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  作者: 櫻庭ちえ
3/7

光ー3


 大学生時代、私は学校の先生になることを夢見ていた。教職免許を取るために他人よりも多くの履修もこなしたし、塾の講師のアルバイトもしていた。

 だいたい一クラス二十人くらいの集団授業を受け持っていた。

 私が担当していたのは、中学生向けの社会の授業だった。

 主に中学二年生のクラスを持っていて、歴史についての授業をしていた。毎週火曜日と木曜日が授業の日で、生徒たちは五十分の授業を二クラス受けるのだ。

 例えば、火曜日は一時間目が社会科で二時間目が理科の授業だったとすると、木曜日は理科と社会の時間が入れ替わる仕組みになっている。

 理科の授業を担当するのは門田先生と言って、建築を専攻している大学三年生だ。そして私が社会を教えていた。いつも二人セットで授業をしていることもあってか、門田先生とはよく食事にも行って、授業での悩みやクラスの運営方法などについても色々議論をかわす仲だった。

 塾講師も二年目になると、生徒のこと一人ひとりについて詳しくなり、生徒たちが塾や学校以外でどのように生活しているのかさえも、想像できるようになる。

 中学二年生のクラスはレベルべつに二クラス設定されていて、アドバンスコースとスタンダードコースの頭文字をとって、クラスAとクラスSと呼ばれていた。

 二クラスを同時に教えることはできないので、私の場合、火曜日一時間目がクラスA、二時間目がクラスSを担当していた。門田先生はその逆を教えるようになっている。

 木曜日の最後の授業が終わると、学年主任の先生とミーティングをする。

 一週間の授業の進み具合や、生徒個別で気になることや、指導で悩んでいることなどをざっくばらんに議論を交わす。時に生徒指導の観点からアドバイスをもらうこともある。

 授業は六時半からと七時半からの二クラスで、生徒たちの帰りを見送るとあっという間に夜九時になる。学年主任とのミーティングはだいたい夜の九時半から三十分程度行われることが多かった。

「秋山先生、何か困っていることとかはないですか?」

 学年主任の建部先生が私に聞いた。

「特にはないですが、最近クラスAの村井さんの集中力がなくなってきているように思います」

 私は村井という名前の生徒について、気がついたことを述べた。

 彼女は成績も優秀で、まじめな性格だったのだが、ここ数週間授業も上の空で、ルーズリーフに手紙を書いたりしているのを注意したこともあった。

「同感です」

 私の意見に、門田先生が言った。

「理科の授業中、前は一生懸命ノートを取っていたのですが、最近気が気でないというか、ちょっと落着きがない感じがします」

 思春期に入りかけている女子生徒は、時に大人には理解しがたい行動や言動を取ることもある。

 ちょっと理科の点数も落ちてきたとのことで、門田先生の方が私よりも問題が深刻な様子だった。

 もともと学校の先生を十年勤めたあと、思うことあって塾業界に飛び込んできた建部先生は、その豊富な経験から、私と門田先生に、これまでと同じようにふるまってくれればいいとだけ答えた。

「まぁ、好きな男の子ができただけで、気が気でなくなる年齢ですから」

 建部先生は笑いながらそう言った。

 塾講師の仕事は、単に成績を上げることだけではなく、生徒の集中力や勉強スタイルの面倒を見ることも大切な仕事の一つだった。

 建部先生はそのことをよく知っていて、私も塾講師をはじめてすぐの頃、何度も何度も建部先生から生徒の様子をしっかり観察するようにと言われたことを覚えている。

 そのおかげか、今では本当に生徒のちょっとした変化もとらえられるようになっていた。今回の村井の話もそうだった。先週の火曜日くらいから、村井の様子が上の空だった。いつもやってくる宿題の答えあわせをしているとき、問題を聞いていませんでした、と彼女が言ったのだ。それは本当に珍しいことだった。

