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  作者: 櫻庭ちえ
4/7

光ー4

 火曜日の授業のあと、門田先生と私は、塾から少し離れた場所にある居酒屋で夕飯を食べることにした。真面目に村井の話を聞かなければならないと思った。

 門田先生は塾から自転車で十分のところに住んでいた。村井や生徒たちが主に校区としているエリアに住んでいるので、たまにファミレスやコンビニで生徒と顔を合わすこともあるということだった。

「その後、村井を見かけたりしたんですか?」

 単刀直入に質問をすると、門田先生はうん、と答えた。

「土曜日にマクドナルドで見かけたよ。前にコンビニで見かけた男の子と二人だった」

 村井はまさか自分がコンビニにいるところを目撃されているとは知らず、照れくさそうに、先生この人私のボーイフレンド、と紹介してくれたそうだ。

「真面目そうな男の子だったよ。高校生みたいだけどね、相手は」

 それを聞いて少しだけ安心した。

 村井はわりとキレイな女の子だと思う。髪の毛はストレート。肩の下くらいまで伸ばしているが、とても顔に似合っている。まつげも長くて、目が大きい。他の生徒と比べても少し大人びた雰囲気も持っていて、キレイな子、という印象が強い。

「そっかぁ、やっぱ彼氏だったか」

 授業中のルーズリーフも納得がいった。

「まぁ、でも上の空にならないようにしないとねぇ」

「付き合ってすぐだったみたいだから、そわそわしてたんだろうね」

 なるほど、と思った。建部先生が言ったとおりだった。村井は塾の生徒である前に、好きな男の子ができただけで気が気でなくなる年頃の女の子の一人なのだ。

「ふむふむ」

「村井に、みんなには内緒にしといてな、って言われたけど、俺、まぁには言うで、って言ったった」

「なんで?」

「いや、なんとなく」

 門田先生はそう言って、言葉を探しているようだった。

「まぁ、ほら。女の子のことは、女の人に相談したほうがよかったりするじゃない?」

 説得力があるようでないような言葉に、私は笑った。

 でも、その通りかもしれない。確かに門田先生とたまに互いの彼氏や彼女との問題点やら悩みごとやらを話すこともあった。お互い、一人の男、一人の女として話ができるので、性別を超えた悩み相談もすることが多かった。

「でも、さすが村井ちゃんだね」

 私はわざと“ちゃん”を付けて名前を言った。

「ホントだよなぁ」

 中学二年生が高校生にあこがれを持つのは何も不思議なことではない。でも高校生とちゃっかりつきあっている村井は、他の人にはない女の子ではなくて、女の人としての魅力を持っているのだと確信した。どこか大人びた雰囲気が、高校生の心も奪ってしまったに違いなかった。


 夏期講習がはじまると、生徒とはほとんど毎日顔を合わせる。私は中学一年生、二年生の社会と今年は中学三年生の英語の担当も受け持つことになっていた。

 受験対策の英語を受け持つのは、ちょっと重荷だったが、もともと英語が得意だったこともあり、教えることは苦痛ではなかったので、引き受けた。

 生徒たちも大変だ。お盆休みまでの平日十日間、午前の部は十時から二クラス、午後は十三時から三クラス、合計五クラスの授業を受けることになる。国語、理科、社会、数学、英語の五教科を毎日受講することになるのだ。

 私の時間割は一時間目が中学一年の社会科。二時間目が中学二年の社会、クラスA。三時間目が中学二年の社会、クラスS。四時間目と五時間目が英語のクラスで同じく中学三年生のクラスAとクラスSを担当することになっていた。

 授業のある日は、朝から丸一日塾で過ごすことになる。翌日の授業の準備は生徒が帰ってからでないと取り組めない。生徒が家に帰るのはだいたい五時前になるので、そこからが自分との戦いだ。翌日の授業計画を立て、集めた宿題の採点をすると、あっという間に最終電車の時間がやってくる。

 こんな風に毎日を過ごしていると、自分の時間がほとんどないことさえ忘れてしまう。塾に来ると生徒たちが様々な問題や悩みを相談してくることも多かった。特に普段クラスを受け持たない中学三年生の生徒たちは数少ない“女の先生”に興味津々で、ここぞとばかりに女子生徒たちが相談にやってくる。

 高校受験を目前に控えて、彼女たちは自分がどこの学校に入りたいのか、今からどれだけ勉強しないといけないのかのものさしを、ありとあらゆる手段で探ろうとしていた。

 その半面、男子生徒たちは思春期真っ只中の生徒も多く、質問以外の相談をするべきかどうか悩んでいる様子のある子どもたちもいるほどだった。

 学年主任でもあり、この塾の教室長でもある建部先生は中学三年生に、いかに進路を決めさせるのかという過程が大事だといつも言っていた。そのこともあって、今回、中学三年生の授業を受け持って欲しいとの声がかかったのも事実であった。

 この塾では二十名の講師が働いていた。夜遅い仕事であったり、体力勝負なところもあるため、女性の講師は私ともう一人、高校生の個別指導をしている先生だけだった。

 放課後、中学三年生に取り囲まれている私を、普段接している生徒たちが遠巻きで見ていることが多くなった。そんな時は生徒の名前を呼び、昼休みなら空いているから質問を持っておいで、と声をかけるようにした。

