し、一斉にマークスに注目する。
皆、権力者に怯えるでもなく奇行に怪訝な眼差しを向けるでもなく、親戚の気の良いおじさんを見守る目をしている。
下手をすれば「もう、おじさんたら」と笑いながら声をかけられるレベルだ。
どんな場所の相手でも二日もいれば何故かこうなる。
恐ろしく人好きする人間なのだ。
「うん、とりあえず中に入ってもらって。」
「かしこまりました」
「はい宜しく~」
マークスの言葉に一礼すると、執事長が燕尾服を翻し外へと向かう。
「はい、広間に紋章旗」
「かしこまりました!」
下級執事達が広間へと消える。
マークスは両手をおろし、さて、と息をつく。
「あ、あの伯爵様」
おずおずと歩みでてきたメイド長にマークスは、はははと笑いかけ、大丈夫大丈夫となだめるように語りかける。
「皆は心配する必要ないよ、何も悪いコトしてないでしょう。あ、そうだロベルタ、温かいものを用意して馭者の方たちにね。」
「はい、かしこまりました。皆、こちらへ」
落ち着きを取り戻したメイドたちを引き連れて、メイド長は厨房へと足早に向かった。
「カーリー、広間においで。普段着だけどまぁ仕方ないよね、急に来るんだもん。」
「はい、お父様」
カロリーナがマークスに答えたのとほぼ同時に、後ろからクリーム色の厚手のストールがカロリーナの両肩を包み込む。
「お嬢様、お寒うございましょう」
「ありがとう、ばあや」
どこからともなく現れた小さな老婦人は何度かゆっくり頷くと柔和な笑顔をたたえたまま、もと来たらしい廊下をゆるりと帰っていった。
カロリーナは階段を降り、マークスのあとに続いて広間へと入る。
屋敷と同様に瀟洒な造りの広間は暖を焚いていなかったため、ひんやりとした空気が漂っていた。
マークスは旗を正面に見据えるところに位置取り、カロリーナに隣へ来るように促す。
「寒いから早く終わるといいんだけどね~、あぁ来た来た」
コツコツと何人かの靴音が聞こえはじめたと同時に、マークスとカロリーナは跪礼で最敬礼の姿勢を取る。
騎士二人の先導で威儀を正した年配の男性が広間へと入り、左右に騎士をおき、旗を背にするようにマークスとカロリーナの前に立った。
巻物を縦に開き、宣言するように勅使は口を開いた。
「勅書である」
全く動じないマークスとカロリーナの姿を確認してから、勅使は続けた。
「一、シュタール伯爵家息女カロリーナ。此度の皇太子妃選定の儀に皇太子妃候補として参加を命ずる。
二、同令嬢は勅書授与の同日、宮殿にて執り行われる選定始めの会に万難を排し出席する事。また参内の際は他候補者との公平を保つため勅使の馬車に同道するこ…え?」
左右に控えた騎士達がうっすらと動揺の色を浮かべる中、淡々と読み上げていた勅使が勅書を睨みながら顔に近づけたり遠ざけたりと、怪しい動きをする。
そして自分の左側に控える騎士に寄っていき、内容を一緒に確認させる。
見せられた騎士は冗談だろう?と言わんばかりに顔をしかめてから、勅使に向かって頷いた。
勅使は首をかしげながら元の位置に戻ると軽く咳払いをし、続ける。
「参内の際は他候補者との公平を保つため勅使の馬車に同道する事。
三、選定の儀は選定始めの会終了直後より開始とし、翌年同日の皇太子妃披露を以て終了とする。その間の候補者の住居は宮殿内の定めし一室とする。また期間中は皇室の許しなく移動すること能わず。やむを得ない事情により下がる場合には事前に皇帝の許可を得、皇室警備部に滞在先を詳細に伝える事。
四、ほか、仔細については選定始めの会終了後に関係各所に通達するものである。
以上。」