 クラスAとクラスSを比較すると、クラスSの方が、やはり勉強が好きではないのか、机に向かうことすら落ちつかない生徒が多い。クラスAにいる生徒たちは皆、勉強熱心で、高校受験まであと二年しかないのだという実感を持って授業に臨んでいるようだった。

 特に村井は、クラスAの中では中の上に入るくらいだった。

「とりあえず注意して、目を配るようにしてください。何か変化があったら来週打ち上げをお願いします。来週から期末テスト対策に入るクラスもありますので、よろしくお願いします」

 建部先生がミーティングの最後をそう閉めくくって、その日は解散となった。

 飯でも行かない?という門田先生のお誘いで、私と門田先生はファミレスに寄って帰ることにした。

 塾から徒歩五分ほどのファミリーレストランで、夜遅い食事を取る。もう時計は十時半を廻っていた。木曜日が終わると、少しだけほっとした気分になる。塾の講師はなかなか忙しいアルバイトだ。一週間の授業が終わると次の週の授業の案を作り、それと同時に出した宿題の解説も考える。宿題の採点もしなければならない。

 授業に対する時給はそれなりに高いけれど、こういった個人作業に対してお給料が払われるわけではないのだ。いわば、ボランティアで採点業務や生徒の相談に対応しているのが現実だった。

「今週は、疲れた」

 私も門田先生も素顔は大学生だった。お互い授業をこなし、自身の宿題や課題、予習復習もしなければならないのだ。門田先生は製図の課題をやる時間がないことをなげいていた。実際、私も来週までに教育心理学のレポートを仕上げなければならない現実に直面していた。

「私も、レポートあるんですよね」

 お互い、塾を出た瞬間から、普通の大学生の会話ができるようになる。

 塾では自分が大学生である、ということを言わないように指導されていた。それは塾の講師に対して“プロ”である意識を持たせるためだといわれていたけれど、実際は親から文句を言われたりするからだ、というのが講師仲間での定説であった。

 塾から出たとは言え、まだ生徒たちの行動圏内にいるので、あたりに生徒がいないことを確認してから、私たちは大学生の素顔に戻るようにしている。もっとも、こんな遅い時間に中学生が外出していることはあまり考えにくい。ただ、生徒の両親がそばにいることもあるので、塾に関する話題は、無意識に避けていた。

「で、そういう門やんは夏休みどうするの?」

 もうすぐ夏休みだった。

「今年は実家に帰るかなぁ」

 門田先生は秋田県の出身だった。秋田から京都に出てきたのだ。塾の講師をはじめたのは単に生活のためからだったが、もともと子どもが好きな性格だったこともあって、生徒たちからも親しみやすい先生として、評判も上場だ。

「まぁはどうするの?」

「四国旅行に行けたらいいなぁって思ってる」

 私のことを、門田先生は“まぁ”と呼ぶ。もちろん、塾にいる間は“秋山先生”“門田先生”と呼び合っている。生徒の前ではきちんと互いを“先生”と呼ぶように言われているのだ。

 夏休みといえば、夏期講習という長くてつらい仕事が、私たちを待っていた。夏期講習の間はほんとうに一日中、塾で生徒たちと向き合わなくてはいけないのだ。このときは普段持っている中学二年生だけでなく、時には高校生の個別指導や他の学年のクラスを持つこともあった。

 門田先生の言葉を借りれば“稼ぎどき”でもあるのだが、本当に一日中気を抜く瞬間もなくて、なかなかの肉体労働だと私は思っていた。

 お互い、夏期講習の話題には触れず、楽しい夏の旅行計画について語りあって、その日は楽しく別れた。私は最終電車で自宅に向かった。

 電車の中で、一通のメールに気がついた。それは門田先生からのメールだった。

『ファミレス帰りのコンビニで、村井らしき人物発見。背の高い男性と一緒だった。彼氏かもなぁ。夜十一時過ぎに中学生がコンビニにいるなんておかしいよなぁ。また、火曜日に話すわ。おつかれ。 門』


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