 結局、私は夏期講習の間、お昼休みはお昼を食べながら中学二年生の相談を受け、放課後は中学三年生の進路相談に付き合わなければならなかった。

 ようやく最初の一週間が終わろうとしていた。

「まぁ、大丈夫か?全然休憩する時間ないやろ?」

 生徒が帰ったあとの教室に、門田先生が私を気遣って、シュークリームの差し入れを持ってきた。

「さすがに、疲れたわぁ」

 生徒が座る座席に腰かけながら、シュークリームとあったかい紅茶を囲んで、ひと時の休憩を取ることにした。

 今週は月曜日から金曜日まで、本当に毎日、毎分を生徒と過ごした。学校の先生になったら、これが普通なんだろうと自分に言い聞かせながら乗り切った一週間だった。

「あと一週間だね」

「頑張りましょう」

 二人で顔を見合わせると、やっと一週間が終わったという安堵感と、あと一週間乗り切らなければという想いが同時に頭をよぎった。

「このシュークリーム、美味しい」

 一見、何の変哲もない、コンビニのシュークリームだったが、私には久しぶりの優しい、甘い味わいだった。

「まぁはこの一週間、ご飯もろくに喉を通ってないんじゃないの?」

 門田先生の言うとおりだった。生徒たちの悩み相談を受けながらのお昼休みは、ご飯を食べたというよりは、おなかに食事を入れている、という表現の方が正しかった。

「うん、多分この一週間で食べたもの、何も覚えてないと思う」

 私はそう言って笑った。門田先生も私と同じように昼休みも放課後も生徒たちの相手に忙しい一週間を過ごしていたはずだ。門田先生は中学二年の理科と三年の理科を受け持っていた。

「中学三年生って、大変な時期よねぇ」

「そうだね」

 今では当たり前となった高校進学だが、受験という人生の大きな壁の一つに誰もが挑む時期なのだ。普段接しない中学三年生の生徒たちと話していると、改めて、自分の人生の選択が正しかったのかを問われている気さえするのだ。

 はじめは英語の質問や、進路の相談、先生はどうして塾の先生になったのか、などの質問が多かった。さすがに五日も一緒にいると生徒たちも慣れてきたようで、それぞれが家やクラブで悩んでいることなども耳にするようになった。

 今日は夏期講習前半の最終日ということで、夏期講習を担当する講師が集まっての合同会議が開かれた。それぞれが自分の一週間の振り返りを話し、来週に活かすこと、生徒たちにやらせたいことなどを共有化するのだ。

 普段は中学三年生の数学を専門に見ている安藤先生という人が、気になる発言をした。彼は夏期講習ではじめて中学二年生の数学を受け持ったそうだ。

「今朝の小テスト、中学二年Aクラスの村井が五十点しか取れませんでした。私の見ている限り彼女は成績も優秀で、宿題もそんなに間違っていない。何かちょっとおかしいと思いました。どなたか、思い当たることがありましたら、教えて頂きたいです」

 建部先生はひじをつきながら、そうですか、と冷静に答えてから、しばらく言葉を選んでいるようだった。

「他の先生方、村井についてもし思い当たるようなことをご存知でしたら打ち上げてください。安藤先生は、来週前半の様子をもう少し見るようにしてください。もしずっと上の空が続くようでしたら、ちょっと面談してみたほうがいいかもしれませんね」

 分かりやすく、しっかりとした言葉に安藤先生も納得した様子で、そのミーティングは締めくくられた。

 ミーティングが終わった後、いつもと変わらない様子で門田先生と私は二人、駅の近くまで出て夕飯を食べに行くことにした。

 駅前で美味しいといわれているインドカレーの店に入る。

 それぞれカレーを注文してから、どちらからともなく、村井の話になった。

「安藤先生の話、ちょっと気になるんでしょ?」

「そうなんだよねぇ」

 村井が最近、勉強に集中できない原因の一つ。それがおそらく高校生の彼氏にあると、私と門田先生の意見は同じだった。

「でもなぁ。彼氏がいるだけで、テストに集中できなくなったりするかな?」

 門田先生はそう言って、ナンをちぎってカレーにくぐらせた。

「うーん。他に悩みがあるのかもしれないけれどねぇ」

 私も負けじ、とナンをちぎる。

 スパイスのきいたインドカレーが体のすみずみに響いていくのが分かった。私は本当に一週間ぶりくらいに、自分が食事をきちんとしていることに気がついた。

 忙しいのも事実だったが、何かに夢中になっているとき、それ以外のことがわずらわしく思うことは誰にでもある。

「彼氏に本当にぞっこんなのかもしれないねぇ」

 今の私は、夏期講習がすべてだった。

 五日間の疲れが、どっと体の底からわきあがってくるような気がした。カレーを食べたことで、私の意識が夏期講習から、現実の私に返ってきたようだった。スパイスの香りが私の口から鼻を抜けて、意識を現実に引き戻してきたようだった。

「高校生と付き合うって、色々あると思うんだよね」

 門田先生がふいにそう言った。

「色々ねぇ・・・」

 村井に彼氏がいるという事実を、何人の先生が知っているのかも分からなかったので、この事実を他の先生に話す気にもなれなかったことを、門田先生に話すと、彼も同じ気持ちだと言ってくれた。

「これから、何も起こらなければいいけどね」

 私がそう言うと、門田先生が大きくうなずいた。

 思春期の女の子たちの行動は、正直想像を超えることがある。かつて自分にもそういう時期があったはずだけれど、結局のところ、自分がどうだったかを思い出すことも難しいのだ。

 来週から夏期講習も後半戦だ。つかの間の週末を楽しむべく、私と門田先生はそれぞれ家路に着いた。


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