広間は、しん、と静まりかえったままだ。
勅使と騎士は、気まずそうに視線を宙に泳がせる。
今、建国時から綿々と続く由緒正しい伯爵家の令嬢に“今日の今日だけど皇太子妃候補になりました。今日から約一年宮殿に泊まり込みでテストに強制参加です。このまま直行して帰宅出来ないけど、連れていきますね。内容?後でお知らせ来ますよ。”と伝えたのだ。
通常この国では、皇室関連の行事は諸々の準備期間をとるために三十日ほど前に当事者に通達されるようになっている。
貴族の気軽なお茶会でも事前に招待状を送ることを考えれば、勅旨とはいえ無礼、土台無理な話である。
「勅書、ありがたく拝領しました。」
沈黙を破って、カロリーナが声をあげた。
そして礼を解き、すっと立ち上がる。
その顔に少し困ったような表情を浮かべて。
「しかしながらこのような普段着で皇帝皇后両陛下はもとより、ご列席の皆様の御目汚しをするわけには参りません。もしその様な事となれば末代までの恥にございます。勅使様、なにとぞ身繕いのご猶予をお願い申し上げます。」
頭を下げるカロリーナを見つめながら、うんうんと頷く騎士たち。
色合いに差はあるが、一様に哀れみが見て取れる。
勅使が懐中時計を取りだし時刻を確認すると、カロリーナに視線を落とし優しく答える。
「あいにく二時間程しかないが、お待ちしましょう。」
「御厚情痛みいります。」
控えめに微笑むと、カロリーナは急ぎ足で広間の出入り口へと向かう。
「それでは失礼いたします」
出入り口で一同に向き直り礼をすると、二階へと消えていった。
何か言いたげな表情で広間の出入り口に顔だけを向けていたマークスの前で勅使は軽く咳払いをする。
「胸中、お察し致します。」
勅使はマークスに勅書を渡しながらため息混じりに呟くと、勅書を見つめたままのマークスを見て大きなため息をついた。
マークスは受け取った勅書をくるくると巻きながら「うん」と小さく息をつき、生温かい笑顔を作って勅使に向けた。
「さ、お寒いですから皆様応接室へどうぞ。何か温かいものを用意させましょう。」
「それでは、行って参ります」
「うん、無理はしないようにね」
雪がはらはらと舞う中、玄関先でマークスとカロリーナは笑顔で挨拶を交わす。
頭に深い緑色の小さなボート型の帽子を乗せ、地面すれすれまでの長さの暖かそうなコートを着込んだカロリーナは、踵を返して馬車へと向かう。
『行ってらっしゃいませ』
マークスの後ろには使用人たちがきちんと整列し、頭を下げた。
カロリーナは勅使にエスコートされ、馬車に乗り込む。
「では」
勅使が乗り込み馬車の扉を馭者が閉じ馬に乗ると、一連の動作を馬上で確認していた騎士が馬を出す。
動き出した馬車が門に向かうのを見つめながら、マークスは大きく伸びをして大きなため息をついた。
「大丈夫かなぁ」
「お嬢様ですか?」
「うん…」
執事長の問いにマークスは歯切れの悪い返事を返した。
だが、その様子はいつもと変わらず穏やかで飄々としている。
「ほら、カーリー、すごい怒ってたじゃない?もう何て言うか大気が怒りに震えるレベル?あの子、滅多に怒ったりしないからどうなるか気になるよね。」
『はい?』
今しがた笑顔で挨拶をして行ったカロリーナを思い浮かべ、使用人たちは混乱する。
馬車が門を過ぎ、大きい鉄柵のような扉がゆっくりと閉まる。
後ろに手を組み上半身を左右に振って、マークスはぽつりと呟いた。
「うーん、心配だなぁ」
全くの他人事にしか聞こえないマークスの言葉に見送られ、馬車は宮殿を目指して進むのだった。
諸々ゆっくりと進めていきます。